シグルってたまるか外伝~刃牙道など行かん~   作:風袮悠介

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4 斬るぞジャック

 数日後の地下格闘技場。

 オレは浮かない顔をして、控え室にいた。いつもの着流しではなく、胴着に袴とあの頃の試合スタイルだ。さすがに着流しやるのは憚れる。

 とはいえ武蔵のような格好をするのもあれだなと思ってこの格好をしていた。

 はぁ、と溜め息を吐きながら、徳川のジジィが用意した刀を手にした。

 

 いわゆる現代刀の一種。この日のために鍛えた一振りらしい。振ってみてもかなり良い出来なのはわかる。オレが持つことを想定し、あらかじめ用意してくれたとか。

 ただし、やはり鋼が悪い。これでもかと精魂を込めて鍛えてくれたのはよくわかるが、素材そのものが悪けりゃどうしようもない。

 とはいえ、武蔵のようにブンブン振ってぶっ壊す趣味もない。多少壊れやすいものを丁重に扱う方が、相手を殺さずに済むだろうさ。

 

 オレは鞘から刀を抜き、刀身のチェックを行ったあとに腰に差す。一応は大小二振り用意してもらっている。

 虎眼流には二刀流の型もあり、時として使うんだと伝えたところコレである。

 

「どこか浮かない様子ですな」

 

 控え室にいたご老人……刃牙のファンだという控え室のスタッフのおじいさんが、オレに言った。

 

「チャンピオンはもちろん、武蔵殿も試合前はワクワクして……いえ、失礼しました。昂揚していらっしゃいましたが」

「あのねぇ……オレは人を殺すのが好きじゃないんですよ。素手を相手に弱い者いじめなんて、趣味じゃないんですよ」

「言うではないか童」

 

 ここで控え室にいたもう一人、武蔵が口を開いた。何故かこの人オレの控え室にいて激励をしてくれてる。なんでだよ本当に。

 武蔵はニヤニヤしながら見てくるしさ。

 

「この時代に生きるものの拳は、いずれ剣に至る。あのジャックという男もその類いだぞ」

「いや……だとしてもですよ、武蔵殿」

 

 オレは溜め息を吐いて答えた。

 

「背がでかいだけの運動自慢にやられてやるほど、オレは優しくないんですよ」

 

 この言葉が癪に障ったのか、スタッフのおじいさんが咳払いした。

 

「お言葉ですが……ジャックという闘士は背が大きいだけの男と思ってはなりません」

「へぇ。だいたいのことは刃牙くんに聞いてるけど。薬物に手を出すとか、無茶な鍛錬をするとか。それだと背が大きいだけと判断するのも無理なくない?」

「ジャックという闘士は純粋なのです」

 

 おじいさんは言った。

 

「勝利に対して貪欲で、純粋で、勝つためにあらゆる準備を怠りません」

「ものは言いようだなぁ」

 

 オレはそう言いながらも、理解はしてる。

 

 ジャック・ハンマーは、こと勝利に向けて誰よりも誠実で、真剣で、純粋な男だと。

 

 無茶苦茶な鍛錬、自身を省みない薬物投与、無謀としか言えない骨延長手術。

 どれもが『今この瞬間だけでいいから勝つ』という目的のために行われている。

 それは表格闘技界では卑怯とか、違反とか、バカだとかいろいろ言われるようなことだろうと思う。

 でも、どれもこれもが現代でできる鍛錬と用意と考えるなら合理的なんだ。

 

 無茶苦茶な鍛錬だろうが結果を出して筋肉の鎧と体重を手に入れた。

 薬物投与によって通常では得られぬほどの身体能力を得た。

 骨延長手術によって圧倒的な間合いと骨格の大きさによる攻撃力を見に宿した。

 

 強くなるという目的を抱いた上で、これ以上できることなんてそうそう思い浮かばない。

 というか、それだけの無茶をやって生き残り、今なお生存していることこそ恐ろしい。

 

 ジャック・ハンマーとは、現代科学と現代格闘術が生んだ強化人間と言ってもいい。

 新人類にカテゴリしてもおかしいことじゃない。

 ある意味、あらゆる強化手術や施術を受けても生き残れるような圧倒的な体の適応能力と生存力こそがジャック・ハンマーという男の強みなのだろう。

 

 表格闘技界基準で見たならとんでもない卑怯者なのかもしれないが、ここ地下格闘技場基準で見れば尊敬に値する強者だ。

 

 だからこそ、そんな相手に徒手空拳による戦いではなく強制的に刀を握らされている、ということが不本意でたまらない。

 オレだって素手である程度やれるし、そうそう負けることなんぞない。

 

 そして、オレの体質のこともある。

 ちょっと試したが、やはりこの体は昔のままだ。

 

 卑怯なんだよな、この体。

 

「……失礼致しました。そこまでジャックに敬意を払っていたとは」

「え。もしかして声が漏れてた」

「はい。ブツブツとジャックの強みを口にしていました」

「やべ恥ずかしい」

 

 思考に耽るあまり口から零れていたのかよ。恥ずかしいっ。

 

「童よ。その体が卑怯とはどういうことだ」

「あー、武蔵殿。まぁ見ていてくださればわかりますよ。これがどれだけ卑怯なことか」

 

 

 

 

 

 

――――

「やぁジャック兄」

「刃牙か」

 

 裕次郎とは反対の方角にある控え室で、範馬兄弟が向き合っていた。

 ジャックはいつものドーピングを行ったところ、刃牙が控え室にやってきたのだ。

 

 ジャックは壁を背もたれに、床に注射器を投げ捨てた。

 すでにその周りには夥しいほどの薬の包装紙、注射器が散乱している。

 

 刃牙はフッと笑った。

 

「凄いね。全く気負いがない。相手は武蔵と同じ時代を生きた侍だってのに」

「対武器術の心得はないが、てこずったことなどない」

 

 ジャックは目を閉じ、冷静に答えた。

 

「しかも相手は武蔵ではない。あの本部にして『対峙しても問題ではない』と言われる程度の男だ。武蔵と戦う前の、練習相手にすぎない」

 

 目を閉じて思うのは、あの日テレビで見た武蔵の戦いっぷりだ。

 警察官相手の大立ち回り。

 

 相手が何人いようが、どれだけ鍛えていようが関係ない。

 武のレベルが違うのだ。

 現代に生きる武術家たちが驚くほどの。

 

 では裕次郎はどうだろうか。

 強いとは思えない。あの本部が恐れるのはあくまでも武蔵のみ。

 ジャックにして調べてみても、裕次郎のことは特に日本の歴史に登場してるような人物でもない。

 

 片田舎の剣術道場の養子で、達者な腕を持つ程度の侍。

 練習相手にうってつけだ。

 

「これが終われば、本部と立ち会う。そしてそのあとは武蔵だ」

 

 決まり切ったこと――とまで言い切るジャック。

 対して刃牙はクスクスと笑うばかりだった。

 

「それは甘ぇよジャック兄さん。裕次郎さんは強いぜ」

「……なんだと?」

 

 目を開けて刃牙を見たジャック。

 

「あの男はそんなに強いのか」

「強いよ。俺と毎晩、組み手を行う程度には」

「お前と組み手の練習ができるのか?」

 

 これにはジャックは少し驚いた。

 ジャックから見てこの腹違いの弟は、範馬の血をハッキリと継いだ男だ。

 強くなるしかない、と言えるほどの才覚を身に宿している。

 

 あの地上最強の生物、範馬勇次郎を相手に勝利した……といっても本人は認めてないが……ほどの男の組み手の練習相手になると。

 

「いや、それどころか毎晩木刀で打ち据えられてる」

「お前がか?」

「そうだよ。だからジャック兄、油断しない方がいい。あの虎眼流剣士は強ぇよ」

 

 ハッキリと言い切った刃牙に対して、ジャックは改めて裕次郎への警戒レベルを上げた。

 

 上げるだけで、こちらの勝利は揺るがない。

 ただ重傷を負う確率を減らす程度の心持ちだ。

 

「……あいつがどんな技を使うか、聞きたい?」

「必要ない」

 

 ニヤリ、とジャックは笑った。

 己の武器である歯をむき出しにし、非常に好戦的な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

――

 オレが地下格闘技場の試合場に足を踏みいれた瞬間、気圧された。

 

 満杯の観客と熱狂が、オレの全身を叩いたからだ。

 

 天井に据えられた明るいライト、八角形場の試合場、闘士たちの骨と歯が混じる砂の地面。

 そこからとんでもなく高いところにまである観客席には、老若男女問わずに試し合いを見るのが好きな、寿司締め状態の観客たち。

 すこし高い場には開始の合図を知らせる巨大な太鼓、その近くには徳川光成の姿。

 

「マジで出たぞ! もう一人の侍だ!」

「あれが江戸時代の剣客か?」

「藤木裕次郎って誰だ?」

「腰に二本の刀を持ってんじゃん! 武蔵とは違う!」

「武蔵と違って歴戦の強者って感じはねぇな。現代の若者っぽくね?」

「本当に侍なのか?」

「おめえにジャックがぶった斬れんのかよ!?」

 

 疑問、罵倒、期待、その他エトセトラ。

 オレに対して浴びせられる言葉は、どれもこれもがオレの、虎眼流の強さを疑問視するものばかり。

 当然だろう、武蔵と比べたら虎眼流の知名度などないに等しい。

 それに、オレにとってはどうでもいいことだ。

 

「はぁ……」

 

 思わず溜め息が出た。

 ようやくシグルイ世界から現代に戻れたと思ったら、今度は刃牙世界で地下格闘技場に出る事になり、しかも刀を持ってジャックとバトル、なんてきたもんだ。

 知ってる日本じゃないってことで悲しかったけど、それでも現代日本だ。普通に戸籍を用意してもらい、学歴を得て、就職して、普通に暮らせると思ってたんだよな。

 それがこの有様なんだから、笑えてくる。

 

「おお!? なんだ、なんで溜め息なんだよ!」

「ジャックが相手なのが不満なのか~!?」

「おめえなんぞ、ジャックの相手になるもんか!」

 

 知らんがな。オレはそう内心で呟いて黙る。

 試合場の中心でうずたかく盛られた砂の山には、槍だ剣だ棒術だ、杖だ鎌だとまあ山ほど突き立てられてる。

 それを見て、なおも出そうな溜め息を堪えた。また観客に何か言われても面倒だ。

 

 そうしてると、反対の方からジャックが現れた。

 やっぱでけぇ。2メートルを超える身長だ。見上げるほどの大きさ。隆起した筋肉は激しく痙攣し、すでに薬による効果が発揮されてるのがわかる。

 ボクサーが履くような試合用のボクシングパンツに首に掛けたタオル一枚の姿。試合がいつでもできる、といわんばかりの格好だ。

 

 しかし不思議だ。武器を身に帯びている様子がない。どこにも隠しようがない。

 かの死刑囚のように人体改造で仕込むわけもないし。

 まさか、完全に素手でやるつもりか? 

 

「出た~! ジャックだぁ!」

「いつものパンツ一丁の姿だぞ!」

「武器は持ってきてないのか!」

「それでやれんのかよ!?」

「ぶった斬れ侍!!」

「止めてくれ~! 烈みたいなことになっちまう!」

 

 観客も、ジャックの堂々とした姿と、いっそ清々しいまでの無手で戦う様子に興奮しっぱなしだ。

 試合場中心に立ったオレとジャックは、互いに睨みある。すげぇ背が高い、首が痛いほどだ。

 見下ろす形となったジャックだが、オレに対してそこまで警戒している様子がない。舐めてるんだろうな。大方、練習相手くらいにしか思ってないんだろう。

 それならそれで、いくらでもやりようがある。

 

「おい、サムライ」

「ん?」

「ムサシと同じくらい強いのか?」

 

 ジャックがオレに、疑問を投げかけてくる。完全に見下すような形の発言だ。

 ……挑発に乗って相手するだけ無駄だな。爽やかに笑って返してやる。

 

「強さで言えば武蔵殿の方が強い。厄介さで言えば、オレの方が上だ」

「どういう意味だ」

「文字通りだ。せいぜい、この試合を楽しめ」

 

 ふとジャックの後ろ、選手が待機する廊下を見れば、刃牙くんと烈さんがいるじゃないか。どうやら二人で、そこから観戦するらしい。

 全く、この状態になったのは君のせいなのに、随分と楽しそうだね刃牙くん。口元に浮かんだ笑みを隠しなさいよ。

 

 観客側に目を向けようとぐるりと見渡すと、愚地独歩に克美、渋川剛毅、本部さん、なんだアレは範馬勇次郎にMr.オリバまでいるじゃねーか。

 他にも色んな面々が、この試合を見に来ていた。

 止めてくれ。オレはこの戦いが終わったらもう、地下格闘技場で試合をやる気はないんだ。

 

「童よ」

「なんですかー?」

 

 後ろから話掛けてきた武蔵に、オレは振り向かずに聞いた。

 というかなんであなたそこにいるのよ。観客席に戻りなさいよ。

 

「現代の侍の戦い方、見せてもらうぞ。あそこまで言うたのだ、お手本を示してもらわねばな」

「勘弁してくださいよ。オレ、そこまで器用じゃないですよ」

 

 ふぅ、と息を吐く。こうなったら自棄だ。やるだけやろう。

 

 こちらの様子を窺っていた審判のお爺ちゃんが口を開いた。

 

「この試合、特別ルールにて行われるものとします。ここにセットされた武器全て、使用が許されます。また、双方が用意した武器。コレも同様です。反則はただ一つ」

 

 観客席から息を呑む声が聞こえた。

 

「火器の使用のみ」

「質問。例えばオレが油と火を用意して刀にぶっかけて着火した場合、これは火器にあたる?」

「当たりません。ここにおける火器とは、拳銃や爆薬、その他現代火器兵器に類するものが該当します。爆薬の力を用いて銃弾を撃ち出すものを火器とします。質問内容の武器は忍術、忍具と判断致します」

「じゃあ口に酒を含んで噴き出して、それに火を当てて火炎放射器みたいなことをしても?」

「反則には当たりません。忍術と判断します」

「あっそ。マジかよ」

 

 適当に聞いたつもりの質問だったが、どうやら使っても良いらしい。

 どうなってんだよこの試合。作品は違うけど餓狼伝でグレート巽が鞍馬彦一にやったみたいな放火が許されるのか。ガバガバルールじゃねぇか。怖いよ。

 

「そこまでやるのか江戸時代の侍かよぉ!」

「正々堂々と刀で戦え!」

「うるせぇ! オレは侍だけど、決まりの上でやっていいならやるに決まってるだろ! そんな用意をしてないからやらねぇだけで!」

 

 観客からブーイングが起こるが、怒鳴り返して終了。何が正々堂々だ、こっちが刀を持っている時点で正々堂々もクソもねえだろうが!

 ちゃんとルールを決めてない徳川のジジィが悪い!」

 

「其処ら辺どうなのよ徳川の爺さんよ!!」

「やかましいわい! ルールはルール、つべこべ言うでない!」

「其処ら辺の、その、ルール? をちゃんと定めない方が悪いだろうが!! カタカナ語は知らんフリしとこ……」

「そこまで! 両者元の位置に!」

 

 そうやって観客や徳川のジジイと喧嘩をしていると、痺れを切らした審判が強制的にコールしてきた。

 ち、仕方ねぇ。オレは背を向けて元の位置に戻っていく。

 

 狙ってるな、後ろから。

 

 ジャックが後ろからオレを狙ってるのがわかる。ここまでわかりやすい気配で狙ってくれるなんて、罠か? それとも狙いがあるのか?

 しかしいつまで経ってもこないな。じゃあ良いか。

 

「童よ。あの男」

「ええ。狙ってましたよ、背中からの不意打ち」

 

 ニヤニヤと笑う武蔵殿に、オレは溜め息を吐いてから答えた。溜め息の数が増えたので、余計に憂鬱だ。

 

「まぁ、遊んできますよ」

 

 

 

 

――――

 観客席で見ていた渋川は、現れた裕次郎の姿を見て思った。

 

「こりゃあ驚いた……二人目かよ」

 

 渋川にして、武蔵に抱いた印象と同じ『本物』。

 あのテレビで武蔵の姿を見て、ここで烈との戦いを見てから感じた、己と彼らとの間にまたがる大きな武の隔たり。

 立ち姿、振る舞い、雰囲気。

 どれもが武蔵と同じ程度かそれ以下ではあるものの、確かにある。

 

 武蔵の試合を見た後だからか、試合の重々しい雰囲気にも慣れてまだまだ声が収まる様子はない。

 だが。だが、だ。

 

「なんだぁ? これは……」

 

 渋川は裕次郎から感じる、得体の知れない何かがわからなかった。

 武蔵と同じ侍としての武の体現者。

 

 それと同じく、裕次郎の中には別の何かがある。

 

 不気味で悍ましい、何かがある。

 

 

 

 

 同じく観客席、その高いところにある廊下。

 そこでは愚地克巳と愚地独歩、本部以蔵の三人が立っていた。

 

「本部さんから見てどう思いますか? この試合」

「どうもこうもない」

 

 三人は試合場に立つ藤木裕次郎とジャック・ハンマーを見ていた。

 本来は先に本部が戦う予定だったらしいが、ここでジャックが裕次郎との戦いを所望したことで生まれた組み合わせなのだと言う。

 

 本部はふ、と笑っていた。

 

「安心して見ていられる」

「ほう、安心して見てられるとはなんだぃ、本部さんよ」

 

 そんな様子に、独歩が疑問を投げかける。愚地親子が真剣な表情のままに対して、本部はどこまでも観客のそれのままだった。いや、江戸を生きる剣術家からその技を余さず盗もうとしているところは、武術家のそれではあるが。

 

 しかし、武蔵の試合を見ていたときのような雰囲気ではない。

 

「裕次郎くんは間違いなく現代に適応した侍ですからな。武蔵と違って殺すことが拙いことを知ってる。上手に手加減してくれる」

「ジャックを相手に、手加減ですか?」

 

 本部の言葉に克己は驚いていた。

 ジャック・ハンマーと言えば先の最強トーナメント準優勝者。そして今まで数多くの修羅場と死闘を生き延びてきた本物の闘士だ。

 その強さは、自身の目でも余さず見てきた。

 下手すればジャックに勝てる人間なぞ、地球上に両手の指もいるかどうかくらいだろう。

 

 そのジャックを相手に、上手に手加減をするなどと。

 

「ああ。彼は武芸上覧試合についての造詣も深い。魅せる戦いと生きる戦いの違いをキッチリと把握している。そして、ここは魅せる戦いの舞台だとも」

「へ、格好良く魅せるだけかい」

「独歩さん」

 

 気に入らなそうな独歩を相手に、本部は淡々と答えた。

 

「俺たちでは裕次郎さんを殺せないんだよ。勝敗を揺るがすことなんて絶対にできない。裕次郎さんに負けてもいいか、と思わせない限りは倒せないんだよ。それはある意味で、範馬勇次郎も同じだ」

 

 この言葉に克己も独歩も驚いた。

 

「範馬勇次郎でさえも、ですか?」

「ああ……裕次郎くんの前ではしらばっくれたが、俺も武術家のはしくれ。虎眼流については調べたことがある。その技も、伝承も、藤木裕次郎という人間に関しても」

「それで、倒せないと」

「ああ、倒せない」

 

 本部はハハ、と笑った。

 

「正確には、倒す方法や殺す方法がない。裕次郎くんの悍ましい力をどうにかしない限りは、ね」

 

 

 

 

 本部たちがいる場所とは正反対の廊下に、範馬勇次郎とMr.オリバが立っていた。

 勇次郎は武蔵との一戦のあと、徳川光成から藤木裕次郎とジャックの試合が決まったと聞いた。

 そこでもう一人の侍とやらを見るために、こうして足を運んだのだ。

 ついでにオリバを観戦に誘ったところ、こうしてやってきた。

 

「オーガよ……あの小さな男がか?」

「ああ。武蔵が言うところの同類だとよ」

 

 ポケットに手を入れたまま、勇次郎はハッと笑った。

 

「笑えてくるだろ? あの小さな男が、ジャック以上の武を振るうってんだから」

「あぁ……俺から見てもそこまでの男にゃ見えない」

 

 オリバはサングラスの下の目を細め、裕次郎を観察する。

 

「背丈は170あるかないか、体重は平均よりもないだろうな。筋肉だってそんなにあるようには見えない。武蔵の幹みてぇな体に比べりゃ枝みてぇだぞ」

 

 オリバは裕次郎の身体能力を観察し、判断を下す。

 クローンの肉体に魂が降り立った形の裕次郎であるが、肉体情報は武蔵の時と比べたら調整が遙かに良い。当時の肉体情報をほぼほぼ完璧に再現出来てると断言してもいいだろう。

 事実、裕次郎が感じる肉体の誤差は僅かであったし、すぐに適応することもできた。

 

 だからこそ、ほぼ忠実に再現しているからこそ、その小兵のような体のつくりが江戸時代当時そのままの裕次郎の体なのだと看破したのだ。

 故に、その貧弱な体の裕次郎とジャックを比べれば、勝てる要素なんてどこにもない。

 

「あいつは、間違いなく厄介な侍だぜ」

「厄介だと?」

「ああ。そうだ」

 

 ジッと範馬勇次郎は藤木裕次郎を観察する。

 

「武蔵も言い伝え通り強かった」

「やったのか?」

「おう。なかなか楽しかったぞ」

 

 オーガにして楽しかったと言わしめるほどとは……とオリバは驚愕する。

 

「その武蔵にして『侍として同類である』と言わしめやがった。酒の席の言葉だがな」

「だが、あの男ではジャックに勝てまい」

「いや、逆だ」

 

 ククク、と範馬勇次郎は笑った。

 

「ジャックでは裕次郎には勝てない」

「何を根拠に言ってるんだ」

「単純な強さもそうだが」

 

 試合場に立つ裕次郎を、範馬勇次郎は観察する。

 背中を晒しているようでその実、一分の隙もない。いや、あえて隙を晒して初撃を譲ってもいいとさえ思っているのが伝わってくる。

 試合場に立つ誰もが、初撃を譲ろうとしている事に気づいてないだろうが。

 

 そして、あらゆる生物の弱点を看破する範馬勇次郎だからこそ、正確に見抜いていた。

 

「あれは、俺でも殺すのに苦労しそうだ」

「……オーガが苦戦すると?」

「苦戦はしねぇだろうな。いくらか戦いになるだろうが、必ず俺が勝つ。だが、殺すにはあまりにも手間が掛かるな」

「強いということじゃないのか」

「強さの話じゃねえ」

 

 裕次郎は未だに、ジャックに対して背中を見せたままだ。

 

「素晴らしい体の持ち主だ。俺のおもちゃに相応しいほどの、な」

 

 

 

 

 

「刃牙くん。この試合、どう見る」

「どうもこうもないよ烈さん。裕次郎さんが勝って終わる」

 

 ジャック側の通路で、刃牙はジャックを前にハッキリと口にした。

 これには烈海王も驚きだ。試合開始の合図前、ジャックが目の前でこっちを見ているのにハッキリと言うのだから。

 

「ほう、俺が負けると」

「正確には勝てない。俺だって勝てるかどうか怪しいもんだ」

「どういうことだ刃牙くん」

 

 ニヤニヤと笑いながら、ジャックの後ろの裕次郎を見る刃牙。

 

「強いのは当然だ。江戸時代を生きる侍、まだ殺し合いの空気が漂っている日本で、躊躇なく刀を振るって人を殺してきたのだから。俺も毎晩、裕次郎さんと稽古をしているけど……木刀を持った裕次郎さんは、間違いなく俺やジャック兄さんより強い」

「武器を持たせれば一級品、か」

「逆に素手や組み手術に関しては武蔵よりも遙かに劣る。そこは俺でも対等に戦えるからね」

 

 これにはジャックの方が驚いた。刃牙と裕次郎が対等に戦える、の部分ではない。

 素手や組み手術に関して言えば、武蔵よりも遙かに劣るという部分だ。

 殺し合いの厳しさがまだ残る時代であっても、そうなるのかと。

 

「それは、戦場での殺し合いを経験してない、ということかな」

「正解だ烈さん。裕次郎さんは戦場には出てない。殺し合いは幾度となくしてるし、強敵と戦ったこともある。けど、合戦とかで戦ってないから素手術に関しては江戸時代当時に習ったもの、そのままだ」

「だが、刃牙くんと稽古をしてるなら」

「ある程度は学んでる。けど、ジャック兄さんに勝てるかどうかは怪しい。対等に戦えると言っても、十回やれば七回は俺が勝つよ」

 

 しかし、と刃牙は続ける。

 

「これは互いに組み手稽古ってことが前提だから。地下格闘技場での試合って話なら、俺でも勝つのは難しい」

「どういう意味だ」

「言葉のままだよジャック兄さん」

 

 刃牙は笑った。

 

「強さと勝利は別問題なのさ」

 

 

 

 

 

――

 見られてる。

 強者たちの視線をまざまざと感じるな。

 視線の圧をもう少し隠せよ。

 あとジャックに背中を見せたままなんだけど、あいつはオレに遅い掛かる様子がない。

 そろそろ試合開始の合図が来る。

 刃牙くんたちとの会話も終わったみたいだが、試合開始と一緒に飛びかかることはしないらしい。わかりやすい気配だ。

 

「やりますかぁ……」

 

 オレは刀を抜き、だらりと腕を下げる。

 

「童」

「大丈夫ですよ。ちゃーんと、試合を盛り上げますって」

 

 後ろで声が上がる。

 

「試合開始じゃあ!!」

 

 どーん!!

 

 とてつもなく大きな太鼓の音が響く。ざり、と後ろでジャックが構えたのが聞こえた。

 観客席の歓声が少し小さくなる。どうやら武蔵と烈さんの試合を見たあとで、こういう空気にも慣れた人がいるって感じらしい。

 だが、それでもこれだけの観客がいる試合場で考えれば、あまりにも声が小さい。

 空気に呑まれてる人が多いな。

 

 じゃ、やるか。兄貴の……。

 

 尊敬する我が兄、藤木源之助の真似をして。

 

 オレは刀を持ち上げ、顔の前に構えると、そのまま。

 

 土壇場で首を晒す罪人のような形で、構えた。

 

 

 

 

――

 試合が始まった。

 観客席からの歓声が小さくなる。

 現代に蘇ったもう一人の侍である藤木裕次郎と、最強トーナメント準優勝者であり数多くの名試合を生み出した屈指の闘士であるジャック・ハンマーの試合。

 

 また武蔵の時のような斬殺寸前の試合になるのか、という恐怖と、裕次郎が止めたように寸前で誰かが止めるだろう、という根拠もない安心感で試合を見ているのだ。

 

 ジャックは? 試合に立つジャックはどういう心つもりなのか?

 未だに刀を抜きながらも背中を向ける裕次郎に対してどう思っているのか。

 

 つぅ、とジャックの額から汗が流れる。

 

(なんだ、これは)

 

 ジャックは内心で声を出した。

 

(隙が……ない……!)

 

 無防備に背中を晒しているだけ。刀を抜いているだけ。先ほども背中を向けて元の位置に戻ろうとしているだけ。

 

 だけ、の筈のあらゆる行為に、隙がない。

 いつどこで殴っても、蹴っても、打ち込んでも。

 あの刀で切り返してくるイメージしか湧かない。

 

 話に聞いたエア斬り――対象者の脳髄に強制的に「斬られた!」のイメージを叩き込んで行動不能にするか気絶させるような理不尽な攻撃は持っていないようだが、それでもこれは理不尽過ぎる。

 

 裕次郎はエア斬りを使ってるわけじゃない。

 ただ、そこにあるだけで対象者、対峙する者に攻撃するだけ無駄だと思い知らせる。

 

 要するに、ジャックは怖じ気づいたのだ。

 

「……ふん」

 

 だがそれも一瞬だ。

 怖じ気づくなど、ジャックのプライドが許さない。その強靱な精神が恐怖を洗い流す。

 

 一歩前に出る。しかし、未だに裕次郎は背中を向けたままだ。

 開始の合図が鳴っても――いや、動きがあった。

 

 刀を持ち上げた。

 

(来るか……!)

 

 ジャックの中の警戒度が上がった。振り向きざまに斬りかかってくるのか。あらゆる攻撃を予測する。

 上か、下か、横か?

 しかし裕次郎の動きは、まるで予想外だった。

 

 さながら断頭台で処刑を待つような罪人のように、こちらに背を向けながら首を差し出す真似をしてきたのだ。

 

「……はぁ?」

 

 思わずジャックの口から、困惑の声が漏れた。

 

 

 

 

 渋川もまた困惑していた。

 どういう戦い方をするのか、と思っていたら裕次郎はさながら勝ちを譲るかのように首を差し出したのだ。

 

 あまりにも隙だらけ……に見える形なのに。

 

(なんだぃ、こりゃあ)

 

 渋川の脳裏に浮かぶイメージ、完成された護身術を体得する渋川は危険に近づけない。近づこうとするとあらゆる災害などの危険なイメージが眼前を遮り、そこに向かわせないようにする。

 

 その渋川には見えたのだ。

 

 裕次郎に至るまでの道が、まるで電気椅子に続く処刑場のような道であると。

 

(あの隙だらけの格好が、うかつに踏み込めば死ぬっていう構えなのかぃ!!)

 

 

 

 

 

「本部さん、どう見ます」

「虎眼流、氷面鏡」

 

 克己の質問に、本部は視線を外さずに答えた。

 

「立派な虎眼流剣術の構えの一つだよ」

「……怖いな、ありゃあ」

 

 同じように視線を裕次郎に向けたままでいる独歩もまた、体を震わせて笑っていた。

 

「俺があそこに立ってたら、前羽の構えを取ってから前に出るしかねぇな」

「親父が防御を前提にするのか」

「一太刀は受ける覚悟はしなきゃいけねぇ。それだけの気迫が、あの坊主から溢れてるってことだ」

 

 独歩にして受けることを前提にする。しかし刀の一太刀はそれすなわち絶命か瀕死を意味する。

 相討ち。それを前提にしなければいけないってことだ。

 

「だが、あそこから石でも投げれば問題はない。烈さんがやったみたいに、砂を飛ばして攻撃するのもありだ」

「だがジャックはやらねぇだろ」

「だろうな。最初に剣の一本でも持っていってりゃ、話は違っただろうが」

 

 克己は試合中央、砂の山に突き刺さった武器の山を見て答える。

 誰も手を付けてない。裕次郎も、ジャックも、だ。

 

「で、本部さんよ。氷面鏡(ひもかがみ)ってのはなんだい」

「まぁ、見てればわかりますよ」

 

 

 

 

――

 観客の困惑と、ジャックの困惑が、ハッキリとオレに伝わってくる。

 

「童、それはどういうつもりだ」

「えぇ……試合中に話掛けてくる??」

 

 虎眼流氷面鏡の体勢を取るオレに、なんと武蔵が話し掛けてきた。

 

「すまぬ、気になったのでな」

「立派な技の一つですよ。虎眼流のね」

「その小細工が、か」

「小細工も極まれば技、てね」

 

 虎眼流氷面鏡。

 

 それは鏡面になるまで磨き上げられた刀身を鏡とし、周囲の様子を探る技。

 実際、眼前に据えた刀身は反射し、ジャックの構えと困惑、そして気を張り直す様子がありありと見えていた。

 

「ふむ、参考になるな。さすがにこの武蔵でも、そのような発想はなかった」

「まぁ好きに技を盗んでくださいよ。オレも武蔵殿から盗みますんで」

「ハハハ、この武蔵から技を盗めると思うたか?」

「思いますとも。そう信じ込めなければ、剣術家ではない」

 

 おっと、オレと武蔵が話をしているのを見たジャックの様子が変わったな。舐められてる、と思ってイラついてる。

 

「ところで武蔵殿。これが終われば食事でもいかがですかな? 武蔵殿が(ぼん)と呼ぶ刃牙くんはなかなかの料理達者ですよ。家にご招待しましょう」

「戦勝祝いか」

「ええもちろん。オレも腕によりを掛けて、武蔵殿をお招きしましょう。力を入れます」

 

 ね――。

 

 その最後の一文字を言う前に、オレの体はジャックの気の緩みと隙間を認識し、動いていた。

 

「この武蔵を利用したのだ。ご馳走と美味を用意せぃ」

 

 ありがとさん、武蔵。

 

 技の最中に聞こえた武蔵の声に、オレはお礼を言っていた。

 

 虎眼流……飛猿横流れ。

 

 

 

 

 

――

 ジャックは苛立っていた。隙だらけの体勢を晒し、背中を向け、首を差し出したままの裕次郎が、こちらを舐めているようで。

 

「刃牙くん。どう見る?」

「単純に言えば、罠でしょうね。隙を晒して油断を誘い、向かってきたところを迎撃……カウンターを取る、と」

「背中を向けた状態で、どうやってそれをするというのか……」

 

 背中から刃牙と烈海王の会話が聞こえてくるが、徐々に徐々にジャックの耳から聞こえなくなっていく。怒りが募っていくだ。

 

 背中を向けてどうする――隙だらけ――打ち込み放題――怒り――冷静に――舐められてる――速攻ならば――明らかな罠!――しかし攻め時――慎重に――臆病――侮り――許すまじ――!!

 

 ジャックの脳裏に過る多くの思考が、その足を鈍らせて止めている。

 刀の鋭利さ、裕次郎が発する気迫、脳裏に過る烈海王の出血。

 これが凡百の武器使いであるならば、ジャックとてここまで躊躇はしない。自信を持って踏み込み、その考えや武器をまるごと潰して勝利をもぎ取るだろう。

 

 だができない。それが現実。

 

 わかるのだ。あの裕次郎は本物の剣術かである、と。

 背中越しでさえ、構える姿に隙がない、と。

 

 誤魔化すな、ジャック。隙がないから打ち込めないのだ!

 

 それでもジャックは踏み出した。背中に流れ、構えてゆるく握った拳の内側に汗の感触を覚えようと。

 

 その瞬間だった。足を一歩前に出し、地面に突くその僅か数㎝までの間。

 

「っ!」

 

 裕次郎が動いた。右手に持った刀を巻き込むように、その場で右回転。そのままこちらに切り込もうとしている。

 だが、だがだ!

 

(遠すぎる!!)

 

 その間合いは遙か遠く。まだお互いにほぼ元の位置にいる状態。とてもではないが、刀の刃長をめいいっぱい使っても、届くはずがない間合いだった。

 しかし、ジャックは見た。

 振り向きざま、こちらを見る裕次郎の目を。

 冷たく、機械的で、躊躇のない――いや、これで決めるという、それも違う。

 

 ()()()決まるという確信を持って振るっている!

 

「っ~~~!?!?!?!?!!?」

 

 ジャックは咄嗟に右腕を挙げていた。こんなもので斬撃を防げるわけがないのだが、それでもやらざるを得なかった。

 

 瞬間。

 

 なんとこちらに踏み出しながらの裕次郎の一閃が、掲げたジャックの右腕の下――右胸から左胸に掛けて通り抜ける!

 

 届くはずがない一撃。

 

 だが。

 

 ジャックの胸から、鮮血が噴き出した。

 

 

 

 

「なんだありゃあ!!?」

 

 愚地克己は信じられないものを見ていた。

 背中を向けて無防備を晒していたはずの裕次郎が、これ以上ないタイミングでジャックへ攻撃を仕掛けたのだ。

 背中に目があるかのような動きもそうだが、突出すべきはその一太刀にある。

 遙か遠くの間合い――刀の刃長をめいいっぱい使っても届かないはずの間合いであるはずが、ジャックの肌を切り裂いたのだ。

 刀が伸びたようには見えないのに、どのような手品を使ったのか。

 克己の目では捉えきれなかった。

 

「本部さんよ……ありゃあなんだい」

「あれが虎眼流ですよ」

 

 独歩と本部は試合場から目を離すことなく会話している。

 二人とも、額から冷や汗を流していた。

 

 それは言わずもがな、あのジャックが無防備に斬られたことからだ。

 反応はしていたが、防御とも言えないが上げたの腕の下を見事に通り抜けた一閃。

 それを背中越しに捉えて振り抜く裕次郎の技量。

 この二つが、あまりにも自分たちとは次元の違う武であるからだ。

 

「虎眼流は開祖、岩本虎眼が戦場にて開眼した戦場剣術。その本質は、あらゆる状況において戦場を想定し、対応し、長期戦闘を可能にするところにあるんですよ」

「あれもその一つだってのかい?」

「虎眼流氷面鏡っていうのは、鏡面のように磨き上げた刀身を使って背後を見る技でしてね。気を捉えたのも、刀越しにジャックの様子を窺っていたからでしょう」

 

 だから背中を見せて、無防備を装っていた――。

 自分たちとは違う、というよりも刀をそこまで有用に使うなど、現代剣術や剣道ではまずない発想の仕方だ。

 

 刀の刀身で周囲を見ないといけないほどの壮絶な戦場を経験したからこその、技の体系。

 

「じゃああれはなんですか。どう考えても刀の間合いじゃないところから、ジャックを斬ったのは」

「あれが虎眼流の秘剣」

 

 克己の質問に、本部は笑みを浮かべていた。

 

「流れって奴ですよ」

 

 

 

 

「そういうことかぃ……」

 

 渋川はジャックが斬られて鮮血を噴き出した様子を見て、ようやく自分のイメージの理由を知った。

 

 裕次郎は無防備を装ってなどいない。

 

 あれは構えだったのだ。刀身を用いて背後を確認しつつ、気を捉えて動く。

 始めからチャンスがあれば動くつもりだったということだ。そんな様子を微塵にも感じさせぬほど、起こりを消していたが。

 

(もしオイラがあの場に立っていて、イメージを無視して前に出ていたら……!)

 

 あっという間に首を落とされていただろう。あるいはジャックよりも深手を負っていたはずだ。

 常識の範囲外とも言える遠間からの一閃。

 

(しかし……ありゃあなんだぃ!?)

 

 

 

 

「バカが、油断しやがって!!」

 

 範馬勇次郎が大声で悪態を吐いていた。

 己の息子の一人、ジャックが無様に斬られた姿を見た上でだ。

 

 反対にMr.オリバは絶句していた。

 リアルに、この地下格闘技場で刀による殺傷行為を見たからだ。

 以前に武蔵と烈が戦ったときでも同じようなことが起こったと聞いたが、己の目で見るとその衝撃は計り知れない。

 

「オーガ……あの男、マジだぜ。マジで斬り殺すつもりだ……!」

 

 オリバは引きつった声を漏らした。

 刀を振るう速度も、その態度全般にも、躊躇など一切ない。

 殺すつもりで振るわれた刀の迫力というものは、周りで見ているものすらも恐怖で呑む込む。

 

 もし、もしもう少し近ければジャックは――!

 

「バカを言うなオリバっ。あの裕次郎という男、殺気はあれどもジャックを殺さぬように手加減していたわ!」

「なんだってっ?」

 

 範馬勇次郎の返答に、オリバは驚いて試合場を見た。あの一瞬のどこに、手加減するような余地があったのか。

 

「藤木裕次郎は刀を振るった瞬間、己の手の内で刀の柄を滑らせたのだっ」

「滑らせるだって?」

「そうだ。鐔元から柄の尻まで手の内で滑らせて間合いを伸ばすっ。その分だけ間合いが伸び、ジャックまで届いたのだ!」

 

 ふん、と鼻息を鳴らした範馬勇次郎が続けた。

 

「一瞬だ。一瞬でそれを為した。だから傍目には間合いが伸びた、届かぬ間合いから斬った、そうにしか見えん! あまりの早業だ、気づいたものなど、俺とあそこで見ている武蔵 以外にはおらんだろうな」

「それだけなのか? それだけでジャックは斬られた、と?」

「それだけと言うがなMr.アンチェイン。精妙な握力操作と反射神経、血の滲むような反復練習、そして数多の経験がなければあの刀は手からすっぽ抜けて観客席に飛んでいただろうな。あれだけの技量を要求されるなら、秘剣の類いだろうよ」

 

 まさか、とオリバはもう一度絶句した。

 こんな公衆の面前で、流派の秘剣をお披露目するなど正気の沙汰じゃない。

 さらに範馬勇次郎は言った。

 

「恐らくだが、裕次郎としてはもう一寸ほど間合いを伸ばせただろうな。しかしジャックとの距離から、そのまま伸ばして斬ればジャックを殺す危険があった。だから肌一枚、致死量以下の出血に留まるように手加減をしていたのだっ」

「そんなバカな。そんなことが」

「剣の達人とは、そこまでやる。見ろ、オリバ」

 

 試合場に、動きがあった。

 

「あの男、裕次郎は止まらないぞっ」

 

 

 

 

 何が起こった?

 何故俺は斬られている!?

 ジャックは胸に感じた灼熱のような痛みに混乱していた。

 遙か遠くの間合いだったはずだ。反応したはずだ!

 

 だが、斬られたとしてもジャック。

 地上最強のファッ〇ユー。

 

 すぐにジャックは気を取り直し備え、振り抜いた体勢の裕次郎の剣を見て、ようやく気づく

 裕次郎が柄尻を握っていることに。

 鐔元から柄尻に握り直すことで、間合いを伸ばしたのだと。そして、すぐに鐔元に握り直していた。

 凄まじいほどの速さと、何より自然さ。一見すると手品にしか見えぬほどの早技である。

 

 しかし、タネがわかればその程度。斬られた体も、出血内容も、すぐに絶命するようなものではない。動けるならばジャックは止まらない。

 気絶していても、瀕死であろうとも、ジャックは止まらない。

 

 一気に踏み出したジャックは、裕次郎の体目掛けて左のミドルキックを放つ。

 防ぐ様子がない裕次郎。反撃もするつもりがない。

 

 ごしゃ、と裕次郎の体にジャックのミドルが突き刺さり、吹っ飛ばされて壁に激突。

 壁を破壊して観客席にめり込む形となった。

 

「……?」

 

 あまりにも容易い攻撃だった。肋骨を砕いた感触もあった。

 蹴りを振り抜いたジャックは、あまりにも簡単な結着に呆気に取られながら己の左足を観察する。

 別に斬られたわけでもない。何かされたわけでもない。

 

「け、決着か?」

 

 観客から困惑の声が漏れた。

 ざわつく観客席。他の面々も同様に、この決着に対して不満や疑問の声が上がり始めていた。

 

「れ、烈さん。これって」

「あぁ……ジャックの勝ちだ……」

 

 刃牙と烈も同様に困惑の声を出した。

 あまりにも呆気ない決着に、ジャックは徳川光成を見る。

 

 しかし、光成は怒りの表情のまま震えるばかりで、決着のコールを出すような様子がない。

 

「ふざけるな」

 

 そして、その口から漏れたのは怒りの声だった。

 

「ふざけるでない、藤木裕次郎!! 貴様、この地下格闘技場を侮辱するか!! あの『鵺』が、その程度でくたばるタマか!! 死んだフリなど止めろ!!!」

「なんだよ、これで負けたことにすりゃ良かったのに」

 

 むくり、と裕次郎が体を起こした。そして、なんでもない様子で立ち上がった。

 

「そうすりゃ、ジャックが侍相手に一太刀浴びても一矢報いて反撃し、一撃で倒したって形の綺麗な終わり方だったのに」

 

 そう、なんでもない様子だ。ダメージなんて一つもないと言わんばかりである。

 口元から流れた血を拭い、口の中の血をプッと吐き出して捨てた。

 

 体を伸ばし、剣を振って調子を試す裕次郎を見て、ジャックは戦慄した。

 

(ありえない! 俺の攻撃を受けて、あんな動きができるはずがない! 確かに肋骨を蹴り砕いたんだ!)

 

 そう、ジャックの蹴りは確かに肋骨を砕いた。下手すれば折れた肋骨が肺に突き刺さって即入院コース、もしくは死亡のはず!

 なのに、裕次郎には余裕しかない。

 いや、蹴り込んだ裕次郎の肋骨部分は不自然に凹んでいる。確かに重傷を負っている。

 

 だが、ジャックは見た。

 不自然な形になった脇腹が、奇妙な動きをしてから元に戻るのを!

 

「さってと……昔に比べて治るの遅くなったか? うん、まぁこれくらいは余裕の範疇だな」

 

 ピュン、と剣を振った裕次郎は、左手でジャックへ向けて手招きをする。

 

「さて、爺さんが止めなかった以上……試合続行だぜ?」

 

 

 

 

 戦慄していた。

 克己も、独歩も、言葉を無くしてあんぐりと口を開けるので精一杯。

 遠目から見ていてもジャックのミドルキックは綺麗に裕次郎の脇腹に入り、肋骨を砕き、観客席まで壁をぶっ壊す勢いで蹴り飛ばした。

 重傷だ。どう見ても立てる負傷じゃない。あんな余裕の態度を見せられるはずがない!

 

「親父、これって……」

「ああ……範馬勇次郎と同じ、圧倒的タフネス」

「ではないですよ」

 

 本部は愚地親子の言葉を否定した。

 

「あれが徳川家にとって忌むべき虎眼流剣士、『鵺』です」

「『鵺』……とは?」

「虎眼流は元々、その流派の名称から剣の実力者には『虎』の異名が与えられてた。しかし、あの裕次郎だけは『鵺』と呼ばれていた」

 

 理由は簡単だ、と本部は続けた。

 

「あの圧倒的な自己治癒能力。例え小野派一刀流の小野忠明に心臓をぶった斬られても、数秒後には心臓すら治して立ち上がる、不死身の人間。それが藤木裕次郎なのです」

 

 克己と独歩は絶句した。

 心臓を壊されても数秒後には治る、ああやって肋骨を砕かれても、すぐに平気な顔をして立ち上がる。

 

 あんなもの、どうやって倒せというのか。

 どれだけ打ち込んでも、どれだけ破壊しても、意味がない。

 格闘技や路上での戦いの、勝敗の暗黙の了解。

 自然界でも、格闘技のリングでも、ここ地下格闘技場でも。

 死ねば負け、殺せば勝ち。

 

 その絶対の勝敗が、決着手段が、一切、裕次郎相手には成り立たないということ!!

 

「……あれを殺せたのは、虎眼流屈指の剣士、虎の中の虎と呼ばれた……兄、源之助だけなんです」

「兄が弟を殺した、と!?」

「それが、その厳しさが、江戸時代にあった。武の厳しさは、俺たちの時代と比べものにならないほどだ。あれが、侍なんですよ」

 

 

 

 

「刃牙さん、あなたはあれを」

「いや、あそこまでなんて知らなかった……裕次郎さんは俺との稽古であそこまでの重傷を負ってなかったし、俺もそこまでやってなかったから。せいぜい傷の治りが早い程度と思ってたけど……」

 

 烈と刃牙は、立ち上がる裕次郎を見て恐怖していた。

 間近で見たからわかる。あのジャック・ハンマーの本気の蹴りを胴体にモロに受けて、確かに裕次郎の肋骨はぶち折れて、もう戦闘不能になっていたはず。

 なのに平気な顔をしていた。

 それどころか、負傷など一切ないかのような挙動。

 

「烈さん、あなたなら」

「どうしようもない」

 

 刃牙の質問に、烈は食い気味に答えた。

 

「ジャックの蹴りは、確かに裕次郎の肋骨を砕いて肺に突き刺し、破裂させたっ。私の目は誤魔化せない、裕次郎は致命傷だった! なのに一瞬で体を治し、ああして立ち上がる男を殺す手段など、私の中国拳法に、中国四千年の歴史に存在しない! 不死者を殺す矛盾など、直面するはずがない! 天蓮華で首を砕いても無駄だろう……一瞬で治されるのがオチだ!」

 

 烈の言葉に熱が籠もり始めた。

 

「どういうことだ……あれはいったいなんなのだ! 確かに武蔵よりは強くないのだろうが、武蔵よりも悍ましく、厄介な存在なのは間違いない!」

「一瞬で脳みそと心臓を破壊する、とか」

「彼の超絶技巧の剣を前に、か?」

 

 刃牙の発想に、烈は静かに言った。それに答えられず、刃牙は口を閉ざすしかない。

 

「その前に君は裕次郎を殺せるのか?」

「……いや」

「無理だろう。人を殺すなんてあり得ない話だ。殺すとしても殺せない相手をどうやって殺すというのか。どちらにせよこの地下格闘技場で、死なない相手に勝つ手段などありはしない!」

 

 烈の言葉に、刃牙は裕次郎を見た。

 相も変わらず平気な顔だ。家で一緒に飯を作り、寝食を共にして、勉強したり遊んだりしたあの裕次郎と様子が変わらない。

 

 蹴られたのに、肋を砕かれたのに、だ!

 

 

 

 

「ありゃあダメだな」

 

 渋川はそれだけ言って閉口した。

 己の武に、己の合気に絶対の自信を持っていた。

 

 その自信を、技を、武を、合気を、全てが無駄だと言わんばかりの有り様。

 あの裕次郎という男は、全ての現代格闘技と現代武術、受け継がれてきた現代の古式武術を否定する存在なのは間違いない。

 たとえ渋川が頭から裕次郎を投げ落として頭蓋を砕いても、すぐに治して立ち上がるだろう。

 

(たまらんぜ……合気も、格闘技も、武術も、今まで積み上げてきた全て、意味がねぇって言われてるも当然だからな)

 

 膝を屈して心折れても仕方の無い光景だ。

 

 

 

 

 

「じゃ、行くか」

 

 かつて『鵺』と呼ばれた虎眼流の天才剣士が、『ちゃんと』ジャックと戦う形となったのだった。




なんとなく思いついてここまで書いてみました。
次回は未定です。すみません。
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