スター・ウォーズ:悪意の継承 作:皇帝大好き
冷たく、粘り気のある暗闇。永遠に続くかと思われたその深い泥底から、唐突に意識が浮上した。
「ガハッ……! ゲホッ、ゴハァッ……!」
激しい咳き込みと共に、肺の奥底に溜まっていた嫌悪感を催すゼリー状の培養液を吐き出す。硬く冷たい金属の床に這いつくばりながら、ダース・ヴェナミスは全身の筋肉が痙攣するのを必死に堪えていた。
大きな漆黒の目を開くが、最初はぼやけた視界の中で青白い光が明滅するだけだった。全身の皮膚には無数の管が突き刺さっていた痕があり、そこから鈍い痛みが絶え間なく脳へと送られてくる。
(俺は……どうなったのだ……? ここは……)
生命維持装置や得体の知れない医療機器だけではなく、得体の知れない生物が閉じ込められた檻が立ち並んでいる。統一性はなく、酷く雑然とした場所だ。そして、自分がつい先ほどまで、そんな部屋の中央にある透明な円筒状のカプセルの中に浮かばされていたことを、ヴェナミスは理解した。
そして、その光景を認識した瞬間――頭蓋をかち割るような激しい頭痛と共に、忌まわしい記憶の奔流が押し寄せてきた。
そうだ。思い出した。
自分は、シスの暗黒卿ダース・テネブラスに見出された弟子。
ある日、偉大なる師テネブラスは命じた。俺はテネブラスの唯一の弟子ではない。シスに二人以上の存在は許されない。優れた者だけが真のシスとして認められる。故に真のシスになりたいのならば、自らのもう一人の弟子であるムンのシス、ダース・プレイガスを暗殺せよと。
ヴェナミスは師の命令通りに動いた。自らの力に絶対の自信を持っていた。テネブラスから授かった知識とライトセーバーの剣技があれば、ムンの学者崩れなど容易く屠れるはずだった。
だが、現実は違った。
標的の前に姿を現した時、テネブラスは既にプレイガスの手によって謀殺された後だった。そして、ヴェナミスが刃を交えたプレイガスは、彼とテネブラスが想定していた限界を遥かに凌駕する、底知れぬ暗黒面の深淵を覗かせる怪物へと変貌を遂げていたのだ。
自負していた剣技はことごとくあしらわれ、フォースの嵐の前に無惨に叩き潰された。
死の恐怖に直面したヴェナミスは、シスの誇りを捨てて床に這いつくばり、無様に命乞いをした。己の忠誠を誓う代わりに、どうか命だけは助けてくれと。
プレイガスは確かに彼を「生かした」。だが、それはシスとしての従属すら許されない、最も惨憺たる地獄の始まりだった。
ヴェナミスはミディ・クロリアンを操作するプレイガスの狂気じみた実験の「モルモット」として捕らえられたのだ。
意識を奪われ、毒を与えられ、細胞を破壊されては、フォースの力で無理矢理に蘇生させられる。死の淵まで突き落とされては引き戻される。その果てしない苦痛のサイクルの中で、彼の自我は徐々にすり減り、いつしか自分が生きているのか死んでいるのかすら分からなくなっていた。
(あの……終わらない悪夢から、なぜ俺は覚めたのだ……?)
ヴェナミスは震える手で床を叩き、よろめきながらも立ち上がった。
周囲を見渡すが、あの憎悪すべきムンの姿はない。実験室は異様なほどの静寂に包まれていた。
「逃げなくては……」
ひび割れた声が漏れた。理由はどうあれ、拘束は解け、意識は戻ったのだ。プレイガスが戻ってくる前に、この呪われた実験施設から脱出しなければならない。
壁に立てかけられていた己の服と、そして奪われたはずのライトセーバーを見つけ、それを装着しようとした、その時だった。
――ブゥゥン……。
背後で、ホログラム・プロジェクターが起動する低い音が響いた。
ヴェナミスが弾かれたように振り返ると、部屋の中央の円形コンソールの上に、等身大の青白い立体映像が浮かび上がっていた。
映し出されていたのは、深く顔を覆う黒いローブを纏った人型の男だった。
フードの奥は深い闇に沈み、その表情を窺い知ることはできない。だが、ホログラムという実体のない映像越しでさえ、その男が纏うただならぬ暗黒面の気配が、冷気となって実験室の空気を凍てつかせた。
『目覚めたか、ダース・ヴェナミス』
合成されたホログラムの音声であるはずなのに、その声はヴェナミスの脳内に直接響き渡るような、不気味な威厳と底知れぬ冷酷さを孕んでいた。青白いノイズを纏いながらも、その姿から立ち昇る暗黒面のフォースは、物理的な質量すら伴っているかのように実験室の空気を重く、息苦しいものへと変えていく。
「お前は……何者だ? あのムンの外道、プレイガスはどうした……!?」
警戒を露わにし、ヴェナミスは一歩後ずさった。長い指がピクリと痙攣し、己の服と共に奪い返したライトセーバーの柄に無意識に触れる。
ローブの男は、フードの奥の深い闇の中で、酷薄に唇の端を歪めたように見えた。
『プレイガスは、もはやお前の前に現れることはない。あの愚かで傲慢なムンは、自らの力を過信し、真の暗黒面の深淵を読み誤ったのだ。奴はすでに、私の手によって排除された』
その言葉の裏にある決定的な事実を察し、ヴェナミスは息を呑んだ。プレイガスが死んだ?
テネブラスをも出し抜き、ヴェナミス自身を赤子のように捻り潰したあの怪物が、敗れたというのか。
『お前をその終わらない苦痛の連鎖、無意味な死と再生の螺旋から解き放ったのは、この私だ。私の名は……ダース・シディアス』
シディアス。ダースを名乗ると言事は、こいつもシスなのだろう。
だがヴェナミスの記憶のどこを探っても、そのような名は存在しなかった。シスの掟は二人。師であるテネブラス、そして兄弟子であるプレイガス。彼が知るシスの系譜はそこで完結している。目の前の男も、テネブラスが密かに育てていた弟子なのか、それとも全く別の闇から這い出してきた簒奪者なのか。
だが、今のヴェナミスにとって、シスの歴史や正統性などどうでもいいことだった。重要な事実はただ一つ。今、この部屋にあの恐るべきプレイガスはおらず、目の前の男はただの「通信映像」であるということだ。
シディアスがどれほどの力を持っていようと、実体はここにはない。おそらく何千、何万光年も離れた別の星系から、ホログラムを通じて語りかけてきているに過ぎない。
(……好機だ。今ならば、逃げられる)
長きにわたる拷問で衰弱しきっているとはいえ、フォースの力は確実に戻りつつある。相手が映像であるならば、恐れるに足らない。
ヴェナミスは不敵な笑みを浮かべようとし、しかし引き攣った表情のまま言い放った。
「……助け出してくれたことには感謝しよう、シディアスとやら。だが、俺は誰の指図も受けん。プレイガスが死んだのならば、俺こそが唯一のシスだ。俺を助ければ、大人しく従うとでも思ったのか? ふん、馬鹿め。俺はシス。ならばお前こそ俺の下に跪くべきなのだ。そこで待っていろ。俺はお前を必ず探し出し、俺様の足元に跪かせてやる」
言い放つと同時、ヴェナミスは身を翻した。ビス特有の長い脚の筋肉にフォースを集中させ、爆発的な加速で実験室の強固な電子扉へと向かって駆け出す。
一瞬で部屋を横切る。腰からライトセーバーを引き抜き、起動ボタンに指をかける。どんな分厚い隔壁であろうと、この刃で円形に切り裂けば、数秒で脱出路が開ける。
自由が、すぐ目の前にある。二度とあの培養液の中には戻らない。
そう確信し、ライトセーバーの刃を突き立てようとした、まさにその瞬間だった。
「ガッ……!?」
見えない、巨大な鋼鉄の万力が、ヴェナミスの細い首を背後から強烈に締め上げた。
「あ……ガァッ……! ギギ……ッ!!」
凄まじい力で喉仏が押し潰される。足が宙に浮き、ヴェナミスの長身が空中で激しくもがいた。手からライトセーバーが滑り落ち、硬い金属音を立てて床を転がる。
肺への酸素の供給が完全に断たれ、まぶたのない巨大な黒い瞳が、極限の苦痛と驚愕に見開かれた。両手で自らの首を掻きむしるが、そこには物理的な腕など存在しない。だが、首の骨がミシミシと嫌な音を立てて軋み、圧倒的な圧力が確かな実体を持って彼を圧殺しようとしていた。
『逃げられるとでも思ったか?』
シディアスの声が、通信機越しではなく、部屋全体を震わせる死の宣告として響き渡った。
あり得ない、とヴェナミスの薄れゆく意識の中で、理性が悲鳴を上げた。
ここはただの通信回線だ。ホログラム越しだというのに。光年単位で離れた場所にいるはずの術者が、映像越しに標的を捕捉し、これほど正確に、これほど圧倒的な力で直接フォースを操っているというのか。
フォースに空間の制約はないとはいえ、これほどの離れ業を、呼吸をするように容易く行える者が存在するなど、ヴェナミスの常識を根本から打ち砕くものだった。少なくとも自身や、そして死であるテネブラスにも不可能だ。或いはこいつは……あのプレイガスよりも。
『お前はかつて、死の恐怖に屈してプレイガスに命乞いをした。シスの誇りを捨てて床を舐めた。そして今、恩人である私を侮辱したばかりか、無様に逃げ出そうとした。お前のシスとしての矜持など、とっくの昔にあの培養液の中に溶け落ちているらしい』
「ァ……ッ……ゆる……し……」
ヴェナミスの視界が完全に黒く染まり、脳の血管が弾け飛ぶ寸前。
彼が完全に死の淵を覗き込んだその瞬間。
『だが、そんなお前にもまだ利用価値がある』
ドサッ!
唐突に拘束が解け、ヴェナミスは床に無様に叩きつけられた。
「ゲホッ……! ハァッ……ハァッ……ハァッ……!!」
喉をかきむしり、床の冷たい金属に爪を立てながら、貪るように空気を肺へと送り込む。全身が脂汗にまみれ、恐怖と酸欠で激しい痙攣が止まらない。涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら見上げた先には、青白い光を放つダース・シディアスのホログラムが、身動き一つせず、這いつくばる虫けらを見下ろすような冷然とした態度で立ち尽くしていた。
一瞬で理解した。自分と目の前の男との実力の差を。もはや、抗う気力など微塵も残っていなかった。
偉大だと思っていたテネブラスは死に、絶対的な恐怖であったプレイガスも死んだ。
そして今、目の前にいるこの得体の知れない暗黒の化身は、過去の二人を優に凌駕する、底なしの悪意と絶対的な力を持つ支配者だ。ヴェナミスは悟った。自分は地獄から這い出したのではない。さらに深く、決して逃れられない真の暗黒の底へと引きずり込まれたのだと。
ヴェナミスはよろよろと身を起こすと、床に膝をつき、ホログラムの男に向かって深く、ひれ伏すように頭を垂れた。
「……ど、どうかお許しを、我が主……シディアス卿。わ、私に出来ることであれば何なりとご命令を」
かつてダース・ヴェナミスと呼ばれた誇り高きビスのシスは、こうして名もなき刺客として、新たな絶対者の手に完全に落ちたのである。
『良い返事だ。ならば、早速だが命令を与えよう』
シディアスのフードの奥で、邪悪な笑みが浮かんだ。
『最初の仕事だ。ナブーという辺境の星へ向かえ。そこでアーズ・ヴェルナを殺した後、通商連合総督、ヌート・ガンレイの下に赴くのだ』
「はっ……。必ずや、主の御心のままに」
ヴェナミスが深く頭を下げたまま応じると、不気味な低い笑い声だけを空間に残し、ホログラムはふつりと途絶えた。
薄暗い実験室には再び静寂が戻ったが、ヴェナミスの心には、二度と消えることのない暗黒の焼き印が、深く刻み込まれていた。