連邦監査府物語 ――連邦のために、市民のために―― 作:mogatoku
第一章のラストです。
写真でしか見たことがない人物を目の前にして、ホロックは動揺していた。
(いや、映画館の報道映像でも見たことが…)
「さ、最高監査人閣下! どうしてここに?」
最高監査人コウ・ジロー閣下。
言わずと知れた最高権力者の一人だ。
その横でしきりに愛想笑いと手もみをして情けない姿をさらしている男ドワーフは…ウチの署長だ。
そしてもう一人。軍服姿の男エルフがいる。
(直轄軍だな…護衛か…)
「いや、署長に話があってね。それとキミにも礼を言いたくて、ちょっと寄らせてもらったんだ」
ジロー閣下が輝くばかりの笑顔を見せている。
苦労なんか知らなそうな顔だ。
「礼でありますか?」
(監査人閣下からわざわざ礼を言われる程のことは何もしてないが…)
「ああ、部下を半殺しにした犯人を捕まえてくれただろ?」
(それか…!)
「上司として礼を言いたい。どうもありがとう」
最高権力者の一人が頷くように小さく頭を下げた。北方式の謝意の仕草だ。
ホロックは小さく姿勢を正した。
「自分は職務を遂行しただけであります」
「それで、キミは監査庁の捜査についてどう思った?」
監査人閣下が目を細めた。探るような視線だ。
「さすがは脳せ…いえ、優等生の集まりかと」
思わず「脳専」と言いかけたが、それでも充分に皮肉を込めてそう言った。
だが監査人閣下はそこで終わらせず、さらに問いかけてきた。
「それで? 何が問題だと?」
どうやら皮肉はしっかりと伝わったらしい。問題点を尋ねてきた。
「それは…正直に話して良いのでありますか?」
ホロックがつい疑わしげな目を向けてしまうと、署長の表情がこわばり、青くなった。閣下の顔色を窺うように横目で確認している。
だが監査人閣下は、静かな笑みを浮かべて大きく頷いた。
「もちろんだよ」
「本当に?」
さらに疑わしげな目を向けると、署長の顔が真っ白になり、恐怖に引きつり始めた。
「本当に」
閣下はまた大きく頷いた。
どうやら、逃がすつもりはないらしい。
なら腹をくくるしかない。
――よし! 言ってやろうじゃないか!
「では申し上げますが、まず現場を独占して我々警察の捜査の邪魔をしたこと。これはいただけませんね。おかげでこちらの初動は大きく遅れました。次に警察を除け者にして進めた割には、周辺の聞き込みが甘いこと。大きな酒場と倉庫の周辺をチョコチョコッと聞いて回っただけで聞き込みしたつもりとは、まるで素人としか思えません。もっと手広く、徹底的に聞き込みしなくてはいけません。それから酒場で聞き込みをする時には、店に迷惑を掛けてはいけませんね。そもそも気持ちよく飲んでる客の前で――」
ホロックは気になったことを次々とあげつらっていった。
署長はホロックと閣下の顔を交互に見る首振り人形みたいになっている。
だが当の監査人閣下は、なぜか愉快そうに聞いていた。
(自分の部下が責められているのに、なぜ楽しそうなんだ…? 部下の味方じゃないのか? 権力者にとっては、あの脳専どもも所詮は下々に過ぎないのか…?)
ホロックはだんだんと苛立ってきた。
(確かにあの脳専どもは問題だ。だが脳専なりに仕事はしていた。なのに監査人閣下は部下の弁護もしてやらないのか)
「――以上であります!」
最後は語気が荒くなってしまった。
署長の喉がゴクリと鳴った。
空気が張り詰める中、監査人閣下は楽しげな表情のままだ。
「貴重な意見、感謝するよ」
軽い調子で礼を言う様子に、ホロックは鼻白む。
(全く響いてない…? 聞くつもりはなかったのかい)
こちらの苛立ちにはまるで気付く素振りも見せずに監査人閣下は立ち上がり、署長に顔を向けた。
「それじゃ、後は頼んだよ」
「はっ。よろこんで!」
署長は顔面蒼白だ。
それでいながら、愛想笑いを顔に貼り付けたまま、敬礼した。
「あ、見送りはいらないから。それじゃあ、失礼」
「はっ! では、お元気で!」
閣下と護衛が署長室から出て行くのを見届けると、署長は大きくため息をついてから、自分の席に座った。
署長は背もたれに寄りかかり、両腕を肘掛け椅子に置いた。
これは署長が何かを告げようとする時に取る姿勢だ。
ホロックは密かに“上司の姿勢”と呼んでいた。
「ホロック・聡厳警部補、キミには
(ん? 出向?)
思いもしない通告だった。
「園都に? それは園都市警ですか? それとも内務省ですか?」
園都市警察とは、その名のとおり園都を管轄する都市警察だ。ドレナ共和国警察に属している。
一方、内務省とは、連邦執政府の省庁の一つである。各共和国の指導監督調整などをしているが、そこには当然、警察部門もある。
だが署長の返事はどちらでもなかった。
「いや、監査府だ」
「へあ?」
ホロックは思わず変な声を出してしまった。
意味が分からなかったからだ。
「監査府ですか? 監査庁ではなく?」
モルドー監査庁ではなく、ドレナ監査庁でもない。
――連邦監査府だって?
「そうだ」
(それで監査人閣下が来ていたのか…)
ホロックはつい先ほどのやりとりを思い出す。
(しかし、署長が決められることなのか?)
「本部には、何と言うので?」
「ジロー閣下は、すでに
(国司人…)
本部どころか、共和国の首長である。
(上の上で話が通ってしまっているのか…)
「はあ」
(なぜ自分が? よりにもよって監査府に?)
ホロックは首をひねるのだった。
「いつからで?」
「6月1日から3回期だ」
(なんだって!)
パントの1回期は3年である。
「9年もですか!」
驚きの声が出てしまったホロックに向かって、署長がニカッと歯を見せてきた。
「ハッハッハ! 監査府返りとなれば、末は本部長間違いなしだな。うん。うまくやれば警視長はおろか、警視総監だって夢じゃない。うらやましいぞ、こいつ!」
そう言って豪快な笑顔を向けてくる。
(こっちの気も知らずに…)
ホロックはできれば遠慮願いたかった。
優等生どもに混じって自分がやっていけるとも思えない。
「代わっても良いですよ、署長」
気が進まないとばかりに肩をすくめてみせると、署長が再び大笑いに戻った。
「ワッハッハッハ! 面白い冗談だ!」
(いや、冗談では…)
「あのう…」
「ん? どうした?」
「この話、断るわけには…」
(脳専どもの元で働くなんて、できれば御免被りたい…)
男ドワーフの年季の入った顔から笑顔が消え、仰々しい目がギロッと睨み付けてくる。
「監査人閣下に
「い、いえ…」
(それも御免被りたい…)
元老ですら圧力に耐えかねて自殺したのだ。
一介の刑事なんかひとたまりもないだろう。
「ジロー閣下直々のご指名だ」
(直々のご指名…なぜオイラを…?)
「しっかりやれよ」
「はあ」
(観念するしかないのか…)
念を押すような署長の命令に、ホロックはささやかな抵抗を
「この件は、辞令が出るまでは内密にな」
「辞令は15日前ですから、明日ですかね」
「いや、国をまたぐ異動の辞令はひと月前と決まっとる。5月1日付のはずだ」
「え? 今日は5月15日では…?」
(とっくに過ぎてるじゃないか!)
「ああ、どうやら途中で迷子にでもなっとるらしい。明日か明後日には署に届くんじゃないか?」
つまり、人事部では今日辺りに、1日付の辞令を発行して、急いで送って寄越すという意味だ、とホロックは理解した。
(そんな適当でいいのか…?)
署長の冗談に引きつり笑いを浮かべてから、ホロックは気になったことを切り出すことにした。
「あの、署長」
「なんだ?」
犯人を追い込むときのように、声を低くして力を込める。
「何がそんなに嬉しいので?」
空気が一気に冷えた。
「…!」
男ドワーフが、あからさまに動揺の表情を見せている。
(わかりやすい人だ…)
「な、何のことだ?」
署長は明らかにはしゃぎ過ぎだった。
(何かある)
先ほどから、ホロックの勘がそう告げていたのだ。
「オイラが出向することがそこまで嬉しいってわけじゃないですよね? いったい何をそんなにはしゃいでおられるので?」
そう言って疑いの目を向けると、署長は諦めたようにため息をついた。
「ハア。そういう目聡いところが目を付けられた理由かもしれんな。そのうち分かることだが、まあいいだろう」
署長が再び手すりにおいて、上司の姿勢を取った。
「実は、近々感謝状が届くことになった」
「感謝状ですか? 誰にです?」
「ウチの署にだ。港湾署にだ。傷害事件の犯人を逮捕したからな」
「はあ」
(なんだ。そんなことか)
たいした理由じゃなかった。
おおかた、地区長辺りが出してくれるんだろう。
「もちろん、捜査一係にも別に届くそうだ」
(ウチの係にもか…まあもらって困るようなモノじゃないからいいか)
「そりゃあ、ありがたいことで」
ホロックが気のない返事をすると、署長が目を見開いた。
「何とぼけた事言ってるんだ? 最高監査人からの感謝状だぞ!」
(監査人からか! 署長が喜びそうなことだが…そこまではしゃぐことなのか…?)
ホロックが内心で首をひねっていると、署長が信じられないという表情で話を続ける。
「ジロー閣下からの感謝状だ。勲章とまではいかないが、それに近い価値があるぞ! 人事考査に点数が付くぞ! 給与にも、賞与にも、退職手当にも、年金にも上乗せがあるんだぞ!」
「はあ、そういうことですか」
(道理で…署長が興奮しているわけだ)
ホロックは合点がいった。
「もしかしてその感謝には、オイラを監査府に差し出すことも含まれていたりします?」
もちろんこれはタダの勘だ。
「そういうことだ。分かってるじゃないか!」
(いや、そこは認めちゃダメでしょ。署長!)
上機嫌に答える男ドワーフに、勘が当たったホロックは呆れてしまう。
そんなホロックの内心に全く気付かずに、署長は上機嫌で続ける。
「キミの働き次第で、またあるかもしれん。そんな情けない顔してないで、しっかりやれよ」
へましたら恨むぞ、というような視線を向けられても、こっちは困惑するしかない。
「はあ……それで、これもまだ内密ですか?」
「当然だ! 実物が届くまでは安心できんからな。誰にも話すなよ!」
「…わかりました」
「では行ってよろしい!」
「はっ、失礼します」
ホロックは敬礼してから廊下に出ると、ため息をついた。
「はあ」
(なぜオイラみたいな出先の刑事が……監査府で何をしろと……?)
想像すらしたことのなかった話に、ホロックはひたすら困惑するしかできないのだった。
署長室を後にしたジローが、そのまま港湾警察署の正面玄関を出ると、すでに夕方になっていた。
そこにはノークが10人は乗れる大きな直轄軍専用輪車が待機しており、隊員が扉を開けた。
中に入ると、特捜団長のメネルが座っていた。打ち合わせのために同乗しているのだが、少し待たせていたのである。
護衛のゲルダエール・ローハン大将は一つ前の列に座るようだ。
「やっぱりあの警部補を引き抜くのね」
メネルの言葉をジローは訂正する。
「引き抜くと言うより、とりあえずは出向してもらうという形だね」
(話を聞いた限りでは、かなり地に足の付いた考え方をする人物のようだ。ただ、随分監査庁のやり方が腹に据えかねてる様子だったなあ)
ホロックが有用な人材だと確信を持ったわけではない。実のところ、彼を監査府に引き入れる理由はそこではない。
「近いうちに各国の警察界隈に噂が流れる。『監査府は能力を見込んでホロック・聡厳警部補を招き入れることにした。だが小さな警察署にいたため実績が不足していた。そこで花を持たせて実績とすることにした。合同捜査本部にいながら、自分勝手に犯人を逮捕したように見えるのに、監査府が何も言わないのは、そのためだ』ってね」
お膳立てとして、新聞にも賞賛記事を書いてもらった。
噂は情報部のアーサーが手配してくれることになっている。
「…なるほど。それなら“特捜団が出し抜かれた”とは誰も思わないわね。監査府の威厳も傷つかないままだわ」
メネルがまじまじとこちらの顔を見つめてきた。
(ん? なんだ?)
「こういう手を使うところ、閣下はやっぱり政治家なのねえ」
(そんなことか…)
そう。
出し抜かれてなどいなかった。すべては監査府の思惑どおりだった。
そういうことにすれば、誰も困らないのだ。
「子供じみた報復などせずに再発を防ぐには、良い方法だろ?」
(監査府を保守して、善良なる警察官も保守する。うん。我ながら良案だ)
連邦と市民を保守するのとは少し違うが、それでも保守府の仕事にふさわしい。
保守府たるもの、争いを始める存在になるべきではないのだ。
ジローは自然と得意げな表情になる。
「どうかしらね」
メネルが大きな笑みを浮かべた。愉快そうな笑みだ。
「せいぜいこき使ってやるわよ」
どこか試すような言い方だ。
「おいおい、私情を挟まないでくれよ」
「もちろん、そんなことはしないわよ」
「だと良いんだが…」
専用輪車は、モルドー監査庁へと、孟都の街を北進している。
時折、建物の影に隠れる秋の夕日が、輪車を照らしていた。
それはまるで、これから始まる新たな騒動を暗示するかのようであったが、そのことに気づく者は誰もいなかった。
第一章 金の値下がり事件 完
第一章の完結です。
ここまでお読みいただきまして、心からありがとうございます。
お気に入り登録していただいた方にも感謝申し上げます。
楽しんでいただけたなら嬉しいのですが、力不足でアクセスを伸ばすことができず、作者としては反省しきりです。
続きは、このまま書くべきなのか、じっくり練り直した上で別作品として描いた方が良いのか、今、迷っているところです。
書くからには、できるだけ多くの皆さんに楽しんでいただきたいですし…
投稿画面の仕様上「舞台はファンタジー、ジャンルはミステリー」としましたが、これは「最も近いものを選んでください」という指示に従った結果、他の選択肢は選びようがなく、「厳密には少し違うよなあ」と思いながらも、このようになりました。
当てが外れた方には申し訳ありません。
ご意見、ご感想をお聞かせいただければ幸いです。
※活動報告の方も良かったらご覧ください。