『ONE PIECE:黒雷の流儀』   作:トート

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第13話:『ロビンの悪戯と、ナミの計算』

「ちょっとシルバ、いい加減にその難しい顔をやめてくれないかしら? せっかくサンジくんが美味しい紅茶を淹れて、焼き菓子を用意してくれたのよ」

 穏やかな昼下がりの光が優しく降り注ぐサニー号の甲板。マストの影で腕を組み、いつになく深くフードを被って気配を消そうとしていたシルバの前に、ナミが両手を腰に当てて呆れたように立ち塞がった。彼女の手には、湯気を立てる淹れたての紅茶と、可愛らしい焼き菓子が乗ったトレイが握られている。

「……フン、オレンジ頭。俺はただ、潮風を浴びていただけだ。邪魔をするな」

 シルバはフードの縁をきつく引き下げ、頑なにナミから視線を逸らした。低い声でいつも通りの冷淡さを装うが、頭の上にまだ残る「あの感覚」――先ほど食堂でボニーのピンク色の髪をくしゃくしゃに掻き回した瞬間の、柔らかい感触と甘い香りが、未だに彼の脳裏から離れずにいた。思い出すだけで再び耳の裏が熱くなる。

「あら、邪魔だなんて冷たいわね。これでもエッグヘッドで大活躍した『三十一億の男』を労ってあげようと思っているのよ?」

 ナミはフッと悪戯っぽく微笑むと、トレイを近くの木樽の上に置き、シルバの顔を覗き込んできた。その茶色い瞳には、警戒の色などもう微塵もなく、むしろ何か楽しい計算を企んでいるような、茶目っ気のある輝きが宿っている。

「家賃の代わりなら、あの百隻の軍艦で十分に払ったはずだぞ」

「それはそれ、これはこれよ! あんた、あれだけの金額になったんだから、世界政府の裏の貯蔵庫や、賞金稼ぎ時代の隠し財産の場所くらい知ってるでしょ? 次の島に着いたら、ちょっとその辺の案内をしてもらうんだからね!」

 ナミのちゃっかりとした、けれど一味らしい現金な要求に、シルバは前髪の奥で小さくため息を吐いた。世界の怪物を一瞥で沈める男の威厳など、この船の女性陣の前では最初から存在しないかのようだった。

「ふふ、ナミ、あまり彼を脅かさないであげて頂戴。……これでも彼は、自分の心の整理をつけるので精一杯なのだから」

 カツカツと上品な足音を響かせ、ロビンが本を片手に優雅に歩み寄ってきた。彼女の美しい顔立ちには、すべてを見透かしたような大人の余裕たっぷりの、妖艶な笑みが浮かんでいる。

「……ニコ・ロビン。またお前のくだらねぇ勘ぐりが始まったか。俺には整理をつけるような心など持ち合わせていねぇよ」

 シルバは不機嫌そうに声を尖らせ、バッと背中を向けようとした。だが、ロビンは逃がさないと言わんばかりに、シルバのすぐ隣の木樽に腰掛け、優しく首を傾げた。

「そうかしら? あなた、さっきボニーに手配書の金額で詰め寄られた時、ずいぶんと新しい『可愛い誤魔化し方』をしていたじゃない」

「な……ッ!?」

「いつもなら顔を赤くしてすぐに視線を逸らして逃げるのに、今日はあの子の髪をくしゃくしゃにして、自分から触れにいったわね? ……あの子のことを、一人の愛おしい女性として守りたいという気持ちが、あなたのその頑なな流儀を、少しずつ変え始めている証拠よ。本当に、じれったくて素敵なお医者様(トナカイさん)が必要なほどの重症ね」

「――ッ!!!」

 シルバの全身の血が激しく逆流したかのように、顔面が猛烈な熱さで支配された。ロビンの大人の余裕たっぷりな、そして完璧に核心を突いた追撃に、シルバは完全に言葉を失った。返す言葉も見つからないまま、ボロボロのコートの襟元をグイと力任せに引っ張り、赤くなった耳を必死に隠す。

「調子が狂うんだよ、お前ら女はどいつもこいつも……! 飯でも食ってろ!」

 シルバはぶつぶつと文句を言うように低い声で吐き捨てると、逃げるようにマストの影から飛び出し、船尾の方へと大股で歩き出した。

 そんな彼の不器用な背中を見送りながら、ナミとロビンは顔を見合わせ、実に見事な連携で楽しそうにクスクスと笑い声を響かせるのだった。

「……ったく、どいつもこいつも勝手なことばかり並べやがって」

 サニー号の船尾へと逃げ込んできたシルバは、手すりに両肘を預け、白い波が不規則に砕け散る新世界の海を睨みつけていた。

 ボロボロのコートの襟元をどれだけ力任せに引っ張っても、一度熱を持ってしまった耳の裏は、冷たい潮風をいくら浴びても一向に冷めてくれない。それどころか、手のひらに微かに残るボニーの髪の柔らかさが、彼の硬派な精神を幾度となく揺さぶっていた。

「おい、シルバ。テメェ、こんなところにいたのかよ」

 不意に、すぐ背後から気の抜けた、けれどどこか尖った声が響いた。

 シルバがハッとして首だけで振り返ると、そこにはまだ一口サイズの焼き菓子を口にくわえたままのボニーが、不機嫌そうに手すりへ寄りかかってきた。彼女の手には、先ほど食堂で破り取ってきたシルバの『三十一億』の手配書が、未だにくしゃくしゃの状態で握られている。

「……またお前か、大食らい。俺は一人で潮風を浴びてえんだ。飯の続きなら食堂でやってろ」

 シルバはすぐに前髪を指先で整え、彼女の眩しい瞳から必死に視線を逸らした。低い声を意識して作り、無愛想の壁を張り巡らせる。

「うるせぇな。サンジの作ったお菓子が美味かったから、テメェにも一個分けてやろうと思って来てやったんだよ」

 ボニーは口の中のものをゴクリと飲み込むと、木皿に乗ったクッキーを一枚、シルバの目の前へと乱暴に突き出してきた。

「あたしはな、テメェに髪をごちゃごちゃに掻き回されたことを、まだ怒ってんだからなっ! 子供扱いすんじゃねぇ!」

 ボニーは真っ赤になった頬を膨らませ、シルバの「王の眼」を真っ正面から睨み据えた。目が合っても一切気絶しない、彼女の凛とした強い光が、至近距離で再びシルバの視界をジャックする。

(ドクン、とシルバの胸の奥で、またしても制御不能な鼓動が激しく暴れ出す。)

 いつもの彼なら、ここで完全に狼狽(ろうばい)して椅子を引くか逃げ出すところだった。だが、今のシルバの逃げ道は、背後にある新世界の海だけだった。

 シルバはこれ以上ないほどに顔を真っ赤に染めながらも、差し出されたクッキーを乱暴に奪い取るようにして口へ放り込んだ。そして、彼女の視線から逃れるように、バッと完全に背中を向けて海の向こうを見つめた。

「……甘すぎるな。お前みたいなガキには丁度いい味だ」

 わざとぶっきらぼうに吐き捨て、自分の衣服の胸元を不器用にギュッと握りしめる。これが今の彼にできる、精一杯の「男としての防衛線」だった。

「あーっ! せっかく持ってきてやったのに、なんだよその態度はっ! 本当に可愛くねぇ化け物だな!」

 ボニーは怒ってシルバの背中をバシバシと拳で叩いた。だが、彼女のその真っ赤になった耳の赤さは、シルバのそれと全く同じ色に染まっていた。

「ふふ、本当に退屈しない航海ね。あの子たちの不器用な距離感、見ているだけでこちらの心が温かくなるわ」

 少し離れた甲板の陰から、ナミとロビンがその様子をじっと見守りながら、楽しそうにクスクスと笑い声を響かせていた。

 三十一億の賞金首となり、世界を震撼させた覇王シルバ。しかし、勝気な少女の真っ直ぐな瞳の前では、その自慢の『眼』も完全に形無しだった。二人のじれったくも愛おしい船上の日常は、次の島へと向かう航路の中で、少しずつ、けれど確実にその色を変え始めていた。

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