リ・エスティーゼ王国、王都。
執務室には朝の柔らかな日差しが差し込んでいた。
国王ランポッサ三世は、山のように積まれた書類に目を通していたが、一通の封書を見た瞬間、その手が止まる。
「……ラナーからか」
久しく娘から届いた手紙である。
最近はクライムと共に帝国で暮らしていると聞いていたため、元気にしているのだろうと微笑みながら封を切った。
中には、可愛らしい花柄の便箋。
そして、見慣れた娘の美しい文字。
『お慶びください、お父様。
このたび私、ラナーはクライムとの間に愛の結晶を授かることになりました。』
ぱさり。
手紙が国王の手から滑り落ちた。
「…………え?」
数秒。
部屋は静まり返る。
国王の思考が完全に停止していた。
「へ、陛下?」
控えていた侍従が慌てて駆け寄る。
その時、ちょうど執務室へ入ってきたザナックが異変に気付いた。
「父上? どうされた」
床に落ちた便箋を拾い上げ、何気なく読み始める。
しかし一行目を読んだ瞬間。
「……………………は?」
いつも冷静なザナックの口が、ぽかんと開いた。
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『生まれたら一度、お父様の元へ里帰りします。
お楽しみにしてくださいね♡』
便箋の端には、可愛らしいハートマークがいくつも描かれていた。
ザナックは無言で便箋を見つめる。
「…………」
「…………」
親子そろって沈黙。
やがてザナックがゆっくりと口を開いた。
「父上。」
「……なんだ。」
「私は今、夢を見ているのでしょうか。」
「いや……余も同じ夢を見ているようだ。」
二人は顔を見合わせた。
再び手紙を見る。
何度読んでも内容は変わらない。
「ラナーが……妊娠?」
「しかも相手はクライム……」
ランポッサは椅子にもたれ、大きく天井を仰いだ。
「余は……祖父になるのか……」
「父上、それ以前に問題があります。」
ザナックは額を押さえる。
「王国中が大騒ぎになります。」
「そうであろうな……」
「いや、それだけではありません。」
ザナックは真顔だった。
「ラナーが幸せそうなのが、一番信じられません。」
「……確かに。」
二人は同時に頷いた。
昔からラナーは笑顔だった。
だが、その笑顔の奥に何を考えているのか分からない娘でもあった。
そんな娘が、手紙いっぱいにハートマークを書き散らしながら、
『お父様、お楽しみにしてくださいね♡』
などと書く日が来るとは。
国王は目頭を押さえた。
「嬉しいのだが……どう反応すればよいのか分からぬ。」
「私もです。」
その時。
執務室の外から大臣の声が聞こえた。
「陛下、本日の――」
「入るな!」
親子の声がぴたりと重なった。
「「今は入るな!」」
廊下の大臣はびくりと肩を震わせる。
「は、はっ!」
逃げるように去っていった。
静かになった部屋で、ランポッサは手紙を胸に抱き、小さく呟いた。
「ラナー……幸せなのだな。」
ザナックも苦笑する。
「少なくとも、この手紙を見る限りでは。」
二人はもう一度、便箋に描かれた大量のハートマークを見つめた。
そして同時に、深いため息をつくのだった。
王都リ・エスティーゼ王城。
重厚な執務室に、重苦しい空気が流れていた。
先ほどまで、国王ランポッサ三世は娘ラナーから届いた手紙を読み、そのあまりに衝撃的な内容に言葉を失っていた。
「……」
その横では、第2王子ザナックが眉間に皺を寄せて続きを読んでいる。
そこには、先ほどの妊娠報告とは打って変わって、冷静な文章が綴られていた。
『帝国がナザリックにちょっかいを出したため、帝城へナザリックからの詰問使が参りました。』
ザナックの表情が引き締まる。
さらに読み進める。
『懲罰として地震が発生し、帝城に大きな損害が出ました。
四騎士の中にも戦死者が出ています。
皇帝ジルクニフ陛下は、この一件を機にナザリックと手を結ぶ方向で考えているようです。』
「……馬鹿な。」
思わずザナックが呟いた。
「地震……だと?」
ランポッサも震える声で言う。
「国一つに対して……そのような力を……。」
最後の一文を読み上げる。
『王国も何らかの対応を考えた方がよろしいかと存じます。
詳細は、家臣に持たせた別紙をご覧ください。』
部屋は静まり返った。
やがてザナックが深く息を吐く。
「父上。」
「……なんだ。」
「これが事実なら、帝国は既にナザリックへ屈する方向へ動いています。」
ランポッサは苦々しく頷く。
「そうであろうな……。」
「問題は、その次です。」
ザナックは机の上に王国全土の地図を広げた。
「帝国が味方になれば、ナザリックは東側を完全に押さえることになります。」
指がゆっくり王都へと動く。
「そうなれば、次に圧力を受けるのは我が国です。」
ランポッサは額を押さえた。
「ガゼフを失い……今度は帝国まで……。」
「父上。」
ザナックは静かに言う。
「今は感傷に浸っている場合ではありません。」
「……うむ。」
「ラナーからの詳細報告を読みましょう。」
その時だった。
扉が叩かれる。
「失礼いたします。」
一人の近衛兵が入室する。
「姫殿下より参りました使者が到着しております。」
ザナックはすぐに立ち上がった。
「通せ。」
間もなく、2人の家臣が入室し、胸に抱えた革筒を恭しく差し出す。
「ラナー殿下より、極秘文書にございます。」
ザナックは革筒を受け取る。
封には、ラナー直属の印章。
それは、この内容が王国の命運を左右するほど重要であることを示していた。
ザナックは静かに封を切る。
「……さて。」
「妹よ。」
「お前は、一体どこまで先を見ているのだ。」
部屋には再び重苦しい沈黙が訪れた。
リクエストのあった「エンリちゃんの憂鬱編」ですがこのエピソードの後の予定です