この不思議溢れる世界の神主さん   作:雀っていいよね

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見える子ちゃんの場合その2

 四谷みこにとって、日常とは見えていないふりを続ける終わりのない耐久レースだった。

 

 相変わらず、鮮明に見えている。

 登校中のバスの座席。教室の黒板の隅。体育館の天井付近。あらゆる場所に、普通ではないものがいる。

 

 見えている。けれど、見えていると知られたらどうなるのか分からない。分からないから、反応できない。

 それが、この狂った日常で生き残るための唯一のやり方だった。

 

 ただ、最近はほんの少しだけ気持ちが違う。

 制服のポケットの中にいつも忍ばせている、あの白い布製の御守り。それがあるからといって怪異が見えなくなるわけではないが、どうしようもなくなった時に逃げ込める場所がある。その事実だけで、少しだけ息がしやすかった。

 

 

 その日の放課後。ファストフード店で、みこは親友の百合川ハナと一緒にポテトをつまんでいた。

 

「あー、今日もお腹すいたぁ! みこ、それ食べないならもらっていい?」

「……うん。いいよ」

 

 ハナは相変わらず元気いっぱいで、底抜けに明るい。

 けれど、みこはストローを噛みながら、必死に無表情を貫いていた。

 

 ハナの背後、窓硝子の向こう側に、ドロドロに溶けたような顔の怪異がべったりと張り付いている。

 理由は分からないが、ハナの周りにはよく変なものが寄ってくる。そういうことが多いのだ。

 

 いつものように、徹底的に無視するしかない。

 でも、今回は自分だけの問題ではなかった。あんな気味が悪いものが親友に付きまとっている状況を、いつまでもただ見ているだけというのは、想像以上にしんどかった。

 

 みこはポケットの中の御守りを、ぎゅっと握りしめた。

 

 

 ハナと別れた後、みこは夕暮れの商店街へ向かっていた。

 

 相談に行くわけではない。ただの参拝だ。

 たまたま立ち寄って、ついでに手を合わせるだけ。そんな言い訳を心の中で並べながら、商店街の奥を目指す。

 

 八百屋と衣料品店の隙間。

 以前は死に物狂いで逃げ込んだ時にしか見えなかったその細い路地を、今日は不思議とすんなり見つけることができた。

 

 みこは周囲に人がいないことを確認し、ごく自然な足取りでその薄暗い隙間へと入り込んだ。

 

 

 路地を抜けると、石畳の参道と古い鳥居が現れる。

 商店街の喧騒が消え去り、静かな空気が満ちていた。

 

 チリン――。

 

 みこが境内に足を踏み入れた瞬間、社務所の奥から中身のない鈴の音が一つ響いた。

 ほどなくして、白衣に浅葱色の袴を穿いた長身の神主が姿を現す。

 

「……おや」

 

 神主はみこの姿を認めると、いつも通りの平坦な声を出した。

 

「静かなご来客だな」

「あ……こんにちは」

 

 みこは小さく頭を下げた。

 今日は後ろに化け物を引き連れているわけではない。普通の参拝客のふりをして来たのだから、堂々としていればいいはずだ。

 

 しかし、いざ神主を前にすると、どう口火を切っていいか分からない。みこが黙り込んでいると、神主は特に急かすこともなく、顎で社務所の方を指した。

 

「茶でも飲んでいきなさい」

 

 

 社務所の畳の上で、みこは出された温かい緑茶を両手で包み込んでいた。

 

 神主は向かい側に座り、自分の湯呑みをのんびりと眺めている。みこが話し出すのを、ただ静かに待っているようだった。

 

「あの……」

「なんだ」

「今日は、ちょっとだけお参りに来たというか。……その、私のことじゃないんですけど」

 

 みこは湯呑みに視線を落とし、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「友達がいて。すごく明るくて、元気な子なんですけど。最近、その子の周りに……変なのが、寄ってきてる気がして」

 

 見えていることを口に出す怖さが、まだ胸の奥にこびりついている。

 だから、どうしても言葉が濁ってしまう。

 

 神主は、みこが言葉を濁している理由を察しているようだったが、それを無理に問い詰めることはしなかった。

 ただ、みこが自分で言える範囲の言葉だけを静かに聞いている。

 

「私には何もできなくて。無視することしかできなくて」

 

 みこがそう締めくくると、神主はふぅと短く息を吐いた。

 

「向こうから来ていないものを、こちらから追い回すことはしない」

 

 神主は立ち上がり、背後の棚から小さな和紙の札を一枚取り出した。

 

「これを持っていけ。お前さんが持っておくものだ」

「……これは?」

「倒す道具じゃない。お前さんがその友達のそばにいても、変なものに巻き込まれにくくするための目印だ」

 

 神主は札をみこの前にことん、と置いた。

 ハナの周りにいるものを全部退治してくれるわけではない。あくまで、ここへやって来た客であるみこへの対応だけ。

 それでも、みこは少しだけ息がしやすくなるのを感じた。

 

「ありがとうございます」

 

 みこは札を大切に鞄にしまった。

 冷めかけた緑茶を飲み干し、社務所を後にする。

 

 

 みこが鳥居をくぐって商店街へ戻ろうとした、その時だった。

 神社の外、路地の暗がりから、どろりとした気配が急激に膨れ上がった。

 

 みこは思わず足を止めた。

 昨日、ハナの後ろにいたものと似ていた。それだけで、喉が詰まった。

 

「動くな」

 

 神主の声が、静かにみこを制した。

 みこは恐怖で心臓を跳ね上がらせながらも、無表情を作ってその場に踏みとどまる。

 

 神主はみこの横を通り抜け、鳥居の境界線の前へ進み出た。

 そして、手にした御幣を軽く一振りした。

 

 バサッ!

 

 鋭い音が空気を切り裂く。

 神主は路地の奥へ踏み込むことはせず、ただみこに絡みかけた嫌な気配だけを、神社の敷居の先でスパッと断ち切った。

 

 それだけで、路地の暗がりはただの現実の隙間に戻っていた。

 

「帰れ。寄り道はするなよ」

 

 神主は背を向けながら、ひらひらと手を振った。

 

 

 みこは軽く一礼し、細い路地を抜けて商店街へと戻った。

 

 街を見渡せば、電柱の影にも、ビルの隙間にも、相変わらず化け物たちは蠢いている。見えるものは消えないし、無視し続けなければならない日常も変わらない。

 ポケットの中の札をぎゅっと握りしめる。

 

 でも、今回は一人で全部を抱え込まなくてもいいかもしれない。そう思えただけで、みこの足取りはほんの少しだけ前を向いていた。

 

 

 翌日。

 みこは学校の廊下で、ハナと合流した。

 

「みこー! 購買で新作のメロンパン買えちゃった! 半分食べる?」

「……うん。食べる」

 

 ハナは今日も元気いっぱいで、底抜けに明るかった。

 その背後には、昨日とは別の影のようなものが、まだ微かにまとわりついているのが見えた。

 

 みこはいつものように、全く見えていないふりをして、ハナの差し出したメロンパンを受け取る。

 ただ、制服のポケットの中には、神主から渡されたあの札が、心強い温度を持って確かに入っていた。

 

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