ノーブレス・オブリージュ   作:護身用の道具

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第8話 『疑念とピザと、狂信と』

鼻腔をくすぐる茹でたてのパスタと、チーズの焦げた香ばしい匂い。

トラットリア・マルゲリータの店内には、数日前にラグーナの運命を左右する激戦があったのが嘘のような、ありふれた喧騒が満ちていた。

 

雲中庭園で戦った後、オレはそのまま気を失ったらしい。

目を覚ましたのは、下宿先のローズマリーの薬屋、その一室のベッドの上だった。

 

ずっと付き添ってくれていたというフィービーから、事の顛末は聞かされた。

 

ローレライが『残響組織』なる連中によって無理矢理暴走させられていたこと。

彼女がフィサリアの文献通りに歳主によって作られ、知性を与えられた存在だったこと。

そして――歳主との接続は既に断たれており、今はカルネヴァーレの最も盛り上がる時にのみ、接触できる可能性があるということ。

 

どうにも腑に落ちない。

断たれている、ということは既に歳主は……。

 

フィサリアが守る真の信仰と、それを食い荒らす鳴式。歳主の力を取り戻すために犠牲を払い続けてきた歴史。

ファミリーを蝕む毒をどうにかしたいと思ったことは一度や二度ではない。

 

どれだけ違う法則で生きていた記憶が残っていても、オレには何もできなかった。

 

歳主との接続は、既に断たれている。

 

なら、これまでファミリーが負ってきた疵は何だったんだ?

 

……カンタレラは一体オレに何を隠している?

 

「はぁ、考えてても埒が明かないな」

 

泥濘のような思考を一度リセットするべく、オレは熱いラグーナエスプレッソを喉に流し込んだ。

喉を抜ける苦みが鈍った脳を覚醒させる。

 

「……体調は、本当に大丈夫なのですか?」

 

テーブルの向かい側から、心配そうな声が届く。

運ばれてきたコーヒーに手も付けないまま、フィービーがじっとオレの顔を覗き込んできた。

 

「今のところは、大丈夫だ」

 

実際に目覚めて以降、いつもの囁きは不自然なぐらい聞こえてこない。

 

「お前がオレをすぐにローズマリーのとこへ運び込んで、付き添ってくれたおかげだろう。ありがとう、フィービー」

 

「……お礼なら、ブレノにも言ってあげてください。一人だと、難しかったですから」

 

「あぁ、今度会ったらお礼を言っておく」

 

……この幼馴染の怪力なら、一人でも運べそうな気もする。

 

「それより、もう昼だ。飯にしようぜ」

 

未だに硬い表情を崩さないフィービーを尻目に、オレは机の上のメニューに目を落とした。

様々なピザやパスタ、ステーキなどの文字が並ぶ中、オレはある一つの品に目を留める。

以前ここでザンニーと出会った時、奴が美味そうに貪っていたピザだ。

 

フィービーも注文を決めたようで、通りかかった給仕を呼び止める。

 

「すみません、この『ピザ・トロピカーレ』を――」

 

「ティコくん?」

 

脳が直感的に警告を鳴らした。

周囲の喧騒が遠のき、気温まで下がったような錯覚を覚える。

 

かつてのモンテリとの抗争の時に浴びた凄絶な殺意。

数日前、ローレライとの戦闘で感じた死の危機。

それらを遥かに上回る純粋な『狂気』が、目の前の幼馴染から静かに立ち上っていた。

 

先程までの心配そうな顔はどこへいったのか。

 

「存在しないピザの名前を言って、お店の人を困らせてはいけませんよ?」

 

「……は? メニューに書いてあるだろうが。何を言って――」

 

「書いてありません」

 

「いや、ここに」

 

「書いてありませんよ?」

 

フィービーは、にこやかに微笑んでいた。

……光彩の消えた、光の届かない深海の底のような瞳をしているが。

 

「最後の警告です。このままではわたしは君を罪人として扱わなければなりません」

 

「ざい……にん……?」

 

「意図して虚偽を流布し、ラグーナの食文化を混乱に陥れようとすることは重罪です。わたしは君に、罪を犯してほしくありません」

 

オレの背筋を、どっと冷たい汗が伝っていく。

目の前の幼馴染が、教団の最も冷酷な一面たる、狂信的な『審問官』の目をしている。

 

冗談には見えない。

 

こいつは、本気だ。

 

「い、いや、待てフィービー。ただの南国風のピザだ。パイナップルの甘みが――」

 

「ピザにパイナップルを乗せたような冒涜的な存在が、このラグーナに存在するはずがありません。仮にあるとすれば、それは伝統に対する明確な宣戦布告であり悪魔の所業です」

 

自慢ではないが、フィサリア当主の息子として生まれてから、多少なり様々な経験は積んできたはず。

もしかしたらここまで明確に恐怖を感じさせられるのは、初めてかもしれない。

 

「これ以上その不浄な単語を口にするなら、わたしは今すぐここに本職の審問官を呼びます。……今すぐに、です」

 

「……分かった。オレの間違いだ。忘れてくれ」

 

乾いた声を絞り出すのが限界だった。

 

ファミリーの拷問官だって、裏切り者を吊るす時でさえ多少は人間味のある目をする。

目の前でオレを見つめる瞳には、一切の交渉の余地を感じさせなかった。

 

「ご理解いただき何よりです。それではこの、昔ながらの窯焼きピザにいたしますね」

 

何事もなかったかのように微笑む幼馴染。

 

オレは震える手で、既に冷めかけたエスプレッソを啜るしかなかった。

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