喫茶店と猫好きな少女 作:喜助
一人でも歩ける
だけど
隣に誰かがいる道は
少しだけ賑やかだった
五月の風は、少しだけ夏の匂いを連れていた。
ゴールデンウィークが終わった直後の天宮市は嘘みたいに静かで、大型連休中の喧騒が抜け落ち、街はようやく落ち着きを取り戻している。
喫茶店“バロン”も例外ではなかった。
店の入口には、小さな貼り紙が出ている。
【5月8日・9日 店休日】
昼下がりの柔らかな陽射しが、ガラス越しに木目調の床を照らしていた。
店内には穏やかなジャズにコーヒー豆を挽いた香り。
クロは窓際で丸くなり、トトは椅子の上で尻尾を揺らしている。あんずは相変わらずカウンターを占領していた。
「……珍しいですわね」
狂三がカウンター席へ頬杖をつきながら呟く。
今日は黒いフリルブラウスに、薄いワインレッドのロングスカート。普段より少し軽めの装いだ。長い黒髪は後ろでゆるく束ねられていて、どこか年相応の少女らしさがあった。
「何が」
紬は食器を片付けながら答える。
五月らしく、今日は黒い七分袖シャツに薄手のロングカーディガンという軽装だった。白い髪が春の陽射しを受けて柔らかく見える。
「連休ですわ」
「たまには休まねぇと身体が持たねぇ」
「貴方、普段から休んでるような顔してますけれど」
「どういう意味だ」
「眠そう、という意味ですわ」
「否定できねぇ……」
紬がぼやくと、狂三はくすりと笑った。
その時。
「にゃ」
クロが紬の腕へ頭を擦り寄せる。
「お前は察しがいいな」
紬が撫でると、クロは満足そうに喉を鳴らした。
狂三はそんな光景を眺めながら、ふと視線を細める。
戦う時の紬しか知らない人間が見れば、今の姿など想像もできないだろう。
黒い霊圧も。冷たい殺気も。ーーー 死を纏うような気配も。
今はどこにもない。
ただ、猫へ甘い喫茶店店主がいるだけだった。
「それで?」
狂三が口を開く。
「お休みは何をする予定なんですの?」
「寝る」
即答。
「他には?」
「寝る」
「それしかありませんの?」
「理想の休日だろ」
「終わってますわね」
狂三が呆れたようにため息を吐く。
紬は気にした様子もなくカップを棚へ戻した。
「人混み嫌いなんだよ」
「引きこもり思考ですわ」
「お前が外出好きすぎるだけだ」
狂三は少しだけ考える素振りを見せた。
それから、にこりと笑う。
「では、遊びに行きましょう」
「断る」
「即答早すぎません?」
「嫌な予感しかしねぇ」
「失礼ですわね」
「お前が言うと大体ろくなことにならねぇんだよ」
狂三は頬を膨らませる。
「せっかくのお休みですのよ?」
「だから休むんだろ」
「人生損してますわ」
「別に困ってねぇ」
だが、狂三はそこで少しだけ視線を逸らした。
「……わたくし、一人で出掛けるのは少し退屈なんですの」
その声音は、いつもの軽い調子より少しだけ静かだった。
紬の手が止まり、狂三は平然とした顔をしている。
だが、長く一人だった人間特有の“諦め”みたいなものが、ほんの少しだけ混ざっていた。
「……」
数秒の沈黙に、やがて紬が小さく息を吐く。
「……どこ行く気だ」
狂三の顔がぱっと明るくなった。
「承諾ですの!?」
「断ると面倒そうだからな……」
「ふふ。賢明ですわ」
翌日 駅前
五月の空は高く、風は涼しかった。
連休中ほどではないにせよ、街にはそれなりに人がいる。
「……帰りてぇ」
待ち合わせ場所へ現れた紬の第一声がそれだった。
「まだ始まってもいませんわよ!?」
狂三が呆れた声を上げる。
今日は白いブラウスに黒のジャンパースカート、その上へ薄手のベージュカーディガンを羽織っている。フリルは多いが、普段よりかなり落ち着いた服装だ。
対する紬は、黒の長袖シャツに薄い灰色のパーカー、黒スキニーというシンプルな格好だった。
「人多い……」
「休日ですもの」
「休日に外出る奴ら元気すぎんだろ……」
「貴方がインドア過ぎるんですの」
狂三は楽しそうに笑う。
「まずは喫茶店ですわ!」
「なんで休みの日に喫茶店行かなきゃなんねぇんだ」
「バロン以外も知るべきですわ」
「俺コーヒー飲めればなんでもいい……」
連れて来られたのは駅裏にある小さなカフェだった。
木目調の内装に白い壁。ドライフラワーが飾られた、どこか今風の店。
女性客が多く、紬は入った瞬間から居心地悪そうだった。
「場違い感すげぇ……」
「そんなことありませんわ」
「男俺しかいねぇぞ」
「気のせいです」
「現実見ろ」
席へ座ると、狂三は嬉しそうにメニューを開く。
「わぁ……可愛い」
色とりどりのスイーツ写真が載っているが、紬はブラックコーヒーしか見ていない。
「また甘いもんか」
「人生には糖分が必要ですもの」
「お前ほんと好きだな」
「嫌いなんですの?」
「嫌いじゃねぇけど、そこまで食いたいと思わねぇ」
結局、紬はアイスコーヒーのみで狂三は期間限定の苺パンケーキを選んだ。
それぞれの注文品が運ばれてきた瞬間。
「……なんだこのカロリーの塊」
「夢がありますわ」
「胃もたれの間違いだろ」
狂三は楽しそうに笑いながら写真を撮る。
それから。
「はい、紬さんも」
フォークを差し出した。
「いらん」
「一口くらい」
「甘いの苦手なんだよ」
「苦手ではないでしょう?」
「……」
図星だった。
狂三がじーっとフォークを差し出しままこちらを見ている。
その様子に紬は深いため息を吐いた。
「……一口だけだからな」
口へ運ぶと甘さが口内に広がった。
予想以上に。
「……どうです?」
「砂糖が暴力振るってる」
狂三が吹き出した。
「感想が壊滅的ですわ!」
笑いながら肩を震わせる。
その顔が妙に楽しそうで、紬は少しだけ視線を逸らした。
「……そんな笑うことかよ」
「ふふっ……だって」
狂三は目尻へ涙を浮かべながら笑う。
紬はその横顔をぼんやり見て"綺麗だ"と思った。
だが、その感覚へ自分で気づかないふりをするようにアイスコーヒーへ口をつけた。
その後、二人はショッピングモールを歩いていた。
雑貨屋や服屋に本屋。
狂三は思った以上に楽しそうだった。
「紬さん、これどうです?」
猫柄のマグカップ。
「店用ならあり」
「こちらは?」
黒猫クッション。
「クロが占領するな」
「間違いありませんわ」
くすくす笑う。
その空気は穏やかだった。
紬は少し後ろを歩きながら狂三を眺める。
こういう場所にいる狂三は、不思議なくらい普通の少女に見えた。
精霊で最悪の存在と呼ばれる"時間を喰う怪物"
そんな肩書きが嘘みたいに。
ただ、好きなものを見て楽しそうに笑う女の子だった。
「……紬さん?」
「ん?」
「何を見てますの?」
「別に」
視線を逸らすと狂三は少しだけ目を細めた。
「変な方」
「お前にだけは言われたくねぇ」
そして
「……ここ、寄りますわ」
狂三が立ち止まり、紬が顔を上げると......
" ランジェリーショップ "
「帰る」
即答だった。
「待ちなさい」
狂三が袖を掴む。
「なんで俺がここ入らなきゃなんねぇんだ!?」
「付き添いですわ」
「男連れてく方が問題だろ!?」
「大丈夫ですわ」
「何が!?」
周囲の視線が痛い。
結局、押し切られた紬は死んだ目で店内へ入ることになった。
数分後。
「……帰りたい」
隅のソファへ座りながら、本気で呟く。
完全に場違いだった。
そんな紬とは対照的に、狂三は妙に真剣に商品を見ている。
「……こちらと、こちら」
店員と相談していた。
『何故そんな真面目なんだ』と心底思う。
やがて。
「紬さん」
「なんだ」
「どちらが良いと思います?」
「知らん」
「ちゃんと見てくださいな」
「見れるか!!」
狂三が吹き出した。
「ふふっ……」
本当に楽しそうだった。
楽しそうな狂三に、紬は深いため息を吐く。
「……楽しそうだな」
「ええ」
狂三は微笑む。
「こういう時間、嫌いじゃありませんもの」
その顔は、年相応の少女そのものだった。
夕方、最後に訪れたのは小さな公園だった。
夕焼けが街を橙色へ染め、ブランコが風で揺れていた。
子供たちの姿も少ない。
狂三はベンチへ腰掛ける中、紬は自販機で買った缶コーヒーを差し出した。
「ほら」
「ありがとうございます」
プルタブを開ける音、風が吹く。
静かな時間だった。
「……今日は楽しかったですわ」
狂三がぽつりと呟く。
「そりゃよかったな」
「紬さんは?」
「疲れた」
「素直ですわね……」
狂三が苦笑する。
だが、紬は少しだけ間を置いてから言った。
「……まあ、悪くはなかった」
狂三の目が、ほんの少しだけ丸くなる。
「それは、かなり高評価ですの?」
「さあな」
紬はベンチへ背を預けた。
夕焼けが白い髪を染め、狂三はその横顔を見つめる。
戦う時は、あんなに冷たい目をするのに。
今はどこか眠そうで、穏やかで ーーー 普通の青年に見えた。
「……不思議ですわね」
狂三が静かに呟く。
「何が」
「昔のわたくしなら、こういう時間は退屈だと思っていましたの」
買い物をして喫茶店で甘いスイーツを食べて、公園で穏やかな時間を過ごす。
そんなものに意味はないと。
けれど。
「悪くありませんわね」
狂三は小さく笑う。
その様子に、紬は少しだけ目を細めた。
そして。
「だろ」
短くそう答える。
風が吹いた。
夕焼けの下、二人の影だけが静かに長く伸びていた。