職も貯金もない男が犯罪者になりかけたけど、突然あさおんした上になんか変な浮遊能力が生えた話。

このお話の羅生門は、青空文庫のものを元にしています。
みんなも、羅生門を、読もう!
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html

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羅生門はナレ死します。

 ある日の朝方のことである。一人の成人が、公園のベンチに座っていた。

 狭い公園には、この男の他に誰もいない。ただ、ところどころ塗装の剥げた、大きなすべり台に、季節外れのきりぎりすが一匹とまっている。

 

 この公園が、池袋郊外にある以上は、この男の他にも、散歩中の高齢者や遊ぶ家族が、もう二、三人はありそうなものである。それが、この男の他には誰もいない。

 なぜかというと、この二、三年、東京には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とかいう災いが続けて起こった———わけではなく。

 現在の時刻は、午前九時。

 祝日でも休日でも無い平日に、かつ、およそ昼休憩の頃でも無い時間に、この狭い公園で遊ぼうとする人は、この忙しない池袋には、まったく存在しなかった。特に、社会人であるのならば尚更である。

 

 その代わりまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。

 昼間見ると、その鴉が、何羽となく輪を描いて、山のようなジャングルジムの周りを鳴きながら、飛びまわっている。ことに街灯が点き始め、空が夕焼けで赤くなる時には、それが胡麻をまいたように、はっきり見えた。

 鴉は、勿論、公園に蔓延る虫だとか木の実だとか撒かれたパン屑だとかを、啄みにくるのである。———もっとも今日は、男がことさら辛気臭い空気を纏っているせいか、一羽も見えない。

 ただ、ところどころ、赤く錆びついた、更にらくがきが描かれた、すべり台にある階段の上に、からすの糞が、点々と白くこびりついているのが見える。

 

 男は成人男性が五人一緒に座れるようなベンチのいちばん端に、洗いざらしたスーツの尻を据えて、口の中にある、歯の矯正器具を気にしながら、ぼんやり、青々とした空を眺めていた。

 

 作者はさっき、「成人が雨やみを待っていた。」と書いた。

 嘘だ。書いていない。「午前十時の公園に人はいないはずだ。」と書いた。

 

 しかし、それならば、なぜ男は公園にいるのだろうか。ふだんなら、勿論、会社に出勤するか、リモートワークに勤しむべきはずである。ところが男はその勤め先から、四、五日前に暇を出されたのだ。

 (いとま)とは、この場合、昼休憩のことでも、育児休暇のことでもない。

 

 つまり、端的に言うならば、クビであった。

 

 前にも書いたように、社会人は育児なら童心に帰るやら酒に酔うやらでもない限り、午前十時の公園で遊ばない。故に、今の男は、日本において稀な、例外ということにほかならない。

 だから「午前十時の公園に人はいない。」と言うよりも、「成人にも関わらず、職業に就いていないニートを除いて、午前十時の公園に人はいない。」と言う方が、適当である。

 

 あるいは、ニートが人ではないという話を前提にするならば、先の言い方も充分だった。

 だが、仮にそのことを言うならば、この現代期の男のsentimentalism、すなわち感傷に影響しすぎて、泣き喚くことは簡単に予測できたため、この場合においては、ニートを人間として認める方が適当であった。

 

 午前六時辺りから昇り始めた太陽は、未だに下がる気色がない。

 反対に、男の貯金残高は、右肩下がりの業績で、今では三桁に到達しようとしていた。

 そこで、男は、何をおいてもさしあたり明日の暮らしをどうにかしようとして———いわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきからこの公園を照らす日光の音無き音を、聞くともなく聞いていたのである。

 

 日光は、公園をつつんで、遠くから、さあっという音を集めてくる。気温はだんだんと上り詰めて、見上げると、光の塊が、さっき見たところよりも高いところで、世界中に晴れを配っている。

 遠くに聞いた羅生門跡地では、その光を何の憚りもなく浴びているのか、それとも黒雲が遮っているのか、天気予報もほとんど見ない男には、当然、知る由もなかった。

 

 どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。選んでいれば、大路地の裏か、安い賃貸の寝台で、這いつくばって飢え死にを待つばかりである。そうして、死後一ヶ月後くらいに見つけられて、どこへとも知らぬ場所に埋葬されてしまうばかりである。

 

 選ばないとすれば、手段を選ばないとすれば———男の考えは、何度も同じ道を低徊したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。

 しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。男は、手段を選ばないと言うことを肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に(きた)るべき「犯罪者になるよりほかにしかたがない」ということと、幼少の頃より積み上げられた道徳を、積極的に崩すだけの、勇気が出ずにいたのである。

 

 男は、大きなくしゃみをして、それから、大儀そうに立ち上がった。

 

 春の陽気に覆われた池袋は、もう冬が太刀打ちできないほどの暖かさである。春風は住宅の壁と壁との間を、陽光とともに柔らかく、吹き抜ける。すべり台にとまっていた、季節外れのきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。

 そのまま男は、ゆっくりと、まだ明るい家路を辿っていった。

 

 男は、勇気を出せなかった。とはいえ、その勇気は外道に落ちる勇気なのだから、出さなくてよかった、とも言える。

 

 

 安い賃貸の中、男は、泥濘のような眠りから、やっとこさ目を覚ました。

 照る太陽はすでに天頂に達そうとしており、もはや、法を犯すしか生きる道のない男の呑気さを、圧倒的に象徴していた。

 

 男は胴にかけた毛布を、名残惜しそうに脱ぎ去ると、寝ぼけ眼ながら、寝台から床に降りようとした。

 だが、降り立とうとした足は宙をかき、そればかりか、頭から体幹を崩して、寝台から床へと、勢いよく転がり落ちんとした。男は、衝撃に備えようと反射的に、眼を(おお)うように瞼を閉じた。

 しかし、その手は、数秒後には、もう眼を(おお)う事を忘れていた。いつまで経っても衝撃が来ず、これはおかしいと男が思ったからだ。

 

 男の眼は、その時、はじめて部屋の床をまともに見た。

 クッションフロアの、狭く、古びた、黄ばみのある、紙のような床である。男は、右の窓から差し込む日の光に照らされ、その床の一つの凹みを覗きこむように眺めていた。いつ凹んだのかは分からないが、多分前からあったのだろう。

 

 男は、床を見ている。けれど男は、床に転げ落ちていなかった。

 男は、床に落ちることなく、床を見ている。それは転げず、寝台の上に男が居る、ということを意味しない。逆に、男はどこかに掴まって、転がるのを防いだ、というわけでもない。

 ()()()()に気付いた時、男は、六分の混乱と四分の懐疑心とに動かされて、暫時(ざんじ)は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「狐に化かされている」ように感じたのである。

 

 何故なら、浮かんでいる。

 何故なら、浮かんでいるのだ。

 

 男は、宙に浮かんでいるのだ。

 

「は?」

 

 男の口内から、華奢な声が漏れ出る。その声は、成人男性が出す声にしては、ずいぶんと高い音程で、同時に女性的だった。

 とはいえ現在の状況を処理することに精一杯な男は、自身の声が高過ぎるということに、まったくもって気付いていなかった。

 

 男の姿勢は、まるで土下座のようだった。両手を床に突き出し、顔は下を向き、両足は膝を突くような格好をしている。

 土下座との違いは、身体が床に着いているか、着いていないか、それだけだった。

 

「……は?」

 

 浮かぶ男は、ふたたび、思わずといった声を漏らす。

 

 男はここで、ようやっと、己の声がおかしいということに気がついた。普段、逆立ちしても出せないような、甲高い女声で、呆然とした男は、言葉を発したのだ。

 空宙に浮かぶ男の体とともに、それは、まったくもって、不思議も不可思議な現実だった。

 

 男は、ここで状況理解を終えて、ゆっくりと、辺りを検分し始めた。

 

 上下左右を見て、四肢の先を見て、体が確かに浮いているのを。

 それから、「あ、あー。あ、い、う、え、お。いろはに……まじかよ」と言って、男の声が、確かに女声になっているのを。

 ついでに、周囲を見回した時に、顔に長い白髪がかかって、己の髪もなにやら変化したようだということを、確認したのである。

 

「えー……嘘だろ。そんなことある?」

 

 男は、その女声に、非日常と出会った時の高揚を乗せながら、足を下に向けて、そろりと、床に降り立った。つま先が床に触れると同時に、先ほどまで体をつつみこんでいた浮遊感が、徐々にまっさらになってゆき、ついにかかとが床に触れた時、奇妙な浮遊感が完全に無くなったのを、しっかり体感していた。

 そのまま男は、黒だったはずの頭髪が白く変じ、しかも腰にかかるほど長くなっているのを、興味深そうに観察しながら、洗面台に向かうドアの取っ手に手をかけた。

 

 それから、何分かの後である。洗面台の上にある、くすんだ鏡の真ん中に、一人の少女が、子供のように目を光らせて、興奮しながら、自分の顔を見つめるのが映っていた。

 鏡の上から()すランプの光が、その少女の頬を照らしている。端正な顔立ちに、きめ細やかな白肌を持った綺麗な頬である。

 

「おお……これは……」

 

 少女の正体は、男であった。

 男は、眠る間にどうやってか、美少女と言えるくらいには、美しく、そして少女らしく変化していたのだ。

 容貌は端正に、体つきは幼さと成熟の合間に、更には、男はさっきの数分で自身の全身を探ったが、股間には空白があり、逆に胸には、柔らかな重みがあったのである。

 

 男改め、少女は、この鏡に男ではなく少女が映っていることに、然程の驚きはなかった。というのも少女は、はじめから、この鏡に映るのは、白髪の少女ばかりだと思っていたのである。

 なんせ、朝目覚めた時に、男声ではない女声、肉体の縮小、流れる白髪があるというならば、少女が男だった時に耽読して来た、数々のTS作品に()()()()な、定番の展開だったからである。そして、肝心の鏡も、男の期待に応えるか、あるいは当然のように、美少女を映し出した。

 

 少女は、やはり子供のように、ぺたぺたと、己の顔を触っていた。かつての男の体とは違い、柔らかく、そして滑らかな絹を触るような、そんな感触だった。

 そうして体を堪能していると、少女の脳内に、この体に対する激しい欲望が、少しずつ動いてきた。———いや、この体に対すると言っては、語弊があるかもしれない。むしろ、あらゆる現象に対する探究心が、一分毎に強さを増して来たのである。

 この時、誰かがこの少女に、昨日公園のベンチで男が考えていた、飢え死にをするか犯罪者になるかという問題を、改めて持ち出したら、恐らく少女は、その問題をすっかり忘れ去っていたことに、気がつくだろう。それほど、この少女の探究心は、コインランドリーの洗濯機のように、ごうんごうんと、音を立てて回り出していたのである。

 

 そこで、少女は、一回息を吸って、いきなり、服を脱ぎ始めた。

 そうして腰にまでかかる白髪を除けながら、がらりと、洗面台の向かい、つまり自身の背後にあった風呂場の扉を、勢いよく開け放った。風呂場についている、洗面台のそれより大きい鏡が、少女の全身を映し出したのは、言うまでもない。

 少女は、一目鏡を見ると、まるで冬場の温泉にでも浸かったかのように、頬を上気させた。その朱は、美しい少女の体を見たことによる興奮や背徳感だけではなく、羞恥の心も、多分に含まれていた。

 

「……はっず……まあ別に良いけど。多分これオレの体だし?」

 

 少女は、そのまま鏡を見ながら、全身を観察し始めた。

 時に、くるりと回転し、時に、片足を持ち上げ、それらを観察する少女の目は、紛れもなく、好奇心と探究心に満ちた子供のような瞳だった。

 

「ふぅん……ほんとに変わってるんだな。股間もちゃんと()()だし……どうなってんだこれ?」

 

 観察を一通り終えた少女は、腰と顎に手を当て、首を傾げながら、全裸の己が映る鏡を見ていた。

 

 訝しげに眉を(ひそ)めながら、未だに少女の体を観察する瞳には、探究心が潜められていたが、一通り観察を終えたという意識は、今までけわしく稼働していた好奇の心を、いつの間にか止めてしまった。

 後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが多少()()()は残りながらも終わった時の、少しの不安と疑念とがあるばかりである。

 

 そこで、少女は、鏡を見つめながら、意思をはっきりとさせるために、同じくはっきりとした声で言った。

 

「よし。病院に行くか」

 

 少女は、うん、と言うように頷きながら、開け放たれた風呂場を後にした。

 

 この時、少女の頭の中には、まったく、さっきの超常現象———つまり、宙に浮かんでいたことの記憶が、存在しなかった。

 単純に、少女の体が衝撃的すぎたのと、朝起きたら少女になっていた、という事実に、パニックになってしまい、忘却の彼方にいるだけである。だが、少女は体の確認に夢中で気が付かなかったものの、先ほどから、少女の髪はところどころで不自然に揺らめいていた。

 

 そのあと少女は、すばやく、男の大きな服に身を通した。まるで大人の服を子供が着ているかのような姿になったが、ゆるまっているズボンのウエストを、上の服を巻き込んで、手荒く紐で引っ張れば、多少は見れるものになった。

 あとはこの上に上着を羽織り、ズボンの裾を捲れば、きっと大丈夫だろう。少女はそう思った。

 

 表玄関までは、僅に五歩を数えるばかりである。

 少女は、身だしなみを整えたあと、男の顔が印刷された保険証だとか、すかすかの財布だとか、そういったものを入れたバッグを背負って、気楽そうにドアを開いた。

 外には、ただ、晴れ渡った空があるばかりである。

 

 少女の行方は、そこそこいろんな人が知っている。




堕落は浮遊。
浮かれるなかれ。
地に足つけて、いきなさい。

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