久我山栞。
彼女は死してなお、自殺を繰り返していた。
もう一度死ねば、成仏できるのではないか。
だが何度死んでみても、魂は現世にしがみついたまま。
名前以外、何も覚えていない。
自分は誰なのか。
なぜ死んだのか。
失われた記憶を探すため、
栞は死神代行・黒崎一護と共に、自らの死様を追い求める。
人生は、物語に似ている。
終わりの後には何もない。
だから我等は描く。
偽物の記憶で。
本物だった誰かを。
物語は、人生に似ている。
◆
その有り様に、黒崎一護は目を見開いた。
公園の一画。一回り程背丈の高い、大きな木。
吊るされた紐。
そして――人間。
紺色のセーラー服を着た、女子高生だった。
自重で首があらぬ方向に曲がり、手足はだらりと、力なく垂れている。
角度のせいか表情は見えない。しかし、形容しがたいものであることは想像に難くない。
一護は反射的に駆けだそうとする……が、一瞬の後に気付く。
この場にいる全員、少女を見ていない。
否、“視えていない”。
つまり、人間ではないのだ。
「――はぁ。ったく、人騒がせなヤツだな」
ほっと胸を撫で下ろしつつ、一護は改めてそれを見る。
死んでなお、首吊り自殺している幽霊。
人間から見ても、死神から見ても奇妙な光景である。
既に死んでいるのなら、慌てる必要はない。
しかし、見て見ぬ振りもできない。
それが死神代行という業務であり、黒崎一護の性分でもあった。
「……私のこと、視えている?」
幽霊は、首を吊ったまま話しかける。
苦しげな様子は微塵もない。
「ああ、視えてる視えてる」
面倒くさそうに頭をかきながら、一護は幽霊に歩み寄る。
「あら、声まで聞こえてるの? 視える人はたまにいるのだけど……会話ができる人は、初めて」
「へえ。ってことは新参の霊か」
空座町は色々あって、幽霊と縁が深い。
幽霊が見える人間、会話ができる人間はそれなりにいる。
「ああ、そんなに心配そうにしなくても大丈夫。
だって、もう死んでいるから」
「――ん?」
――心配そうに?
違和感を覚えて、一護は足を止めた。
そして、気付く。幽霊は一護を見ていない。
視線を辿ると、そこには――帽子を目深に被った子供。
背丈を考慮すると小学生くらいか。
子供は、幽霊を見上げていた。
視えている。
間違いなく、視えている。
小学生が、(霊とはいえ)首を吊った女子高生を、まじまじと見つめている。
教育的によろしくない、下手するとトラウマものの案件だった。
「そう。幽霊なの、私。ふふふ」
「ふふふ、じゃねえボケ!」
ビターン。
次の瞬間、幽霊はハエ叩きの如く、地面に叩き落とされた。
「なに首吊りながら声かけてんだ! その子のトラウマになっちまったらどうするつもりだテメエ!」
「この感じ……あ」
幽霊は顔を上げ、周囲を探る。
やがて、一護と目が合った。
「貴方……もしかして、貴方も私が視えてるの?」
「ようやく気付いたのかよ……」
呆れ果てる一護。
それとは対照的に、幽霊は目をぱちくりさせながら、ゆっくりと起き上がった。
「まあ……凄いわ。私が視える人に、二人も会えるなんて。
これも何かの縁……かしら」
その幽霊は、妙に様になった仕草で顎に指を添え、二人を見る。
「ねえ。もしよければ……私のお願いを、聞いてくれないかしら」
「…………」
幽霊のお願いに、二人は真逆の反応を示す。
一護の方は、やっぱりか、という諦観。
幼少期から幽霊と関わってきた彼にとって、霊の願いを聞くことはさほど珍しくない。
むしろ、死神代行となる前は日常の一部だった。
子供の方は、疑問と戸惑い。
幽霊自体始めて見たであろうその子にとっては、今起きていること全てが常識の外だった。
「あ……念のために言うのだけど、私は二人にお願いしているの。
オレンジの髪の人。そして――」
幽霊はしゃがみ、子供に視線に合わせる。
「――貴方」
「――ぁ」
二つの視線が、交わった。
――それが、何かのきっかけだったのか。
子供は、幽霊から一歩、距離を取った。
「……ぇ?」
違和感。
それは、誰の声だったのか。
「……ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったの。私は貴方に、決して危害は加えない。約束する」
幽霊は困ったように微笑む。
しかし、子供は帽子を深くかぶり、俯いてしまった。
まるで、自分の顔を隠すかのように。
「……本当に、ごめんなさい。貴方の気持ちは分かったわ。無理にお願いしない。
でも……もし気が変わったら、また来てほしい。私はこの公園にいるから」
「…………」
子供は無言のまま、コクリと頷いた。
◆
「うーん、失敗失敗。今度はもっと上手く誘わないと」
帰路に着くその子の背中を見届けながら、幽霊は困ったように苦笑した。
先程まで首を吊っていたとは思えないほど、呑気な声音だった。
「ちなみにだけど……貴方は、どうかしら。首を吊る不思議な幽霊からのお願い。聞いてくれる?」
「わーったよ、付き合ってやる」
悪戯っぽく笑う幽霊に対し、一護は溜め息混じりに答える。
こういう手合いは、放っておいても勝手に首を突っ込ませてくる。
だったら最初から付き合った方が早い――長年の経験で得た結論だった。
「……断られるかと思っていたわ。言ってみるものね」
「その代わり、あの子にはもう話しかけんなよな。幽霊のお悩み相談なんて、小学生のやることじゃねえだろ」
一護は、先程の子供が去っていった方向を見る。
帽子を深く被ったままの、小さな背中。
どこか怯えるような足取りが、妙に引っ掛かっていた。
「そうかもしれないけど……それは、貴方も同じじゃない?
本来、死者と生者は交わらないもの。そうでしょう?」
「普通だったらな。生憎こっちは、昔っからそういうのとは縁があってね。
――俺は、黒崎一護。死神代行だ」
その言葉に、幽霊は小さく目を瞬かせた。
「死神……代行? でも、普通の人間にしか見えないけど……」
「合ってるよ。俺は人間、あくまで代行だ。死神そのものじゃねえ。
お前らみたいなのが悪霊にならないように身体張るのが、俺の仕事なんだよ」
「なるほど。人間だけど、死神の仕事。だから代行……。
でも……うーん……」
幽霊は少し考え込むように首を傾げる。
その仕草は、年相応の女子高生にしか見えない。
「……ごめんなさい。約束はできないかも。
あの子……明日も来てほしいって言ったら、しっかり頷いちゃったし」
「あー……」
一護は思わず額を押さえた。
どうやら本人に悪気はないらしい。
ないのだが、だからこそ質が悪い。
「……まあ、そんときは改めて注意しとくわ。危害は加えねーんだろ?」
「ええ、それは勿論」
即答だった。
そこに嘘は感じない。
少なくとも今のところ、この幽霊から害意や敵意の類は感じなかった。
「そんじゃ、改めて教えろよ、お前は俺に、何をさせてーんだ?」
「えぇと……そうね、何から話そうかしら。
……いえ、単刀直入に言いましょうか。
実は私、記憶がないの。覚えているのは、名前だけ」
公園を吹き抜ける風が、木々を揺らした。
幽霊は、まるで他人事のように語る。
「記憶が無いから、この世への執着も全くない。
もう一度死ねば成仏できるかしら? と思って、首を吊ってみたのだけれど――」
「気軽に命を捨てんなよ……」
一護は半眼でツッコミを入れる。
幽霊だから間違ってはいないのだろうが、あまりにも軽い。
「名前しか分からないから、何をどうすればいいか分からないし……幽霊だから、できることにも限りがある。このままじゃ、永遠に無意味な自殺を繰り返すだけ……」
そこで初めて、幽霊は少しだけ視線を伏せた。
弱々しい声だった。
しかし、それが演技ではないことくらい、一護にも分かる。
「……いえ。断りにくい雰囲気を作るのは、卑怯ね。ごめんなさい」
「……へえ。
意外だな。お前、そういう気遣いもできるのか」
冗談混じりに返しながら、一護は小さく笑う。
「けど、気にする必要ねえよ。言ったろ、付き合ってやるって。
幽霊の自分探し、結構じゃねえか」
その言葉に、幽霊は一瞬だけ目を丸くした。
そして、ふわりと柔らかく微笑む。
「……ありがとう。優しいのね、貴方」
「……そんなんじゃねえ。仕事だ仕事。
っと、そうだ。名前は覚えてるって言ったよな?」
「ええ」
幽霊は、まるで舞台の挨拶のように胸へ手を当てる。
「――私の名前は、久我山栞。よろしくね」