NARUTO 甲蟲伝 作:ヘビトンボ
昨日の夜、誤って作成中の章を投稿してしまったようです。ご迷惑をおかけしました。
第十三章『蟲と獣』
001
新居に用意した、大蛇丸の実験場を彷彿とさせる一室で、マユは自身の肉体を見つめ直していた。
死の森の広大な敷地を貸してもらったおかげで、蟲たちの品種改良や育成は万全に進めることができている。大戦後に新しく開発した術も含め、懸念していた呪印の制御も驚くほど順調だった。
だが……マユには、どうしても拭えない焦燥感があった。
(術や蟲の進化に対して、私自身の『基礎体力』が、まだ全然追いついていない……)
鏡に映る自分の身体は、大蛇丸に出会った頃の走ることすらままならなかった虚弱な状態に比べれば、見違えるほど健康的になってはいる。だが、現状のマユの強さは、いわば呪印の爆発的なチャクラの底上げに「依存」している状態だった。
たとえば、自身の暗殺体術である『蜂突』。
あれは呪印による身体強化があって初めて完成する絶技であり、今のマユが生身の状態で使おうとすれば、速度も威力もガタ落ちするだけでなく、自身の肉体がその負荷に耐えきれずに怪我をしてしまう。
(私は蟲使い。本来なら、前線で肉弾戦を繰り広げる必要なんてないのかもしれないけれど……)
脳裏をよぎるのは、あの第四次忍界大戦、雲隠れの「キラー・ビー」との死闘だ。
あの規格外の力を前にした時、もし自分に、呪印に頼らない純粋な筋力と体術の基礎が備わっていれば──あの攻撃をいなして、別の致命的な一手を返せていた場面が何度もあったのではないか。そう振り返らずにはいられない。
『……マユ、貴女のチャクラや蟲が持つエネルギーの総量に反して、貴女の肉体の器がまだ追いついていないわ』
かつて大蛇丸に冷徹に指摘された言葉が、呪いのように耳の奥で再生される。
大蛇丸の実験によって得た呪印という歪な力ではなく、自分自身の「生身の器」をどうやって底上げすればいいのか。どうすればこの肉体的な限界を改善できるのか。
部屋の机に突っ伏し、あれこれとトレーニング理論の書かれた巻物を広げながら考えを練るものの、暗殺術と術理ばかりを叩き込まれてきたマユには、純粋な「基礎体力の向上」というアプローチの正解が分からなかった。
「はぁ……。考えてもキリがありませんね。少し、外の空気でも吸いましょうか」
鬱々とした思考を振り払うように、マユは立ち上がった。
(基礎体力を鍛える、と言っても……)
かつて所属していた『根』の施設に行けば、効率的な肉体鍛錬のノリやプログラムはいくらでも転がっているだろう。だが、マユはすぐにその選択肢を切り捨てた。ダンゾウという男は、こちらが少しでも頼れば、それを何倍もの『貸し』として回収しにくる。あの老人には、もう一歩たりとも弱みも義理も作りたくない。
(となると、残るは……アンコ先輩、でしょうか)
かつて大蛇丸の弟子だった繋がりもあり、気にかけてくれる数少ない年上の女性。だが、彼女に「どうすれば筋肉がつきますか」と相談している自分の姿を想像し、マユは思わず頭を振った。おそらく笑い飛ばされながら、団子を口に突っ込まれるのがオチだ。
(……私の人間関係、狭すぎませんか)
自分の孤立っぷりに、少しだけ自嘲気味なため息が漏れる。大蛇丸の実験室と『根』の暗闇、そして戦場しか知らなかったのだから無理もない。
──ドゴォオオオオンッ!!!
「なにごとですか!?」
突然、新居のすぐ外から、地面が陥没したかのような凄まじい大音が響き渡った。
瞑想や思考を強制的に中断されたマユは、素早く玄関の扉を蹴るようにして開け放った。
「うぉぉぉおおおおおおおっっっ!? 助けてくれカカシぃいいいいいいい!!!」
目の前に飛び込んできたのは、奇妙な絶叫を上げながら死の森の巨木の間を猛スピードで逃げ回る、緑色の全身タイツを着たおかっぱ頭の少年だった。自分と同世代くらいだろうか。
その背後から、凄まじい質量感をもって突進しているのは、マユが品種改良を重ねて育て上げた愛蟲の一匹、巨大なクワガタの『カブト丸』だった。強靭な大顎をカチカチと鳴らし、猛烈な勢いで少年を追尾している。
(カブト丸……!? どうして……)
マユは困惑に眉をひそめた。里の人間を無闇に攻撃するなときつく言い含めてあるはずだ。考えられるのは、カブト丸が先に攻撃を受けた場合だけ。
「侵入者……ですか?」
すわ他里の忍が侵入したのかとも考えたが、よく見ると、彼の腰には木ノ葉の額当てが巻かれている。
(……木ノ葉の忍? ますますワケが分かりません)
とりあえずマユは口元に指を当て、特殊な口笛を短く吹いた。その音を聞いた瞬間、カブト丸はピタリと動きを止め、マユのいる玄関先へとスルスルと戻ってきた。
「お、おおお……? 止まった……!? た、助かったぁあああ……死ぬかと思った……!」
追っ手が消えたことで、少年はその場にズザザザと派手にスライディングしながら止まり、大げさに胸を撫り下ろした。
「……カブト丸、大丈夫ですか?」
近くでぜぇはぁと激しく息を切らしているおかっぱ頭の忍を完全に尻目に、マユはまず、自分の元へと戻ってきたカブト丸の心配をした。
自宅の地下から連れ出し、戦場で共に駆け抜けてきた大切な家族であり戦友だ。マユは冷徹な元『根』の忍としての顔をどこかへ置き去りにして、愛おしそうにカブト丸の巨体に触れる。
だが、その全身をくまなく点検していたマユの手が、ある場所でピタリと止まった。
カブト丸の背後、頑強な黒い上翅の表面に、砂埃にまみれた「足跡」がくっきりと残っていたのだ。それも、およそ蟲の縄張り争いなどでは絶対に付くはずのない、人間の靴の形をした足跡が。
誰かが意図的に、この硬い殻を思い切り蹴り飛ばさなければ、こんな痕は付くはずがない。
「…………」
マユの目元が、ピクリと不穏に痙攣した。
彼女の周囲の空気が、一瞬にして凍りつくような冷たい殺気へと変わる。
「誰だかわかりませんが……私のカブト丸にこんなことをして……一体どういうつもりなんですか」
まだ地面にへたり込んで息を整えている緑色の少年へ向けて、マユはゆっくりと、しかし底冷えするような声を掛けた。その瞳には、隠しきれない怒りの炎がハッキリと灯っている。
「ま……待ってくれ! 君のペットだとは知らなかったんだ……!」
マユの纏う空気が急激に悪くなっていくのを察し、少年は顔を真っ青にして慌てて両手を振りながら弁明を始めた。
「おれは、この死の森で特訓をしようとして……ここにいるっていう危険な猛獣や生物と戦いに来ただけなんだ!」
「……それで、カブト丸を見つけて蹴り飛ばしたと……?」
「そ……そうなんだ! てっきりこの森に棲む危険な野生生物だと思って……。まさか、君のペットだとは知らなくて……本当に申し訳ないっ!」
少年は勢いよく直立不動になると、ビシリと直角に近い見事な角度で頭を下げた。あまりの潔い謝罪っぷりに、マユは突き上げた拳の行き場をなくし、「はぁ……」と深いため息をついて、ひとまず怒りの留飲を下げた。
確かに、マユがこの死の森に居を構えるようになってまだ数日しか経っていない。火影からの許可は得ているものの、里の忍全体に「蟲使いが住んでいる」などという明確な周知はされていないだろう。そもそも、普段からこの物騒な演習場に好んで立ち入る忍など滅多にいない。
そんな折に、カブト丸のようなおぞましいサイズの巨大蟲に遭遇すれば、里を脅かす危険生物だと判断して即座に先制攻撃を仕掛けるのは、忍として至極当然の行動と言えた。少年側に明確な悪意があったわけではないのだ。
ただ、それでも大切に育てている可愛いカブト丸を理不尽に蹴り飛ばされたことには、飼い主としてどうしても不服だった。
「……もう分かりましたから。事情は理解しました。怪我がないなら、早くどこかへ行ってください」
マユはまだ平謝りを続ける少年から顔を背け、カブト丸の上翅についた足跡を優しく手で払いながら、冷たくシッシッと手を振って追い払おうとするのだった。
002
「……時に、君はここに住んでいるのか?」
少年は頭を上げると、マユの背後にある新居を物珍しそうに眺めながら尋ねてきた。
「……まだいたんですか。そうですけど」
用が済んだなら早く立ち去ればいいのに、とマユはそっけなく、あからさまに面倒くさそうな声を返す。しかし、少年はそんな彼女の冷たい態度など気にする風でもなく、純粋な疑問といった様子で首を傾げた。
「こんなところで生活して、危なくないのか? ここは演習場だろ?」
「……こんなところで修行しようとして、カブト丸に追い回されていた人には言われたくありませんけど」
マユはジト目をさらに細めて皮肉をちくりと刺したが、すぐに視線を新居へと戻した。
「特に問題はありません。火影様の許可はきちんと得ていますし……なにより、この森の獰猛な動物たちは、カブト丸たちを恐れて近寄ってきませんからね」
そう言って、マユは誇らしげにカブト丸の頭を一撫でする。戦場を生き抜いてきたマユの蟲たちにとって、死の森の猛獣など敵ではない。むしろ彼らがここにいること自体が、最大の防壁であり結界の代わりになっているのだ。
「……そ、そうなのか……。いや、すまない! 死の森に似合わない女の子がいるから、つい気になって……」
少年は自分の失礼な質問を誤魔化すように、ポリポリと頬を掻きながら笑った。
「……女の子、ねえ……私、そんなに華奢に見えますか?」
マユの声のトーンが、すっと一段低くなった。
それはガイからしてみれば、単に「こんな物騒な森には不釣り合いな可憐な少女だ」という、彼なりの素直な印象を口にしただけだった。しかし、つい先ほどまで自室で「肉体の器が追いついていない」と自嘲し、基礎体力のなさに本気で頭を悩ませていたマユにとっては、今の言葉は致命的だった。
まるで『貴女には体力がありません、戦闘に向いていません』と、正面から突きつけられたかのような錯覚。最近一番気にしていたコンプレックスの芯を容赦なく突かれ、マユの心に嫌な引っ掛かりが生まれる。
「あ、ああ……。こんな森で君を見た時はびっくりしたよ。だって、細くて今にも折れそうな……」
「……折れませんよ」
ガイが良かれと思って言葉を続けようとしたのを、マユの冷徹な声がピシャリと遮った。
「なんなんですか……あなた。カブト丸には無体を働いて……私には『華奢』だなんて……喧嘩でも売ってるんですか」
マユはカブト丸の背からそっと手を離すと、ゆっくりとガイの方へ向き直った。その目は完全に据わっている。
「えっ!? い、いや、おれはそんなつもりじゃ……っ」
マユの全身から立ち上る、ただ事ではないピリピリとした殺気に、ガイは思わず一歩後ずさりした。
ただでさえ自分の肉体の器不足に焦れていたところへ、初対面の不審な男からの「華奢」という言葉。それは大蛇丸から言われた『貴女の肉体がまだ追いついていない』という現実を、一番最悪な形で突きつけられたようにマユの胸に突き刺さっていた。
「私の何を見てそんなことを言うのか知りませんけど……。カブト丸を蹴られた落とし前、まだきっちりつけてもらっていませんよね?」
マユは細い指先をパキパキと鳴らし、冷徹な『根』の忍としての構えを緩やかにとる。
「修行…すると言ってましたよね…なら私と戦ってください。私が『華奢』でも『折れそう』でもない事を証明してあげます」
「お、おい! 待ってくれ!」
先ずは一発、とばかりにマユは地面を滑るように少年に接近し、その細い拳を真っ直ぐに放った。
空気を鋭く切り裂く一撃。それを、少年は驚きながらも首を傾げる最小限の動作で難なくかわしてみせる。しかし、拳が自分の頬のすぐ横を通り過ぎた瞬間、少年は明確に動揺した。その踏み込みの速度、無駄のない身体の軸、そして拳に込められたチャクラの質──。
少年は飛び退いて間合いを取ると、目の前のマユがただの民間人の少女ではなく、過酷な訓練を積んだ「忍」であることに初めて気が付いた。
「君……忍か!?」
驚愕に目を見開く少年に、マユの額に青筋が浮かぶ。額当てこそ巻いていないものの、この死の森に住み、巨大な蟲を従えている時点で気付いてほしかった。何より、ここまで散々コンプレックスを刺激されていたマユにとって、その質問は火に油を注ぐ以外の何物でもなかった。
「……やっぱり喧嘩売ってます? 売ってますよね?」
マユの瞳の奥の冷徹な光が、いっそう鋭さを増す。
「いいでしょう。そこまで私を素人扱いするなら、その認識がどれだけ甘いか、身をもって教えてあげます」
腹の内から沸々と湧き上がる怒りを少年にぶつけるため、マユは深く息を吐き、身体の軸を低く落とした。
狙うは一撃。呪印の爆発的なチャクラなしで放つ、生身の『蜂突』。
今の自分の肉体で全力の速度を出せば、筋肉や骨が負荷に耐えきれず自壊してしまう。だからマユは、自らの身体を傷めないように極限までセーブした、いわば「寸止め」に近い制限をかけた突きを放った。
ドンッ!!
それでも、踏み込んだ足元の土が鋭く弾ける。
威力も速度も呪印時の半分以下──だが、暗殺術としての「軌道のブレなさ」と「急所への正確さ」は、生身であっても寸分の狂いもない。
少年の喉元へ向けて、マユの細い指先が弾丸のように真っ直ぐ突き出された。
「……ッ!?」
それまで動揺しながら避けるだけだった少年の目が、その瞬間にカッと見開かれた。
マユの突きの鋭さと、そこに込められた明確な「武の気配」を肌で察知したのだろう。少年は紙一重で上体を後ろへ反らし、喉元を掠めるようにしてその一撃をかわした。
着地と同時に、少年が再び身を構える。
その瞳からは先ほどまでの戸惑いやお調子者の一面が完全に消え去り、ジリジリとした熱い「戦意」が宿っていた。マユの放ったセーブ気味の『蜂突』は、目の前の少年の戦士としての本能を呼び覚ますには、十分すぎる一撃だった。
「……なるほど、驚いた。本当にただの女の子じゃない。……いや、一人の忍だッ!」
少年の腰が深く沈み、独特の体術の構えへと移行する。
「おれはマイト・ガイ! 君が本気なら、おれも一人の忍として、全力でその挑戦を受ける!!」
「何をいまさら……」
不機嫌そうに呟くマユだったが、その口元はかすかに吊り上がり、好戦的な笑みを浮かべていた。
期せずして半ば喧嘩のような形で始まってしまった組手。けれど、つい先ほどまで自分の体力のなさに一人で頭を悩ませていたマユにとって、これほど都合がよく、そして望んでいた鍛錬の場はなかった。
(呪印なしとはいえ、私の『蜂突』をこうも簡単に見切っていなすなんて……)
目の前のマイト・ガイという男の底知れない体術のセンスに、マユの胸の奥で眠っていた忍としての血が騒ぐ。この規格外の肉体派を相手に、今の自分の生身の体術がどこまで通用するのか、そしてどこまで追い詰めることができるのか。純粋な好奇心と挑戦欲が、怒りを塗りつぶしていく。
「──いきますよ、マイト・ガイ!」
マユは再び地を蹴った。先ほどよりもさらに無駄を削ぎ落とした洗練された動きでガイの懐へと一気に肉薄する。
マユの身体が、一瞬で不規則な軌道を描いてブレた。
『蜂突蓮華』──本来なら、呪印のチャクラで肉体を極限まで加速させ、無数の残像を生み出すことで、まるで本当に分身しているかのように錯覚させる高等体術。
生身の今のマユには、そこまでの絶対的な速度も、視覚を完全に狂わせるほどの残像も生み出すことはできない。
(だけど……これでどうですかっ!)
マユは息を詰め、死の森の硬い大地を細かく、かつ鋭く踏み締めた。
分身が出せないのなら、それでいい。マユはガイの視界の端を縫うように、前後左右へと目まぐるしく位置を変えながら、超低空の特殊なステップで彼の周囲を激しく動き回り始めた。
ザザザザッ! と、全方位から同時に土煙が舞い上がる。
どこから一撃が飛んでくるか分からない変幻自在の高速移動。それは、生身であってもガイの動きを完全に縛り付け、迂闊な反撃を許さない見事な牽制術として機能していた。
「……っ、速い……!」
変幻自在のステップから放たれるマユの鋭い連撃。しかし、ガイはそのすべてを、恐るべき反応速度で両腕のガードに収め、あるいは最小限の動きで紙一重で捌き切ってみせた。
パパパンッ! と、肉体と肉体が激しくぶつかり合う乾いた音が響き渡る。
「ふぅ……っ!」
額に薄っすらと汗を滲ませながらも、マユの猛攻をすべて避けて受け切ったガイは、防戦から一転、カウンターの追撃として鋭い蹴りを放った。空気を切り裂くような重い一撃。
マユは咄嗟にその蹴りの軌道を見極め、地面を蹴って身体をふわりと宙に浮かせることで、辛うじてその一撃を回避した。
着地と同時に、大きく距離を取る。土煙を上げながら止まったマユの肩は、すでに激しく上下していた。
「……はぁ、はぁ……っ」
呼吸を荒く乱しながら、マユは自分の細い拳をきつく握り締め、悔しそうにぽつりと呟いた。
「速くとも……威力が足りなければ、意味なんてありません……」
どれだけ予測不能なステップを踏もうと、どれだけ手数を繰り出そうと、生身の肉体から放たれる一撃一撃が軽ければ、この男の頑強な肉体を崩すことはできない。大蛇丸の言った通り、やはり今の自分は、呪印という「器の底上げ」がなければ決定打に欠けるのだという現実を、マユは突きつけられていた。
「……なにか、焦っているのか?」
ふっと構えを少しだけ緩め、ガイが真っ直ぐな瞳で問いかけてきた。
ただの熱血バカではない。拳を交わし、命のやり取りに近い息遣いを感じ合えば、相手の心根がある程度は分かってしまう──それが体術を極めんとするマイト・ガイという男の、もう一つの天賦の才だった。
マユの攻撃に込められていたのは、純粋な戦意だけではない。自分自身に対する、苛立ちに似た強烈な焦燥感。それを見破られたマユは、さらに悔しそうに眉をひそめ、奥歯を噛み締めた。
「……術に頼らなければ戦えない私のひ弱さに、怒っているんです」
吐き出されたのは、誰にも言えず心の奥底に閉じ込めていた、マユの本音だった。
「先生…にも言われました……。私のチャクラや蟲のエネルギーに反して、肉体の器がまるで追いついていないと。だから、呪印という歪な力なしでは、私はまともに体術一つ使えない……」
自分の細い腕を見つめるマユの瞳に、暗い影が落ちる。
「どれだけ術を磨いても、この生身の身体が脆いままなら、私はいつか頭打ちになる。それが……悔しくてたまらないんです」
「……なら、修行しかないな!!」
「え……?」
あまりにもストレートで、何のひねりもないガイの叫びに、マユは思わず拍子抜けした声を漏らした。しかし、ガイの瞳にある熱は消えるどころか、さらに激しく燃え上がっている。
「短所がわかれば長所が光る……おれが一番尊敬する人が言っていたんだ! 君はもう、自分の弱さがどこにあるのかをちゃんと分かっている。なら!! そのひ弱な自分とやらをぶっ壊すために、ただひたすらに努力するしかないだろう!」
「……なんですかそれ……」
マユは呆れたように呟いた。
あまりにも頭に筋肉が詰まっているとしか思えない発想だった。大蛇丸の実験室でも『根』の訓練場でも、もっと効率的で、合理的で、冷徹なロジックばかりを叩き込まれてきた。こんな泥臭くて単純な根性論、聞いたことがない。
「弱い自分に打ち勝つんだ! 悩んでいる暇があるなら、拳を突き出せッ!!」
ガイはそう叫ぶや否や、再び鋭い蹴りを繰り出して突っ込んできた。
「おれの目には、君の体術はもう十分に光り出しているように見えるぞ! あとは磨くだけだァ!!」
次々と放たれる、訳の分からない熱い言葉の弾丸と、それに伴う容赦のない打撃。マユは必死にそれを防ぎ、回避しながら、ふと気付いてしまった。
(……ああ、そうか。この人は……)
不器用極まりないし、言っていることはめちゃくちゃだ。けれど、このマイト・ガイという男は、初対面の、しかもさっきまで自分に襲いかかってきたはずの自分のために、本気で怒り、本気で元気づけようとしてくれているのだと。
冷たい暗闇の世界しか知らなかったマユの胸の奥に、これまで感じたことのない、妙に気恥ずかしくて温かい火が灯り始めていた。
003
組手は結局、死の森が赤く染まる夕方になるまで続いた。
「はぁ……はぁ……っ……」
「ふぅ、ふぅ……っ……!」
お互いに全身泥まみれになり、荒い息を吐きながら、どちらからともなく地面にドサリと座り込む。マユの身体はもう指一本動かすのも億劫なほど疲弊していたが、不思議と心地よい充実感が全身をめぐっていた。
沈む夕日を見つめながら、ガイが膝を抱えてぽつりと言った。
「おれも……君と同じだ」
「同じ……? 私よりもずっと体術の才能があるのに、ですか?」
マユが息を整えながら問い返すと、ガイは自嘲気味に、どこか寂しげな苦笑いを浮かべた。
「おれは忍術も幻術も、殆ど使えないんだ……。チャクラの量が、人より圧倒的に少ない。アカデミーの時も、下忍の昇格試験に何度も落ちた」
「それは……」
元『根』の忍として効率を重視するマユからすれば、それは忍として致命的な欠陥に思えた。言葉に詰まるマユを他所に、ガイは自分の大きな拳をぐっと握りしめる。
「だが、努力した! 人の何倍も、何十倍も体術を努力したら、試験に受かった! だから……努力は絶対に裏切らないんだ!」
その言葉は、マユに言い聞かせているようでいて、同時にガイ自身に強く言い聞かせているようでもあった。
(……自己暗示、ですか……)
そうやって「努力は裏切らない」と自分を縛り付け、信じ込ませることで、彼は「忍術が使えない」という残酷なハンデを背負いながらも、心を折らずにここまで走ってきたのだろう。マユは彼の横顔を見て、その底知れない心の強さを察した。
しかし、ガイはそこでふっと視線を落とし、悲痛な影をその表情ににじませた。
「……だが、先の大戦で、パパ……父さんが戦死した」
「……っ」
マユの胸がドクンと跳ねる。
「おれがあの時、もっと力があれば……もっと強ければ、父さんは死なずに済んだんじゃないかって、今でも夢に見るんだ」
「それで……死の森で修行をしようと?」
マユが静かに問いかけると、ガイは夕日に照らされた横顔をきつく歪ませ、ゆっくりと頷いた。
「ああ……もっと、もっとおれは強くならなければいけない。もう……自分の知り合いが、大切な仲間がいなくなるのは、絶対に嫌なんだ」
その声には、先ほどまでの底抜けた明るさは微塵もなかった。ただひたすらに重く、切実で、過去の痛みを引きずりながらも前へ進もうとする、一人の忍の強い覚悟だけがそこに凝縮されていた。
(この人は…私よりもっと重いものを背負ってる…)
マユはまだアンコがいる。……里抜けした大蛇丸でさえまだ生きているだろう。会えなくなるだけで身が裂かれるほど苦しくなるのに、死に別れたガイはいったいどんな気持ちだったのか、マユはうかがい知ることしかできなかった。
「華奢」だの「努力」だの、暑苦しい言葉ばかりを連呼するただの変な男だと思っていた。けれど、その不格好なほど真っ直ぐな努力の裏側には、誰よりも深い傷と、それを乗り越えようとする血を吐くような決意があったのだ。
マユはそっと自分の膝を抱え込み、赤く染まる死の森の木々を見つめた。二人の間に、それまでの刺々しさは消え失せ、ただ夕暮れの静かな沈黙だけが流れていた。
「……明日も」
「え?」
ぽつりと、消え入りそうな声で呟いたマユに、ガイが聞き返すように顔を向けた。
「明日も……私と、修行しませんか? 私も、もっと強くならなきゃいけない理由がありますから。……気が向いたなら、でいいですけど」
マユは少しだけ照れくさそうに顔を背け、地面の土を指先でいじりながら言った。
一人で暗闇の中で巻物と睨み合っているだけでは、この「器」は変えられない。けれど、このどこまでも真っ直ぐで泥臭い男となら、自分の弱さと向き合い、それを打ち破るための努力ができるかもしれない──マユの心が、初めて他者に向けて小さく開いた瞬間だった。
ガイは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにその顔に、夕日よりも眩しい満面の笑みを咲かせた。
「……ああ! 勿論だッ!!」
ガイは勢いよく立ち上がると、白い歯をキラーンと輝かせ、親指をぐっと突き出した。
「おれと君は、今日から共に高みを目指す青春のライバルだ! 明日もこの場所で、血と汗の滲む最高の修行をしようじゃないか!!」
「相変わらず暑苦しいですね」
マユは心底やれやれといった様子でため息をつき、座り込んだままガイを見上げた。呆れてはいるものの、その声には先ほどまでの警戒や冷徹さはなく、どこか親しげな響きが混ざっている。
「そうだ! 今度おれの永遠のライバルを紹介しよう!!」
ガイはさらにテンションを上げ、夕日に向かって拳を突き上げながら叫んだ。
「永遠の、ライバル……ですか?」
マユが怪訝そうに眉をひそめる。この暑苦しい男が「永遠」とまで称する相手だ。さぞかし彼に負けず劣らずの、四六時中スクワットでもしていそうな熱血漢に違いない。想像しただけで頭が痛くなりそうなマユを他所に、ガイは嬉々として語りだす。
「ああ! 非常にクールでスタイリッシュ、そしておれが認めた最高の男だ! 次に会う時は、彼も連れてきて三人で木ノ葉の里を逆立ちで一周──」
「……いえ、それは本当に結構です。絶対に連れてこないでください」
マユは今度こそ、全力の拒絶を込めてぴしゃりと言い放った。