魔法薬学の教室に入ると、ノアはいつものように空いている卓を探した。
ゴイルがいた。
それだけで、前回の魔法薬の授業を思い出す。
残念ながら、純血にもどうしようもないやつはいる。ゴイルはそれを、煮え立つ鍋の前で丁寧に証明してくれた。
蛇の牙は、粉になるまで砕いてから量る。教科書にはそう書いてあったのに、ゴイルは乳鉢を二、三度叩いただけで満足した。ノアが止める前に、まだ欠片の残る粉を匙で山盛りにすくい、鍋へ入れた。
毒々しい紫色になった薬と、縁の溶けかけた鍋。
もう一度、隣であれを見る気はなかった。
それに、今日はもっとふさわしい相手がいる。教科書をきっちり見て、自分の分だけでなく他人の手元にも口を出せて、それでいてマグル生まれの優秀な魔女が。
今なら、スリザリンとグリフィンドールの境目に、誰も座っていない。
「セルウィン」
ドラコの声がした。
振り向くと、ドラコが顎を少し上げてこちらを見ていた。隣にはクラッブ、その後ろにゴイル。ゴイルは空の鍋を机に置いたばかりで、教科書はまだ閉じたままだった。
「こっちだろう?」
「いや、今日は別で組む」
「別?」
「鍋が溶けそうになるのはもうこりごりだ」
ゴイルが顔を上げ、もごもごと何かを言った。言葉にはならなかった。
ドラコは何か言いかけて、机の上の閉じた教科書を見た。いつも口元に浮かべている気取った笑みが、すっと消える。
「理由を聞いてもいいかな」
「この鍋の縁を見れば十分だろ」
「いいじゃないか、鍋の一つや二つ。父上に言えば、いくらでも替えを寄越してくれるさ」
「たしかに鍋は替えられるだろうな」
「なら、何が問題なんだい」
「スネイプ教授に出す薬は替えられない。父親に頼んでもな」
ドラコはじっとノアを見た。まさか仲間を捨てるのかと、そう問いかけてくるような目だった。
ノアは道具箱を持ち直す。ドラコに多少悪く思われようと、純血主義と思われるよりか幾分マシだと思われた。
「もう一度、紫色の薬を出す気はない」
「……それで? どうするつもりだ?」
「もっとまともな相手を探す」
*
スリザリンとグリフィンドールの境目に近い卓で、ハーマイオニーは一人で教科書を開いていた。
隣の席は不自然に空いている。
近くにいたグリフィンドールの男子が、そこへ向かいかけた。けれど、椅子の背に手を伸ばす前に、隣の男子がその袖を引く。
「やめとけよ。また切り方にいちいち文句つけられるぞ」
小さな、しかし聞こうと思ったら少し聞こえてしまうような、そんな声だった。
ハーマイオニーは顔を上げなかった。教科書の端を押さえていた指が、紙を少しだけ歪ませる。それから、何事もなかったように羽根ペンを取り、材料名の下へ短い線を引いた。
孤立している。
正しいことを言う。間違っているものを間違っていると言う。手順を飛ばせば止めるし、切り方が違えば直す。たぶん、そういうことを何度もやったのだろう。
正論だが、いちいち細かい。間違ったら見逃してもらえない。
だから誰も座らない。
避けられている理由は違うとはいえ、ノアは、その空気に少しだけ覚えがあった。
親戚の集まりでも、似たようなことはあった。そのときは家同士の力関係だとか、本家と分家の立場だとか、もっと込み入った事情があったようだが、ノアにはどちらも同じに見えた。
招かれてはいる。席も用意されている。しかし、席札は端に置かれ、周囲には人が寄り付かない。
話しかけられれば返事はする。表面上は笑顔も向ける。しかし、次の話題はその人を置いたまま進んでいく。
誰かが率先しているわけでもないが、なんとなく全員がその人を避けている雰囲気。
馬鹿馬鹿しい。
そう思ったはずなのに、今のホグワーツにも同じものがある。
純血か、マグル生まれか。
正しいことを言うか、黙っていられるか。
都合がいいやつか、気に食わないやつか。
理由の名前が変わるだけで、やっていることはたいして変わらない。
そういうことが嫌いだったが、そういうものから逃げるほどの勇気も、正面から壊すほどの力も、ノアにはなかった。
だから、ハーマイオニーの指に入った力を見た時、少しだけ胸の奥が鈍く重くなったのは、きっと気まぐれではなかったのだろう。
机の上に視線を落とす。
教科書は開かれ、欄外には細かな書き込みがある。乳鉢と秤は使う順に近い位置へ置かれ、ナイフの刃は内側へ向いていた。鍋の取っ手のそばには布が添えられている。
前回のゴイルとは違う。
あれは面倒を見る相手だった。
彼女は、多少小言が面倒かもしれないが、少なくともまともに文字が読める相手だ。
ノアは道具箱を持ち直した。
打算もある。
彼女と組めば、マグル生まれを避けるような人間には見えにくい。スリザリン内でいつの間にかできていた、余計なイメージも少しは減るかもしれない。
だが、それだけなら、もう少し雑に声をかけていた。
教科書の端を押さえたまま顔を上げない彼女の指が、まだ目に残っている。
ノアは卓の前で足を止めた。
「グレンジャー」
声は思ったよりやさしく出た。
ハーマイオニーは顔を上げた。
最初にノアの顔を見る。それから、ネクタイの色を確かめるように視線を落とし、最後にノアの背後を見た。
マルフォイ、クラッブ、ゴイル。
彼女の目が、そこで少しだけ硬くなる。
「何か用?」
「ダイアゴン横丁ぶりだな。隣、いいか」
ハーマイオニーの手が、教科書の端に置かれたまま止まった。
隣の椅子には触れない。視線だけがノアの肩越しに戻る。
「あなた、マルフォイたちと一緒にいたでしょう」
「いた」
「それなら、そっちで組めばいいじゃない」
「今日は失敗したくないんだ」
「どういうこと?」
「前に組んだ相手がゴイルだった」
「……ああ」
ハーマイオニーの視線が、ノアの肩越しに動いた。
ゴイルは鍋の前で、ぼうっと教室を眺めている。教科書はまだ閉じたままだ。ハーマイオニーはゴイルを見て、それからノアを見た。目元にあった警戒が、少しだけ別のものに変わる。
「蛇の牙を二、三回叩いただけで済ます。分量も量らず山盛りで入れる。その結果が毒々しい紫の薬だ」
ハーマイオニーは信じられないという顔で聞いていた。
けれど、紫、という言葉が出たところで、まつげが一度だけ揺れた。頭の中のどこかに置いてあったものを、今になって拾い上げたような間があった。
「……待って。あの紫色の薬?」
「見たのか」
「提出棚に置いてあったわ。ひどく濁っていて、瓶の底に何か沈んでいた。あれ、あなたたちのだったの?」
「残念ながら」
ハーマイオニーは唇を開きかけた。
そのまま、何かを奥歯で噛むように口を閉じる。もう一度だけゴイルの方を見た。ゴイルは今度は、空の乳鉢を指で回していた。
「それで、私?」
「君なら信用できそうだと思った」
「……どうして?」
ノアは机の上へ目を落とした。
開かれた教科書。欄外の書き込み。使う順に近い場所へ置かれた道具。鍋の取っ手のそばの布。
「教科書を読んでいる。道具も先に並べている。手順もしっかり復習してるんだろう」
ハーマイオニーは、さっき袖を引いた男子たちの方を一度だけ見た。
それから、ノアへ視線を戻す。
「あなた、さっきの声を聞いていたでしょう」
「聞こえた」
「それなら分かると思うけど、私は黙って見ているだけじゃないわ。切り方が違っていたら言うし、量り方が雑なら量り直してもらう。混ぜる回数を飛ばしたら、最初からやり直させるわ」
ノアはちらりと背後を見た。
ゴイルは自分の鍋を前にして、まだ教科書を開いていない。
「それを嫌がるなら、あっちに戻ってる」
ハーマイオニーは少し黙った。
「……本当に嫌じゃないの? みんな、そういうのは面倒だって言うのよ」
「面倒ではあるだろうな」
ハーマイオニーの眉がわずかに寄った。
ノアは続けた。
「前にゴイルと組んだ時は、俺が止めるより先に、あいつが材料を鍋へ入れた。入ってからでは遅い。君なら、その前に口を出すだろ」
「私がずっと横で見ていろってこと?」
「いいや、見ているだけにしろとは言わない。グレンジャーと一緒に作りたいという話だ」
ハーマイオニーは一度だけ瞬きをした。
羽根ペンを持つ手が、一拍だけ遅れる。すぐに教科書へ目を落としたが、指先で揃えたはずの端が、かえって少しだけずれた。
「……そう」
小さく言ってから、ハーマイオニーは教科書を二人の間へ寄せた。声は、さっきよりほんの少し早い。
「それなら、まずここを見て。蛇の牙は粉になるまで砕くの。欠片が残ったら入れないで」
*
途中まではなにもかもうまくいっているはずだった。グレンジャーは少しはこちらに心を許してくれたようであったし、事実言い争うこともなく、実は同じ寮同士だったと言われても納得できるくらいには仲良くやれていた。
実際にノアたちが作った魔法薬は、恐らく教室で一番の出来だったはずだ。鍋の中には余計な濁りがなく、瓶に移しても色は底まで揃っていた。ハーマイオニーは最後まで気を抜かず、瓶の口についたわずかな薬液まで布で拭き取り、栓が緩んでいないことを確かめてから提出棚へ置いた。
だからこそ、余計にノアは思う。
やはり純血主義というやつは最悪だ、と。
「セルウィン。申し分ない出来だ。スリザリンに十点」
スネイプ教授は提出用の瓶をつまみ上げ、光にかざしながらそう言った。
薬は光を通しても濁らない。瓶の底に沈んだ欠片もない。スネイプ教授はそれを一目で見て取ったらしく、瓶を戻す前に、教室中の生徒へ見せるようにわずかに持ち上げた。
「見ておけ。これが手順を理解している者の薬だ。材料を潰す、量る、順番を守る。どれも難しい作業ではない。だが、グリフィンドールの諸君には、その程度のことも難題らしいですな」
黒い目が、グリフィンドール側の机をゆっくりとなぞった。
何人かが目を伏せる。ロンは自分の鍋の中身を見下ろし、ハリーは瓶の栓を触っていた手を止めた。スネイプ教授は鼻で笑うように息を吐き、またノアたちの瓶へ視線を戻した。
「セルウィンの薬を見ろ。濁りもない。沈殿もない。少なくともスリザリンには、授業を聞く耳と、指示を守るだけの慎重さがある」
それだけではなく、スネイプ教授はどれほどスリザリンの勤勉さが素晴らしいか、それに比べてグリフィンドール生の出来がどれほど悪いかを、ゆうに十分は滔々と語った。
もちろんハーマイオニーの名前は出なかった。
ハーマイオニーは顔を上げなかった。抗議もしない。唇を結んだまま、もう綺麗になっている鍋の同じ場所を、布で一度だけなぞる。
ノアは机の端を掴んだ。
グレンジャーも作りました。
そう言えばいい。そう言うべきだった。あの薬はノア一人で作ったものではない。蛇の牙を砕き直させたのも、材料の順番を確認したのも、鍋の色が変わるところで手を止めさせたのも、隣にいたハーマイオニーだった。
けれど、スネイプ教授がその言葉を聞いて、彼女を褒めるとは思えなかった。
あの人なら、きっと瓶をもう一度見もしない。ノアを一瞥してから、隣のハーマイオニーに目を向ける。そして、手順を横から口うるさく言うことと、薬を作ることは違う、と低い声で切り捨てる。あるいは、点をもらえなかったからといって、他人に言わせるとは勇気あるグリフィンドールらしいですな、と皮肉の一つでも言うかもしれない。
そうなれば、ノアは彼女の手柄を返したことにはならない。
ただ、黙って耐えようとしているハーマイオニーを、スネイプ教授の前に押し出しただけになる。
ノアは奥歯を噛んだ。
言えば、自分は少しだけ楽になる。何もしなかったわけではないと、自分に言える。けれど、その後で刺されるのはノアではない。スネイプ教授の言葉を受けるのは、隣で布を握っている彼女だ。
だから、声が出なかった。
授業の終わりを告げる声がかかると、教室のあちこちで椅子を引く音が重なった。
ハーマイオニーは、何も言わずに片づけを始めた。匙を布で拭き、乳鉢の内側を確かめ、教科書を閉じる。手順は崩れていない。けれど、さっきまでノアの手元を覗き込んでいた時よりも、ひとつひとつの動きが少しだけ早い。
提出棚の方は見ない。
スネイプ教授が置いていった瓶も見ない。
ノアは自分の鞄に羽根ペンを入れようとして、指を止めた。
瓶の中の薬は、確かに綺麗だった。濁りも、沈殿も、嫌な匂いもない。ハーマイオニーが粗かった蛇の牙を砕き直し、材料を入れる順番を指で押さえ、鍋の色が変わるたびに眉を寄せて確認した。その全部が、あの瓶の中にある。
それなのに、教室で呼ばれたのはセルウィンの名だけだった。
スリザリンに十点。
その響きだけが、まだ耳の奥に残っている。
ノアは息を吐き、鞄の口を開いたまま、隣へ顔を向けた。
「グレンジャー」
「何?」
返事はすぐにあった。
怒っている声ではない。少なくとも、ノアに向けられた怒りではなかった。けれど、ハーマイオニーは鍋の縁を拭く手を止めない。布が黒い鉄の上を一周し、二周目に入る。
もう汚れは残っていなかった。
ノアは提出棚を一度見た。
「あれは、君の薬だ」
布が止まった。
ハーマイオニーは顔を上げない。鍋の縁に置いた指だけが、少しだけ強くなる。
「……何の話?」
「さっきの薬だ。スネイプ教授が何と言おうと、あれは君が作った薬だ」
ハーマイオニーは黙って鍋の縁に残った水滴を親指で拭った。もう布で拭いた後だから、そこに何かが残っているはずはない。
授業が終わりみんなが足早に帰っていく中で、グリフィンドールの生徒が、鞄を肩にかけながらこちらを一度見て、すぐに目を逸らす。こちらの声は喧騒で聞こえないはずだ。となると、もしかしたらさっきのことを噂しているのかもしれないとノアは思った。
ハーマイオニーはその方へ視線を向けなかった。ただ、布を畳み直し、鍋の横へ置く。
ノアは続けた。
「君がいなければ、あの薬にはならなかった」
ハーマイオニーのまつげが揺れた。
「君が材料を見ていなければ、牙は粗いままだった。俺が鍋の色を見落とした時も、君が止めた。混ぜる回数も、火加減も、君がいたから完璧にできたのだろう」
言いながら、ノアは自分の声が少し低くなっていることに気づいた。
スネイプ教授の前では言えなかった。今さら言ったところで、点数が変わるわけでもない。教室中に広がった空気が、元に戻るわけでもない。
それでも、黙ったまま鞄を閉じることだけは、どうしてもできなかった。
「俺一人なら、あそこまで綺麗には作れない」
ハーマイオニーは、ゆっくりと布から手を離した。
それから、教科書を鞄に入れる。角が鞄の口に引っかかった。彼女はすぐに押し込もうとして、指先を止める。いったん教科書を戻し、向きを揃えてから入れ直した。
「……あなた、そういうことをすぐ言うのね」
小さな声だった。
「事実だ」
「そういうところよ」
「どこだ」
ハーマイオニーは少しだけ顔を上げた。
ほんの短い間だけ目が合った。
何かを堪えている顔だった。飲み込もうとしていたものを、ノアが横から触ってしまった時の顔だ。
「何でもないわ」
ハーマイオニーは鞄の留め具に指をかけた。
ぱちん、と小さな音がした。
ノアはその音を聞いてから、もう一度だけ口を開いた。
「今日は、君の隣でよかった」
ハーマイオニーの手が、留め具の上で止まった。
今度は、さっきより長かった。
「……魔法薬学の話よね」
「他に何がある」
「でしょうね」
ハーマイオニーは鞄を持ち上げた。
提出棚の方を見ないまま、少しだけ息を吸う。
「次も」
そこで言葉が切れた。
ノアは待った。
ハーマイオニーは一度、唇を結ぶ。それから、何でもないことのように言い直した。
「次も、組む相手がいなければ、お願いするかもしれないわ」
「誰もいなかったら行く」
「ありがとう。たぶん……また誰もいないから」
ハーマイオニーはそれだけ言って、ノアの横を通り過ぎた。
「セルウィン」
入れ替わるように、別の声がした。
ノアが振り向くと、ドラコが卓の向こうに立っていた。クラッブとゴイルは少し後ろにいる。ゴイルはノアと目を合わせづらいのか、提出棚の方をぼんやり眺めていた。クラッブは何か言いたそうに口を開きかけて、ドラコの横顔を見て黙る。
ドラコだけが、ノアを見ていた。
「ずいぶん上手くやったじゃないか」
「何を」
「グレンジャーだよ」
ドラコはそう言ったが、視線は一瞬だけ扉の方へ流れた。
ノアは眉をひそめる。
「薬の話か」
「薬だけの話じゃない」
ドラコは卓の上に残っていた空の瓶を見た。さっきまで、スネイプ教授が光にかざしていた瓶だ。
「君はゴイルを理由にした」
後ろでゴイルが顔を上げる。
「僕?」
「前回の鍋を思い出したくないなら、今は黙っていろ」
ドラコは振り返らずに言った。
ゴイルは少し口を開けたが、クラッブに袖を引かれて黙った。
「失敗したくなかっただけだ」
「今ここにはグリフィンドールはいない。しらばっくれなくていいじゃないか」
ドラコはノアを見た。
「ゴイルでは危ない。だから別の相手を選ぶ。前に一度やらかしている以上、誰が聞いても筋は通る」
ノアは否定しなかった。
ゴイルでは失敗すると思った。ハーマイオニーなら手順を守ると思った。だから隣に座った。そこを違うと言えば、ただの嘘になる。
「そこで君が選んだのがグレンジャーだ。今なら僕にだって分かる。これも、いつものやつなんだろう?」
「いつもの?」
「使えるなら使う」
ドラコの声は低かった。
「忌々しい穢れた血でも、君は使えるならいいって考えるわけだ」
ノアは顔をしかめた。
その言い方は嫌だった。だが、ドラコの前でそこを正面から否定すれば、話はもっとややこしくなる。穢れた血という言葉を嫌がったのか、グレンジャーを庇ったのか、ドラコはどうせ別の意味まで勝手に考える。
だから、ノアは口を閉じた。
「その手があったかと思ったよ。グレンジャーは口うるさいが、能力だけはあるし、孤立していてこっちに引き入れやすい。実際、今日の薬の手柄は君のものになっている」
ドラコは空の瓶を指先で軽く叩いた。
「スリザリンに十点。ってね」
ドラコはそう笑った。
ノアは鞄の紐を握った。
スネイプ教授が呼んだのはセルウィンの名だった。点が入ったのもスリザリンだった。ハーマイオニーの名前は、最後まで出なかった。
「君はグレンジャーに何を話したんだい? 出ていく時、グレンジャーは君を睨んでいなかった。あの顔なら、君を悪くは思っていなそうだ」
「たいした話じゃない」
「そうかい」
ドラコはそれ以上、踏み込まなかった。
「まあ、全部を聞くつもりはないよ。君のやり方だ。穢れた血を引き入れるのは正直賛成しかねるところはあるが、セルウィンが使えると思うなら、その結果くらいは見る気はある」
「引き入れるつもりはない」
「今は、だろう?」
ノアは答えなかった。
ドラコはその沈黙に、勝手に満足した顔をしなかった。けれど、引く気もなさそうだった。
「ただ、セルウィン。念のため言っておくが、君がグレンジャーを使い捨てにするつもりなら、流石に穢れた血といえど、それは人間としてどうかと思うぞ」
「そんなつもりはない」
「まあ、そうだろうね」
「分かってるなら言うな」
「いや。君が、そこまで雑な使い方をするほど愚かではない、という意味だよ」
ドラコは真面目な顔で言った。
ノアは鞄の紐から指を離した。
使い捨て。雑な使い方。どちらも最悪の言葉だ。ドラコはノアを貶すために言っているのではないだろう。あいつは、ハーマイオニーを一度使って終わりにするな、と言いたいのだろう。せっかく近づいた相手を雑に扱えば、恨みも買うし、次に使えるものも使えなくなる。そういう意味で言っている。
まったくもって激しく、気分の悪い勘違いだった。
このまま黙っていれば、ドラコの中ではそれが正解になる。セルウィンはグレンジャーを使った。穢れた血でも、使えるなら近くに置く。そういう純血の子息なのだと。
ふざけるな、と言うべきだった。
「俺を何だと思っているんだ」
ノアは言った。
ドラコは片眉を上げる。
「怒らないでくれよ。僕は君のやり方はこれでも尊敬しているんだ」
「尊敬している相手に、使い捨てなんて言うのか」
「だから、しないだろうと言ったんだ」
「言い方の問題じゃない」
「では、何の問題だい」
ドラコは首を傾けた。
わざと分からないふりをしている顔ではなかった。ノアが怒る場所を、本当に測りかねている顔だった。
「グレンジャーを、そういう風に見るな」
「僕が?」
「お前が」
「なるほど」
ドラコは小さく息を吐いた。
「僕に口を出されたくないわけだ」
「違う」
「違わないだろう。君が選んだ。君が声をかけた。なら、扱いは君に任せる。それでいいか?」
「だから、扱いって言うな」
「難しいな。では、関わり方と言えばいいのかい」
ノアは答えなかった。
言い換えれば済む話ではない。だが、ここで説明を始めれば、ドラコはきっと都合のいい形に受け取る。グレンジャーを守りたいわけではない。いや、守りたいのかもしれない。少なくとも、ドラコが面白がって近づくのは止めたい。
そこで、ノアは嫌な想像に行き当たった。
ドラコはハーマイオニーを穢れた血と呼ぶ。能力は認めても、対等に見るわけではない。ノアが黙れば、ドラコは気を利かせたつもりで余計なことをするかもしれない。
「マルフォイ」
「何だい」
「グレンジャーには何もするなよ」
ドラコの眉がわずかに上がった。
「僕が、何をすると?」
「要らない手出しだ」
ドラコはそこで、少しだけ目を細めた。
気分を害したと言うより、むしろ、ノアの心配の向きがようやく分かった、という顔だった。
「心配しなくても、グレンジャーには手を出さない。穢れた血でも、君がせっかく繋いだ相手を、僕が横から壊す理由もないからね。僕だってそのくらいの分別はある」
あっさりとした返答は、ノアはかえって信用できなかった。
「本当だな」
「本当だ。僕は君の邪魔をしない」
「邪魔とかじゃない」
「なら、グレンジャーのことには触れない。それでいいだろう」
ノアはドラコを見た。
ドラコの顔に軽さは残っている。だが、返事そのものは軽くなかった。少なくとも、何もなければハーマイオニーを排除しようとする顔ではない。
「……それでいい」
「なら決まりだ」
ドラコはクラッブとゴイルへ顎をしゃくった。
クラッブが鞄を持ち上げる。ゴイルはまだ少しだけノアを見ていたが、ドラコが歩き出すと慌てて後に続いた。
扉の手前で、ドラコは一度だけ振り返った。
「セルウィン」
「何だ」
「純血らしさというものを、僕は同年代のやつに見たのは初めてだ。これからも仲良くしようじゃないか」
ドラコはそれだけ言って、教室を出ていった。