寮の自室に帰ってくると、俺のベッドに制服姿の小柄な銀髪少女が横になっていた。
うつ伏せで。枕に顔を埋めて。
「すぅ、はぁ」
枕を両手でしっかりと抱えて、深呼吸を繰り返している。
「えっと、
「あら、おかえりなさい。
「え、うん。ただいま」
俺の声に反応してむくりと跳ね起きた変態――もとい
「どうかなさいましたか?」
「え? 今のなかったことにできたと思ってる?」
嘘でしょ。普通に現行犯だよ。
「今の、とは? よくわかりませんが」
「ええ……」
「まあ、立ち話も何ですから、こちらにどうぞ。ゆっくり寛いでください」
「ここ俺の部屋なんだけど!?」
俺の突っ込みにも構わず、有栖はにこやかな表情でベッドをぽんぽんと軽く叩いている。マイペースすぎる彼女を見てそっとため息を吐きつつ、俺は鞄を学習机に置くと、促されるままベッドに腰を下ろした。
そのとき、俺は有栖から一人分の幅を空けて座ったはずなのに。
「やはり、こうしているときが一番安心しますね……」
一瞬で距離を詰められ、腕に抱きつかれた。
これはしばらく放してくれなさそうだ。俺は観念して、有栖に身を委ねた。
すると、有栖は遠慮なく俺の腕に顔を埋めたり、擦りつけたりした。マーキングかな? 小柄で可愛らしい有栖にそんなことをされていると、まるで猫のようだなと思い、俺は有栖の頭を撫でた。
「ふふ……」
と嬉しそうに目を細める有栖。肌が白くて、幼くも非常に整った顔立ち。綺麗な銀色の髪も相まって人形めいた美しさを感じるけど、人形にはない感情を昂らせ、目に見えて頬を赤く染め上げている。
時計の音が響く部屋の中、俺は有栖と互いの温もりを感じ合った。
そろそろいいかな、と俺は有栖のほうへ顔を向けた。
「ん……」
目を閉じて、唇をこちらに向ける有栖の顔が映った。
キスを待たれている。時折片目を開けて、様子を窺われている。
「あの、有栖……?」
「ん……」
「最近キスの回数が極端に増えていると思うんだけど……」
「ん……」
「もう少し回数を減らして、健全なお付き合いをしたいなと、そう思うわけで……んぅっ!?」
いろいろと言い訳を並べていると、有栖に唇を奪われた。小さくて、柔らかい。じんわりと伝わってくる唇の温かさに気が緩みそうになる。
しかし、唇を開かないように注意する。少しでも開いてしまえば、有栖は確実に舌を差し入れてくる。そして、そこから流れるように大人の男女間での濃厚な愛情表現(婉曲表現)へと発展してしまう。
数日前のベッドでの行為を思い出し、俺は赤面しつつ、唇をしっかりと閉ざした。
「……頑なですね?」
キスが終わって顔を離すと、有栖はほんの少し不満そうだった。
「高校生としては、これくらいが普通かと……」
俺たちは付き合っている。だけど、世間的な身分は高校生だ。それも、今月入学したばかり。
十五、六歳の少年少女が、不用意に大人の世界に飛び込むべきではない。もう人には言えないようなことをしてしまっているので、今さらかとは思うけど。このままこの戯れを続けていたら、後戻りできない深みに嵌まってしまいそうだ。
「あと、恋人として、もっと大切にしたいから――」
少し恥ずかしく感じながらも俺が必死に言葉を紡いでいたとき、
「あの、人の話聞いてる?」
俺の股間へ伸びようとしていた有栖の手を、寸でのところで掴んで止めた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、またしても現行犯だから。言い逃れできないから」
俺に手首を掴まれているのに、抵抗をやめない。
「伊織くん」
「はい」
「バレなければ犯罪ではないんですよ?」
「現行犯って言ってるでしょ!?」
こんなに堂々とした犯人は初めてだ。開き直って強硬策に出ている。
もっとも、女子の中でも極めて貧弱な部類の有栖が、俺に勝てるわけがないのだが。
それでも抗おうと、有栖は躍起になっていた。
その姿を見ていると、どこにでもいる普通の少女だ。
でも、普通の少女と表現するには、有栖はあまりにも非凡だった。
有栖は自他共に認める、紛うことなき天才だ。同年代の高校生を軽く凌駕する知性。他者を従え、手足のように扱う統率力。杖がなければ歩けないという身体的なリスクを補って余りある高水準なそれらの能力によって、有栖は所属している一年Aクラスで早速優位に立っていた。
Aクラスのリーダー、と呼ぶにはまだ早いか。クラスには有栖以外にもリーダー気質のある
ちなみに俺個人としては、葛城くんや、彼の友人である
「今日はこの辺りにしておいてあげましょう」
「三下の捨て台詞」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何も……」
有栖が抵抗を始めて一分と経たないうちに決着がついた。勝者、俺。
貴重な白星だ。有栖の得意分野、たとえばチェスなどでは有栖に負け越しているし。たまに勝つこともあるけど、悔しがる有栖によって何度も勝負を挑まれて、その後何度も敗北を味わわされ、ドヤ顔されることが多い。
ともあれ、有栖が俺を襲うことを諦めてくれたようで何よりだ。
「ところで、何か用事があったんじゃないの?」
放課後、俺は有栖とは別行動でカフェに直行した。その後に用事があるとは聞かされておらず、合い鍵を使って俺の部屋に侵入していた有栖を見たときは少し驚いた。驚きの大半が、有栖の奇行によるものではあるけれど。
「用がないと来てはいけないのですか? 恋人なのに?」
「来てはいけないということはないけど……」
心の準備とか、部屋の掃除とかいろいろある。
「では構いませんね?」
有栖はそう言って、俺の腕に顔を埋めた。今日はもう襲われる心配はなさそうだけど、距離は相変わらず近い。髪からいい匂いが漂ってくるし、腕に密着する体は柔らかい。胸は慎ましいけれど――そんな心を読まれて腕を軽く抓られて痛かった。
「それで、用件なのですけど」
「結局用件はあるんだ……」
「今度、学校中の施設を見て回りたいと思いまして」
「なるほど?」
俺たちが通っているここ、高度育成高等学校の敷地内には、様々な施設が存在する。さっき行ったカフェとか。カラオケ店や映画館とか。そういった娯楽施設はもちろん、生活に必要なものが揃えられる商業施設は全部あって、敷地内だけで生活に困らない。というか、敷地内からは出られないので、困らないように作られている、という表現が正しい。
高育は全寮制で、許可なく敷地内に出ることは許されていない。敷地外にいる人間、たとえば実家に連絡することも許可されていない。60万平米という広大すぎる敷地故に忘れてしまいそうになるけど、一応は学校という閉鎖的な空間の中に俺たちはいる。
「どこか行きたいところはあるの?」
「今は具体的にはありません。ただ、今後の学校生活において、何かとお世話になることも多いでしょうし。ときには交友を深める場として。時には他人を陥れる場として」
「確かに知っておいて損はないね」
いずれはクラス中の生徒と仲良くなる予定だから、いろいろなお店を頭に叩き込んでおかないと。
「はい。ですので、これから時間があるときに二人で少しずつ探索をしましょう」
と、有栖は言ったけど、果たして大丈夫なのだろうか。
「探索ってことなら、俺一人でも良いのでは?」
目的もなく練り歩くのは、有栖には辛いと思う。俺が背負うのもありかとは思うけど、生徒にその姿を見られるのを有栖は良しとしないだろう。そうなると、俺一人で探索をして、後で情報を有栖に共有するほうが良いように思えた。
「……男性一人では気づかないこともあるでしょう。女性目線も必要かと」
何故だろう。有栖の機嫌が少し悪くなった気がする。
「それもそうだね。それじゃあ、
最近友達になったばかりの同じAクラスの
有栖の頼みということであれば、手伝ってくれるかも。
とか思いながら、有栖の目を見た俺は、
「はっ……」
思わず声を上げた。
いつも可愛い有栖。普段ジト目に近いその眼が今は大きく見開かれ、髪色と同じ瞳には、一縷の光も宿さない深い暗闇が広がっていた。コーヒーのような深みのある漆黒。見つめていると、こちらの心が引きずり込まれそうな感覚に陥る。
さては、俺はまた選択を誤ったな?
そう悟った俺は額に人差し指を当て、思考を巡らせた。急いで何とかしないと機嫌がさらに悪くなるぞ、という焦燥感に駆られて、まだ幼い頃に有栖と初めて出会った頃の記憶まで呼び起こされる。走馬燈のようにあらゆる記憶が洪水のように脳内を駆け巡る中、俺は回答を導き出した。
「……俺たち二人で行こうか!」
「はいっ」
瞳の暗闇から光が生じ、表情に満開の笑顔が咲き誇る。
それを見て、俺はほっと安堵した。
有栖はたまに機嫌が物凄く悪くなることがある。今回も、俺が機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのだろう。何故怒らせたのかはまだよくわかっていないが、最初に有栖が言った通り、有栖は俺と二人で行きたかったらしい。
納得の行く答えを得た有栖は、今も微笑んでいる。
ただ、まだ怒っているのが雰囲気から感じ取れた。
有栖の動向をビクビクしながら見守っていると、有栖が俺の耳元へ口を近づけた。
ああ、この流れはいつものだ。
「あなたは私だけのもの」
囁かれる。
「絶対に誰にも渡さない。絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に、誰にも誰にも誰にも誰にも誰にも」
ウィスパーボイスで。
「死ぬまで、死ぬときも、死んだ後もずっと一緒」
とても可愛らしい声でそんな風に囁かれると、気が緩んでしまう。ちょっと言っていることが物騒だとは思うけど、有栖なりの冗談だ。有栖はこういう可愛い一面があって、昨日も、神室さんに耳元で何か怖いことを囁いたようで、神室さんを青褪めさせていた。それからちょっと神室さんから距離を取られているようなのは少し気になったけど、多分気のせいだ。
有栖の両手が俺の体に巻きつく。より近くで、耳に唇が触れる距離で囁かれる。
「永遠に一緒です」
「うん、そうだね。ずっと一緒だね」
恋人に耳元で可愛く囁かれ、変な気分になるのを堪え、俺は有栖のしたいようにさせた。
俺に密着して体を擦りつけてくる有栖。
指を絡めて手を握ってくる有栖。
俺の首筋に顔を埋めてくる有栖。
俺の股間に手を伸ばしてくる有栖、
「あ、それは駄目だからね」
をギリギリで阻止すると、有栖は不満そうに頬を膨らませた。油断も隙もないけど、こういうところがまた可愛い。俺は恋人の可愛い一面を再認識し、たまにはこっちから攻めようと思って、耳元で愛を囁いた。
「っ……」
直後、言葉にならない声を上げて、有栖は腰砕けになった。
自分で攻めてきた割には、攻められると案外脆い。
そんな一面も可愛くて、俺はさらに有栖への愛情を深めた。