千早愛音は恋愛弱者である 作:腸煮えくり返り丸抜刀
最近、愛音との距離が前と違う気がする。具体的にどのように違うのか答えることは出来ないけど、スキンシップが遠慮がちになってきたとか、口ごもることが増えてきただとか、そういう些細な変化はあっても、決定的なものはなにもない。
思い込みと言われたらそれまでだ。
ただ、距離を置かれていると感じるようになったのは愛音が留学から戻ってきてから。
一度挫折した人間が立ち上がれないというのはよく聞く話でも、愛音に限ってそれはないと思う。頭の中お花畑の幼なじみが立ち止まっている姿を想像してみて……ないな、と結論付ける。
本当に立ち止まっている人間は、目立ちたいなんてバカな理由でバンドを組もうとしない。それで他人を引っ張っていけるんだから、すごいよな。
ただ、神妙な顔を時折見せるから、なにか気になることがあるのは間違いないと思うけど……理由が見えない。
「…………なに買えばいいんだっけ」
愛音のことを考えていたせいで、なにを買おうとしたか忘れた。
「あれ、ひーくん?」
「千早……と、高松さん」
「こ、こんにちは」
吃りながらも懸命に挨拶するのは高松燈。外見は少しボーイッシュだけど、本人の小動物のような言動が愛らしさを自然と振り撒いている……という印象のクラスメイトだ。
目立ちたがりの愛音と一緒に居るのが不思議なくらい内向的な性格で、入学から半年以上経った今でもたまに話すくらいの仲だ。人の事言えないけどさ。
そろそろ慣れてくれてもいいと思うけど、やっぱり異性となると勝手が違うのかな。
怪我した時にかわいらしいカットバンをくれたり、気になっているものを喋れば専門家並みの雑学を早口で話してくれるから、嫌われていないとは思う。多分。
ただ、早口で喋る時に必ずと言っていいほどずいっと距離を詰め寄ってくるのは、女の子としての自覚が足りないとは思う。
「なにしてんのー?」
「言っても手伝ってくれないもの、かな」
「え?」
「買い物」
「えー、ちゃんと一緒になったら荷物持ってあげてるじゃん!」
「一緒に行くときに勝手にお菓子入れてくるじゃん」
「止めないひーくんが悪いと思いまーす」
「おばさんに怒られるのはぼくじゃないからね」
なお、怒られる理由はお金を使いすぎることよりも、荷物を増やして負担が増えるのに申し訳なさがあるからだとか。
夕飯を作ってもらっているほうがよっぽど申し訳ないんだけどな。
「お母さんも、もう少し甘くてもいいんだけどなー」
「十分すぎるくらい甘いよ」
本当に甘くなかったら、いくら成績が良くても留学になんて行かせてくれないし、失敗して帰ってきたときの第一声は罵声だったはず。この場で愚痴を漏らしている時点で、かけられた優しい言葉は察せられる。
ベースとしてすごく大事に育てられた自己肯定感のバケモノだ。
「2人はどうしたの?」
「バンド! ねー、ともりん」
「……う…………うん」
すっと視線から逃れるみたいに愛音の後ろに隠れるのを見て、内心でため息を吐く。
たまに話す程度の友達の距離感としては不思議がないけど、めちゃくちゃ嫌われてる気がする。それなりに気落ちもする。
吃る感じが苦手な人も居るけど、ぼくは高松さんの喋り方が好きだ。好意の分だけ関心が強まるから、前かがみになりそうな心をぐっ、と抑える。
「そっか。邪魔しちゃ悪いから、買い物の続きしてくるね」
知ってる人間だとしても、親しくないなら気を遣う。
「えー、一緒に買いに行こうよー」
「お前、ほんとお前さぁ……!」
愛音がどう思うかなんて気にしたことないよ。隣の不思議ちゃんが困った顔であわあわしてるのが見えないのか。
文句を言いたくなったけど、言って聞くなら愛音じゃない。聞こえるようにため息を吐いた。
「ついていこーよともりん。お菓子買ってくれるかも」
「あの…………」
「うちの愛音がごめんね……」
「…………だ、だいじょうぶ」
友達の友達とは距離感が微妙、って話をさっきしたけど、相手が高松さんだと気まずいというよりは言葉が出てこなくなる。自分の内側にあることを言葉にするのが苦手な子と話すと、自然と独特のペースになったりする。
愛音みたいなコミュニケーションが上手な人間だったらともかく、ぼくは少し苦手だ。高松さん自身は好きな部類だけど、言葉が重なってしまった時の申し訳なさとか、譲ってくれる相手の優しさみたいなものが染み込んでくる。
「愛音ちゃん、いつもそうだから……引っ張って、くれるから……」
「あぁ、そうかもね……」
似たようなタイプだから、感情の書かれたノートの切れ端が見えてしまうような気がする。説明されたらそのノートの切れ端が上手く繋がって、意味が分かる。別に友達じゃないから細かなところは分からないけど、だいたいのニュアンスで共感出来る。共通の友人の評価ともなれば特にそうなのかな。
愛音と居るときはむしろ逆で、何を考えているか分からない。楽しいのか、困っているのか、怒っているのか。
こっちに戻ってきて、落ち着きを少しだけ覚えてからは分からない。
商店街の近くで合流したおかげで買い物時間はそれほどかからなさそうだけど……肝心の買ってくるものを忘れたままだ。ダメ元で愛音に話を振ってみる。
「ちなみに今日買うもの知ってたりしない?」
「えー……忘れちゃったの?」
「やらかしたよね。参ったなぁ……」
「昨日魚じゃなかった?」
「あー、そうかも。肉とか……って言っても範囲広すぎるなぁ」
「私豚肉の気分!」
「愛音の気分は聞いてないんだよね……レシピ決めちゃえば作ってくれるかな?」
「ひーくん作ってよ」
「やだよ。おばさんの料理より美味しいご飯ないもん」
「すっかり我が家の子だね〜」
「そりゃ普段食べるものに好みは寄るよ」
「ともりん、ひーくんは私が育てたんだよ?」
「…………えっ」
「平然と嘘つかないでよ。高松さん困惑してるでしょ」
「嘘じゃないでーす。ひーくんの面倒見てたのは私ですー」
「面倒…………?」
引っ張られていた記憶はあるけど、お守りをしていたのはぼくのほうじゃないか、という言葉は胸のうちにしまっておく。
こてん、と首を傾げる彼女の頭上には大きなはてなが見えそうだ。
「困ってないけど…………」
「けど?」
慎重に言葉を選ぶために視線がきょろきょろと動く。その様子は小動物みたいな愛らしさがあって、ひっそりと彼女に人気があるのも分かる。
「大丈夫だよ、ちゃんと待ってるからね」
「う……うん…………」
しゃがんで視線を合わせる愛音はどうせならぼくの前でもそうあってほしいくらいしっかり者に見える。
ぼくと一緒に居ないときの愛音は意外としっかり者のように振舞っているのかな。見栄張りたがりだし。
「その、ひーくん。…………ぁ」
名前を思い出せなかったのか、それとも、間違って呼んでしまったのか分からないけどフォローしておく。一回失敗しちゃうと言葉に詰まるのは分かる。
「陽向。好きなように呼んでいいよ」
「じゃあ、えっとヒナ……とか…………?」
なんか女の子の呼び方みたいだな、と口にするのは躊躇われた。
「なんか私のこと置いてきぼりじゃなーい?」
「いつまでも他人行儀はちょっと悲しいんだよ」
一応クラスメイトだし、時折学校外でも顔を合わせているのに未だにびくびくと震えられるのは少しつらい。
「むー……なーんか釈然としないんだよねー。私だって親しげに呼てもらいたことないよー?」
頬を膨らませて不貞腐れる愛音に呆れた視線を送る。高松さんは距離感を間違えてしまっただけだと思う。
「あ、あの……愛音ちゃん……怒ってる……?」
「あ、ごめんともりん! じょーだん、じょーだんだからね!」
身体を縮こまらせる高松さんを慌てて宥める愛音の姿に小さな違和感がある。
普段通りの調子のいい声。だけど、ぼくと高松さんのやり取りを見るその瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、ひんやりとした冷たい色が混じった気がした。
前なら……それこそ、中学生のころなら無邪気に抱きついてきたはずなのに。今は口で不満を口にするだけだ。
留学から帰ってすぐのころもきっと抱きついてきて、「ひーくんは私の!」なんて、バカな主張をしてきたと思う。
まぁ、考えすぎかな。悪い癖だ。
「じゃあ、陽向くんでお願いしてもいい?」
「う、うん……。じゃあ、陽向、くん……」
ふあり。綻ぶような笑顔は羽丘の愛されキャラのソレだった。
「ん、よろしくね。……で、愛音。おばさんに連絡しようと思うんだけど、今日の夕飯は豚肉でいいの?」
ポケットからスマホを取り出そうとすると、愛音がすっとぼくの手元を覗き込んできた。ふわりと彼女の髪からシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。
「ついでにアイス買っていいか聞いてよ!」
「自分で聞いたらいいじゃん……」
「絶対ひーくんが言った方が確率高いもん。お母さんひーくんに甘いし」
「ダメだったらぼくが奢ってあげるよ」
「やったー!」
どこか無理して笑う愛音の表情は初めて見たものだった。
「……ってことがあったんだよね」
「足踏みしてるだけの話をよくそこまで長く話せるね」
リアルタイム的には秋も中頃の十月。都内の各所に紅葉がすっかり色付いて、色んなことに活力的になれる夜のこと。
バンド練習の休憩中は、ほとんど私が話して終わったりする。それをいい事に相談……もとい、惚気ていたのに、なんか反応薄いんだよなぁ、みんな。
「ひーくんが鈍感すぎるのが悪いんだよ!」
「愛音ちゃんがアプローチしてないだけでしょ」
ジト目で睨みつけてくるこの子は長崎そよちゃん。通称そよりん。すごく美人で、最初のころは見た目通り礼儀正しくて騙されちゃったなぁ。そもそも、今回話し始めたのだって彼女が嫌そうに聞いてきたからだ。
……もしかしたら、聞いてほしそうに目線を送ってたのが原因かもしれないケド。
「言っとくけど、アドバイスなんてしないからね」
「あ、それは求めてないから大丈夫」
「……そ」
あれ……? そよりんからの視線が冷たくなったような……気のせい、だよね?
「……私が聞く意味ないよね?」
「あるよ!!!!」
大アリだよ大アリ! バンドメンバーで唯一話聞いてくれそうなのはそよりんだけだもん!
聞いてくれるだけならともりんもだけど、なんとなーく話しにくい。りっきーは私には冷たい。この前なんて嫌がらせみたいな譜面渡されたんだから! ……らーなちゃんは、うん。
「大事件が起きたんだよ!」
「愛音ちゃんは毎日大事件起こしてそうだけどね」
凄みを効かせられそうな低い声でそう言われる。……あくまで私が主犯だって言いたいんだ。ふ────ーん。
「今回は私悪くないし!」
「だいたい自分でそう言う人が悪いんだけど」
「えぇ~」
納得いかない。そよりんって絶対、私にだけ当たり強いよね? 心当たりは……正直ありすぎてどれか分からないけどさ。
じーっと睨んでみるけど、本人はどこ吹く風。ベースを膝に乗せたままペットボトルのお茶を飲んでる。私もやるけど、けっこー器用なことしてるよね。
「で?」
「え、聞いてくれるの?」
「聞かないと練習に戻らないでしょ。まずはこの前の話じゃない?」
呆れたようにため息を吐くそよりんはお姉ちゃんみたいな優しさがあると思う。あ、これだと私が幼いみたいかな?
「この前ともりんと一緒に買い物してたじゃん?」
「ほんの数日前ね」
「そのとき、ひーくんがともりんに名前で呼んでいいよって言ったの」
「ふーん」
「それでね、ともりん、ひーくんのこと下の名前で呼んだんだよ。『陽向くん』って」
「……そ」
「なんか胸が、ぎゅー……ってなって!」
頭の中で地下駐車場近くみたいなちりちりとした音が鳴り続けて、胸が苦しかった。ひーくんには……バレてないと思う。
そよりんは一拍置いてから、小さなため息をついた。
「嫉妬でしょ」
「え?」
「だから、嫉妬。燈ちゃんが羨ましかったんでしょ」
「えぇ!?」
そんな即答されることある!?
「でも、ともりんだよ?」
「だから?」
「ともりんはともりんじゃん!」
特別人と関わることが上手なわけじゃないのに、いつも間にか人の一番大切なところに優しく触れて、不器用な手つきでばんそうこうを張ってくれるともりん。
「ともりんに怒ってるわけじゃないんだよ!」
「だろうね」
「ひーくんが誰かと友達になってくれるのは嬉しいし!」
「うん」
「それが私の友達……大親友のともりんだったらもっと嬉しいし!」
「うん」
「ひーくん、友達少ないからきっと嬉しいとは思ってるから!」
「それで?」
「だから……」
だから?
そこから先の言葉は出てこない。開いた口は塞がらずに意味のない空気を吐き出し続けてることすら頭から抜けるくらいに、あの瞬間のことを思い出す。
ひーくんが少し照れながら──私にも照れてくれないのに──笑って。
ともりんが勇気を出して名前を呼んで。
なんか、私ひとり置いてかれてるみたいで。
「私が入る場所ないなぁ、って」
ぽつり、と零れた本音。
そっか。
私。
「前まではさ」
自覚しないように、無理やりにでも口を動かす。
「『ひーくん!』って抱きついたりしてたじゃん」
「そうだね」
「でも、今やったらなんか変かなって」
「なんで?」
「だって、もう高校生だよ?!」
「それだけ?」
「えっと……」
「本当に、それだけ?」
「……」
違う。ほんとうは、本当の理由はそうじゃない。
留学で失敗して逃げ帰ってきて。子どものままでいた自分がどうしようもないくらい恥ずかしくなった。
そんな私をなんにも言わず、いつも通りに接してくれる彼を見てるとさ。
”幼なじみだから”に許されていた距離が急に怖くなった。
もし。
きっとそんなことないけど、もしひーくんが嫌だったら。
この関係性を迷惑に思ってるんだとしたら。
そう思ったら、前みたいにはできなくなった。
いつもみたいに抱きつこうとしても、勢いをつけるための一歩が踏み出せない。
「きっと……」
変わっちゃったんだろうな。私。
帰ってきてからすぐは、私はこれまでに甘えられた。
手のひらに収まったスマートフォンにはそよりんに見せようと思ったトーク画面。
私とひーくんの、いつもどおり。
「じゃあ、この大事件を見て判断してよ!」
──《明日買い物行こ!》
──《また? いいよ》
──《荷物持ち必要だからがんばってね!》
──《はいはい》
そよりんが画面を見る。
「…………」
もう一回見る。
「…………」
「どう!?」
「……頑張ったらいいんじゃない?」
そんな投げやりに言わないでよ!
「幼なじみ、だから」
失敗なんてしたくないんだよ。留学の失敗は立ち直れた。でも、それはともりんのおかげだったり、このバンドのおかげだったりするけど……なによりも、ひーくんが傍に居てくれたから。私は素直に自分のやりたいと思ったことに迷いながら歩いていけたんだよ。
そよりんはふっ、と笑う。
「便利だよね」
「え?」
「その、幼なじみって言葉」
優しさも厳しさもない、ただ思ったことを話しているような静かな声だった。
「甘えても、距離が近くても、嫉妬しても、そのひとことで片付けられる」
片付けられた、とそよりんは付け加える。言葉にはしてくれないけど、片付けられなくなっていることを突き付けられた。
返事が出来ない。
留学から帰ってきて。
抱きつくのをやめて。
腕を組むのもやめて。
ひーくんの隣に立つ度に思う。前の私だったらどうしてたかな、離れていっていないかな。それこそ、考えすぎだと自分で分かってしまうくらいに考えている。
失敗したら次があるよ、なんてよく言うけどさ? 失敗したら同じ状況は二度とこなくなる。
もし、彼が離れたら……。ぶるりと震える。あぁ、そっか。
「…………怖いんだ、私」
「やっと本音」
「え?」
表情は変わらないけど、ふありと瞳が優しい色になる。
「その話なら、聞く意味あったかもね」
この話は終わりとばかりにペットボトルをことり、と置く。
「最初からその話出せば良かったのに」
呼び止める言葉が出ないまま、ベースのネックを持ったそよりんが私に振り返る。
「休憩時間終わりだよ」
「うそっ!?」
ここまで話すのだって勇気出したのに!
スタジオの真ん中に歩いていく後ろ姿はなんだか楽しそうだった。
「愛音、チューニング」
ぶっきらぼうなりっきーの声が聞こえた。慌ててギターを構えてピックを手に持つけど、言葉に出来た自分の感情に、頭の中はいっぱいだった。