教会へ向かう坂道は、夜の中に沈んでいた。
街灯の光が、石畳の上に薄く伸びている。
遠くで車の音がした。
それ以外は、静かだった。
遠坂凛は先頭を歩き、その少し後ろに衛宮士郎が続いている。
士郎の隣にはセイバー。
そして凛のさらに後ろを、アーチャーが歩いていた。
小柄な軍服の男。
ヨシフ・スターリン。
四人で歩いているだけなのに、凛はずっと胃の奥が重かった。
士郎は、しばらく黙っていた。
けれど、教会の屋根が遠くに見え始めたあたりで、ようやく口を開いた。
「遠坂」
「何?」
「魔術師って、結局何なんだ」
凛は足を止めなかった。
予想していた質問だった。
むしろ、今まで聞かなかった方が不思議なくらいだ。
「簡単に言えば、魔術を扱う一族や個人のことよ」
「魔術って、手品とかじゃなくて?」
「違うわ。普通の人間には隠されている技術体系。血筋、魔術回路、刻印、工房、儀式。そういうものを使って、普通なら起こせない現象を起こす」
士郎は眉をひそめた。
「じゃあ、遠坂もそうなのか」
「そう。私は魔術師の家系に生まれた魔術師」
「俺は違う」
「でしょうね」
凛はあっさり言った。
士郎は少しだけむっとした顔をした。
「そこまで即答しなくてもいいだろ」
「事実だもの。ただし、問題はそこじゃない」
凛は士郎を横目で見た。
「あなたはセイバーを召喚した。つまり、少なくとも聖杯戦争の仕組みからは、マスターとして認識されている」
士郎は自分の左手を見た。
そこにある令呪。
まだ、その意味を完全には分かっていない印。
「俺が魔術師じゃなくても?」
「関係ないわ」
凛は短く答えた。
「魔術師として未熟かどうか。家系があるかどうか。本人が望んだかどうか。そんなことは、他の参加者には関係ない」
士郎は黙った。
凛は続ける。
「あなたがセイバーのマスターである以上、他のマスターから見れば敵よ」
「そんな勝手な話があるか」
「あるのよ」
凛の声は冷たかった。
冷たくしないと、言えなかった。
「魔術師の世界は、そういうもの。普通の社会の常識で動いてない。だから今から、監督役のいる教会へ行く。そこで聖杯戦争の説明を受けなさい」
「監督役?」
「この戦争を管理している立場の人間よ。少なくとも、最低限のルールは知っている」
「最低限って……」
「知らないよりはまし」
凛はそこで一度、言葉を切った。
士郎はまだ納得していない顔をしていた。
けれど、足は止めなかった。
セイバーも黙っている。
ただし、その立ち位置は士郎から離れない。
彼女は周囲を警戒しつつ、凛の説明を聞いていた。
その青い瞳には、凛への警戒も、スターリンへの嫌悪も、まだ残っている。
凛は少しだけ息を吐いた。
問題は、士郎だけではない。
むしろ、もう一人の方が厄介だった。
「アーチャー」
背後に声をかける。
「何だ」
「教会では余計なことを言わない」
「聞いている」
「言峰にも余計なことを言わない」
「了解した」
「監督役を挑発しない」
「了解した」
「本当に?」
スターリンは穏やかに頷いた。
「言葉は慎む」
凛は目を細めた。
「言葉は、って何よ」
スターリンは答えなかった。
ただ、前方に見える教会を見ていた。
古びた木の扉。
高い窓。
白い壁。
夜の中に沈む建物。
スターリンの視線が、ほんのわずかに動く。
扉。
窓。
屋根。
壁。
そして、周囲の影。
凛はその動きだけで理解した。
この男はもう見ている。
出入口。
逃げ道。
死角。
監視に適した場所。
結界の気配。
それを、わざわざ口にしないだけだ。
凛は頭が痛くなった。
「……今、何を見ていたかは聞かないでおくわ」
「賢明だ」
「答えなくていいって意味だったんだけど」
スターリンは穏やかに微笑んだ。
凛はその表情を見て、余計に不安になった。
この男が黙っている時は、何も考えていない時ではない。
むしろ逆だ。
言葉にしないまま、分類し、記録し、必要な時に使える形へ整えている。
それを凛はもう知っていた。
「いい?」
凛は低い声で念を押した。
「今日は衛宮くんに説明を受けさせるだけ。教会で何かを探る必要はない。言峰を試す必要もない。余計な観察結果をその場で口にする必要もない」
「了解した」
「命令よ」
「了解した」
凛はまだ不安だった。
だが、これ以上言っても同じだ。
スターリンは命令を守る。
守った上で、何かを見る。
ならば、凛がやるべきことは一つ。
見張ることだ。
自分のサーヴァントを。
凛は教会の扉の前で足を止めた。
士郎が息を呑む。
セイバーが一歩前に出る。
スターリンは、何も言わない。
それが一番、不気味だった。
凛は小さく息を吐いた。
「行くわよ」
教会の扉を押す。
中は、静かだった。
冷たい空気が流れてくる。
祈りの場の静けさ。
だが、凛にはそれだけではないものが混じっているように感じられた。
教会特有の清浄さ。
その底にある、別の冷たさ。
士郎が周囲を見回す。
セイバーは一歩分だけ士郎の前に出た。
スターリンは何も言わない。
その沈黙が、妙に濃かった。
祭壇の方から、足音がした。
黒衣の男が現れる。
言峰綺礼。
聖杯戦争の監督役。
凛にとっては、昔から知っている男。
好きではない。
むしろ、苦手だ。
しかし、それでも遠坂家と関わりがあり、父とも縁のある人物であり、この儀式においては監督役という立場にある。
言峰は、凛を見た。
次に士郎を見た。
そして、セイバーを見る。
最後に、スターリンを見た。
ほんの一瞬だった。
言峰の目が、わずかに細くなる。
驚きではない。
それに近いものはあったかもしれないが、表情には出なかった。
興味。
観察。
そして、それ以上に。
このサーヴァントが遠坂凛に何をもたらすか。
それを測るような目だった。
スターリンもまた、言峰を見ていた。
聖職者。
監督役。
凛が一定の信頼を置かざるを得ない人物。
士郎へ説明する者。
そして、この教会の主。
スターリンは何も言わなかった。
凛はそれが逆に不安だった。
普段なら、一言くらい余計なことを言う。
相手の立ち方だの、視線だの、命令系統だの、何かしら言う。
だが、今は黙っている。
その沈黙は、服従ではなかった。
記録だった。
言峰は凛へ視線を戻した。
「遠坂凛。夜分に随分と珍しい客を連れてきたな」
「衛宮くんよ」
凛は短く言った。
「事情は分かっているでしょう。彼に説明を」
「彼が七人目か」
士郎が反応する。
「七人目?」
言峰は士郎を見た。
「衛宮士郎だな」
「あ、はい」
士郎はやや身構えながら答えた。
「あなたが、監督役……なんですか」
「そうだ」
言峰は淡々と頷いた。
「私は言峰綺礼。この教会で、聖杯戦争の監督役を務めている」
士郎は眉をひそめた。
「聖杯戦争……」
言峰は祭壇の前まで歩き、そこで足を止めた。
「ならば説明しよう。お前はすでに、その儀式の参加者だ」
「参加者って、俺はそんなものに参加するなんて――」
「意思の有無ではない」
言峰の声は静かだった。
「サーヴァントを召喚した時点で、お前はマスターとなった」
士郎は言葉に詰まった。
セイバーが静かに士郎の横に立つ。
彼女は言峰を信用していない。
スターリンも信用していない。
ただ、情報が必要であることだけは認めている。
凛は腕を組み、士郎の反応を見た。
それから、横目でスターリンを見た。
スターリンは言峰を見ていた。
士郎ではない。
いや、士郎も見ているのだろう。
だが、凛から見える限り、スターリンの注意は言峰に向いていた。
言峰の声。
間。
言葉の置き方。
どこで区切り、どこを省かず、どこをあえて冷たく言うか。
その全てを拾っているように見えた。
言峰は説明を始めた。
「聖杯戦争とは、七人のマスターと七騎のサーヴァントによって行われる儀式だ」
教会の中に、言峰の声が響いた。
「マスターは魔術師。サーヴァントは英霊。七つのクラスに分かれて召喚される。セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー」
士郎の目が一瞬セイバーへ向く。
「セイバー……」
「お前のサーヴァントだ」
言峰は続けた。
「勝者は聖杯を得る。聖杯は願望器とされる。あらゆる願いを叶える器だと信じられている」
「願い……?」
士郎の声には困惑があった。
「そんなもののために、戦うのか」
「そうだ」
言峰は否定しなかった。
「そのためにマスターたちはサーヴァントを従え、他の参加者を倒す」
士郎の顔色が変わる。
「倒すって……それは、殺し合いじゃないか」
「そうだ」
言峰は静かに言った。
「形式を整えれば儀式だが、実態は殺し合いだ」
あまりにもあっさりとした肯定だった。
士郎は息を呑んだ。
「そんなものに、俺は参加する気なんてない」
「それも自由だ」
「なら――」
「だが、他の参加者がお前を敵と見なすこともまた、自由だ」
士郎は黙った。
言峰の声には、脅しがなかった。
脅しがないからこそ、逃げ場がなかった。
「お前が戦う意思を持つかどうかは関係ない。お前はすでにセイバーのマスターだ。他のマスターにとっては、倒すべき相手であることに変わりはない」
「そんな勝手な――」
士郎は言いかけて、拳を握った。
凛は小さく息を吐いた。
「衛宮くん」
士郎が振り返る。
凛は言った。
「知らないまま死ぬより、知ってから選びなさい」
士郎は何も言わなかった。
凛の言い方は冷たく聞こえたかもしれない。
けれど、それ以外に言いようがなかった。
この戦争は、納得してから始まるものではない。
巻き込まれた時には、もう始まっている。
凛はもう一度、スターリンを見た。
スターリンは、やはり何も言わない。
言峰の説明が正確であることを、確認しているようだった。
正確。
だが、優しくはない。
士郎が反発する言葉を避けていない。
むしろ、避けずに置いている。
それをスターリンは聞いている。
言峰ではなく、言峰の説明の仕方を見ている。
そう見えた。
言峰は士郎の左手を見た。
「マスターには令呪が宿る。サーヴァントへの絶対命令権だ。三画。使い方を誤れば命取りになるが、正しく使えばサーヴァントすら従わせることができる」
士郎は自分の手を見る。
そこにある印。
「これが……」
「そうだ」
言峰は頷いた。
「お前はマスターだ。望んだかどうかではない。すでにそうなった」
士郎は黙った。
セイバーは士郎の隣にいた。
一歩分も離れない。
その立ち位置に、凛は少しだけ感心した。
スターリンは一言も発しない。
本当に一言も。
だが、凛には分かった。
彼は聞いている。
士郎の反応。
セイバーの立ち位置。
言峰の説明の順序。
どの言葉を選び、どの言葉を避けず、どこで間を置くか。
すべて見ている。
凛は横目でスターリンを見た。
いつもより不気味だった。
スターリンは言峰から視線を外さなかった。
言峰は正確に説明している。
嘘はない。
おそらく、意図的な誤情報もない。
だが、士郎がどこで傷つくかを避けようとはしていない。
聖杯戦争とは殺し合いだ。
お前はすでに参加者だ。
戦う意思の有無は関係ない。
他の参加者から見れば敵だ。
それは事実だ。
事実だからこそ、残酷だった。
スターリンは、その事実の置き方を見ていた。
凛にはそう見えた。
言峰が士郎へ言う。
「教会は監督役として、参加者に最低限の説明を行う。脱落者の保護も行う。ただし、戦争そのものを止めるものではない」
「止めないんですか」
士郎が聞いた。
「殺し合いだって分かってるのに」
「監督役は、儀式が成立するように監督する者だ。正義の味方ではない」
その言葉に、士郎の眉が動いた。
凛も気づいた。
セイバーも気づいた。
スターリンだけは、表情を変えなかった。
いや、変えないまま、記録していた。
士郎は言った。
「そんなの、おかしいだろ」
「おかしいと思うなら、そのおかしさの中で何をするかを決めることだ」
言峰は淡々と返した。
「お前のサーヴァントはすでにいる。敵もいる。戦いは始まっている」
士郎は何も言えなかった。
教会の空気が、さらに冷たくなったように感じた。
凛はそこで話を切った。
「今日はここまででいいでしょう」
言峰は凛を見る。
「遠坂凛。お前は彼を導くつもりか」
「説明を受けさせただけよ」
「それ以上は?」
「まだ決めていない」
言峰は小さく笑った。
その笑みが、凛には昔から苦手だった。
「そうか。ならば、よく考えることだ」
凛は答えなかった。
スターリンも答えなかった。
ただ、その時。
言峰とスターリンの視線が、もう一度だけ交わった。
言葉はない。
会釈もない。
敵意もない。
だが、互いに何かを認識した。
凛には、それが分かった。
この二人は会話していない。
けれど、何かが成立した。
言峰は、スターリンが遠坂凛の隣に立つ意味を測った。
スターリンは、言峰が士郎の苦痛をどこまで避けずに置くかを見た。
どちらも、何も言わない。
だからこそ、不気味だった。
教会を出る時、士郎は何度も自分の左手を見ていた。
セイバーは隣に立ち、視線だけで周囲を警戒している。
凛は扉を開け、外の夜気を吸った。
冷たい空気が肺に入る。
「衛宮くん」
士郎が顔を上げる。
「今日はここまで。帰りながら話すわ」
「……ああ」
士郎は頷いた。
四人は教会を出た。
扉が閉まる。
その音が、やけに大きく響いた。
坂道を下り始める。
士郎は少し前を歩いていた。
セイバーは、そのすぐ横にいる。
凛とスターリンは少し後ろ。
夜の風が、教会の冷たさを少しだけ薄めていく。
だが、凛の胸の中には、別の冷たさが残っていた。
言峰の説明。
士郎の反応。
そして、スターリンの沈黙。
凛が考えていると、背後から低い声がした。
「凛」
「何」
「監督役を監視すべきだ」
凛は足を止めかけた。
「……言峰を?」
「そうだ」
凛は顔をしかめた。
「言峰は監督役よ。昔から知ってる。少なくとも、聖杯戦争のルール上は中立の立場にいる」
「中立を名乗る者ほど、記録が必要だ」
「あなた、誰でも疑うわけ?」
「誰でもではない。疑う理由のある者だけだ」
凛は声を抑えた。
前を歩く士郎には聞こえない程度に。
「言峰に、疑う理由があるっていうの?」
スターリンはすぐには答えなかった。
教会の方を一度だけ見た。
「説明は正確だった」
「ならいいじゃない」
「だが、苦痛を和らげる意図は薄かった」
凛は黙った。
スターリンは続ける。
「彼は少年がどこで反発するかを知っていた。どの言葉で痛むかも知っていた。避けなかった。むしろ確認していたように見えた」
「……言峰は昔からああいう言い方をするのよ」
「凛への態度には親しみがある」
「それは、まあ……父と縁があるから」
「だが、保護ではない」
凛は奥歯を噛んだ。
反論しようとして、言葉が詰まった。
スターリンは穏やかだった。
穏やかな声で、言峰を解体していく。
「士郎が傷つく言葉を避けていなかった。凛が不快になる言葉も避けていなかった。中立の監督役としては正確だ。だが、人としては奇妙だ」
「あなたに人として奇妙とか言われるの、相当よ」
「だから記録すべきだ」
凛は眉を寄せた。
「監視って、まさか赤き書記局を――」
「全面開放ではない」
「駄目」
即答だった。
「教会への干渉は禁止。言峰本人への接触も禁止。赤き書記局の追加展開も許可しない」
スターリンは頷いた。
「ならば、既存の影が拾える範囲で異常を報告する」
凛は睨む。
「あなた、もうそこまで考えてたわね」
「監督役は重要だ」
「言峰は敵じゃない」
スターリンは静かに言った。
「トロツキーも、かつては同志だった」
凛は顔をしかめた。
「また物騒な名前を出してきたわね」
「近い者ほど危険になる」
スターリンの声は低かった。
「遠い敵は剣を持って来る。近い敵は、椅子と食卓と信頼の中に座る」
凛は反発するように言った。
「言峰は敵じゃない」
「ならば、監視しても何も出ない」
「そういう考え方、本当に嫌い」
「嫌ってよい」
「許可したわけじゃないわよ」
「では、命令を」
凛は前を歩く士郎とセイバーを見た。
士郎はまだ黙っている。
セイバーは一瞬だけこちらを見た。
会話の内容までは聞こえていないだろう。
だが、二人の間に緊張があることは察している。
凛は息を吐いた。
「赤き書記局の追加展開は許可しない。教会への干渉も禁止。言峰本人への接触も禁止。既存の影が偶然拾える範囲で、異常な動きがあれば報告だけ」
「観察と報告のみ」
「それ以上は私が決める」
「もちろんだ」
凛はその「もちろん」が、一番信用できないと思った。
「あなたのもちろんは、まったく安心材料にならないわね」
「命令は明確だ」
「明確にさせてるのは誰よ」
スターリンは何も答えなかった。
ただ、穏やかに歩いている。
凛は、それ以上言わなかった。
言峰を疑いたくない。
少なくとも、今はそうだった。
だが、スターリンの言葉を完全に否定することもできなかった。
それが嫌だった。
――
教会の扉が閉じた後、礼拝堂には静けさが戻っていた。
言峰綺礼は、一人で祭壇の前に立っていた。
しばらく、何も言わない。
やがて、奥の影が揺れた。
金色の髪。
赤い瞳。
黄金の気配。
ギルガメッシュが、退屈そうに姿を現した。
「随分と奇妙な客だったようだな、綺礼」
言峰は振り返らない。
「遠坂凛のサーヴァントだ」
「小柄な男だったな。武人には見えん」
「武人ではない」
言峰は淡々と言った。
「ヨシフ・スターリン。二十世紀の支配者だ」
ギルガメッシュの目がわずかに動く。
「どのような男だ」
「人類史上で、一、二を争うほど多くの人間を死に追いやった人物だ」
ギルガメッシュは軽く笑った。
「一万か。それとも十万か」
「千万を超える。正確な数は定まらない。二千万とも言われる」
一瞬。
ギルガメッシュは黙った。
次の瞬間、教会の奥に笑い声が響いた。
「ははははははは!」
それは嘲笑ではなかった。
退屈していた王が、思いがけないものを見つけた笑いだった。
「それだけ殺して、あの目か」
言峰が問う。
「あの目?」
「獣ではない。狂人でもない。血に酔った殺戮者でもない。理性がある目をしていた」
ギルガメッシュは楽しげに続けた。
「理性で殺した者の目だ。なるほど、面白い」
「君は彼を評価するのか」
「評価ではない。分類だ」
「何に分類した」
ギルガメッシュは笑った。
「王だ」
言峰は静かに否定した。
「いや、独裁者だ」
「同じことだ」
ギルガメッシュは、当然のように言った。
言峰がわずかに眉を動かす。
「同じではあるまい。王には血統がある。戴冠がある。臣民が認める秩序がある。独裁者は、それを持たぬ」
「だから近代の者どもはそう呼ぶのだろう」
ギルガメッシュは退屈そうに笑った。
「血を引かず、神に選ばれず、古き儀礼も持たず、玉座にも座らぬ。だが、人を従え、国を動かし、命を数え、死を命じる。ならばそれは王だ」
「独裁者という言葉は」
「王の別名だ」
ギルガメッシュは断じた。
「王であることを認めたくない時代が、王をそう呼んでいるにすぎん」
言峰は黙って聞いていた。
ギルガメッシュは続ける。
「民が選ぼうが、軍が担ごうが、恐怖で従わせようが、制度で縛ろうが、本質は変わらぬ。人の群れの上に立ち、その生死を己の意思で動かす者。そやつを王と呼ばずに何と呼ぶ」
「彼は自らの民を大量に死なせた」
「だから王なのだ」
ギルガメッシュの笑みが深くなる。
「自分の民をそれだけ殺せるのは王だけだ。賊ではない。将でもない。神官でもない。民を数として扱い、国の名で死なせ、なお統治者として立つ。奴は王だぞ、綺礼」
「君と同じ王か」
ギルガメッシュの表情が変わった。
不快そうに、わずかに目を細める。
「我と同じなどと言うな」
短い沈黙。
その後、ギルガメッシュは口元を歪めた。
「だが、王ではある。神秘の時代の王ではない。神の血を引く王でも、都市の始原に立つ王でもない」
彼は楽しそうに笑った。
「新しい王だ。人が神秘を失った後に、それでもなお人を従え、国を動かし、死を積み上げた王だ」
言峰は言った。
「近代の王か」
「そう呼んでもよい」
ギルガメッシュは、教会の天井を見上げる。
「神々の影が薄れた後、人間だけで王を作ると、ああなるのかもしれんな」
言峰は微かに笑った。
「遠坂凛には危険なサーヴァントだ」
「危険だから面白い」
「遠坂凛は彼を御せると思うか」
ギルガメッシュは即答しなかった。
少し考えた。
そして、笑った。
「御すのではない。あの娘は選ばされる。あの男は剣を振るわず、選択肢を並べる類の王だ」
「選択肢を並べる?」
「殺せ。疑え。守れ。見捨てろ。勝て。そのどれもを、あの男は理性の言葉で差し出すだろう」
言峰の目が細くなる。
「そして遠坂凛が選ぶ」
「そうだ」
ギルガメッシュは満足げに言った。
「あの娘が拒み続けるのか。それとも一度だけ手を伸ばすのか。見ものだな」
「君は本当に退屈を嫌う」
「退屈は罪だ」
ギルガメッシュは笑った。
「だが今夜は、少しばかり退屈が薄れた」
――
坂道の夜気は、さっきより冷たく感じられた。
凛たちはまだ坂を下りていた。
士郎は無言だった。
セイバーは士郎のそばを離れない。
その立ち位置は、教会に入る前よりもさらに近くなっていた。
凛は、言峰への監視提案が頭から離れなかった。
スターリンは、それ以上言峰について口にしない。
それがまた、嫌だった。
必要なことは言った。
命令は得た。
ならば黙る。
この男は、そういうふうに動く。
凛は士郎に声をかけた。
「衛宮くん」
士郎が顔を上げる。
「今夜はもう帰りなさい。セイバーから離れないこと」
「ああ……」
士郎は頷いたが、納得しきってはいない顔だった。
「遠坂はどうするんだ」
「私は私のやることをやる」
「それって」
「説明は後。今は自分のことを考えなさい」
士郎は何か言いかけた。
だが、その前に。
空気が変わった。
最初に反応したのは、セイバーだった。
彼女の足が止まる。
一瞬で、士郎の前に出た。
「シロウ、下がってください」
士郎が目を見開く。
「セイバー?」
凛も魔力の異常に気づいた。
重い。
大きい。
空気そのものが沈むような圧。
スターリンは視線を上げた。
「大きいな」
凛が低く言う。
「サーヴァント……?」
坂道の先に、小さな少女が立っていた。
白い髪。
赤い瞳。
無邪気な笑み。
夜の闇の中で、まるで人形のように白い。
少女は士郎を見ていた。
その背後に、巨大な影がある。
バーサーカー。
そう呼ぶしかない圧力だった。
人ではない。
戦士という言葉でも足りない。
巨大な質量。
神話そのもののような暴力。
ただ立っているだけで、周囲の空気が潰される。
凛は即座に宝石を握った。
セイバーは剣を構える。
士郎は息を呑む。
スターリンは、初めて少しだけ表情を引き締めた。
その目はバーサーカーを見ている。
筋力。
速度。
圧力。
魔力。
主従関係。
情報が足りない。
だが、一つだけ分かる。
真正面からぶつかれば、こちらは不利。
少女が笑った。
「こんばんは、お兄ちゃん」
士郎の顔が強張った。
「お兄、ちゃん……?」
凛は状況の異常さを理解した。
この少女は、ただのマスターではない。
この夜、この場所に、このサーヴァントを連れて現れた。
それだけで、十分すぎる。
スターリンが静かに呟いた。
「これは、正面戦闘になる」
凛は即座に言った。
「分かってる。余計なことはしないで」
「了解した」
スターリンはそう答えた。
しかし、その目はまだバーサーカーを見ていた。
剣も弓も、言葉も、書類も。
通じるかどうか分からない相手。
それが、坂道の先に立っている。
坂道の夜気が、重く沈んだ。
教会で聞いたばかりの「聖杯戦争」という言葉が、今度は巨大な斧の形を取って、士郎たちの前に立っていた。