やってまいりました、野辺山天文台。
深々と雪の降り積もる八ヶ岳連峰は美しく、厚着をしていても寒さが身に染みるようだ。
蘭ちゃんとデート予定だったコナン君は急遽予定変更。
この野辺山天文台で先ほど合流している。
なんでも毛利探偵の親友が殺されたとかで、その調査に来ているらしい。
私はほう、と手の中に息を吐き出した。
寒い。
私は彼の親友の死を知っていた。
真犯人・林篤信が自らを追うものを消す目的で銃口を向けることを知っていて、黙っていた。
毛利探偵にあんなに良くしてもらったのに、自らの発言の整合性を担保するためだけに見殺しに
立ち並ぶパラボラアンテナの間を縫ってコナン君がかけてきた。
ようやく到着したようだ。後ろに蘭ちゃんの姿も見える。
「悪いな、突然混ぜてもらって」
「事件調査のためでしょう。ならば…………ふむ」
私は彼のマフラーの袂についた盗聴器の信号に警戒して、ほんのり囁くような声で彼の耳元に言葉を落とした。
「その盗聴器は大丈夫ですか」
「……ああ、おそらく公安、安室さんの部下の独断だろうからな。さっき安室さんから連絡が来た。使ってくれて構わないってな」
「可哀想に、風見さんも売り渡されてしまって」
他人を慮ることと同じぐらい、他人を頼ることは難しいことだ。
安室さんとコナン君は、ここに至るまでの道で正しい信頼関係を結んでいるのだろう。
私はポツリと呟いた。
「僕が誤ったことをしていたら、コナン君は止めてくれますか」
「………最近のお前の症状を言ってんのか。でもあれはお前の意思じゃねーだろ」
「あれが僕の正しい在り方かもしれませんよ」
魂の抵抗力がなくなっているからか、最近とみに本能が抑えられなくなっている。
改めて肉体君の強さを思い知らされるばかりだ。
たったあれだけの綿毛のような魂で、全ての本能を受け止めていたのだから。
「今オメーは弱気になってるだけだ。心配すんなって、俺らがなんとかオメーの体を治す方法を見つけてやっから」
コナン君が笑って、力強く私の肩を叩く。
それを私はぼんやりと受け止めて、私は淡く頷いた。
しばらく進むとスマホの使用が制限される区域にやってきた。
どうやら観測の邪魔にならないようにとの処置らしい。
私は灰原さんによりそって、リュックの中の羽をモゾモゾさせた。
「静かですね。空からの囁きが直接聞こえてくるような、不思議な場所です」
「人間に電波は感じられない……あなたのように敏感に電磁波を受容する存在にとって、どんなふうに聞こえるのかしら」
「遠い潮騒のようです。打ち付ける波音に似た、ほんの小さく静かで一定の音が、ありとあらゆる場所から降り注いでいる」
穏やかで心が安らぐようだ。
ここの館長さんがしてくれた説明はわかりやすく、これから実際の星の観測もするのだと言う。
少年探偵団達も興味深そうに説明を聞いていて、ここにきて良かったと素直に思う。
夜、少し離れたキャンプ場に私たちは来ている。
ここで夜空を眺めて天体観測をするのだ。
真っ暗な中に宿泊ロッジの灯りとバーベキューの火だけが鮮烈に映る。
美味しそうな肉の焼ける匂いについつい心が弾んでしまう。
コナン君は下手な漏れちゃう詐欺で長野県警と一旦離脱。
その後私たちのキャンプ場に戻って来ていた。
あれマジでどうかしてるレベルの棒演技だったんだよな。
子供だから通るからいいんだろうけど。
長野県警も「またいつしたくなるかわからねぇし、俺たちと来い!」とか謎理論をぶちかましてて笑うしかない。
雑にパーティインしたコナン君に毛利探偵が梅干しみたいな顔してたもん。
灰原さんとコナン君の今の話題は法改正の話だった。
昨今のニュースと絡めて静かで大人の雰囲気は、IQ高すぎて明らかに小学生ではない。
横で元太君が串焼き肉バーベキュー理論について熱く語っているので、まあバランスが取れているのだろう。
「刑事訴訟法改正案ねぇ。司法取引に反対する人物の犯行……それって確か証人保護プログラムも含まれてるやつよね」
「ああ。俺も一応改正に向けて働きかけてるし、通る見込みではあるぜ」
「コナン君がですか?」
一高校生がロビー活動とか意味わからんとは思いつつ、コナン君なら割とあり得るので慄きつつ聞き返す。
コナン君は頷いて穏やかに笑った。
「それがあれば正式に空の身分を作れるようになるだろ。生きるのに身分の保証はあったほうが便利だし。お前も自由に生きられる」
「…………!」
「あら、私のためじゃないの?」
「お前は身分をコロコロ変えるのは趣味じゃねーだろ」
「そういう時はもっと可愛らしい返答をするものよ」
ニヤニヤした灰原さんと阿吽の呼吸でコナン君がカラカラ笑う。
私は胸が暖かくなるような、不思議な心地がした。
私のために、私の将来のために計画を立ててくれている。
でも、もう多分時間がない。
私はただやられてるだけでなく、この身にかけられている呪詛の解析ぐらいはしている。
このコバンザメは人の夢と希望、明日への活力を貪って力と成す悪質なものだ。
取り憑かれれば無気力、無感動、憂鬱などに囚われる。
一旦情動の激しくなるのは、コバンザメが対象の希望を絞り出しているが故のこと。
多分最終的に人形のようになり、この悪霊の意のままと化すのだろう。
その上で触手のような長い舌を伸ばし、宿主を操るのだ。
今の狙いは私である。
だからポワポワの綿毛でしかない肉体君は殆ど襲われていない。
そんな小さな獲物に目をくれることもなく、私へと食らいついている。
しかし私の掌握が完了した後、どう出るかわからない。
なんとかして肉体君だけでも逃がしてやらなければならないとは思うのだが。
巡り巡る、女王というあり方に私達は囚われている。
私が居なくとも、「阿笠空」は肉体君の魂でもってつつがなく再誕するだろう。
そうでなくとも幸せな家庭に送り届けてやれればそれでいい。
それだけで、肉体君はなんとかして生きていけるはずだ。
私の受けた恩を、愛を。
今度は私が返す番なのだ。
そのようにぼんやりと今後について考えていると。
バン!と明らかなる銃声が山々にこだました。
光彦君も気づいたのか立ち上がって耳をそばだてる。
「何か音がしてますよ?狩りでもしてるんでしょうか」
「この時間よ、それはないと思うわ」
灰原さんの言葉に元太君が首を傾げる。
再びの破裂音。銃声に、子供達はにわかに勢いづいた。
「きっと誰かが決まりを破って動物を撃ってるんですよ!」
「注意しに行こうぜ!」
「っ待てお前ら!?」
正義感から駆け出した子供達はドゥルルルルと勢い付いていて止まらない。
慌てる博士に蘭ちゃんも「私がついてますから!」と言って駆け出した。
博士腰が悪いしな、こんな雪山で全力疾走したらそのまま緊急搬送されかねん。
私も慌てて後を追う。
雪の中は足が取られやすくて厄介だ。
背が低い私ではうまく進めない。
だが、向かうべき場所はすぐに見当がついた。
油臭い炎上した車の匂いがここまで香って来ているからだ。
森を抜ける。
高台、炎上する車を挟んで向こう側に子供達の姿を確認できた。
犯人の腕に噛み付いた元太君が見える。
相手は拳銃持ってるんだぞ!?見えてないのか!!
私はゾッとして、降りられる場所を探した。
まずい、炎が邪魔でここからだと遠回りだ。
不意に横から駆け抜ける風が一陣。蘭ちゃんである。
素晴らしいハイキックが犯人に直撃した…が、おそらく相手はフルフェイスのヘルメットをかぶっている。
ダメージは薄いだろう。ムチウチにはなるかもしれないが。
瞬間、蘭ちゃんの肩を抉るように銃弾が発射された。
血飛沫が飛び、蘭ちゃんが痛みに悲鳴をあげてうずくまる。
フルフェイスに拳銃を向けて───私は、咄嗟に全速力を乗せた体当たりを放っていた。
斜面から飛び降りて肘を中心に質量アタックだ。
私の全力の助走がついた質量アタックは男の肋骨をへし折り、数メートル弾き飛ばした。
もんどり打って私もアスファルトに飛び出したので傷だらけだ。
慌てて血液に含まれる幼生を死滅させる。
男は苦悶の声をあげながらなんとか立ち上がった。
取り落とした拳銃を私が確保しているから、もはや男に打つ手は無い。
男はよろよろと逃げ出そうと逃げ出そうとしている。
ああ、逃すものか。
奥底から声が聞こえる。人類を滅ぼせ。肉を引き裂きその性能を堪能しろ。
そうだ、引き裂けばいい。
あんなもの殺しても何もマイナスでないみんなの命が助かる私も愉悦を得られるそうしようそうしようそうしよう。
子供の小さな手なら、薄手の手袋をしたまま拳銃を握ることができる。
自分の取り落とした凶器に命を奪われる。
皮肉でいいことじゃないか。
拾った拳銃を男の背に向けて、ニタニタと粘ついた笑みを湛えて。
ああ、あの美味げの肉は美味しいだろうなとワクワクニタニタと。
指が。
「ダメっ!!!」
「!」
私が引き金を引く直前、灰原さんが私の横から抱きついた。
もしかしたらせめて体当たりして銃口を逸らそうとしたのかもしれない。
私の筋力ゆえに小ゆるぎもしなかった。
でも私が正気に返るには十分だ。
「早く避難するわよ!携帯の繋がる場所で110番通報!急いで!!」
「っ、はい」
灰原さんが叫んだ声がなんだか遠く聞こえる。
肉体君が暴れて暴れて、私の作った安全な小部屋で「出してください!僕も寄生虫どもを追い払います!」と叫んでいる。
でももう彼は出さないと決めた。
そういう判断力すら無くなる前に、肉体君には安全でいてもらうのだ。
・転生特典
あんまり触れない設定。
実は転生者には皆、転生特典が一つずつある。
拙作共通設定。
クローン主は「永続」あるいは「生きる」能力を持っていた。
その力があったからこそ、欠陥だらけのクローン体がたった一体のみ、生きて稼働を始めたのである。
・肉体君
クローン主の終活の気配を感じ取り、安全部屋の中でゲッダン並みに暴れてる。