「今日はこの後出る。数日帰れないかもしれない」
あまりにも平和で時間感覚がなくなってくる今日のこと。
そう言い出した降谷さんは、いつになく険しい表情をしていた。
夜だ。
今日は私の食事当番の日で、食事は降谷さん好みの和食である。
でもバリバリの肉体派の降谷さんには動物性タンパク質は欠かせない。
よってたっぷり生姜焼き丼に、ごま油や天かすを合わせたボリューム増し冷奴、そして具沢山味噌汁である。
それを流し込むようにかっこんで、降谷さんは「おいしかったよ」と言って疲れの残る仕草で着替え始めた。
「どこにも連れて行ってあげられなくてごめん」
「そんなこと言って、昨日は服を何着かとリュックを一つくださいましたよね」
「最低限の物ぐらい用意できなくて保護者は名乗れないからね」
「嬉しかったですよ、あのちょっと特徴的な服」
贈り物はそれだけで嬉しい物だ。
降谷零は服を選び慣れていないのか、それとも自分の顔なら何でも似合うと油断しているのか。
何だか奇抜な服ばかりだったが、それはそれでなんだか心が暖かくなる物である。
「特徴的って、褒めてないぞそれ」
「オリジナルも時々変な服着てますよね。顔がいいので全然問題ないんですけど」
「実は貶してる?風見は似合ってますねって言うぞ」
「それは『そのセンスの服が似合ってるの凄いですね』の意ですよ間違いなく」
降谷さんはむっつりと眉間に皺を寄せた。
いや、ダサいわけじゃないんだがな。挑戦的な色合いとか造りの服が多いと言うか。
降谷さんは「僕は変なセンスじゃない」「みんな似合うって言う」とブツブツいいながら洗面所へと向かった。
洗面所には私が贈ったタオルが掛かっている。
感謝を示すのに、まず物を介すのは簡単な方法だからな。
灰原さんの方にも先日、日頃の感謝を伝えるために造花の詰まった瓶を送らせてもらった。
贈り物用の既製品を買うには有り金が足りなかったので、材料を集めて自らデザインしたものだ。
降谷零の凝り性もあってかなり豪華なデザインになったから、贈る私も満足の一品である。
灰原さんはすごく喜んでくれて、私をたくさん抱きしめてくれた。
こんな日々が永遠に続けばいいと、素直にそう思う。
さて、ブツブツいいながら顔を洗った降谷さんは、クロークからバーボンの上着を取り出してため息をついた。
「逃げ出した組織幹部が見つかったらしい。西多摩市のツインタワービルに現れる可能性が高いとウォッカから連絡があった」
「オリジナルの役割は?」
「僕は単なる補佐、爆発物を仕掛けたいから手を借りるとのことだよ」
一般人も数多くいる、西多摩市の巨大な商業施設に爆弾を設置する。
それは顔が明るくなるはずもないか。
降谷さんは重く息をついてから、ゆるぬると私に視線を合わせた。
「その上で聞くけど、あの家にいる君の専属医師、灰原哀って子。シェリーだよね」
「…………」
そりゃ降谷さんなら気がつくか。
江戸川コナンが組織の薬で小さくなったことは既に降谷さんも理解している。
その江戸川コナンについて事情通で、私の体を見られるほど医学薬学に精通して、バーボンを警戒する子供。
なるほど、疑わしいというレベルではなかろうよ。
私は素直に頷いた。
「はい。燃え残った資料からシェリーが復元したアポトキシン4869には、幼児化の作用がありました。彼女は独房で自ら服毒したのです」
「まったく、死ぬ公算の方が高かったろうに。とんでもないかけに出る物だ」
「いえ。死ぬつもりだったと言っていました。唯一の希望である姉を失い、自分の薬が人を殺す道具に使われて、もう生きている意味はないと」
「…………そうか」
それはどれほどの絶望だろうか。
降谷さんはしばし目を伏せたようだった。
あのエレーナ先生の子供が、片方はジンに殺され、もう片方は自殺未遂。
そのように考えていることはよくわかる。
なぜ助けられなかったのかと悔いていることも明白だった。
そう考える己の差し出がましさも理解した上で。
私も少しだけ、己の浅慮を悔いた。
この暖かな気持ちを知る前は、どうであろうと死ねば次があるだけだと思っていた。
でも今ならわかる。
この熱を失うことは、恐怖としか言いようがない。
こんな熱を、皆感じて生きてきたのだろうか。
少しだけ嫉妬してしまいそうだ。
少しだけ同情してしまいそうだ。
この熱は、私には荷が重すぎる。
降谷さんが軽く首を振って思考を切り替えたらしい。
「ともかく、彼女は組織に捕捉されかけている。念のためツインタワービルは危険だと伝えておく」
「貴方の口から伝えては危険では?」
「問題ない。シェリーが追手を勘付いた疑惑はあったから、ツインタワービルに現れなくとも不自然はないだろう」
「それならば問題なさそうですね」
とすると、天国へのカウントダウンのストーリーはどうなるのだろうか。
黙りこくった私に、言い含めるように降谷さんが口を開いた。
「いいか、君は留守番してるんだ」
「僕が彼女を助けに行きたいとしてもですか」
「ああ。論理的な説明は省略しよう。君もそれはわかってるはずだ。だから、僕が君に死んでほしくないから、とだけ言わせてもらう」
あまりに真摯なその瞳に、私は言葉を紡ぐことができなかった。
「家族だと思ってる。こんなに居心地がいいのは初めてだ。一緒に住んでいて、まるで欠落が埋まったみたいに感じるのは」
「灰原さんを助けてくれますか」
「勿論、僕が彼女を保護して見せる。その上で犠牲者を出さないように尽力する。僕に任せてくれ」
それまで黙っていた弟君が、むっつりと不平不満を表明するような声を出した。
「……母君は任せました。きっと父君も何とかしようと駆け回るので、貴方のサポートにかかってます」
「前から思っていたんだけど、僕が父じゃダメなのかい」
「嫌です。僕の父君は江戸川コナンです。兄君は……貴方が父でもいいと思ってるかも知れませんけど」
「ということでコメントをどうぞ」
謎に私の出番が回ってきた。
私はごほんと咳払いして、恥ずかしさに頬を染めながらおずおずと声を出す。
「………あの。父さんと、呼んでいいですか」
「勿論。空君、おいで」
とととと駆け寄ると、優しく降谷さんは抱きしめてくれた。
あったけぇなぁ。
弟君が内側でモゴモゴとなにやら「オリジナルが生意気だ」「軽々しく触んな」と非難している。
面白いのでそのままにしておくこととする。
さて、彼が出て行った真夜中のこと。
こんな真夜中だというのに、チャイムが鳴った。
デフォルトのピンポーン、という無機質な音が冷たい廊下にこだまする。
私は敢えて鍵をかけて無反応。
極力物音を消し、外をチェックすることはなかった。
これで諦めてくれるならいいのだが。
かちゃり、と解錠を試みる音がする。
なるほど。やはり組織の人間らしい。
チャイムを無視していないふりをしたが、ばったり会うと危険極まりない。
まだガチャガチャやっている段階で、私は部屋の電気を煌々とつけた。
一瞬解錠を試みる音が途切れる。
顔を見られる前に逃げてくれると嬉しいのだが。
しかし願いは虚しく、音の主は堂々と入室を試みた。
静かな足音が近づいて、リビングにつながる扉を開ける。
「はぁい。ごめんなさいね。合鍵があったから入れさせてもらったわ」
美しい金髪を一つにまとめて、ライダースーツに身を包んでいる。
きっと己の証拠をこの部屋に残さないためだろう。
それでもなお麗しき美貌が、私をチェシャ猫のように睨み据えた。
ベルモット、すなわちクリス・ヴィンヤードその人である。
「貴方のお父さんとは友達なの。一緒に来てくれるかしら」
「それは、来てもらえないなら懐の銃で無理やり連れ去ると、そういう意味ですか」
「………へぇ」
まずは牽制。
ベルモットは面白そうに笑みを深めた。
いつでも机を盾に退避できる位置で、私は重心を軽く下げた。
既に窓は開けてあるので、そこから大脱出を決めねばなるまい。
2階なのでこの体ならば無事に着地できるはずだ。
「なぜチャイムを押したんです?」
「子供相手なら勝手に向こうから出てきてくれて便利な手よ。解錠も必要ないし」
「なるほど。とはいえ緊急連絡済みです。僕が玄関のチャイムに出なかった間に電話させてもらいました」
「ずいぶんお利口な子供のようね。可愛くないわ」
「二個目の質問なのですが、僕を何に使おうとしてたんです?バーボンへの意趣返しとかでしょうか」
ベルモットは優雅に笑って「知ってるのね、コードネームまで」と肩をすくめた。
「そんなところよ。あの男には煮湯を飲まされてるから、愛息子の一つでも攫って手駒にすれば歪んだ顔が見られるんじゃないかと思ったけど」
「ううん、僕諸事情で体が弱いので手駒は難しいですよ」
「その分頭脳はバッチリだから心配しないで。どう、私の飼い猫にならない?」
「将来性はある程度安定してそうですけど、保護者の同意がないのはちょっと。同じ職場に父親がいて、のちのち禍根になりそうですし」
「それは残念」
ベルモットはあっけなく引いたようだった。
いや、もしかしたら工藤新一、すなわち江戸川コナンの友人であることも調査済みで、手加減してくれているのかもしれない。
バーボンの握っている手もある。
もしかしたらこの侵入は単なる牽制の意味合いだけだったのかもしれない。
後日バーボンの前に私の所有物をちらつかせて「可愛い子ね、息子?」って聞くための小道具を手に入れるためだったとか。
まあ、それはそれでありそうだ。
ベルモットがぐるりと背を向けて手を振る。
「今後も気をつけるのね。組織の手は長く、闇は深いわ。油断すれば真っ逆さまよ」
「ありがとうございます。名も知れぬ美しい貴方。貴方のようなものを僕の友人が追いかけていました。この邂逅を彼に伝えても構いませんか」
「………内緒にしてちょうだい。失敗談が残るのはあまり誇らしいことじゃないわ」
「承知しました。友人には黙っておきましょう」
「ありがとう、前言撤回するわ。あの男と違っていい子ね」
肉体君がその背に硬質な声をかける。
「別れ際に一つ。僕はあの組織を憎んでいます。貴方はどう思っていますか」
「………さあ。昔はそういう時もあったけど。今残ってるのは、暗く野晒しにされた諦観だけだわ」
組織らしいポエムを残して、来た時と同じぐらいあっけなくベルモットは去っていった。
ほう、吐息をつく。
緊張がようやく解ける。
弟君がコロコロと魂のまま転がってぽす、と私の魂にぶつかった。
『ああー、意味わからないタイミングで死ぬかと思いました…!兄君!兄君!ヨシヨシして!!』
『はいよー、よーしよしよしよし』
弟君の魂を存分にモニュモニュする。
弟君は「えへへ。兄君が撫でてくれる。えへへ」と言ってポヨポヨした。
確かにちょっと太っちょだけど、大福みたいで非常にいいと思うんだけどな。
この子も不思議なものだ。
未来で私が何をしたとして、今の私と同一人物ではない。
だというのに今の私にこんなにも素直に好意を向けてくれている。
それでも時折。
夜に泣くことがある。
魂なのに器用にプルプル涙を流して、出して出して行かないでと震えるのだ。
そこにどれほどの悲しみがあったのかわからない私には、それを優しく宥めて撫でてやることしかできない。
私はただ、最良の選択をするのみである。
・震える大福
「出して、出してよう、あにぎみ、やだ、やだよう」って言ってプルプル震えて泣く。
隣にひっついてヨシヨシしてやると泣き止むので、毎晩ひっついてヨシヨシされながら寝ている。