ダンジョン管理アプリを手に入れた小卒コンビニバイトだけど気まぐれに現実を弄ってたら地球を大混乱させ魔王呼びされてるらしい〜私みたいなカスに現実の設定権限を渡した奴が全部悪い〜 作:わされいみゅ
続きとして、澪さんが「救済装置」ではなく「人間ごっこ中の旅人」として、住民に幸福を聞いて回る話にしました。
アンケートだけど、実質的には澪さん自身の時計が動き出す回です。
第2話 人間性アンケート
翌朝、私は壊れたショッピングモールの食堂跡に机を出していた。
机と言っても、かつてフードコートで使われていたテーブルを三つ並べただけのものだ。脚は片方が歪んでいたし、天板には焦げ跡と刃物傷が残っている。それでも紙を置くには十分だった。椅子もある。ペンもある。温かい湯もある。発電機は低く唸り、昨日より少しだけ明るい蛍光灯が、まだ死にきっていない文明の名残みたいに天井で瞬いていた。
私は紙の一番上に、大きくこう書いた。
――人間性アンケート。
その下に、質問を並べる。
一、あなたが幸福だと感じるものは何ですか。
二、好きな食べ物は何ですか。
三、好きな遊び、趣味、娯楽は何ですか。
四、最近、少しでも楽しいと思った瞬間はありますか。
五、この世界がもう少しマシになるなら、まず何が欲しいですか。
六、私に直してほしい怪しいところがあれば書いてください。
最後の一問だけ、少し迷った。
けれど必要だろう。人間ごっこをするなら、他者から見て自分がどれくらい怪しいのかを知る必要がある。自分で怪しいものですと名乗っているだけでは、改善につながらない。たぶん。紬さんなら「自覚あるなら直せば?」と言うだろうし、私は「それが難しいのでアンケートを取っています」と答えるだろう。
私は、完成した紙を見つめた。
「何やってんだ、怪しいものさん」
昨日、私へ最初に銃を向けた中年の女性が、少し離れた場所から声をかけてきた。名前はサラというらしい。元は看護師で、今はこのモール集落の実質的なまとめ役をしている。疲れた目をしているが、判断は早い。声は厳しいが、子供が咳をするとすぐ振り向く。そういう人だ。
「アンケートです」
「見れば分かる」
「では、なぜ聞いたんですか」
「見ても意味が分からなかったからだよ」
「なるほど」
私は頷いた。
「私は、ちゃんと人生を楽しめる人間になりたいんです」
サラの顔が、見事に渋くなった。
「……朝から重いな」
「すみません。軽い言い方を覚えていなくて」
「覚えた方がいい」
「努力します」
私は紙を一枚取って、サラへ差し出した。
「人間が何を幸福に感じるのか、趣味嗜好を教えてください。できれば具体的に」
「こっちは昨日まで水と薬に困ってたんだぞ」
「はい」
「そんな相手に、幸福とは何かを聞くのか」
「はい」
「正気か?」
「かなり怪しいです」
「自覚だけはあるんだな」
サラは深いため息をついた。それでも紙を受け取ってくれた。ありがたい。私は小さく頭を下げる。こういう時、ありがとうございますと言うべきなのは分かっている。分かっているのに、口に出すまで一拍遅れる。
「ありがとうございます」
「遅い」
「練習中なので」
サラは苦笑した。
苦笑でも、笑いは笑いだ。私はその表情を記録する。人間の幸福に近い反応かもしれない。
◇
最初に回答してくれたのは、昨日お風呂という言葉に反応した少女だった。
名前はリナ。九歳。字を書くのは少し苦手らしく、サラが隣で読み上げながら手伝っていた。リナはペンを握りしめ、しばらく紙とにらめっこした後、一問目に「おふろ」と書いた。
二問目には「スープ」。
三問目には「うた」。
四問目には、少し考えてから「きのう、おゆがあった」と書いた。
五問目には「ママのせきがなおるくすり」。
六問目には「きんぱつのおねえさんはこわいけど、へんなことをいうときはちょっとおもしろい」と書かれていた。
私はその回答を、しばらく見つめた。
「……面白い、ですか」
小さく呟くと、リナが椅子の上で足を揺らした。
「だって、じぶんであやしいものですっていう大人、はじめて見た」
「なるほど。自己申告型の怪しさは娯楽性を持つ可能性があるんですね」
「そういうとこ」
「どこですか」
「へんなとこ」
私はメモを取った。
変なところは、人間性の欠落ではなく、場合によっては娯楽性になる。
重要な知見だ。
リナは私のメモを覗き込み、首を傾げた。
「おねえさんは、何が好きなの?」
「虫さんを見るのは、今でも好きです」
「虫?」
「はい。脚が多いもの、翅があるもの、殻があるもの、土の中にいるもの、水辺にいるもの。どれも美しいです。漫画も、アニメも、ゲームも好きです。最近、少しずつまた楽しめるようになってきました」
「食べものは?」
問われて、私は口を閉じた。
昔は、カレーが好きだった。
小さい頃、母が作ってくれた。大きめのじゃがいもと、にんじんと、肉。少し甘くて、二日目には味が馴染んで、叔父の家でもたまに作ってくれた。熱くて、辛くて、湯気が出て、白米にかけるとそれだけで嬉しかった。
けれど、今の私には食べられない。
食事ができない。
他者の命を、自分の命へ変えることが、まだうまくできない。
私は、少しだけ視線を落とした。
「昔は、カレーも好きでした」
「今は?」
「今は、食べられません」
「びょうき?」
「そうですね。心の病気に近いです」
リナは少し考えてから、真剣な顔で言った。
「じゃあ、なおったら食べたらいいよ」
私は、息を忘れた。
あまりにも簡単に言われたからだ。
治ったら食べる。
それだけ。
その単純さが、私には少し眩しかった。
「……はい」
私は頷いた。
「そうします」
◇
アンケートは、思ったより集まった。
サラは「こんな紙に何の意味がある」と言いながら、結局、集落中の人間に声をかけてくれた。老人たちは昔の話を書いた。若者は半信半疑で書いた。子供たちは絵を描いた。文字の書けない人は、私が聞き取って代筆した。
幸福だと感じるもの。
温かい寝床。
安全に眠れる夜。
子供の笑い声。
雨漏りしない屋根。
歯が痛くないこと。
腹が鳴らないこと。
誰かが帰ってくること。
朝、まだ生きていると分かること。
好きな食べ物。
パン。
缶詰の桃。
焼いた肉。
卵。
チョコレート。
カレー。
母親が作っていた何か。名前はもう思い出せないけれど、匂いだけ覚えているもの。
好きな趣味。
歌。
カードゲーム。
昔の映画。
ラジオの修理。
編み物。
銃の整備。
子供に字を教えること。
虫を見ること、と書いた老人もいた。私はその回答に丸を付けそうになって、慌ててやめた。アンケートで誘導してはいけない。
最近楽しかったこと。
昨日の風呂。
発電機が動いた瞬間。
怪しいものさんが発電機の配線を逆に付けて怒られていたところ。
南の連中が撃ってこなかったこと。
リナが久しぶりに歌ったこと。
食堂跡の蛍光灯が点いたこと。
私はそれらを読みながら、何度も手を止めた。
小さい。
全部、小さい。
全能で幸福をねじ込む必要などない。彼らは、温かい湯や、少しの光や、誰かの咳が止まることや、子供が歌うことを幸福として拾える。終わった世界で、まだそれを幸福だと感じられる。
尊い、と思った。
同時に、痛かった。
私は、間違っていた。
他者の幸福を願っていたつもりで、いつの間にか他者の不幸を消すことだけを考えていた。
苦痛をなくす。
死をなくす。
飢えをなくす。
病をなくす。
争いをなくす。
もちろん、それは必要だ。苦痛は少ない方がいい。死ななくていい命は死なない方がいい。飢えも病も争いも、なくせるならなくしたい。けれど、それだけでは足りない。
不幸がないことと、幸福であることは違う。
私は、そこを間違えた。
痛みを消すことばかり考えて、何を嬉しいと感じるのかを聞かなかった。苦しみを取り除くことばかり考えて、その人が何を好きなのかを見なかった。最大多数の最大幸福などと言いながら、幸福そのものを知らないまま、不幸の減算だけを続けていた。
「……あの時から」
私は呟いた。
「私の時計は、進んでいなかったんですね」
十一歳。
初めて故意に人を殺した時。
叔父を殺した強盗を、その場で殺していれば、もっと多くの命が助かった。そう気づいてしまったあの日から、私は止まっていた。血と謝罪と責任感の中で、ずっと同じ場所を回っていた。
笑っていた。
幸せな勇者様を演じていた。
救って、殺して、謝って、また救った。
けれど時計は進んでいなかった。
最近になって、ようやく動いた。
紬さんが、死んで、帰ってきて、自分の葬式料理を食い荒らして、おかわりと言ったあたりから。
あれはやはり、ひどい光景だった。
でも、生命だった。
生きているものが、飯を食い、図々しく、最低で、嬉しそうに、おかわりと言う。あんなに下品で、あんなに眩しい幸福を、私は他に知らない。
「怪しいものさん?」
声をかけられて、私は顔を上げた。
サラが立っていた。手にはアンケート用紙がある。彼女自身の回答らしい。
「泣いてるぞ」
「すみません」
「謝ることじゃないだろ」
「そうでした」
私は目元を拭った。
サラの紙を見る。
一、幸福だと感じるもの。
子供が朝まで眠れること。
二、好きな食べ物。
昔食べた、辛い豆の煮込み。
三、趣味。
昔は読書。今はそんな余裕はない。
四、最近楽しかったこと。
怪しいものさんが真面目な顔で風呂の順番表に名前を書いていたこと。
五、欲しいもの。
余裕。
六、直してほしいところ。
自分を道具みたいに扱うところ。あと、説明がいちいち重い。
私は六問目で止まった。
「説明が重い」
「そこじゃないだろ」
「いえ、重要な指摘です」
「もっと重要な前半がある」
「はい」
自分を道具みたいに扱うところ。
昨日も言われた。自分の血は薬、肉は可食、神経は発電可能。そう説明した私を、サラはかなり本気で嫌がった。
当然だ。
人間は、初対面の相手から「私の肉は食べられます」と言われると引く。
学びである。
「努力します」
「努力だけじゃなくて、禁止だ」
「禁止」
「あんたが自分を切り売りしようとしたら、こっちが止める。そういうルールにする」
「なぜですか?」
「気分が悪いからだ」
サラは短く言った。
「あんたが何者だろうが、昨日からこっちの発電機を直して、風呂を作って、南の連中と話をつけて、子供に変なことを教えて、今朝から妙なアンケートを取ってる。そこまで関わった相手が、自分を物資ですみたいな顔で切り売りするのは気分が悪い」
「……それは」
私は言葉を探した。
「情ですか?」
「知らん。気分だ」
「気分」
「幸福とか人間性とか聞くなら、そういう雑なもんも覚えとけ」
私はメモを取った。
情、または気分。
関わった相手が自分を物資扱いすると嫌。
理由は明文化されなくても成立する。
重要。
サラは、私のメモを見て、またため息をついた。
「メモするほどのことか?」
「私は、こういうことを取りこぼしてきたので」
そう答えると、サラはそれ以上何も言わなかった。
◇
午後、私はアンケート結果を壁に貼った。
もちろん、名前は伏せた。全員の回答を大まかな項目に分け、幸福の種類としてまとめる。
安全。
食事。
清潔。
睡眠。
家族。
帰還。
遊び。
歌。
記憶。
役割。
誰かに必要とされること。
無駄な時間。
無駄。
私は、その項目を見つめた。
無駄。
これが難しい。
私の思考は、どうしても効率へ寄る。必要なもの。救命に関わるもの。不幸を減らすもの。幸福最大化に寄与するもの。そういう分類をしてしまう。
けれど、回答の中には無駄があった。
特に意味のない歌。
勝っても何も得られないカードゲーム。
直しても使い道のない古いラジオ。
子供が壁に描いた変な絵。
お風呂上がりに、ただぼうっとする時間。
それらは、なくても死なない。
でも、ないと人間が少しずつ削れる。
「無駄は、人間性の保存領域……」
「また変なこと言ってる」
近くにいた若い男が言った。彼は昨日、発電機の配線を直してくれた人物で、名前はミゲルという。
「でも、それはちょっと分かる」
「分かりますか」
「昔、親父がよく壊れたラジオを直してた。直してもまともに入る局なんてなかったのに、ずっといじってた。俺はガキだったから、そんな暇があるなら水を探せよって思ってたけど」
「今は?」
「今なら、少し分かる。あれはたぶん、生きてる感じがしたんだろ」
生きている感じ。
私は、その言葉を紙に書いた。
ミゲルが苦笑する。
「何でもメモるな」
「忘れたくないので」
「忘れそうにない顔してるけどな」
「忘れないことと、取りこぼさないことは違います」
私は、殺した命の顔を覚えている。
救えなかった人の声も覚えている。
けれど、その人たちが何を好きで、どんな無駄を愛していたのかを、私はどれほど覚えているだろう。
不幸は覚えている。
痛みは覚えている。
死は覚えている。
幸福を、あまりにも見ていなかった。
私は壁に貼られたアンケートを見上げた。
「この世界を救うなら、まず不幸を減らす必要があります」
「そりゃそうだ」
「でも、それだけでは駄目なんですね」
「まあ、飯だけあっても、ずっと地下で震えてるなら嫌だしな」
「はい」
私は頷いた。
「歌と、ラジオと、カードゲームと、お風呂上がりの無駄な時間が必要です」
「怪しいものさんが言うと、急に宗教っぽくなるな」
「改善します」
「そこは直した方がいい」
人間性アンケート、六問目の回答がまた増えた。
◇
夜、食堂跡で小さな催しをした。
リナが歌った。
ミゲルが古いラジオを直した。雑音だらけだったが、どこか遠くの集落からの放送が一瞬だけ入った。サラは豆の煮込みを作った。豆は少ない。香辛料も足りない。肉はない。それでも、湯気が立っていた。
私は食べられない。
だから、椅子に座って見ていた。
リナがこちらを見た。
「おねえさんは食べないの?」
「今日は見ています」
「いつか食べる?」
私は、少し考えた。
治ったら食べたらいい。
朝、リナに言われた言葉を思い出す。
「いつか、食べたいです」
「カレー?」
「はい」
「カレーってどんなの?」
私は説明しようとして、少し困った。
味を言葉にするのは難しい。
辛い。甘い。温かい。白米に合う。家庭によって味が違う。次の日も美味しい。じゃがいもが入っていると嬉しい。肉が大きいと少し得をした気持ちになる。鍋の底を焦がすと怒られる。
説明しているうちに、私は少し笑っていた。
リナも笑った。
「じゃあ、いつか作ろう」
「材料があれば」
「怪しいものさん、何でも出せるんでしょ?」
「出せます。でも、できれば一緒に作りたいです」
「なんで?」
「その方が、人間らしい気がするので」
リナはよく分からない顔をした。
でも、頷いた。
「じゃあ一緒に作ろう」
「はい」
約束ができた。
私はそれを、またメモしようとして、やめた。
これは紙ではなく、覚えておこう。
いや、覚えたうえで、あとで書くかもしれない。
紬さんなら「結局書くのね」と言うだろう。
食堂跡には、歌があった。
豆の煮込みの匂いがあった。
笑い声があった。
銃は壁に立てかけられていたが、誰も構えていなかった。
南の集団からも、数人が来ていた。まだ警戒は残っている。視線は固い。けれど、同じ鍋からよそった煮込みを食べている。それだけで、今日は十分だった。
私は、ようやく少し分かった気がした。
幸福は、大きな概念ではない。
全能で頭にねじ込むものでもない。
こういうものだ。
湯気。
歌。
壊れかけのラジオ。
不格好な椅子。
温かい豆。
誰かが明日もいるかもしれないという予感。
私は、自分の時計が少しだけ進む音を聞いた。
◇
夜更け、私は一人でアンケートの束を整理した。
この世界で必要なものは多い。水源の安定。畑の再生。病の治療。周辺集落との停戦。教育。輸送路。汚染の除去。外敵対策。まだまだ山ほどある。全能を使えば一瞬で終わることを、私はわざと時間をかけてやろうとしている。
馬鹿げている。
効率が悪い。
でも、その効率の悪さの中に、人間がいた。
私は新しい紙を一枚出した。
人間性アンケート、自己回答。
一、あなたが幸福だと感じるものは何ですか。
私はペンを止めた。
長く考えた。
そして書いた。
誰も死なずに一日が終わること。
子供が歌うこと。
発電機が動いた時に、皆が笑うこと。
誰かが私を止めてくれること。
温かい湯を気持ちいいと思えたこと。
二、好きな食べ物は何ですか。
昔はカレー。
いつかまた食べたい。
三、好きな遊び、趣味、娯楽は何ですか。
虫を見ること。漫画。アニメ。ゲーム。最近は、壊れたものを皆で直すことも少し楽しい。
四、最近、少しでも楽しいと思った瞬間はありますか。
発電機の修理に一度失敗したこと。
失敗したのに、誰も死ななかったこと。
五、この世界がもう少しマシになるなら、まず何が欲しいですか。
余裕。
六、私に直してほしい怪しいところがあれば書いてください。
自分を物資扱いしない。
説明を軽くする。
重すぎる善意を、いったん深呼吸してから出す。
私は書き終えて、少しだけ笑った。
かなり怪しい回答だった。
でも、昨日よりは少し人間らしい気がした。
私は紙を畳み、胸ポケットに入れた。
外では、黄色い空の下で夜風が吹いている。終わった世界は、まだ終わったままだ。明日になれば、また問題が増えるだろう。どこかで誰かが病み、どこかで誰かが奪おうとし、どこかでまた命を選ばされるかもしれない。
それでも、私は今夜、全能で世界中の脳に幸福を流し込むことはしない。
明日は、南の集団の拠点で風呂を作る。
その次は、カレーの材料を探す。
それから、リナに虫の絵を描いてもらう。
たぶん、そういう順番でいい。
私は椅子にもたれ、目を閉じた。
人間ごっこは、難しい。
けれど、少しだけ楽しい。
そう思えたことを、今夜の私は、ちゃんと幸福に分類した。