まれびとがたり 作:深夜テンション
「あら、正道さん。早かったですね」
屋敷の玄関に続く石畳を掃いていた女が、明るい声音で言う。
艷やかで豊かな金髪を、後ろに流して纏めている。造り物めいた美女であった。
夜蛾正道は、強面を微かに緩めて応じる。
「補助監督が気を利かせてくれてな」
あとはいなくても代わりませんから、という投げ遣りな言葉を思い出し、夜蛾は苦笑いをする。
おそらくはまぁ、気を遣わせまいとする気遣いだったのだろう。
娘と夕食をとるのだ、と零してしまったことを、少し後悔していた。
自分とてそんなことを言われれば、このワーク・ライフ・バランスなどという言葉とは無縁の地獄から、つかの間戦友を押し出してやろうと意気込むに違いない。
「日頃の誠意が返ってきたんですよ。
お陰で
女はくすりと笑う。
切れ長の目、冷ややかに整った顔立ちを、穏やかな表情と細縁の眼鏡が和らげている。
「そうかな」
「そうですとも!」
夜蛾のぼやけた言葉は面映ゆさによるもので、弱気、というつもりでもなかったのだが、食い気味の激励が被せられる。
「今日はずっと機嫌が良かったんですから。
……多分、お流れになったとき重くしないように、すました顔をしているんです。あの子」
困った子、と、頬に手を添えて苦笑する。
その様子に込められた深い気遣いと情愛を感じて、夜蛾は目を細めた。
……
特に眼の前の女は、自分にある種の理想を求めている節がある、と、夜蛾は認識していた。
「……そうだな。聡い子だ、本当に」
それを――例えば、夜蛾正道の“父親”としての自負を促成し、自信を手入れし、こまめに夜蛾正道を
付き合いももう五年目である。今や、夜蛾は
確かに感じる自分への親愛と、それら余剰とは比べ物にならない、
「これ以上は待たせられないな。
お目通りを願えるか、
少し冗談めかした言葉を受けて、女――羽織は、慇懃に目を細める。
「どうぞ、こちらへ。……主がお待ちです」
―――◇―――
「――まさみち。たまの休みに何をしているんだ、おまえは」
開口一番に浴びせられたのは、ため息交じりの非難であった。
和室に一瞬の沈黙が満ちる。
部屋に居合わせた者……細身の青年と小柄な少女は顔を引き攣らせる。
妙齢の女はすました顔。夜蛾を伴って合流した羽織は、困ったように笑う。
非難を向けられた夜蛾はと言えば、穏やかに笑っていた。
「たまの休みに家族と過ごせないのでは、何のために働いているのか分かったものじゃないだろう」
打てど響かぬ嬉しげな様子に、畳の上、座卓に向かう童女は、鼻を鳴らす。
歳の頃は5歳ほど、長い黒髪に黒い瞳、白い肌。ところどころ舌足らずな発声と、頑なな言葉選びが奇妙なこども。
強面の巨漢に物怖じせず、じとりと睨め上げている。
「わたしの顔など、その気になれば見れるだろうが。
外の妻子はそうもいかんだろう。
子供が子供である時間は短いぞ、行事に顔を出せばいいと思ったら大間違いだ」
「自分は子育てを終えたようなことを言うなお前は……」
「茶化すな」
童女の眉の皺が濃くなったのを見て、夜蛾は小さく笑い、「すまん」と詫びた。
そして片膝をつき、視線を近づける。
……呆れと心配が綯い交ぜになった、大人のような顔。
色々と特殊な事情を抱え、何かと勝手の違うこの子供を、なるべく子供でいさせることは、夜蛾正道が己に課した責務であった。
「そうだな。なるべくすぐに時間を作ろう、次はあの子達に会いに行く。
……だがな、
「ああ、ああ、いい。分かった」
童女……依奈は声を上げて言葉を遮る。
常から表情の乏しい子供であったが、それが気恥ずかしさであることは、この場の誰にも明らかであった。
「……強がりで言っているわけじゃないんだぞ。
わたしが
水を向けられた者たちが照れくさそうに、あるいは誇らしげにする様子が、夜蛾からは見えた。
「分かってるよ。俺がそうしたいだけだ。
……ただいま、依奈」
依奈は深くため息をつくと、観念したように、薄く笑みを浮かべた。
「……おかえり、まさみち。……まぁ、ゆっくりしていけ」
―――◇―――
「いやぁ、何か考え込んでるとは思ってたけど……そんなこと思ってたのかい、依奈」
線の細い男が安堵のため息をつく。
温かい色味の短い茶髪はよく手入れされた艷やかな質感で、装いも洒脱なもの。眉尻を下げつつも、穏やかに話しかける様子は、気の優しい兄のような様子。
「わたしは
「考えすぎー! もっと甘えて良いんだよ~~」
小柄な少女が、依奈の頭を掻き抱く。
菫色の髪。額を出す髪型やつぶらな瞳も相まって、愛くるしい印象を与える。
「そうですよ依奈。正道は娘との団欒に癒しを求めているのです。
彼のためを思うのなら、むしろ頻度を上げろとせがんでやるべきです。
――そうですね、正道。私は時には、外にも連れ出すべきだと考えていますが」
「……ああ、まぁ……
……済まない、外出はもう少しかかりそうだ」
緑の黒髪、怜悧な印象の女がちくりと刺してくるのに、夜蛾は冷や汗を滲ませる。
「あまりまさみちをいじめてやるな、
真に受けなくていい、別に窮屈な思いをしているわけでもないよ」
少女に抱かれて揺られながら発せられる声が、ややくぐもって聞こえる。
「まぁ、結の勧める“喫茶店”とやらに興味はあるが。
いずれは行かせてくれるんだろう?」
「ああ。必ず」
静かに返す夜蛾に、依奈は微かに目を細めた。
「楽しみだねぇ。カフェ巡りしてみたいし、オシャレなお店でランチもしてみたいな~」
「行ってみればよかろうに。
わたしへの義理立ては不要だぞ、
言葉を受けて、鏡と呼ばれた少女と、硯と呼ばれた青年は顔を見合わせる。
そして、依奈にそれぞれ笑顔を向けた。
「僕たちも、いつか行けるならそれでいいかな。
今はこうしてるのが楽しいよ」
「結や
「…………」
そうか、と、抱かれたまま、もごもごと言う。
そして、それをただ眺めている夜蛾に視線を向けた。
「暇じゃないか」
「いいや」
「…………」
依奈は少し考える素振りのあと、やんわりと鏡の腕を解く。
「急な任務に駆り出されてもつまらん。
少し早いが、食事の支度をしよう。くつろいでいろ」
言って立ち上がるのに、夜蛾は少し目を丸くした。
「……お前がやるのか?」
去年頃、羽織達と、刃物を解禁する話をした。
調理の手伝いくらいはできてもおかしくないだろうが、そも、台所はほとんど全て、児童のためのサイズではない。
夜蛾が困惑する様子に、依奈は薄く微笑んだ。
「
……謎めかすように、思わせぶりに気を惹く様は。
迂遠ではあったが、子供が親に戯れつく素振りのようでもあった。
「……気になるな。見せてもらっても?」
「なんだ、休めと言ったのに。まぁ、かまわんが」
夜蛾は立ち上がり、歩いていく依奈の後ろをついていく。
居残る者たちは、それを眩しげに見送った。
四者四様の嗜好があったが、この時間が素晴らしいものであるということは、共通の認識であるようだった。
人数が 人数が多い