終末世界の迷惑在庫(ゾンビ)は即廃棄!〜人でなしお嬢様とモブ後輩は、世界が滅んでも甘いものが食べたい   作:オカノヒカル

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最終話 私の席

 

 榊先生の足音は、廊下に強く響いた。

 

 いつもは落ち着いている人だ。

 声も、歩き方も、表情も。

 壊れかけた避難所を、壊れていないことにするために、ずっと落ち着いている人。

 

 その榊先生が、走っていた。

 

「戸倉さん、何をしたんですか」

 

 榊先生の声は、鋭かった。

 戸倉さんは、すぐには答えなかった。

 

 倉庫の扉は開いている。

 中には、餞別の物資が入った箱がある。

 

 出発前に渡すもの。

 

 それは、本当にあった。

 

 でも、私たちは閉じ込められた。

 

「……少し、話す時間が必要だった」

 

 戸倉さんが言った。

 言い訳をしているというより、自分でも何を言えばいいかわからないような声だった。

 

「閉じ込めるつもりじゃなかった。ただ、出て行かれたら話せないと思っただけだ」

「鍵、かけましたよね」

 

 私の口から、言葉が出た。

 戸倉さんが、こちらを見る。

 

「森原さん……」

「鍵、かけましたよね」

 

 私はもう一度言った。

 声が震えているかと思ったけれど、思ったより震えていなかった。

 彼を責めるように続ける。

 

「それを閉じ込めるって言うんです!」

 

 戸倉さんは黙った。

 

 榊先生も、岡部さんも、長谷川さんも、すぐには何も言わなかった。

 

 廊下の奥から、体育館のざわめきが少しだけ聞こえる。

 

 誰かが水を運んでいる音。

 子どもの小さな声。

 避難所の朝は続いている。

 

 でも、ここだけは止まっていた。

 

「申し訳ありません」

 

 榊先生が、頭を下げた。

 

 深く。

 

 教頭先生が、生徒に謝るみたいに。

 避難所のリーダーが、避難者に謝るみたいに。

 一人の大人が、閉じ込められた私たちに謝るみたいに。

 

「私の責任です」

「榊先生が鍵をかけたわけではありませんわ」

 

 そよぎ先輩が言った。

 声は静かだった。

 怒っているのか、怒っていないのか、よくわからない。

 

 でも、少なくとも甘くはない。

 

「ですが、止められなかった。そういう顔をなさっていますわね」

 

 榊先生は顔を上げた。

 何か言おうとして、やめる。

 

 そよぎ先輩は、倉庫の扉を一度だけ指で撫でた。

 

「謝罪は結構ですわ」

 

 私は少し驚いた。

 許すのかと思った。

 でも、先輩は続けた。

 

「次に誰かを囲う時は、鍵ではなく甘味でなさいませ」

「甘味でも駄目です」

 

 私はすぐに言った。

 そよぎ先輩が、私を見る。

 

「あら」

「駄目です。甘味でも、鍵でも、駄目です」

「では、囲わないことですわね」

「最初からそう言ってください」

「結論を急ぐと、味気ありませんもの」

「今は味気で遊ぶ場面じゃないです」

 

 そよぎ先輩は、少しだけ笑った。

 その笑いで、廊下の空気がほんの少しだけ動いた。

 

 でも、完全には戻らない。

 鍵がかかった事実は、消えない。

 

 扉は開いた。

 でも、私の中で何かが閉じたままだった。

 

 戸倉さんが、申し訳なさそうに言った。

 

「俺は、避難所を守りたかった」

「それは、わかります」

 

 私はそう答える。

 自分でも意外だった。

 でも、本当に少しはわかっていた。

 

 門に立つのは怖いだろう。

 夜になるたびに、外を見るのは怖いだろう。

 近づいてくるものが、人なのか、もう人ではないものなのかを見なければならない。

 

 誰かを入れるか。

 入れないか。

 

 それを決めるのは、きっとすごく嫌なことだ。

 

「でも、それと鍵をかけるのは別です」

 

 戸倉さんは、何も言わなかった。

 岡部さんが、物資の箱を見た。

 

「その物資は……持っていって。用意したものだから」

 

 声が少し硬い。

 

 彼女も、どう言えばいいかわからない顔をしていた。

 

 長谷川さんは、ずっと黙っている。

 彼女の目は、倉庫ではなく、廊下の先の方を見ていた。

 

 隔離教室の方。

 私は、長谷川さんが昨日言ったことを思い出した。

 

 もし手遅れになった人が出た時、騒ぎになる前に止められるなら助かる。

 みんな、助かりたかったのだと思う。

 

 戸倉さんも。

 榊先生も。

 岡部さんも。

 長谷川さんも。

 

 でも、助かりたい気持ちは、たまに人の心を変な方向へ動かす。

 そよぎ先輩が、ゆっくりと周りを見た。

 

「この避難所は、悪くありませんわ」

 

 その言葉に、私はまた少し驚いた。

 てっきり、もっと刺すのだと思っていた。

 

 全部、腐っていますわ。

 賞味期限切れですわ。

 

 そう言うのかと思っていた。

 

 でも、先輩は言わなかった。

 

「水がある。寝床がある。子どもに羊羹を分ける余地もある。昨日よりは、甘味の出し方も少し学習した。十分、立派ですわ」

 

 岡部さんの顔が、少しだけ歪んだ。

 褒められているのか、刺されているのか、たぶんわからなかったのだと思う。

 

 私にも、半分くらいわからない。

 

「ですが」

 

 そよぎ先輩は、倉庫の扉を軽く叩いた。

 

 こん、と乾いた音がした。

 

「甘味と人間は、隠して鍵をかけると味が落ちます」

 

 誰も笑わなかった。

 それは冗談の形をしていたけれど、冗談ではなかった。

 

 榊先生は、静かに目を伏せた。

 

「……はい」

 

 たぶん、それが精一杯だった。

 

 そよぎ先輩は、リュックを肩にかけ直した。

 

「わたくしは、棚に置かれる趣味がありませんの」

「先輩は棚に乗るには態度が大きすぎますしね」

「あら。褒め言葉ですわ」

「違います」

「モブ子さん、もっと素直になってもよろしくてよ」

「今のを褒め言葉として受け取れる先輩の方がすごいです」

 

 戸倉さんが、少しだけ息を吐いた。

 

 怒っているのか。

 呆れているのか。

 疲れているのか。

 

 たぶん、全部だった。

 

 榊先生が言った。

 

「東門を開けます」

 

 止める人は、もういなかった。

 

 倉庫の箱からは、水を一本だけ受け取った。

 

 そよぎ先輩は乾パンも見ていたけれど、結局それは置いていった。

 

「餞別としては、乾きすぎていますわね」

「文句を言いながら受け取るよりはマシです」

「水は文明ですわ」

「はいはい」

 

 私は水のペットボトルをリュックに入れた。

 岡部さんが、少し何か言いたそうにした。

 

 でも、言わなかった。

 

 私は小さく頭を下げた。

 何に対してなのか、自分でもよくわからない。

 

 物資をくれたこと。

 羊羹を食べさせてくれたこと。

 缶詰みかんを分けてくれたこと。

 ここに水と寝床があったこと。

 

 でも、鍵がかかったこと。

 

 全部まとめて、うまく言葉にならなかった。

 

 私たちは、東門へ向かった。

 

 体育館の前を通る。

 

 子ども用スペースでは、誰かが折り紙をしていた。

 水の配給には、まだ人が並んでいる。

 掲示板には、当番表がある。

 

 昨日、先輩が書き換えた跡は、もうほとんど見えない。

 

 でも、私はそこに目が行った。

 

 戦技さん。

 森原さん。

 

 名前が書かれた時、少し怖かった。

 

 名前を書くこと自体は、悪いことではない。

 

 でも、それが「ここに置く」という意味になった時、怖かった。

 

 校庭の端を、朝の風が抜ける。

 

 東門が見えてきた。

 

 門の近くに、由良さんがいた。

 

 私たちを見つけると、少し驚いた顔をした。

 それから、走ってきた。

 

「森原さん!」

 

 息が少し上がっている。

 たぶん、騒ぎを聞いて来たのだろう。

 

 由良さんの顔を見た瞬間、胸がきゅっとした。

 昨日まで、私はここに残るかもしれないと思っていた。

 由良さんと、もう少し話すかもしれないと思っていた。

 

 学校帰りのコンビニの話。

 限定アイスの話。

 制服が汚れた話。

 

 そういう普通の話を、もう少しできるかもしれないと思っていた。

 

 そよぎ先輩は、東門の方へ歩いていく。

 門の前では、戸倉さんが待っていた。

 

 まだ門は閉じている。

 戸倉さんは門に手をかけたまま、私たちを見ていた。開ける準備をしている。

 

 そよぎ先輩は門の手前で足を止めた。

 

 そこから先は、まだ外だった。

 

 そのとき、由良さんが私の袖を軽く引いた。

 

 私は、門へ向かう足を止める。

 

 そよぎ先輩は、東門の手前で待っている。振り返らない。ただ、こちらの会話が終わるのを待つみたいに、少しだけ横を向いて立っていた。

 

「モブ子さん」

「はい」

「別れの挨拶くらいは、甘味より先に済ませておきなさいませ」

「先輩に言われると、なんか腹立ちますね」

「礼儀ですわ」

「その礼儀、たぶん今だけですよね」

 

 そよぎ先輩は何も言わず、門の外で待っていた。

 

 それが、少しだけありがたかった。

 

 由良さんが、私を見た。

 

「行くの?」

「うん」

「ここにいた方が、生き残れるかもしれないよ」

「そうだと思う」

 

 私は、すぐに答えた。

 嘘はつけなかった。

 ここにいた方が、生き残れるかもしれない。

 

 水がある。

 寝床がある。

 人がいる。

 由良さんもいる。

 

 外にはゾンビがいる。

 飴は少ない。

 次にどこで眠れるかもわからない。

 

 どう考えても、ここに残る方が安全なのだと思う。

 

「じゃあ、なんで?」

 

 由良さんが聞いた。

 

 私は、門の外にいるそよぎ先輩を見た。

 

 さらさらの黒髪。

 まっすぐな背中。

 こんな時でも、少しだけ優雅な立ち方。

 

 危ない人。

 人でなし。

 甘味のためなら倫理を食後に回す人。

 ゾンビを迷惑在庫みたいに見る人。

 

 でも、私が隣で見ていたい人。

 

「ここにいたら、安全かもしれないけど……私の席じゃない気がする」

 

 言葉にしてから、少し恥ずかしくなった。

 

 席。

 

 何を言っているのだろう。

 

 学校でもないのに。

 教室でもないのに。

 

 でも、そういう感じだった。

 

 避難所には、私の寝床はあった。

 当番表に名前も書かれかけた。

 水ももらえた。

 

 でも、私の席ではなかった。

 

 由良さんは、門の手前にいるそよぎ先輩をちらっと見た。

 

「戦技さんの隣が?」

「たぶん。腹立つけど」

 

 由良さんは、少しだけ笑った。

 

「好きなんだね、あの人のこと」

「そういうのじゃないです」

 

 私はすぐに言った。

 

 本当に、そういうのではない。

 

 恋とか、憧れとか、尊敬とか、そういう綺麗な言葉にすると、全部違う気がする。

 

 そよぎ先輩は危ない。

 

 理解できない。

 たまに本気で最低だと思う。

 でも、見ていて飽きない。

 

 隣にいると、怖い。

 疲れる。

 腹が立つ。

 

 でも、私の中の変なところが、少しだけ息をしやすくなる。

 

 そういうのを、何と呼ぶのか、まだ知らない。

 

 由良さんは、困ったように笑った。

 

「そういうのじゃなくても、そうなんだよ」

「……変な人ですけどね」

「それは、すごくわかる」

 

 二人で少し笑った。

 

 笑ったら、余計に別れづらくなった。

 

 由良さんは、ポケットを探った。

 

 そして、細長い紙のケースを取り出した。

 

 ガムみたいな形の、小さなケース。

 

「これ、餞別」

「え?」

 

 私は受け取る。

 

 黒糖飴だった。

 

 細長いケースに、丸い飴が並んでいる。

 

 もとは十粒入りだったらしい。

 でも、中には四粒だけ残っていた。

 

「黒糖飴?」

「十個入りだったけど、もう四個しかない。あたしがちょっとずつ残してたやつ」

「いいの?」

「餞別ってそういうものでしょ?」

 

 由良さんは、私の飴の本当の使い道を知らない。

 

 食べると結界が張れるなんて、知らない。

 私にとって飴が命綱だなんて、知らない。

 

 でも、甘いものを大事にしていることは、たぶん知っている。

 

 私は、黒糖飴のケースを両手で持った。

 

「ありがとうございます」

「今度、コンビニの新作アイスの話、最後までしよう」

「世界が戻ったら、ですね」

 

 私がそう言うと、由良さんは少しだけ首を振った。

 

「戻らなくても、また会えたら昔話をしよう」

 

 その言葉が、思っていたより強かった。

 

 世界が戻らなくても。

 

 また会えたら。

 

 それでも、甘いものの話はできる。

 

 私はうなずいた。

 

「はい」

 

 門の外から、そよぎ先輩の声がした。

 

「モブ子さん」

「はい」

「そろそろ行きますわよ」

 

 私は、黒糖飴のケースをポケットに入れた。

 由良さんから一歩離れる。

 

 その時、戸倉さんが東門を開けた。

 

 金属の門が、重い音を立てて動く。

 

 外の空気が、門の隙間から流れ込んできた。

 

 そよぎ先輩が先に門をくぐる。

 

 私も、その後に続いた。

 

 門の外へ出ると、そよぎ先輩がすぐに私のポケットのあたりを見た。

 

「それは、別れの甘味ですわね」

 

 絶対に欲しがると思った。

 

「これは私がもらったんですよ。先輩」

「ええ。ですから、今は大切になさいませ」

「……先輩がまともなことを言ってる」

「あら。わたくしはいつだってまともですわ」

「その自己評価が一番まともじゃないです」

 

 そよぎ先輩は、少しだけ笑った。

 

 門の横には、戸倉さんが立っていた。

 彼は何も言わずに門を支えている。

 

 私たちが通り過ぎる時、戸倉さんが小さく言った。

 

「……気をつけろ」

 

 そよぎ先輩が足を止める。

 

「門番らしい言葉ですわね」

「うるさい」

「ええ。そういう時は、それでよろしいと思いますわ」

 

 戸倉さんは、何も返さなかった。

 

 私は少しだけ頭を下げた。

 

 何に対してかは、やっぱりよくわからなかった。

 

 門の内側には、榊先生がいた。

 少し離れて、岡部さんもいる。

 長谷川さんは、保健室へ続く廊下の前で、こちらに頭を下げた。

 

 由良さんは、門の内側から私を見ていた。

 

 手は振らなかった。

 振ったら、本当に泣きそうになる気がした。

 

 だから私も、手は振らなかった。

 

 ただ、ポケットの上から黒糖飴のケースに触れた。

 

 まだ食べない。

 

 そう思った。

 

 それだけで、十分だった。

 

 私は一度だけ、北町西小学校を振り返った。

 

 水があった場所。

 寝床があった場所。

 人がいた場所。

 

 非常食羊羹を食べた場所。

 缶詰みかんを採点した場所。

 由良さんと、学校帰りのコンビニの話をした場所。

 

 そして、鍵がかかった場所。

 

 全部嫌な場所だったわけではない。

 

 でも、残りたい場所でもなかった。

 

 ここには、私たちのための寝床があった。

 水もあった。

 人の声もあった。

 当番表に名前を書かれれば、たぶん私の席も用意されたのだと思う。

 

 でも、それは私の席ではなかった。

 

 私の席は、たぶん、もう少し変な場所にある。

 

 血のついたコンビニの床。

 空っぽのケーキ屋のテーブル。

 ファミレスのソファ席。

 和菓子屋の茶席。

 そして、甘い匂いのしない道路の上。

 

 そよぎ先輩の隣。

 

 腹が立つし、怖いし、疲れるし、たまに本気で最低だと思う。

 でも、その隣にいると、私は少しだけ息がしやすい。

 

「行きますわよ、モブ子さん」

 

 そよぎ先輩が言った。

 

「はい」

 

 私たちは、また甘い匂いのしない道へ出た。

 

 世界は終わりかけている。

 

 水も、寝床も、次の安全な場所も、まだ何も決まっていない。

 

 それでも、ポケットの中には、まだ食べていない甘いものがある。

 

 隣には、世界が終わってもスイーツの点数をつける人がいる。

 

 だから私は、もう少しだけ歩いていけると思った。

 

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