――結局のところあの病室での「再生への対話」は、二人のひねくれ歪みきった性根を正すには至らなかった。
来栖紅音は自分の醜いエゴと前世の虚無をマシュに激白し、「俺の檻から出て生きてくれ」と綺麗事を叫んだ。マシュもまた、先輩のその縛らない愛に涙した。だが、そこから生じるはずだった光の未来(は、二人の築き上げた絶対的な拒絶の壁の前にはただの一時的な気の迷いでしかなかった。
やはり二人はどこまでもひねくれ歪みきった救いようのない怪物同士だったのだ。紅音は自身が壊してしまった最悪を救えなかった。その事実も紅音を諦観させた。
大学を卒業し地方都市のしがないIT企業で「愛想の無い虚無系独身SE」として働き始めて数年。一LDKのマンションの部屋は、も夜も関係なく遮光カーテンによって外界のすべての光を拒絶された、完全な暗闇に包まれてい、玄関ーのドアを開きくすんだ黒髪を乱しひどく疲れた死んだ魚のような目をした紅音が駅前のスーパーの見切り食材袋を提げてリビングに入ってくる。
「……ただいま、マシュ」
「お帰りなさい、あかね先輩。お待ちしておりました」
暗闇の中から、中の真ん中あたりまで滑らかに伸びた藤色のロングヘアを揺らしながら、マシュ・キリエライトが音もなく滑り込むようにして駆け寄ってきた。
彼女は紅音の姿をその濁った紫の瞳に映した瞬間まるで長年待ち焦がれた救い主にようやく触れられたかのような、うっとりとした、悍ましいほどに美しい恍惚の笑みを浮かべ、紅音のビジネスシャツの裾を白くなるまで強く握り締める。
普通の女の子の健康な身体(ロングヘアと豊満な肢体)を手に入れたマシュは、その成長のすべてを、紅音の経済力だけで生かされる退廃的な引きこもり生活を深めるために消費していた。
「今日も会社で、例の佐藤やチームリーダーに社会の常識を押し付けられたよ。私が仕込んだハッキングによる佐藤の業務ミスデータを見て必死に顔を青くしている姿は、本当に最高に清々しいよ」
紅音はカバンを床に放り出しソファに深く腰掛けながら、自嘲気味に冷たく笑う。
「ふふ、本当に可哀想な人たち……。あの方たちの言う普通の幸せなんて、私にとってはただの汚らわしい放り出しでしかありません。私が欲しかったのは、そんな冷たい光ではないのに」
マシュは紅音の胡坐の間に背中を預け長く伸びた藤色の髪をサラリと揺らし彼の膝に深く顔を埋めながら、陶酔の涙を流した。
マシュが求めた救いとは、ドクターたちが望んだ綺麗な未来ではなかった。自分の絶望(死)を世界で最初に真っ直ぐ見つめ、「壊れるからこそ愛おしい」と、その歪みのすべてをそのまま抱きしめてくれた紅音の冷たい支配(檻)だけだった。
そして、紅音が求めた救いとは、英雄(藤丸)になれなかった無能な傍観者としての絶望から、自分を一人の少女の「絶対的な神様」の座へと救い上げてくれる、マシュの狂信的な依存そのものだった。
彼らはお互いがお互いにとっての都合の良い救い(麻薬)であることを正しく理解しその性根は一生、変わることはない。紅音は自分の自尊心のためにマシュを社会に出さずに扶養(支配)することで優越感を満たし、マシュは社会を拒絶して扶養(依存)されることで普通の女の子としての責任から逃げ続けている。
紅音は、手元のスマートフォンで『FGO』のゲーム画面を起動し、画面の向こうで健気に盾を掲げる綺麗な偽物のマシュの姿を目の前で自分に縋り付く本物の黒いお人形と共に冷酷に嘲笑った。
「婚姻届なんて、出す必要はないさ。お前は一生、私の給与明細の裏側で、名実ともに私の『控除対象扶養親族(お荷物)』として、ただ甘やかされていればいい。汎人類史がどれだけ私たちを剪定しようとこの部屋だけは絶対に開けさせないからね」
「はい……! はい、あかね先輩……! 世界がどれだけ滅びようと、汎人類史がどれだけ私たちを呪おうと、私は永遠に、先輩の嘘の中でしか呼吸できない、あなただけのお人形なのですから……っ」
紅音は彼女の柔らかく豊かな藤色の髪を、自身の絶対的な支配の温度を叩き込むように激しく撫せ回した。マシュの頬がパッと歓喜で紅潮し二人の影は世界の終わりのような暗闇の中で、再び甘やかに重なり合う。
外の世界から見れば彼らの生活は最も不健全で不実な相互監禁のバッドエンドだ。けれど自分たちの絶望のパズルを完璧に噛み合わせお互いを救済の檻として永遠に閉じ込め合うことを選んだ二人にとってはこの遮光カーテンの閉め切られた一LDKの中だけが世界で最も醜く世界で最も美しい、最高に幸福な不実の檻(ハッピーエンド)だった。
汎人類史のすべての可能性を置き去りにした暗闇の底で、性根の変わらない二人の退廃的な蜜月は誰にも暴かれることなくどこまでも深く甘やかに、永遠に続いていくのだった。