そしかい後、ジンが亡くなっています。その後の話。
恋愛要素はありません。
全く似つかわしくはないはずの光景だった。
十字架の掲げられた教会。白い壁に、赤茶色の屋根。質素に整えられた内装に、木製のベンチが並んでいる。そのベンチの間、十字架へと向かうその道に、真っ赤な線が出来ていた。そしてその先には、すでに事切れた血まみれの男と、膝をついてその男を抱きかかえる女性の姿。男の手が触れたのだろうか、女性の頬には指の形に血の跡が残っている。清廉な神の家で、あっていい光景ではない。そうでなくても、血に塗れたその姿はおぞましい。
だというのに俺は。血の赤と、二人の「銀」が広がるその光景を、美しいと。──どこか神々しいとすら、思ったのだ。
*
長きにわたる組織との戦いは終止符が打たれた。
それがFBIとの共同戦線によるものであったことだけは癪に障るが、それでも手を組んだだけの価値はあった。「あの方」やラムは逮捕され、この国の平穏が守られたのだから。
不満を言うとすれば、幹部の中でも筆頭だった、あの男。ジンを逮捕出来なかったことだけが、心残りと言えるだろうか。さすがにあの世にまで逃げ切られては、逮捕をするわけにもいかない。
「降谷くん」
壊滅作戦の事後処理に追われていたところを、気に食わないFBIの男に呼び止められた。任務の最中命を落とした幼馴染の件については一応の和解をしているが、そうでなくてもこいつは気に食わない。相性の問題なのだろうと思っている。
この忙しい時に何だと睨みつけるが、特に気にした風もなく彼は続けた。
「彼女は?」
名前を出されずとも、誰のことを言っているのかはわかっている。
神の家に身を置き、ジンの最期を見届けた例の彼女。
「……いまだ黙秘を続けている」
組織の壊滅作戦の最中、ジンと赤井は撃ち合いになり、そして軍配は赤井に上がった。
その腹に風穴を空けたジンは逃亡を図る。いや、逃亡という言い方は正しくないのだろう。ジンは自分の最期を悟り、死に場所を求めた。瀕死の重傷を負いながらも愛車を走らせ、奴が最期に選んだのは。
「筆談を求めているんだが、ペンを持とうとすらしない」
彼女は口が利けなかった。先天性のものらしい。
シスターである彼女は暮らす教会はすぐ傍にある孤児院の管理も行っており、彼女はそこの出身だという。幼いころから面倒を見てくれた老齢のシスターと二人で教会と孤児院の運営をしていたようだ。
「ジンと顔見知りであることだけは頷きで認めた。だがそれだけだ」
「あのジンが教会に通うほど敬虔な人間だとは思えないが……」
全くもって同感だ。奴がクリスチャンであるなど天地がひっくり返ってもあり得ない。
ならば奴があの教会を死に場所とした理由は、神ではなく彼女だということになる。沈黙を守る彼女は敬虔なシスターとして毎日教会で祈りを捧げ、外出することも多くなかったことらしい。そんな彼女が、どうしてジンと出逢い、そして死に場所に選ばれるまでになったのか。詳細はいまだ、掴めていない。
しかし、邪推をしたくなる点がひとつだけあった。赤井が小さく呟く。
「……DNAは?」
彼女は、ジンと同じ銀の髪を持っていた。
*
DNAの提供は彼女が拒否したという。彼女自身が罪を犯したという証拠がないのもあり、これ以上の追求をする必要はないだろうと降谷くん。ジンの死を知り、自身の歯に仕込んでいた毒によって自決をはかったウォッカ。かろうじて一命をとりとめたが、昏睡状態が続いている。ならばとベルモットに問えば、真意の見せない思わせぶりな笑みを崩さないまま、知らないわの一言。彼女とジンを結ぶその繋がりを知るには、もはや彼女自身に聞くほかなかった。
何故そこまで気にするのか、自分でも不思議なところはある。ジンのことは宿敵だと思っていた。この手でその命を奪うことにもなった。だがそれ以上に、ジンの最期の光景が目に焼き付いて離れない。あれは、俺や、きっと他の誰も知らない「ジン」だった。
「俺のことを覚えているだろうか」
あと数時間後には解放されるという彼女。無理を言って取調室の椅子を譲ってもらった。
彼女はあの血に汚れた修道服ではなく、シンプルな白いシャツとくるぶしまで隠れる長いスカートを身に着けている。あの時はウィンプルから零れているだけだった銀の髪も、今は全て蛍光灯の光に照らされていた。
俺の言葉に彼女は少しだけ目線をあげて俺を見、小さく頷く。表情に一切の変化はないが、全く反応を返さないわけではないらしい。
「改めて、FBIの赤井秀一という。君はまもなくここから解放されるが、その前に聞きたいことがある」
何の色も示さないその瞳は、まるで硝子玉のように見えた。
「君が看取ったあの男を、俺たちは『ジン』と呼んでいる。俺は、君から見た『ジン』がどんな人間だったのかを知りたい」
そう言うと、ほんのわずかに硝子玉が揺らいだような気がした。しかしやはり彼女の表情は動かない。その手がペンを持つ気配はなかった。
「……俺たちが思う『ジン』は、冷酷で残忍、人を殺すことを何とも思わない、犯罪組織の幹部だった。間違っても神に祈るような人間ではなかったと思う。君から見た彼は、違っていたのだろうか」
彼女は、そっと目を伏せた。それが意味するのは肯定なのか否定なのか。やはり何も答えてはくれないかと内心で溜息をついたとき、初めて彼女の手がペンを取った。
『教会にあるマリア像はご覧になりましたか』
藪から棒に何を、と思いつつ、マリア像が脳裏に蘇る。ああ、と頷くと、彼女は続けてペンを動かした。
『微笑んでおられましたか』
その文字に背を押され、もう一度聖母の姿を思い浮かべる。その腕に神の子を抱いた聖母マリア。冷たい石で表現されたそれには、見てわかるようなあからさまな笑みは浮かんでいない。それでもそこに慈悲と慈愛、微笑みを見出すのが信仰であり芸術なのだろう。しかし、そういったものに疎い俺にはよくわからない。石で出来たその姿には、正直なところ冷たささえ感じていた。
彼女も建前を尋ねているわけではないだろう。俺は正直に、思ったままを口にした。すると彼女はまた小さく頷いて、ペンを走らせる。
『あの方も同じように仰いました』
それきり、彼女は何も答えてはくれなかった。
***
警察の取り調べから解放されたのは、もう日も暮れる時間帯でした。それでもシスターは私を迎えに来てくださって、温かく抱きしめてくださいました。大変だったわね、という優しいシスターの声に、私は頷きを返すことは出来ませんでした。私などよりも、非協力的な一般人に手荒なことも出来ない警察の皆さまの方が大変だったように思ったからです。
しかし、やはり私も疲れはあったようです。家に帰って自分の部屋に戻るなり寝落ちてしまったようで、目を覚ました時には時計の針や頂点を越えておりました。
それなりに長い時間眠ったので目が冴えてしまいました。ベッドサイドに置いてある燭台が目に入り、私はおもむろに火をつけました。文明の利器が発達した今でも、ろうそくの火というものは心を落ち着かせるものです。
私はストールと燭台を手に取り、部屋を出ました。歩くたびに音が鳴ってしまう木造の廊下を出来るだけそっと通って、家を出ました。夜風は少し冷えますが、ストールのおかげで堪えられないほどではありません。
風がろうそくの火を消してしまわないように注意しながら、私はすぐ隣にある教会のドアを開けました。ギィ、と聞きなれた音が私を迎えてくれます。
数日前に出来た血だまりは、綺麗に消えていました。
少し躊躇いつつ足を進め、その場所に膝をつきます。きっと掃除は無理だと踏んで、床板ごと変えてしまったのでしょう。床板に触れると、真新しい滑らかな木の感触がしました。
警察で、何度も尋ねられました。あの方が、何故血を流し、痛みに堪えながらも最期にここまでやってきたのか、心当たりはないか、と。何度も目の前に座る人が変わりながらも、尋ねることは皆同じ。私は、その問いへの答えを持っていませんでした。
あの方と初めてお会いしたのは、もう何年も前の冬のことです。珍しい大雪で、私は教会まわりの雪かきに勤しんでいました。門近くの雪をまとめて教会の裏まで運んでいくと、真っ白になった林の中に、真っ黒なものが浮かんでいるのを見つけたのです。驚いて駆け寄ると、それは人の形をしていて、木にもたれかかるようにして倒れていました。真っ黒の帽子、そしてその下にある銀色に目を奪われるも、首を振って雑念を払います。見目について考えている場合ではありません。
男性の中でも長身に入るだろうその方を抱えられるはずもなく、私は仕方なく雪を運んできた台車にその方を乗せて教会の中の小部屋に運び入れました。ひどく冷えてはいましたが、外傷はないようです。濡れたコートを脱がせてあるかぎりの毛布でくるみ、急いで火を焚いて部屋を暖めました。
病気なら救急車を呼ばなくてはと思いましたが、声が出ない私では電話を掛けることが出来ません。子どもたちは学校に行っていますし、火を焚いているこの状況で外に出て助けを求めるのも躊躇われます。外出しているシスターが早く帰ってくるように祈りながら、暖炉に薪をくべていました。
そのまま幾分か時間が過ぎたころ、もぞりとその方が身じろぎをしました。目を覚まされたのかと振り向くと、向けられていたのは黒光りするもの。フィクションの中でしか見たことがない、拳銃というものでした。
「……ここはどこだ」
低い、かすれた声。不思議なことに、その時、私は恐怖というものを感じてはいませんでした。当然ながら拳銃を見たのは初めてだったものですから、現実味がなかったのかもしれません。恐怖よりむしろ、病などではなさそうなその方を見て、安堵すら覚えました。
ここはどこかという問いに答えて差し上げたかったのですが、私には声がありません。喉元に手をやり、軽く唇を開けて閉じました。
「……声が出ねえのか」
すぐに察してくださったその方に、ひとつ頷きました。
ふと思い出して、ポケットを探ります。この教会の名前が書かれたカードを差し出すと、その方はちらりとカードに目線をやりました。そのまま部屋を見渡すように目を動かします。おそらく時計やカレンダーを確認なさったのでしょう。
「……皮肉なもんだな」
その方は小さな声でそう呟き、口元を歪めました。そしてまた私に目線を戻します。鋭い眼光は威圧的でしたが、やはり私の心に恐怖はありませんでした。
「俺がここにいることをお前以外に知っている奴はいるか」
問われて緩く首を振ります。
その方は真偽でも見定めているのか、じっと私の顔を見ておられました。ただ目線を返すしかない私にはどうすることも出来ず、ただその方が再び口を開くのを待っていました。
しばらくの沈黙の後、その方は銃を下ろしました。
「……鳴き方も知らねえカナリアか」
嘲笑うように言ったその方は立ち上がり、私のすぐ前まで歩みを進めました。そして右手を上げ、私の方に手を伸ばします。私が反応する暇もなく、勢いよくウィンプルをずらされました。
束ねていた銀色が、勢いに負けて零れ落ちます。
「……」
光の下で見ると、よくわかります。私の銀と、その方の銀は、本当に同じ色でした。
私は両の親が誰なのか存じません。血のつながりのある人が存在するのかもどうかも。しかし、それを疑いたくなるほどには、私たちの銀は同じ色でした。
髪は全てウィンプルにしまっていましたが、眉や睫毛の色からでも察したのでしょう。流れのまま肩に落ちる銀色を、その方はじっと見つめておられました。それを見て何をお思いになったのか、私には想像することも出来ません。
その方はそれきり何の反応を示すこともなく、そのまま私に背を向けてコートを手に取り、教会を後にされました。これが、あの方と初めて出逢ったときのことです。
私はシスターにもそのことを話さないままでした。きっと、もういらっしゃることはないだろうと思ったからです。同じ銀を持つ以外は、何もかも私とは違うあの方。出逢ったことすら奇跡のように思え、もう二度とお会いすることはないと思っておりましたが、驚いたことに、その方はまたこの教会に足を運んでくださったのです。
お祈りを済ませて振り向いた目の前にその方が立っていらした時には、本当に腰を抜かすかと思いました。その方は私に構うことなく、ただ十字架を見上げ佇んでおられました。そうしてまた、特に祈りをささげるわけでもなく、すぐにお帰りになったのです。何をしに来られたのだろうと首を傾げたものですが、なぜかそれ以来たびたび足を運んでくださるようになったのです。
数か月いらっしゃらないこともあれば、三日とあけずいらっしゃることもありました。決まって私しか人がいないときに、いつのまにかいらしているのです。二、三お声をかけて頂けるときもあれば、口を開かないままお帰りになるときもありました。名も知らぬ方の気まぐれに最初は私も戸惑いましたが、そういう方なのだろうと思うことにしました。お気の向いたときにだけ教会にいらっしゃる方も珍しくはありませんし、教会は何者も拒むことはありません。
ひとつ、あの方の仰ったことでとても印象に残っていることがあります。それは、あの方がマリア像をご覧になっていたときのこと。真っ白な大理石で出来たマリア様は、ミサにいらっしゃる方もよくご覧になっていて、とても慕われておりました。
「……随分と冷てェ顔してやがる」
微笑みが美しい、とよく評されるマリア像に対して、そのように仰る方は初めてでした。思わず私も改めて像を見上げます。やはり私には、慈愛の笑みを浮かべていらっしゃるように見えました。こうも正反対の印象を受けることがあるのかと、ひどく驚いたのを覚えています。
その方がお帰りになった後、私はシスターにそのことを話しました。マリア像に冷たい印象をお持ちの方がいらしたと、そう伝えると、シスターはいつもの柔らかい笑顔のまま、でも少し困った様子で、こう仰ったのです。
「その方はきっと、救いを求めてはいらっしゃらないのでしょう」
マリア像に微笑みを見出すのは、微笑んでいてほしいと願う信仰の心なのです、と。
そのとき私は、何でしょう、胸に広がる感情があったように思います。しかし、それに名前をつけることは出来ませんでした。今も、出来ないままでいます。
がたり、と風に揺らされた窓枠が音を立てました。
はっとして燭台を取り落としかけ、慌ててそれを持ち直します。少し回想に浸りすぎました。眠気がまだ戻らないとはいえ、いつまでもここにいるわけにはいきません。
私は立ち上がって膝を軽く払いました。自分でもここに何をしに来たのかよくわかりませんが、もしかしたら確かめたかったのかもしれません。もうここにあの方の痕跡はなく、あの方がここにいらっしゃることはないのだと。それは私にとって、おそらく「寂しい」に近い感情を抱かせました。黒一色でまとめられた装い、癖のある強い煙草の香り、何より私と同じ銀糸の髪。それらがもうこの世にはないのだと思うと、少なからずこの胸にあふれる感情があります。
そして何より、きっと「祈ってはならない」のだという事実が、私にとってはひどく辛いことに思えました。
あの方は主を信じることはなく、救いを求めてはいらっしゃらない。むしろ、救いの手があったとしても拒んでしまうのではないでしょうか。主が差し伸べた手を、鼻で笑ってしまいそうな。あの方のことを今まで名前すら存じ上げなかったのに、何故だかそんな確信があるのです。
今でも鮮明に思い出せます。血まみれのあの方をこの腕に抱きかかえたとき、あの方は力の入っていない手で私の髪をすくい、頬に触れ、口元を歪めるように笑ったのです。銀が、私の肌が、ご自身の赤に染まるのを愉しむように。
「……似合うじゃねえか」
あの方は確かにそう仰って、事切れたのです。
あの方がどんな方で、何を思ってそう仰ったのか、私にはわかりません。わかるのは、祈ってはならないということだけ。それが唯一、私があの方のために出来ることのように思えました。それが、私自身にとって、ひどく哀しいことだったとしても。
燭台のろうそくが、だいぶ短くなってしまいました。本当にもう、部屋に戻らなくては。十字架に背を向けた私は、外へとつながる扉に向けて重い足を動かします。
歩みを進める視界の端に、真っ白なマリア像が暗闇の中でも浮かび上がって見えました。やはり私の目には、彼女が微笑んでいるように見えます。しかし、その微笑みは。
何故だか今宵は、ーーひどく苦しそうに思えてなりませんでした。
作者はクリスチャンではないので諸々気にしないでください。雰囲気です。