霞む世界の先に見えるもの 作:雪白
※オリジナルストーリーとなります
政・貂・秋嵐の3人は森の中をひたすらに駆ける。
信を背負った状態の政は汗を浮かべ、息を切らしながらも歩みを止めることなく山奥へと進んでいく。
(日暮れか……)
先頭を行く秋嵐は夕闇が迫る気配を敏感に察知していた。
日が落ちれば視界は急激に悪くなる上に獰猛な獣達が動き始める時間帯でもある。
(せめて、
表情こそ一切出さないものの、政の顔には汗が浮かび足取りも徐々に重くなってきている。
最悪のタイミングだ…と秋嵐は内心舌打ちする。
その時だった。
「!」
突然、秋嵐はぴたりと足を止める。
後ろを走っていた政と貂も危うく衝突しそうになりながら、強引に足を止めた。
「…どうした」
秋嵐の背中に声をかける政。
「道がなくなっている」
秋嵐が指差した方向を見て貂は息を呑む。
道がなくなっていた。
本来そこにあるはずの斜面は、大規模な土砂崩れによって完全にえぐり取られ、断崖へと姿を変えていた。
「大王様。最終合流地はどの方角だ」
政は崩落した先を見据える。
「……西だ。あの尾根を越えた先にある“穆公の避暑地”。そこが昌文君たちとの最終合流地点だ」
「なら、ここを降りる」
秋嵐は躊躇いなく、真下の断崖を指した。
「はあ!?」
貂が素っ頓狂な声を上げる。ほぼ垂直の切り立った岩肌の数十メートルの崖だ。
「他の道を探せばいいんじゃ……」
「時間がない」
秋嵐の低い声が、貂の言葉を遮った。
「……もうすぐ日が落ちる」
貂と政が視線を上げる。木々の隙間から覗く空は、すでに濃い藍色に染まり始めていた。
「ここから安全な道を探して西へ抜けるとなれば、どんなに急いでも半日はかかる。その間に夜が明けるぞ」
秋嵐は淡々と続ける
「さっき言ったはずだ。猟犬共が
秋嵐は崖の下の薄暗い谷底を指した。
「だが、今ここを降りて川に出れば、話は変わる。水と夜霧が匂いを散らす。奴らが此処に着く頃には匂いが途切れる。……追手を確実に撒けるののは今だけだ」
ただの無茶ではない。
それはかつて猟師として故郷の深山を駆け回り、山を知り尽くした秋嵐だからこそ弾き出した僅かでも生存の可能性が高い方法だった。
「でも無茶だよ!お前一人ならともかく信がいるんだ!この崖を降りるなんて無理だ!」
「…大王様。そいつをよこせ」
秋嵐は貂の声には応じず、政の前に手を出す。
「……俺が背負って降りる」
政の目が、わずかに見開かれる。
「お前ごと落ちて死ぬぞ」
「さっきアンタが言ったはずだ。『自分の仕事をしろ』と」
秋嵐の目は、一歩も引いていなかった。
「アンタの仕事は生きて目的地に着くことで、俺の仕事はそれを手伝うことだ。迂回して王弟の犬共に首を差し出すか、ここで俺の足に賭けるか。……選べ」
夜風が、三人の間を吹き抜ける。
政は秋嵐の目を真っ直ぐに見返し、やがて、静かに信の体を下ろした。
「政!?」
「秋嵐の言う通りだ。ここで時間を失えば全滅する」
「この縄でこいつを俺の体に結びつけろ」
「わ、わかったよ!」
貂は渡された縄で気を失っている信の体と秋嵐の体と固く縛り上げる。
秋嵐は軽く足踏みをして重心を確かめると、崖の端に立った。
「お前らはあっちから降りろ。下で待つ」
「……本当に大丈夫なんだろうな」
政が鋭く問う。
秋嵐は答えず、ただ短く息を吐いた。
「……見てろ」
次の瞬間。
秋嵐は、信を背負ったまま、谷底へと身を投げ出した。
「秋嵐!」
政と貂は崖下へ身を乗り出す。
落ちていく白い影。
ダンッ!!____
秋嵐の足裏は崖の突き出た僅かな岩の出っ張りを完璧に捉えていた。
信の体重と落下の加速度。尋常ではない重みがすべて秋嵐の“両膝”へのしかかる。
だが、秋嵐は膝を極限まで折り曲げることでそのすさまじい衝撃を殺しきった。
足場の岩が重みに耐えかねて砕ける。だが、その時には秋嵐の身体は斜め下の次の足場へ跳躍していた。
岩肌からせり出した太い木の枝へ。枝が折れるより早くさらに下の岩肌へ。
(…速い!)
崖の上から見下ろす政の目が見開かれる。
その動きは、険しい崖を駆ける“獣”そのものだった。
瞬く間に谷底へと着地した秋嵐は、頭上の二人へ向けて片手を上げてみせた。
「……なんなんだよ、あいつ。人間かよ……」
貂は安堵と驚愕でへたり込みそうになる。
政は無言のまま、谷底に立つ秋嵐をじっと見下ろす。
その脳裏に浮かび上がるのは、数十年前に滅んだとされる山民族達だった。
(霧の民……)
かつて秦が滅ぼした山国に存在したという屈強な一族集団。
霧深い断崖の山岳地帯を支配し、山々を自在に駆け回る姿は獣のようだったという。
勇猛さ故に各国で傭兵として重宝されたものの、国の滅亡と共に脅威として疎まれ、追放された。
その血は絶えたはずだが________
「……俺達も行くぞ」
だが、やがて踵を返し、谷底に繋がる斜面へと向かった。