放課後の体育館は、しんと静まり返っていた。
戦闘訓練でも使うだだっ広い屋内施設。格子に区切られたタイルの床が、奥の大きなアーチ窓までまっすぐ続いている。申請を出して放課後の二時間貸し切りで押さえた。隅には、標的用のコンクリブロックが積んであった。ここでなら何発撃っても文句は出ねェ。
勝己はその一つを床の中央に引き出して据え、右の掌を向けた。
(……二度と、あんな思いはしねェ)
USJのあの声。あの黒。塞いだはずの罠を片手で攫っていったあの男。
俺の爆破は、火花にもならなかった。膝が、笑った。中身は――の俺だってのに、体は何ひとつ、追いついちゃいなかった。
あの時俺はただ突っ立ってた。
守るどころか、その場に立ってるだけで、精一杯だった。
(それを情けねェの一言で、済ませられねェ…!)
忘れるな。あの無力を骨に刻んどけ。
それが、次に繋がる唯一の燃料だ。
相手はただ強ェだけの敵じゃねェ。
個性を奪う。与える。溜め込んだ力を手札みてェに、何枚でも切ってくる。一度目は結局誰一人、あの男には届かなかった。
そんな化け物に十五のガキの体で挑むなんざ、正気の沙汰じゃねェ。
分かってても、それでも退く気はこれっぽっちもねェ。
なら埋めるしかねェ。頭と、体の、この差を。
一年。たった一年であの高さに少しでも近づく。それ以外に道はねェ。
――――――――――――――――――――――
まず、今の出力を測る。
掌を床へ向け軽く爆ぜさせた。腹の底に響く、慣れた反動。…だが、軽い。あの頃の内臓を揺さぶるような手応えはねェ。
汗の量も半分以下。長く撃てばすぐに切れちまう。
分かっちゃあいたが、改めて突きつけられると、苛立つ。この体はまだ何も知らねェ、ガキの体だ。
それでも形だけは試しておく。
まずは、APショット。
片手で輪を作り、もう一方の掌の出力をその一点へ絞り込んで撃つ。範囲を捨てて、貫通だけに振り切った遠距離の一撃。一度目これを物にしたのは、もう少し先のことだった。だが形は頭が覚えてる。
輪を作り汗を集め爆ぜさせる。
パン、と。
乾いた音。コンクリに、濃い焦げ跡が残っただけだった。
本来なら、ブロックを撃ち抜いて、その向こうの壁まで風穴を空ける一撃だ。それがこれか。
(……威力が、全く足りねェ)
分かってる。汗の量も、瞬間の出力も、今の体じゃ、あの頃の半分も出やしねェ。形だけ完璧でも、燃料が足りなきゃただの花火だ。
次。ハウザーインパクト。
上空で爆破の渦を作り、勢いと酸素を巻き込んで、着弾と同時に最大火力を叩きつける。籠手はねェ。生身の掌に、できる限りを溜めて──
ドゥンッ、と。
据えた標的のコンクリブロックが、いくつか吹き飛んだ。
悪くねェ音だ。だがまだ足りねェ。一度目、体育祭の決勝で轟の張った巨大な氷壁を、丸ごと砕いて吹っ飛ばした。あの威力では、まったく満足は出来ねェ。
掌がじんと痺れた。
溜めきる前に汗が尽きた。生身の皮膚が出力に悲鳴を上げてる。当たり前だ。一度目の鍛え抜いた体とは、容れ物が違うんだ。
ついでに、と地を蹴った。
両の掌を後ろ下へ。連続で爆ぜさせて空中で姿勢を組み替える。――の俺なら、爆風だけで、空を駆け回れた。
だが、4発と保たなかった。
出力が続かねェ。汗が追いつかねェ。無様に片膝をつく。
爆風で空を蹴って敵の頭上を取るのも、瞬きの間だった。
今は、せいぜい3回跳ねりゃ息が切れる。空中戦なんざ夢のまた夢だ。
息が上がっていた。
たった数発で…この様だ。スタミナも底が浅ェ。情けねェったらありゃしねェ。
(頭は覚えてる。体が出来てねェ)
当たり前だ。これは、十五の体だ。
鍛え抜く前の出力も、持久も、汗の量も何もかもが伸びしろだらけのただのガキの体。あの頃の技をそのまま振るえるわけがねェ。
特に──あれはまだ論外だ。
ふっと、最終戦の景色がよぎる。
汗の玉を溜めに溜めて、行き場をなくしたそれが全身の腺から噴き出して、体ごと爆ぜた。あの時は、それで化け物に喰らいついた。だが引き換えに、体中が悲鳴を上げて──結局、胸を貫かれた。
今の体で同じことをやりゃ、一発で再起不能だ。
あれは、最後の最後命を賭ける時にだけ切る札。今手を出していい代物じゃねェ。
(……いつかはあれも、モノにする。だが今じゃねェ)
だが。だからこそだ。
一度目、俺はがむしゃらに力任せに振り回してずいぶん遠回りをした。どの鍛え方が伸びてどれが無駄だったか。どの技をどの順で覚えりゃ最短だったか。今の俺は、ぜんぶ知ってる。
なぞるだけじゃねェ。最短で組み直す。
掌を、またコンクリへ向けた。
今度は力任せじゃねェ。USJで、黒霧の実体に置いたあの一点。あの感覚をもう一度。
ありったけをぶち撒けるな。
針の先みてェな一点に、絞って置く。
ドッ、と。
コンクリに小せェが深い風穴が空いた。
威力じゃねェ。精度だ。今のこの細い体でも、ここなら伸ばせる。やがてAPショットへ繋がる土台になる。
(……これだ)
力が足りねェなら、置きどころで補えばいい。
一度目の俺は出力と才能に物を言わせて、こ地味な研ぎ方なんざ見向きもしなかった。今だからこそ見える道だ。
それに技より先に土台だ。
出力も、持久も、汗の量も、この体を一から作り直す。一度目は闇雲に追い込んで、何度も体を壊した。
焦るな。最短ってのは無茶とは違う。
もう一度。もう一度。
同じ一点に、寸分違わず置く。十発、二十発。掌が痺れて汗が滲んで、それでも、的の中心が、ブレねェように。
一度目は、こんな退屈な反復馬鹿にしてすっ飛ばした。だが、こいつがすべての土台だ。派手な大技も、結局はこの一点の積み重ねでしかねェ。
それに──ふと、思いつく。
一度目には、なかった発想だ。
この一点撃ちを、連続で、点じゃなく、線で置けたら。
点と点を繋いで、相手の動きそのものを、縫い止める。出力の低い今だからこそ、生きる撃ち方かもしれねェ。
試しにと掌を薙いだ。
一点を横へ、滑らせるように。連続で置いていく。
パパパッ、と。
小さく軽快な破裂が、床に一列奔った。
線にはまだ程遠ェ。点がぶつ切りに散らばっただけだ。
(……粗ェな。だが形は見えた)
あとは、ひたすら体に叩き込むだけだ。
一度目の俺が、何年もかけて遠回りした道を今度は地図を持って歩ける。それが、二度目のたった一つのアドバンテージだ。
知ってるってのは、過去をなぞるだけじゃねェ。
その、もう一歩先を先回りして踏める。それが武器になる。
ふと、息を整えながらデクの顔が浮かんだ。
あいつは、この一年何度も俺を庇った。最後の最後まで、何度でも俺の前に立った。一度目の俺は、それをちゃんと受け取れちゃいなかった。
(……いつか、出久にも、謝らなきゃ、な)
口に出す気は、まだねェ。今言ったって何のことだか分かりゃしねェ。
だが、いつか。出久が一人で行っちまうその前に…その時に、一度目のぶんもまとめて。
柄じゃねェと自分で笑う。
それでもそれも登る理由の一つだ。
この一年で、何が起きるかは知ってる。だが、USJで盤面を動かしちまった以上その知識がいつまで効くかは分からねェ。
誰にも言えねェまま一人で歩く。それが戻ってきた俺の背負うもんだ。
アーチ窓の外が茜色に滲むまで勝己は撃ち続けた。
掌の皮がひりついて汗が涸れても。あの無力を、一発ごとに塗り潰すみたいに。
(待ってろ)
誰に言うでもなく、胸の奥で呟いた。
次にあの声を聞く時は。この膝、絶対に笑わせやしねェ。
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その晩。
玄関を開けると、味噌の匂いがした。
「おっそいわよクソガキ! どこほっつき歩いてた!」
光己が玄関先で仁王立ちしていた。
相変わらず、口が悪ィ。相変わらずうるせェ。…相変わらず、生きてる。
「……鍛錬だよ」
「は? 体育祭があるから?いつから真面目になったんだあんたは」
ふん、と鼻を鳴らして勝己は靴を脱いだ。
一度目ならここで怒鳴り返してた。うるせェクソババアってな。
だが今は。
(……生きてんなら、それでいい)
光己が訝しげに眉を寄せた。
「あんた…最近なんか変よ?」
「気のせいだろ」
背を向けて階段を上がる。
見られたくなかった。今、自分がどんな面をしてるか俺にも分かんねェからだ。
――――――――――――――――――――――
「「「「何ごとだぁ!!!?」」」」
体育祭当日。
A組の控え室には朝っぱらから妙な顔ぶれがぞろぞろ顔を出していた。
「敵の襲撃を耐え抜いたからな。体育祭前の敵情視察だろ。いちいち小せェ事に反応すんな。うるせェ」
「ここがウワサのA組ねぇ。どんなもんかとツラか見に来たけど…ずいぶん、偉そうだなぁ」
普通科の制服。気だるげな目をした猫背の男。心操人使。
こいつのことも俺は知ってる。本戦で出久と当たって、洗脳で危うく負けさせかけた野郎だ。
「足元、ゴッソリ掬ってやんよっつー、宣戦布告に来た」
「宣戦布告?」
勝己は、鼻で嗤った。
「はっ、ただの野次馬だろ。わざわざ吼えに来るあたりよっぽど暇らしいな」
ドアの向こうから、B組の連中もぞろぞろと。
鉄哲が図体に似合った声を張り上げる。
「隣のB組のモンだけどよォ!敵と戦ったっつうから、話聞こうと思ったんだろうがよォ!えらく調子づいてんなァ、オイ!!」
切島が慌てて割って入った。
「待てコラ爆豪、おめーのせいでヘイト集まりまくってんじゃねえか!」
俺のせい、ときたか。
まあ、否定は、しねェ。
「関係ねえよ」
勝己は、椅子から立ち上がりもしなかった。
「上だけ見てりゃ、全部関係ねえ」
心操の目が、すっと細まった。
何か言いたげだったが、勝己はもうそっちを見ちゃいなかった。
普通科だの、ヒーロー科だの。
一度目は、俺もそんな線引きに躍起になってた。だが、今となっちゃ心底どうでもいい話だ。こいつもただ上を目指してるだけのガキだ。
来年の今頃には、全てが灰となる。俺には、それしか見えちゃいねェ。
――――――――――――――――――――――
会場は、人で埋まっていた。
全国に中継されるヒーローへの、最短の登竜門。プロのスカウトの目が、ここに集まる。
ステージの主審は、R指定ヒーロー・ミッドナイト。
実況は相変わらず1番はしゃいでるプレゼント・マイク。
解説席には順調に回復して、暗い顔に絆創膏が目立つ相澤先生。
「選手宣誓! 1ーA組、爆豪勝己!!」
ミッドナイトの声が、会場を揺らした。
一度目と同じだ。入試一位通過の俺が壇上へ呼ばれる。
ざわ、と。
通路を歩く俺に好奇と、品定めの視線が突き刺さる。
壇上に立つ。
マイクを、握る。
(一度目は、ここで、ただ吼えた)
ただ、勝ちたかった。一番に、なりたかった。それだけの宣誓だった。
だが、今は違う。
ぐるりと、会場を見渡す。
A組の連中も見える。 緊張を隠せずにいる出久。宣誓が俺と知って、焦る様な態度をとる面々。
ここは通過点だ。
あの男に届くための、最初の一段。
息を、吸い込んだ。
「宣誓」
声が会場の隅々まで通った。
「俺が、1位になる」
「「「「絶対やると思った!!!」」」」
構わず続けた。
「ここにいる全員せいぜい跳ねのいい踏み台になりやがれ」
ブーイングが、津波みたいに押し寄せる。
予想通りだ。けど、これで終わりじゃねェ。
息を吸う。
これは、こいつらへの煽りじゃねェ。俺自身への楔だ。
「だが、勘違いすんな。1位なんざゴールじゃねェ」
ブーイングが、わずかに、止んだ。
「俺は止まらねェ。誰にも届かねェとこまで、登り切ってやる」
言い切ってマイクを置いた。
退路を自分で焼いた。これで、もう後ろには下がらねェ。
壇を降りる時、視界の隅に出久がいた。
ぽかんと口を半分開けて。だがすぐに目の色が変わった。あの、分析する目だ。
(……気づいてやがる)
以前の俺なら、ああいうのは鼻で笑って言った。
だが、今のは笑っちゃいなかった。自分を追い込む声だった。こいつにはそれが伝わっちまったらしい。
ちっ、と胸の内で、舌を打つ。
鋭ェのは相変わらずだ。
――――――――――――――――――――――
第一競技は、障害物競走。
雄英の敷地、外周およそ四キロ。脱落以外は何でもありだ。
巨大なゲートの内側に選手がぎゅうぎゅう詰めに並ぶ。
一度目、ここでスタートの号砲とともに、渋滞が起きた。轟が、氷で後続をまとめて止めて先頭に出る。
知ってる。ぜんぶ、知ってる。
だが、知ってるからって楽に勝てるほどこいつらは甘くねェ。
轟の、張り詰めた冷気。飯田のエンジン音。出久の押し殺した気配。
スピーカーから、相澤先生の声が流れた。
「……始めるぞ」
ぴ、と空気が、張り詰める。
「位置につけ」
勝己は、低く腰を落とした。
掌に、汗が滲む。鍛え直したあの一点の感覚。今のこの体で、どこまでやれるか。
二度目だろうと、足が竦まねェ保証はどこにもねェ。
だが、竦む暇があるなら前に出る。
(──ここからだ)
号砲が、鳴った。
見てくれている人が多くて、嬉しいやら恥ずかしいやら… ありがとうございます!