その二人の間で生じた、一触即発の暗闘。
しかし、すぐ隣にいる黒土御影には、その不穏な空気の正体が何一つ伝わっていない。彼女にとって七星は職場の先輩であり、赤坂は大切な兄だ。
お兄ちゃんが雄介先輩たちの存在を危険視し、蛇蝎のごとく嫌っているのは知っている。
だから、その同僚である七星と対面して、お互いに身構えて空気が冷え切っているのだろう――御影の直感は、その程度に都合よく解釈していた。
「あ、えっと、別にさぼりってわけじゃないんです、お兄ちゃ――あ、赤坂さんとちょっと話があって」
御影は、慌ててグラスのストローから口を離し、弁明するように七星を見上げた。
いくら誰もいない純喫茶とはいえ、仕事の先輩の前でプライベートの身内を甘えたように「お兄ちゃん」と呼ぶのは社会人として憚られたのだろう。気まずそうに言い淀み、途中で「赤坂さん」と言い直すその姿は、どこからどう見ても少し要領の悪い、年相応の女子学生そのものだった。
七星は、そんな御影の不自然な取り繕いを、細めた瞳でただ見つめていた。先ほど赤坂に向けた絶対的な捕食者の気配は綺麗に消え去り、いつもの気の抜けた、だるそうな「冴えない先輩」の顔に戻っている。
「ああ、そうなん? ならいいけども……五限始まらねぇ?」
七星が携帯端末の画面に目を落としながら、気の抜けた声で言った。
その言葉は、喫茶店のテーブルを覆っていた重苦しい緊張感を、あまりにも日常的で卑近な「学生のタイムリミット」によってあっさりと吹き飛ばした。
「へっ? あ! ご、ごめんねお兄――赤坂さん、私もう行かないと!」
御影は、弾かれたように腕時計に目を落とし、大慌てで立ち上がった。 今夜は白雲家で、お兄ちゃんの婚約者を迎える食事会が控えている。
先日、彼が突然婚約者を連れて実家に顔を出した際、ゆかりと少し気まずい空気になってしまったからこそ、今夜の食事会は穏便に済ませなければならない。そのためにも、高校の講義をサボって母に叱られるわけにはいかなかった。
大急ぎでバッグを抱え込み、再び口を突いて出そうになった「お兄ちゃん」という呼びかけを、寸前で「赤坂さん」と言い換える。
その様子を、赤坂は複雑な眼差しで見つめていた。 自分を拒絶するように不自然な敬称を使う妹分への寂しさ。そして、七星という男が残した死の痺れが、今も右手に冷たくへばりついている恐怖。 それでも、赤坂は「優しい兄」の仮面を崩さず、努めて穏やかに、優しく微笑みかけてみせた。
「……ああ、もちろん、学生の本分は勉強だからね、言っておいで」
その声は、ほんのわずかに震えていたかもしれない。
だが、赤坂は優しく御影の背中を押し出すように頷いた。
ゆかりを説得し、この異常な連中から引き剥がす。彼の中で、特撮班への敵意と警戒はさらに深く、鋭く研ぎ澄まされていく。その歪んだ使命感を秘めた瞳が、去りゆく少女の後ろ姿をじっと見送っていた。
そういって、席を立とうとして――気が付く、足が動かない。
何かされたのだ、足に力が入らない、席を立てない。
「……?兄さん?」
不思議そうにこちらを見つめる御影に声を上げようとする、助けを求めるのだ、この彼に何かされたのだと、この男の危険性を御影に――
「――ああ、いいよいいよ、僕が見とくから、早く行かんとマジで遅刻するぞ。」
「ぅ……じゃあ、またね、兄さん。」
そういって、御影が走り去る――この男の計画通りに。
「――ずいぶんと野蛮な真似をするじゃないか。」
傍らに立ち、ひらひらと気の抜けた様子で手を振っていた七星を睨む――その視線に宿る魔力は、その視線を溶解させる魔性を伴って走る――余人ならば、それで殺せるはずだ。
「――止めろっつったと思ったけどな?」
――余人ならば、それで殺せるのだ。
至極、当たり前のように視線を受け止めた男に、赤坂の顔は渋面に染まる。
明らかに、まっとうな人間ではない――
「お前も勇者か?」
「そう思うか?」
ゆったりと体の側面から七星が離れる。
その動きは緩慢だが、常に赤坂に注意を払い、その間合いから彼を外すことはない。
緩やかに、先ほどまで御影が座っていた場所に座る。
「加護ってのは厄介だな、本人も理解できないうちに自分の精神をむしばむ、自分が何をしているのか理解してるのか?」
「……何の話だ?」
「……わかってないのか、本気で面倒な状態だな。」
一瞬、あきれたように顔をしかめる――実際、かなり面倒な状態だ。
「あんたは今、自分が救うべきだといった自分の妹分に勇者の力を使ってその心をゆがめようとした、わかってるか?」
「そんなことはしていない、わかってるだろう?俺はお前達化け物からゆかりや御影たちを救うため行ってる。」
「よく言う、腐食の呪いで今何をしようとした?」
「間違いをただしたんだ、わかってるだろ?」
「さっぱりわからん。」
視線が交わる、その視線に宿る光は朗らかだ――何の間違いもないと確信しているそんな光に満ちた、目。
勇者に特有の眼だ。