懺悔
私は生きていない
死んでいないだけ
これは後悔
2025年5月10日
父が死んだ。
がんだった。
4年前からステージ4だった。
2021年の夏、最初の手術が成功して私は治ったのだと思い込むことにした。父が亡くなるなんて思いたくなかったから現実から目を背けたのだ。
父は死なないと言った。
私たちを安心させるための嘘だったのだろう。
あの頃の私は大学についていけず不登校になっていた。奨学金を借りていたのに不登校になったのだ。今思えば思うほど罪深い。
大学から父から母から逃げギャンブルをしていた。
しかし父が病になってから学校を卒業するために頑張った。授業全て1番前で受け単位もとった。
父は治療を続けてた。
経過観察で付き添いに行く日があった。
がんは切除し肺の転移もみられないとのことだった。
もう大丈夫だと思うことにした。
足のリンパの手術も成功した。
父は死なない。これからも一緒だと現実逃避をした。父が手先が弱くなり洗濯物が辛いと言った。代わりにやったが一月も持たなかった。
これも後悔だ。
もっと早く親孝行できたのに。サインは出たのに、何もしなかった。
死ねば良い
2024年秋から父の食が細くなった。
お腹が減ってないのかと現実逃避した。
食事の準備は行った。
この時は亡くなるサインが食べられなくなることなんて知らなかった。
知ろうとしてなかった。
死にたい
茶碗いっぱいを頑張って食べていた。
気力で食べていたのだと今思う。
知らなかった。知ろうとしなかった。
言い訳はいっぱいある。
一年目の社会人、任された仕事に潰れかけていた。残業が常となっていた。
そんな言い訳はいっぱいある。
でも出来たはずなのにやらなかった。
父には愛情をたくさんもらったのにもっといっぱい返せたのに。
2025年1月
父が仕事を辞めて私の扶養に入ると言った。
私は嬉しく思った。これからは父を支えるんだ
私が支えるんだ。頑張ろう、辛いけど頑張ろう
でも扶養に入る前に亡くなった。
3月から肺に水が溜まってるって話してた。
大変だと思った。でも仕事も辞めるしこれからは自分の時間ができるねって話してた。
違った
もう治らないところまで来てるっていえなかったのだろう。もう長くないって心配させないために言わなかったのだろう。
大事なことは伝えずに心配させないために。
4月
検査で肺に水が溜まってるから手術で肺を膨らませるって話を聞いた。ゴールデンウィーク前に手術をやってゴールデンウィークには退院予定だった。
忘れもしない4月22日
父の検査の日に肺に大量に水が溜まってるから、緊急入院になった。
急いで着替えを持って行った。
連絡が来て必要なものは全部持って行った。
初めてわがままを言ってくれた。
何でも持って行った。
帰れるから、すぐに帰れるからって言われた。
安心させるために
心配させないために
ついた嘘だった
4月25日手術をやった
簡単な手術って聞いていた、
すぐ終わる予定だった
笑顔で言ってた
すぐ帰るから
死にたい
手術は失敗した
肺は広がらなかった
ご飯が食べれなくなった
氷で水分を得るようになった
ここからは早かった
死にたい
5月4日
先生からもう時間がありません。
家族と親戚に伝えてくださいと言われた。
母には伝えるなって言われてた
でも言った
母には怒られた
何で伝えなかったと
帰って来れるって言ってたから
すぐに帰るって言ってたから
お母さんには言わないでって
言い訳だ
親戚に泣きながら電話した。
おじさんは7日に来た
親戚のおばちゃんもすぐに来た
何でもっと早くに知らせなかったのかって
言われた
すぐに帰るって言ったのに
僕は間違えた。
7日にはもうしゃべるのも辛くなって
掠れ声になってた
でも意識はあった
8日田舎のおじちゃんと来てくれたおじちゃんたちで電話しながら思い出話をしてた。
9日お前にあとは頼むって言われた
やだよ
帰ってくるって言ったじゃん
すぐに帰るって
なんで
10日
もういつ息を引き取ってもおかしくないと
覚悟をしといてくださいと先生に言われた
お母さんは泣いていた
10日夜僕が泊まることにした
痰を吸引するから外で待っててと看護師さんに言われた
先生が走ってきた
もう持ちません
みなさん呼んでください
泣きながら電話した
やだよって言いながらみんなを待った
みんなきた
お父さんは眠った
今にも起きそうな顔で眠った
お姉ちゃんは立てなかった
おばちゃんたちは頑張ったって言ってた
お母さんも泣いていた
兄も泣いていた
僕は泣いた
夢だと思った
帰るって言ってたからこれは悪い夢だと
覚めることない夢だった
葬式はゴールデンウィーク明けで予約がいっぱいですぐには出来なかった
1週間後になった
無理を言って度々お父さんに会いに行った
今にも起きそうなのに冷たい
芯まで冷たい
あったかくすれば起きるんじゃと
何回も思った
今から肺の手術をやれば起き上がるんじゃないかと
触って起こしてみたりもした
帰るよって
起きなかった
額は
顔は
手は
冷たかった
会社に連絡をした
喪主をやった
これからは家族で支え合って生きていきますって
涙は出ないと思った
他人事みたいだった
自分のことではないと思った
焼いた
少なかった
おじちゃんたちは帰った
お父さんの知り合いいっぱいきた
1人も知らなかった
知ろうとしなかった
死にたい
あの日から私はうつ病になったらしい
眠れないだけなのにね
あの日からずっと動かない
体育座りしてる
お父さんの部屋はそのまま
一年たってもそのまま
お父さんの匂いがする
死にたい
帰るって言ってたのに
僕の肺を上げればよかったのか
どうすれば父は死ななかったのか
もっと出来たはず
いろんなことができたはず
いろんなことをしたかった
お父さんと田舎に行こうと計画してたのに
僕はしにたい
だれかへ
あなたは間違えないでください