千早愛音は恋愛弱者である 作:腸煮えくり返り丸抜刀
『ごめんひーくん。風邪引いちゃった!』
今朝送られてきたメッセージにお大事に、と適当なメッセージを返しておく。確か、最近ライブがあったんだったかな。根を詰めすぎて体調を崩してしまったんだろうな。
いつも歩いているはずの通学の足取りが重くなる。なぜだろう、と考えて納得する。
「愛音が居ないからかな」
急ぐ必要がないんだ。元々、朝の早起きだって愛音がそうしていたからなぞるように始めたことだ。肝心の愛音がいないと、早く行く理由もなくなってしまう。
「……なに考えてんだか」
学校に来て自分の席に座っても、今日は愛音が来ないことがしっくりこない。バカは風邪引かない、とはなんだったんだろう。
「おー、なんか気だるげだな」
「……気のせいじゃない?」
「そうかぁ? 授業中に指されて答えられなかったの、入学した時以来だろ」
「……そうだっけ?」
友達の指摘通り、今日は授業中に指名されても答えられなかった。入学当初の自分といえば、ぼんやりとした印象で高校デビューに失敗した記憶がある。
「そうだよ。今日はなんだか静かだし、調子狂うぜ」
「愛音居ないからじゃない?」
愛音が居ない教室は静かだ。休み時間になれば身振り手振りも声も大きい愛音が高松さんのところにいって話を始めるから、今日は相当に平和だ。
おかげで読書が捗る。高松さんは心配そうに愛音の席を見ていたけど……ケロッと帰ってくるだろうし気にしなくていいのに、と思う。
「なんだ、千早ちゃんのことが心配か?」
「それなりには、ね。多分すぐ治ると思うけど、やっぱり友達が来てないと心配にはなる」
図書館に居る顔馴染みの相手だとか、隣のクラスからわざわざ顔を見に来てくれるような知り合いも居ないから放課後になったらすぐに帰る。
特段面白みもない帰宅路を通って扉を開ける。
「……ただいま」
帰宅の挨拶に返ってくる声はない。我が家は両親がともに出張組で、一緒に食事を取ること自体が珍しい。だから、カーテンを開け忘れた日には家の中は真っ暗になる。
「……まぁいいか」
人が来ないなら閉めっぱなしでもいい。鍵を閉めてから、リビングで横になる。普段は愛音がいつ突撃してきてもいいように部屋の中を綺麗にしておくけど、今日はその必要もない。
自由な時間は持て余すものだな、と明日には治った愛音がうるさくするのを想像しながら眠りについた。
『二日目』
「……はぁ〜〜〜〜」
「どうしたんだよ?」
「朝シャワー急いで浴びてきたんだよね……」
今朝は酷い目にあった。風呂に入るのを忘れて就寝したせいで朝から急いでシャワーを浴びる羽目になったし、朝食も登校しながらだった。
おかげで昨日の洗濯物は洗濯カゴに鎮座している。秋だから汗臭くないとは思うけど……出来ればその日のうちに洗ってしまいたかったのに。
特段体調が悪い訳ではないけど、なんとなくやる気が出ない。微妙な倦怠感に顔を顰めながら、普段よりもゆっくりに感じる授業を瞬きも忘れてぼんやり受けているうちに、放課後になった。手元のノートを見てみると、最低限の板書しかしていないうえに文字がぐちゃぐちゃで読めたものじゃなかった。
「なー、陽向。これから男子でカラオケ行くんだけど、一緒にどうだ?」
「あー……」
この頭の働きの悪さは風邪を引いている気がする。
「ごめん。今日は帰って寝るわ」
「なんか珍しいなぁ。体調悪そうだし無理はするなよー。また誘うから、その時来い」
「ありがとう」
「気にすんなって! じゃーなー!」
ぶんぶんと大きく手を振る友人に軽く振り返して帰宅の準備を始める。なんだか以前にも似たようなことがあった気がするな、と思った。
確かあれは……始業式。新しい生活の始まりの時期だ。周囲で同じ方向に歩いていく人々は新品の匂いがこちらまで届きそうなくらい真新しいシャツに、まだ傷ひとつ入っていないローファー。同じ羽丘学院に通う新入生たちを横目に、気の向かない通学路を歩く。
環境が一新されて、良くも悪くも変わるチャンスなのに、頑張ろうという気持ちにならない。校門から足を踏み入れれば、まだ朝早いのに部活動勧誘のチラシを持った人たちが張り切って新入生たちに声をかけている。
そんな光景を見ても、新しい生活に対する期待は湧いてこない。
ぼんやり歩いていると、後ろから声がかけられる。
「なんだお前、シケた面してんなぁ〜。お前も新入生だろ?」
「それなりに新しい生活に期待してるつもりなんだけど……そう見えない?」
「全然? 昼行灯かと思ったよ」
「ひ、昼行灯……」
今では仲良くなったよく話す彼だけど、この時は失礼なやつだと思った。
初対面の人間に言われるってことは、よほどなんだろうなぁ。元々活発な人間でもないけど、あの時なんかあったっけかな。
「それなりに話せそうで安心したわ。同じ学校の連中居なくてさ〜。困ってたんだよ」
「おれで良ければ話し相手になるよ」
「お? マジ? 言ってみるもんだな〜」
「お前中学どこ?」
「袋森中学校。割とすぐそこの学校だよ」
「袋森……なんか、うるさい生徒会長が居たとか聞いたことあるな……」
「あー……知り合いだと思う」
「マジ? 生徒会入ってたやつに聞いたことあるんだよ。シンポジウムやった時にやたら目立ちたがるやつが居た、って話」
「なにやってんの
生徒会でもない人間に知られてるって、なにやらかしたらそうなるんだろう。シンポジウムなんて、ただの討論なんだからうるさい、という評価に落ち着くとは思えないのに。
「そいつはいまどこいんの?」
「ロンドンだったかな……学校まではさすがに聞いてないけど」
「へぇ〜……」
それから、なんでもない雑談をしながら教室に入った。
家で手抜き料理を口に運びながら、ぼんやりと考える。入学当初の自分は今以上に陰気で自堕落な生活をしていた。
いつも騒がしくしていた幼なじみがロンドンに行ってから、自然と千早家の食卓にお邪魔するのも遠慮するようになった。たかだか二ヶ月もない時間愛音が居なくなっただけで、随分な落ち込みようだと自分でも思う。
両親の顔を見るのは一年に数度。そんなおれにとって、千早家は、愛音は姉であり妹だ。留学がなければ、離れることすら想像出来なかっただろう。……まぁ、結果的にはすぐに帰ってきたわけだけども。
だから、やっぱり居ないと落ち着かないんだろうな。