シルフィア・エバンス
彼女はどこにでもいる、サバイバル能力と効率主義が限界突破している逸般人である。
そんな彼女は何故か聖女に祭り上げられてしまった!
何度言っても聞き入れてくれない人々
どうなるシルフィア!
「あの、わたくし聖女でもなんでもないんですけどォーーーッ!!!」
鼓膜を震わせる絶叫。それと同時に、シルフィア・エバンス(十六歳)は、目の前で涙を流しながら祈りを捧げていた白髪の神官長の胸ぐらを掴み、思いきり前後に揺さぶった。
ガクガクと脳を揺らされながらも、神官長は狂信的な目をギラつかせ、恍惚とした表情で彼女の手を握り返してくる。
「おお……なんと、なんと情熱的な聖なるお言葉! 我が国の危機に、ついに天から『癒やしの聖女』が舞い降りたのだ! その神聖なる魔力、そして何よりその尊き美貌、間違いない!」
「耳ついてます!? 今『違う』って言いましたよね!? これ、本日記念すべき五十回目の訂正ですよ!?」
「ああ、なんと謙虚な……! 自らを聖女ではないと言い張るその奥ゆかしさ、これぞまさに本物の証!」
「話が通じねえええええ!!」
シルフィアは天を仰いだ。
彼女はどこにでもいる、ちょっと……いや、かなりサバイバル能力と効率主義が限界突破している一般人である。
ただ、この異世界に迷い込んだばかりの「行き倒れ」だった。お腹が空いて路地裏で倒れていたら、なぜか足元に謎の魔法陣が起動し、眩い光に包まれた。次の瞬間には、この豪奢な大聖堂の祭壇に転移していたのだ。それだけの話である。
しかし、周囲の盛り上がりは完全にブレーキが壊れていた。
神官長に引きずられるようにして、シルフィアは城の巨大なバルコニーへと連れ出された。
「ご覧ください、聖女様! 我が領民たちの祈りを!」
バルコニーから見下ろした景色は、文字通りの『地獄』だった。
眼下に広がるのは、干からび、どす黒く変色し、不気味な黒いモヤが立ち上る大地。魔王軍の残党が放った『瘴気の呪い』のせいで、作物が一切育たない暗黒の荒野と化してしまったらしい。
そこへ、何千人もの領民たちが泥にまみれ、すがるような目でバルコニーのシルフィアを見上げている。
「聖女様……! どうか、どうか俺たちをお救いください……!」
「子供たちがもう、三日もまともなものを食べていないんです……!」
悲痛な叫びが地響きのように押し寄せる。
そしてその先頭には、目の下にもの凄まじい死相(隈)を刻み込んだ、超絶イケメンが立っていた。彼こそが、このグランゼール辺境領の主――アルベルト辺境伯である。
「聖女シルフィア様、我が命に代えても君をもてなそう……だから、どうか我が領に慈悲を……」
アルベルトは蚊の鳴くような声でそう言うと、そのまま糸が切れた人形のようにガクッと膝をついた。完全に過労死寸前である。生真面目すぎる性格が災いして、領民のために寝食を忘れて働き詰めだったらしい。
「さあ聖女様! その『聖なる祈り』の奇跡で、この枯れた大地に瞬時に緑を戻すのです!」
神官長がここぞとばかりに聖書を掲げる。
シルフィアは、盛大にため息をついた。
(はぁ……。祈っただけで植物が生えるなら、農家は苦労しないでしょ。それに、私は聖女なんかじゃない。ただの――)
だが、ここで「できません、帰りまーす」と言えば、一瞬で「神を騙った詐欺師」として処刑されかねない空気だ。何より、さっき城の厨房でこっそり食べさせてもらったお粥が、出汁が効いていて大変美味しかった。食い物の恩義は、伊達に重い。
シルフィアは腹をくくった。
フリルまみれの聖女装束の裾を思い切りたくし上げ、生白い太ももを露わにしながら、バルコニーの手すりに片足をかける。
「いいでしょう! そこまで言うならやってやりますわ!」
「おおお、ついに聖女様が祈りを……!」
「勘違いしないでよね! 聖女の奇跡なんて一ミリも見せられませんが――このクソッタレなドブネズミの巣窟(枯れ果てた大地)を、根性ごと叩き直して差し上げますわ!!」
「「「……え?」」」
辺境伯も、神官長も、何千人の領民たちも、聖女にあるまじきヤンキー全開の暴言に、完全にフリーズした。
◆◆◆
翌朝。
グランゼール辺境領の中央広場には、異様な光景が広がっていた。
シルフィアは、昨日のフリルドレスを粉々に引きちぎって(動きやすく改造して)、頭に手ぬぐいを巻いた完全な作業スタイルで立っていた。その手には、城の武器庫から強奪してきた、鈍い輝きを放つ巨大な『鍬(くわ)』が握られている。腰には、なぜかもう一本、予備の鍬が差さっていた。
「せ、聖女様……? そ、その格好は一体……? 聖なる儀式のための正装ですか?」
おそるおそる尋ねるのは、一晩寝て少しだけ隈が薄くなったアルベルト辺境伯だ。しかし、彼の両手には、なぜかシルフィアから強制的に握らされたもう一本の重い鍬がある。
「アルベルト様。私は聖女ではありません。徹底的な『効率主義者』です。いいですか、この土地が枯れているのは呪いのせいじゃありません。単に魔力の循環が滞って、土壌が極端な酸性に傾いているだけです。つまり――」
シルフィアは一歩踏み込み、手にした鍬を大地のド真ん中に向かって思い切り振り下ろした。
ドォー―――ン!!!
爆音。そして、凄まじい衝撃波。
中央広場の地面が、まるで大怪獣が足掻いたかのように直径十メートルにわたって爆ぜ、ひっくり返った。深層にあった綺麗な、湿り気のある土が、どす黒い表土を飲み込んで表面に現れる。
「耕して、混ぜて、中和すれば直ります!!」
「な、なんだってええええええーーー!?」
後方で見ていた神官長が、文字通り目を丸くして叫んだ。
シルフィアがやったことは極めてシンプルだった。彼女は「聖なる祈り」を捧げる代わりに、自身の規格外の魔力を『物理的な破壊力(動力)』へとダイレクトに変換したのだ。
「ほら、アルベルト様もボサッとしないでください! 上級魔法『エクスプロージョン』を起動して!」
「え!? ここで爆発魔法を!? 領民が死んでしまう!」
「馬鹿言わないでください! 威力を拡散させるからダメなんです! 術式を細分化して、鍬の先端に集中させ、土壌の反転に使用するんです。あなた、魔力だけは無駄に余ってるんだから、私の指示通りに右足から魔力を大地に叩き込んで!」
「こ、こうか……!? エクスプロージョン・ドライブ!」
ドガァン!!
アルベルトが鍬を振るうと、シルフィアの術式制御のおかげで、完璧な角度で土がひっくり返った。
「素晴らしいわ、アルベルト様! 筋がいい! これぞ『魔力式・超高速深層耕起法』ですわ!」
「なるほど……! 魔力をただ放射するから呪いに負ける。だが、密度を極限まで高めて土の分子の隙間に叩き込めば、瘴気ごと土を反転できるのか……!?」
「そう! 理解が早くて助かります! はい、次のタスク!」
シルフィアの容赦ないディレクション(現場監督)が響き渡る。
もともと生真面目な仕事人間だったアルベルトは、シルフィアの「無駄が一切ない、徹底的に効率化された作業工程」を見るうちに、完全に脳内麻薬が出始めていた。システムが噛み合えば、この男は誰よりも動く。
「次! そこの騎士団! そこに転がっている魔獣の骨を集めなさい! それ、ただの不気味なゴミじゃなくてカルシウムとリン酸の塊です! 細かく粉砕して、教会の『聖水』で3時間煮沸!」
「聖、聖水を肥料の煮込みに使うのですか!? 神の冒涜だ!」
「うるさい神官長! 神の恵みを最大限に有効活用して何が悪いんですか! ほら、煮汁から出たアミノ酸が土の微生物を活性化させるのよ! やんなさい!」
「は、はいぃぃっ!」
シルフィアの圧倒的な物理パワーと理路整然とした(?)暴論の前に、辺境の魔術師も騎士も、動かざるを得なくなった。
「シルフィア殿、東側の区画は魔力の滞留が特に酷い。ここは風魔法で空気の通り道を作り、排水性を高めるべきだな?」
「完璧ですわ、アルベルト様! ついでに西側には水路を引きます。領民全員を四つの班に分けて、タスクを割り振ってください!」
二人の息は完璧に噛み合っていた。
ただの「祈るだけの聖女」を求めていた領民たちも、目の前でガリガリと開墾されていく大地と、みるみるうちに生き生きとしていく(仕事が楽しすぎてハイになっている)領主の姿を見て、気づけば全員が鍬やシャベルを握りしめていた。
「聖女様が、俺たちのために土を引っ返してくれたぞ!」
「うおおお! 呪いなんて、物理で踏み潰せーーーっ!!」
(……いや、だから聖女じゃないって言ってるんですけどね)
シルフィアは額の汗を拭いながら、まあ効率よく進んでるからいいかと、不敵に笑った。
◆◆◆
開墾を始めて三日目。
グランゼール辺境領の土壌改革は、ついに最終段階を迎えていた。どす黒かった大地は、今やふかふかとした黄金色の極上土へと生まれ変わっている。
あとは明日の朝、一斉に『魔力麦』の種を撒くだけ。
誰もがそう安堵した瞬間、地平線の彼方から不穏な黒い雲が湧き上がった。
「ほ、報告ゥーーーッ!! 東の森より、魔王軍の残党――『瘴気の魔侯』率いる混成部隊が接近中! その数、約五百! 凄まじい瘴気を撒き散らしています!」
物見の騎士が悲痛な声を上げる。
せっかく耕し、肥料を撒き、完璧に整えた大地に、再びあの不浄な『瘴気』が迫っていた。
「おのれ、魔王軍め……! 我らの血と汗の結晶を、また踏みにじる気か!」
アルベルトが激昂し、剣を抜く。領民たちの間に最悪のパニックが広がりかけた。
だが。
シルフィアだけは、凍りついたような冷たい目で、東の空をじっと見つめていた。
「……は?」
彼女の口から、地を這うような、地獄の底から響くような低い声が漏れる。
「今、なんて言いました? 魔王軍?」
「シルフィア殿、ここは危険だ! 君は城の奥へ――」
「ふざけないでください」
シルフィアがドスドスと一歩、前に出た。
その背後から、尋常ではない密度の青白い魔力が立ち上る。それは神聖な「聖気」などでは断じてない。純粋に圧縮されすぎた、殺意に近い「圧倒的な熱量」としての魔力だった。
「私のスケジュール(進行管理)がどれだけ過密か知っているんですか? 今日中にこの区画のpH値を安定させて、明日の朝一番に種を撒くって決めてるんです。それを……あの害虫ども、また土を汚しにくるわけ?」
「シ、シルフィア殿、キャラが……いや、顔が魔王より怖いぞ……!?」
「アルベルト様、迎撃の陣形を。私が前衛(デバッガー)を務めます。皆様は、飛び出してきたゴミの処理だけをお願いします」
シルフィアは、昨日神官長から「これだけでも持ってください」と押し付けられた『聖女の杖』(純金製の無駄に重い杖)を両手でしっかりと握り直した。構えは完全に、大剣のそれである。
森を割り、醜悪な魔獣たちと、黒い霧を纏った魔侯が現れた。
「ハハハ! 人間どもめ、再び絶望を――」
「うるさい、この害虫がァ!!」
シルフィアが地面を蹴った。
ドォン!!! とソニックブームを巻き起こし、彼女の姿が消える。
次の瞬間、魔獣の群れのど真ん中で大爆発が起きた。シルフィアが「聖女の杖」を容赦なく地面に叩きつけたのだ。ただの打撃ではない。杖の先端から、超高密度の熱魔法が「杭」のように地中に打ち込まれ、地盤ごと魔獣数十匹を消滅させた。
「ギ、ギエエエ!? 聖女って、もっとこう、結界とか祈りとか優雅なものを――」
「これが私の結界(物理的排斥)よ!!」
シルフィアの杖が、凄まじい風切り音を立てて魔獣の首を次々と刎ねていく。
その動きには一切の無駄がない。最短距離、最小の魔力消費で、最大の殺傷効率を叩き出す。その姿は、聖女というよりは戦場を統べる死神だった。
「アルベルト様! 右翼から漏れた三匹、そっちに行きました! 三秒で片付けて!」
「わ、分かった! ……者共、聖女(?)に続け! 我らの畑を守るのだ!」
領主と騎士団も、シルフィアの圧倒的な戦闘効率に引っ張られるようにして、信じられない速度で魔獣を各個撃破していく。
「お、おのれぇ……ならばこの最大最強の瘴気で、すべてを枯らし――」
魔侯が最後の悪あがきとして、巨大な黒い魔力球を放とうとした。
「遅い」
シルフィアは杖を投げ捨て、腰から「予備の鍬」を引き抜いた。
そして、魔侯が放とうとした瘴気の球体に、鍬の刃を真っ向から叩き込んだ。
「概念ごと、耕されなさい!!」
「な、何ィ!?」
魔力の塊であるはずの瘴気が、シルフィアの規格外の魔力を乗せた鍬によって『物理的に粉砕』され、四散した。
それだけではない。散らばった瘴気は、シルフィアが事前に空間に散布しておいた「アルカリ性の聖水肥料」と空気中で混ざり合い、急激に中和されていった。
黒い霧が、まばゆい光の粒子へと変わる。
「ば、馬鹿な……呪いが……浄化、された……?」
「いいえ、中和です。はい、お疲れ様でした」
シルフィアの鍬が、魔侯の胸元にクリーンヒットした。
魔侯は光の塵となって消え去り、あとに残ったのは、なぜか信じられないほどサラサラとした、極上の「黒土」だった。魔侯の莫大な魔力が、シルフィアの手によって『一瞬で最高級の有機肥料』へと変換されたのだ。
静寂が訪れる。
魔王軍五百の軍勢は、わずか十五分で、文字通り「土に還った」。
◆◆◆
「……完璧ですわ」
シルフィアは、見事に中和され、ふかふかになった東の区画を見渡して、満足そうに微笑んだ。
その背後では、アルベルト辺境伯をはじめ、騎士も領民も神官長も、全員が言葉を失ってへたり込んでいた。彼らの目にあるのは、もはや敬意を通り越した「畏怖」、そして絶対的な「信仰」だった。
「シルフィア殿……君は、本当に……」
アルベルトが、泥だらけになりながらも、どこか晴れやかな顔で彼女を見上げる。その隈の酷かった顔には、今や健康的な赤みが戻っていた。
「何度も言っていますが、私は聖女では――」
「いや、君が何者であっても構わない」
アルベルトは立ち上がり、シルフィアの前に跪いた。
そして、一人の男として、彼女の手を優しく取った。
「君は我が領を、私を救ってくれた。この枯れ果てた地を、たった三日で豊かな実りへと変える希望をくれたんだ。お願いだ、シルフィア。これからも私の側で、この領地を……我が国を、共に導いてくれないだろうか」
「(……うわ、事実上のプロポーズじゃない、これ)」
周囲の領民たちから、地鳴りのような歓声と拍手が沸き起こる。
「聖女様!」「いや、俺たちの開墾の女神様だ!」「辺境伯様とお似合いだぞ!」
シルフィアは、赤くなるのを誤魔化すように、ふいと顔を背けた。
だけど、差し出されたアルベルトの手は、この三日間、共に泥にまみれて戦った「信頼できる仕事仲間」の手だ。効率的な領地経営のパートナーとしては、これ以上ない人材だった。
「……勘違いしないでくださいね、アルベルト様」
シルフィアは、不敵に、だけど少しだけはにかんだ笑みを浮かべて、彼の手を握り返した。
「私は聖女でもなんでもありません。ただの、めちゃくちゃ仕事に厳しい、あなたの『専属プロデューサー』ですから。明日からの種まき、寝坊したら容赦なくエクスプロージョンで叩き起こしますわよ?」
「ああ、望むところだ。我が最高の『聖女』様」
こうして、聖女ではない「効率主義」の少女によって、辺境領は王国一の肥沃な大地へと生まれ変わっていく。
彼女が「私は聖女じゃない」と言えば言うほど、周囲の信仰心が跳ね上がっていくのは、また別のお話である。