「叔母様、今日は一緒に遊べるのでしょう?」
少年は少し潤んだ瞳で側に立つ女性に問いかける。
「えぇ、しばらくは此処におりますよ」
クラリスは微笑みそう答えた。
先の大戦。
今ではそう呼ばれる中央回廊に端を発した大戦。
連邦に敗れ、皇帝は去った。
当時、白百合中隊と呼ばれた少女達は大鐘の音を聞いた時に、この世の終わりと思った。
だが、帝国は変わらなかった。
文官たちは、かつて帝城と呼ばれた宮殿で頭を悩ます書類に日々向き合っている。
帝国軍は解体された。
しかし、ヴァージャンキの民により軍は再建された。
ヴァージャンキ、それは八百年ぶりに現れた名だ。
初代帝、その青年の生まれた村の名であった。
皇帝陛下は。
誰が帝国の主なのか。
それはヴァージャンキの民のもの。
皇帝という肩書こそ無くなったが、相変わらずその代を担う優秀なものが選ばれ、その立場にあった。
皇帝陛下はいない。
しかし帝国の形は変わらなかった。
唯一変わったものと言えば貴族だろうか。
貴族は皇帝陛下に仕えるものである、ならば皇帝陛下無き今は貴族ではない。
全ての貴族は爵位を捨て平民に下った。
かつての筆頭貴族、ヴァレンシュタイン家もいち地方領主としてのみ、その立場を残した。
残せなかった貴族家もあった。
カリオストロ家。
クラリスの生家、そこは連邦の括りに組み込まれた。
家を失ったクラリスは姉を頼りヴァレンシュタイン家に身を寄せていた。
アルネ・カリオストロ、先代当主アリエールの妻であった。
夜更け。
重く静寂を纏った屋敷も、さらに静かとなる時間。
その部屋だけは明るい雰囲気を吐き出していた。
「叔母様は戦車で戦ったんだよね!」
目を輝かせた少年が顔をのぞき込む。
「えぇ、そうでございます、とても勇敢でいらっしゃいました」
侍女は微笑みながら少年に語りかける。
それから、それから!と続きをせがむ少年であったが、今日は時間切れのようだ。
部屋の戸が叩かれると、夜晩のメイドが入ってきた。
「もう、遅うございます、続きは明日にいたしましょう」
そう言うと侍女は本を閉じる。
少年は不満げな表情を浮かべたが、眠そうな目をこすり、メイドと共にベッドへ向かった。
「おやすみなさいませ、アリエール様」
そっと戸を閉じた。
薄暗い廊下を歩く。
何度も主人の後ろを歩いた廊下を今は一人で歩く。
そして、かつては主人の部屋であった自室へ入ると、そこにはひとりの女性が待っていた。
「ご苦労さま、アンナ」
「ありがとうございます、奥様」
アンナもまたバレンシュタイン家に身を寄せていた。
大鐘の鳴ったあの日、アンナは主人であるエレーナを待っていた。
「またやられたわ」
「アンナ、行くわよ」
そのようなことを言いながら自分の前に現れるのだと思っていた。
しかしエレーナは現れなかった。
最後に側にいた仲間たちからも話を聞いた、だが、それはどれも曖昧なものだった。
エレーナ様が敵を引き付けて迎え撃った。
相当な乱戦模様で敵味方が入り交ざっていたのだそうだ。
そして、突然無線が切れ、そのまま。
戦車を撃破された。
脱出したが行方不明。
確かなことは何もなかった。
そのようなことを考えていたアンナに声がかかる。
「アンナ、こちらへ」
アンナは手招きされソファーに座る。
テーブルの上には少し冷めた茶が並んでいた。
「あの子はとても良い子」
「最近ではアリエール様の面影も出てきたわ」
「そして……」
夫人はアンナの瞳をじっと見つめた。
エレーナを失い、また生家も失い放心のアンナはバレンシュタイン家へ戻った。
そして、先々代様にエレーナの行方が分からないと告げた。
「わかった」その一言だけお答えになられた。
アンナはしばらくの間、主のいない部屋を磨いて過ごした。
いつ戻られてもいいように。
その姿を見て、声を掛けられる使用人はいなかった。
しかしある時、アンナは姿を消した。
心配した者が筆頭使用人に尋ねるが、「問題ない」との言葉が返ってくるだけであった。
そして一年が経った頃、アンナが戻ってきた。
領地へ戻っていた先代当主アリエールの妻、アルネの侍女として。
その腕に幼いアリエールを抱いて。
「ありがとう……」
アンナの手を握ったアルネの目には涙が浮かんでいた。
「……私は……私は、役目を果たせなかった……」
アルネの独白。
貴族に女と生まれたならば、その役割は自ずと決まっている。
子を成す。
それが最も重要であった。
その役割を果たせない。
貴族の身に生まれたアンナには、ヴァレンシュタイン夫人の苦悩が手に取るようにわかった。
いや、苦悩という言葉では生ぬるいだろう。
自らの命をもってしても償えぬほどの悩みとは、一体なんと呼べばいいのだろうか。
そして、胸が痛んだ。
「奥様……アリエール様は奥様のように聡明であらせられます」
小さなランプの炎が揺れる。
「アンナ、あなたは私も救ってくれた……」
そしてアルネは小箱を一つ取り出す。
「お父様からお預かりしたものです、アンナ開けてくれるかしら」
アンナはそっと小箱を開ける。
「なんで!なんでこれが!」
思わず手で顔を覆ってしまう。
箱の中身。
それは見慣れたものだった。
次期当主が帯びる短剣。
かつてエレーナが所持していたものだった。
アンナは分かってしまった。
エレーナの最後が。
涙が止まらなかった。
「お父様は何もおっしゃられなかったわ」
「ただアリエールに渡すようにと」
アンナにアルネの言葉は聞こえなかった、何気なく別れたあの日よりの主への想いが噴出していた。
「アンナ、あなたから渡してくれないかしら?」
アルネの言葉、それはアンナへの最大の賛辞であった。
しかし、その言葉で我に返った。
アンナの最後の矜持、それは。
「私のようなものには身に余るものでございます」
「母であるアルネ様からお渡しください」
二人は無言で涙を流した。
アルネは涙を拭くと立ち上がる。
「……こんな遅くにごめんなさいね、おやすみ、アンナ」
「おやすみなさいませ、奥様」
アンナが声をかけるとアルネは微笑みながら部屋から去っていった。
机の上に置かれた本を手に取る。
先程までアリエールに読み聞かせていた戦記ものだ。
アンナはそれを本棚に戻す。
その横には古ぼけた新聞の切り抜きが飾られていた。
純白の軍服を来た少女達。
その新聞を飾る見出しにはこう書かれていた。
「そして、彼女たちは戦車に乗った」
アンナはオイルランプの炎を吹き消した。
これでこのお話は完結です。
今までお読みいただいてありがとうございます。
しばらくしたらあとがき的なお話を作れればいいかなと考えています。