その頃――カルネ村。
「はぁ……。」
武蔵の姿をしたナーベは、小屋の中で頭を抱えていた。
鏡に映るのは見慣れない顔。
日に焼けた肌。
乱れた長髪。
大きな体。
どう見ても宮本武蔵だった。
「どうすればいいのよ……。」
普段なら怒鳴るところだが、今は怒る相手もいない。
結局、ナザリック製の伝言魔法具を取り出し、連絡を入れる。
光が灯る。
『こちら、ユリ・アルファです。』
「ユリ姉さん!」
「大変なの!」
「まだ元に戻れないの!」
ナーベは昨日起きたことから、武蔵がナザリックへ行ってしまったことまで一気に説明した。
通信の向こうでは、しばらく沈黙が続く。
やがて。
『……やっぱり。』
大きなため息が聞こえた。
「え?」
『こちらでも大騒ぎよ。』
『ナーベの姿をした武蔵さんのおかげで。』
ナーベは嫌な予感しかしなかった。
「……何したの?」
『闘技場を半壊させました。』
「は?」
『フェンリルを峰打ちで気絶させました。』
「はぁ!?」
『そして、自分で"わしは武蔵じゃ"と認めました。』
「…………。」
ナーベはその場で固まった。
「な、何やってるのよ、あの変態!」
通信の向こうでユリが再びため息をつく。
『戻る方法はこちらでも考えます。』
『だから、あなたはそちらで大人しくしていなさい。』
「……はい。」
通信は切れた。
静かになった小屋で、ナーベはがっくり肩を落とす。
「大人しくって言われても……。」
武蔵の身体では何をするにも落ち着かない。
椅子に座っても軋み。
立てば天井に頭をぶつけそうになる。
「最悪……。」
その時だった。
コンコン。
小屋の戸が叩かれる。
「武蔵さん?」
聞き慣れた声。
ナーベは慌てて姿勢を正す。
「お、おう。」
なるべく低い声を出す。
戸が開き、クレマンティーヌが顔を覗かせた。
「あ、ちょうどよかった。」
「ちょっと相談したいことがあるの。」
武蔵の姿をしたナーベは内心で冷や汗を流す。
(よりによって、この女……。)
クレマンは何も気付いていない。
そのまま机の前に座る。
「寺子屋のことでね。」
「子供たちに文字を教えてるでしょ?」
「そろそろ計算も教えようと思うんだけど――」
ナーベは必死に武蔵を演じる。
「あ、ああ。」
「よいことじゃ。」
(武蔵なら何て言うのよ!?)
クレマンは首を傾げる。
「……武蔵さん?」
「今日はなんか変ね。」
「いつもなら『ほう、それは面白い』とか言うのに。」
ナーベは心臓が跳ねた。
(まずい。)
(怪しまれてる。)
咳払いを一つして、慌ててそれらしく言う。
「ほう。」
「それは……。」
「面白いの。」
クレマンはじっと見つめる。
「……。」
「……。」
「武蔵さん。」
「風邪ひいた?」
ナーベは思わず机に突っ伏した。
(お願いだから。)
(それで済ませて……。)
-------------------------------------------------------------
カルネ村の外れ。
武蔵がいつも修練している広場。
「ところで。」
クレマンティーヌは腕を組みながら笑った。
「武蔵さん。」
「あなた、疾風走破できるんだって?」
武蔵の姿をしたナーベは固まる。
「……。」
「見せてよ。」
「!」
ナーベの心臓が跳ねた。
(ま、まずい!)
(疾風走破なんて見たことはあるけど、使えないわよ!)
顔を引きつらせる。
クレマンは首をかしげた。
「どうしたの?」
「まさか。」
「できない?」
「そ、そんなことはない!」
思わず大声になる。
「じゃあ。」
クレマンはニコッと笑う。
「見せて。」
「う……。」
逃げられない。
(やるしかない。)
ナーベは深呼吸した。
(武蔵ならどうする。)
(武蔵なら。)
(集中して。)
(風のように。)
武蔵が何度も言っていた言葉を思い出す。
『余計なことを考えるな。』
『己が風になればよい。』
(風……。)
(私は風。)
(風……。)
クレマンが首をかしげる。
「まだ?」
「うるさい!」
ナーベは叫ぶ。
「今集中してるの!」
その姿はまるで、以前ナザリックで武技を披露しようとした自分そのものだった。
「私は風。」
「私は風。」
「私は風……。」
クレマンはぽかんと見ている。
「何その呪文。」
「武技ってそんな覚え方するの?」
「し、知らないわよ!」
「武蔵がそう教えたんだから!」
「へぇ。」
「武蔵さん、意外と変わってるんだ。」
(本人なんだけどね!)
ナーベは心の中で叫ぶ。
やがて。
身体の中で何かが流れた。
「!」
(これ……。)
(いける!)
ナーベは地面を蹴った。
「疾風走破!」
ビュンッ!
一瞬だけ姿が消える。
次の瞬間には二十メートルほど先に立っていた。
「できた!」
思わずガッツポーズをする。
だが――
止まれない。
「え?」
「ちょ、ちょっと!」
「止まらない!」
「きゃああああ!」
ドゴォン!
そのまま納屋の壁へ激突した。
木材が派手に飛び散る。
「いったぁぁぁ……。」
瓦礫の中から武蔵の姿が這い出てくる。
クレマンは口を開けたまま固まっていた。
「…………。」
「できてるじゃん。」
「でも。」
「武蔵さんなら壁にぶつからないわよね?」
「!」
ナーベの顔から血の気が引く。
(しまった。)
(また怪しまれる!)
クレマンはじっと見つめる。
「ねえ。」
「本当に武蔵さん……よね?」
ナーベは冷や汗を流しながら、必死に武蔵らしく咳払いをした。
「こ、これはじゃな。」
「久しぶりに使ったので。」
「少々加減を誤っただけじゃ。」
クレマンは腕を組み、疑わしそうな目を向ける。
「ふーん。」
「なんか今日の武蔵さん。」
「いつもよりドジね。」