二次選考の当日、事務所の大きめのスタジオには、朝から独特の緊張感が漂っていた。
「今日から二日間かけて十名の候補者を順番に見ていく」
藤城が審査用の資料を手にしながら四人に説明した。
「一人あたり指定曲の演奏、五分程度の面談、それからお前たちとのセッション課題。合わせて大体三十分くらいの枠になる」
「十人全員とセッションするんですね」
千聖が言うと藤城は頷いた。
「そうだ。相性を見るにはそれが一番確実だからな」
控室の外には、すでに緊張した面持ちの候補者たちが順番を待っていた。高校生くらいの年頃の少女たちがギターケースを抱えてそれぞれの制服や私服に身を包んだ姿が廊下に並んでいる。
「なんか独特な空気っスね」
麻弥が控室の隙間から廊下の様子をうかがいながら呟いた。
「私たちも緊張してきました」
彩が小さく深呼吸をしながら言った。
「大丈夫ですっ! みんなでしっかり見極めましょうっ!」
イブが気合を入れるように両手を握りしめた。
千聖はそんな三人の顔を見渡しながら小さく頷いた。
「うん、頑張ろう」
*
一人目の候補者がスタジオに呼ばれた。緊張した様子の、おとなしそうな少女だった。
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げると彼女はギターを構え指定曲の演奏が始まる。しっかりとした技術と丁寧な音作りが感じられる演奏だった。
「基礎はしっかりしてますね」
彩が小声で千聖に耳打ちした。
演奏が終わると簡単な面談が行われた。これまでの音楽経験、バンドへの意気込みなどを藤城が一つずつ聞いていく。
そして、いよいよ、セッション課題の時間になった。
千聖たちが構えリズムを刻み始めると彼女も慎重にギターのフレーズを重ねてくる。
「悪くない……けど」
麻弥が演奏を続けながら小さく呟いた。
技術的には申し分ないもののどこか遠慮がちで音が縮こまっているような印象があった。
演奏が終わると彼女ほっとした表情で頭を下げた。
「ありがとうございました」
「お疲れ様でした」
千聖たちもそれぞれ労いの言葉をかけた。
*
続けて二人目、三 人目と候補者が入れ替わっていく。
個性、得意なスタイル、雰囲気、それぞれ違っていた。
パワフルなロックサウンドを得意とする候補者、繊細なアルペジオが印象的な候補者、独学とは思えないほど、堂に入った演奏を見せる候補者——一人一人が真剣にギターと向き合ってきた時間の積み重ねが演奏から確かに伝わってきた。
「みんなそれぞれ違う魅力があって選ぶの本当に難しいですね」
彩が休憩の合間にため息交じりに呟いた。
「うん、単純に上手い下手だけじゃ決められないんだなって実感してる」
千聖も頷きながら言った。
「音楽性の相性とか一緒にやってて楽しいかどうかとか。そういうところ大事なんだなって」
「セッションしてみて初めてわかることもたくさんありますね」
イブもしみじみと呟いた。
「ジブンも色んな人のプレイ見て勉強になってます」
麻弥が興味深そうに言うと藤城が少し離れた場所から四人の様子を見守りながら小さく頷いていた。
「お前たちの反応もしっかり審査の材料にしてる。忌憚のない感想をあとで聞かせてくれ」
「はい」
千聖たちは揃って頷いた。
*
日が変わり二次選考二日目。
九人の候補者を終えいよいよ最後の十人目が呼ばれる時間になった。
「最後は、氷川日菜、だったな」
藤城が資料に目を落としながら言った。
「いよいよっスね」
麻弥がその名前に小さく反応する。
「麻弥ちゃんと同じ学校の子が最後に来るんだ」
千聖が言うと麻弥は頷いた。
「学校でも有名なんスよ。なんでもすぐできちゃう天才肌っていうか」
「楽しみですね」
彩が期待に満ちた表情で言った。
やがて控室の扉が開き明るい笑顔の少女が姿を現した。
「よろしくお願いします」
軽やかな声で挨拶をすると彼女——日菜はギターを肩にかけ直した。緊張した様子もなくスタジオの中を興味深そうに見回している。
「あ」
麻弥が思わず小さく声を漏らした。日菜はその視線に気づくと、少し首をかしげた。
「ん? もしかして同じ学校の人?」
「はい……大和麻弥です。クラスは違うんスけど」
麻弥が少し戸惑いながら答えると日菜はあっさりと頷いた。
「あー、なんか見たことある気がする。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
その気さくなやり取りに千聖たちは思わず顔を見合わせた。ここまでの候補者たちとは明らかに違う空気感——場の緊張をまるで気にしていないようなその自然体な様子に四人は少なからず興味を引かれていた。
「では、始めようか」
藤城の声に、日菜は、こくりと頷いた。
「はーい」
指定曲のイントロがスタジオに静かに流れ始めた。
*
指定曲のイントロが流れ始めると日菜は軽く肩を回してからギターを構えた。
最初の一音が鳴った瞬間、控室で聴いていたスタッフたちの間にも小さくどよめきが走った。
譜面通りに弾いているはずなのに随所に独特の遊びが加えられている。まるでその場で曲の輪郭を自分なりに描き直しているような演奏だった。
「……すごい」
彩が思わず小さく呟いた。
「基礎がしっかりしてるのに全然型にはまってないっスね」
麻弥も感嘆したように日菜の指の動きを見つめていた。
演奏が終わると日菜はあっさりとした様子で軽くお辞儀をした。
「こんな感じで、どう?」
「……いや、十分すぎるくらいだ」
藤城が思わず苦笑した。
面談では藤城がいくつかの質問を投げかけた。
「ギターはいつから?」
「んー、半年くらい前。お姉ちゃんが弾いてるの見てちょっと真似してみたら意外とできちゃった」
「それだけの期間でこの演奏……」
藤城が驚いたように呟くと日菜はあっさりと肩をすくめた。
「なんか指が勝手に動く感じがするんだよね。よくわかんないけど」
そのあまりにも自然体な答えに周囲は思わず顔を見合わせた。
「学校生活はどんな感じだ?」
「んー、楽しくやってるよ。目立つことはあんまり得意じゃないんだけどなぜか色々頼まれちゃうんだよね」
日菜があっけらかんと答えると藤城は興味深そうに頷いた。
「趣味とか、好きなものは?」
藤城が続けて尋ねると少し考えるように視線を宙に向けた。
「アロマオイル作るの好き。あとポテトとか、甘いものとジャンクフード」
「なるほどな」
藤城が資料にメモを書き加えた。
*
そしてセッション課題の時間
千聖たちがそれぞれの位置につくと 日菜もギターを構え直した。
「よろしくー」
軽やかな声とともに演奏が始まった。
麻弥のリズムにイブのコードが重なり千聖のベースラインがその上に乗っていく——そこに日菜のギターがすっと自然に入り込んできた。
まるで最初からそこにいたかのような違和感のなさだった。
「……嘘」
彩がマイクの前で思わず目を見開いた。
他の候補者たちとは明らかに違う——ただ合わせるだけでなくその場の空気を瞬時に読み取り演奏に新しい色を加えてくる。時にはあえて隙間を作り時には大胆に前に出る。その判断の速さと自由さに千聖たちは演奏しながらも驚きを隠せずにいた。
曲が終わるとスタジオにはしばらくの間、静寂が漂った。
「……今の、すごかったです」
千聖が興奮気味に言うと日菜はあっさりと笑った。
「るんっ♪ て、した」
「私たちの音に初めて合わせたと思えないくらい自然でした」
彩も感嘆の表情を隠せずにいた。
「ジブンもびっくりしました。息もぴったりで」
麻弥が言うと日菜は、少し照れくさそうに頭をかいた。
「なんかみんなの音を聴いてたら自然とこうなった」
藤城はそんな一同の様子を静かに見守っていた。その表情には確かな手応えが浮かんでいた。
「お疲れ様。今日はこれで終わりだ」
「ありがとうございましたー」
日菜は明るく手を振ると軽やかな足取りでスタジオをあとにした。
その後ろ姿を見送りながら千聖たちはそれぞれ複雑なけれど確かな高揚感を抱いてた。
*
日菜が去ったあとスタジオにはしばらく興奮の余韻が残っていた。
「なんか……今までとは違う手応えがありましたね」
千聖が少し呆然としたように呟いた。
「うん。歌っててあんなに楽しかったの初めてかも」
彩も頬を上気させながら言った。
「ジブンも正直鳥肌立ちました。あの子の音がのっかるだけで曲の景色が変わって見えて」
麻弥が興奮気味に言うとイブも大きく頷いた。
「わたしもキーボード弾きながら思わず笑っちゃいそうになりましたっ! すごく自由で楽しくてっ」
「他の候補者の人たちもそれぞれ良いところがあったけど……」
千聖が少し考えながら続けた。
「氷川さんの演奏はなんていうか、一緒に音楽を作ってるって感じがしました」
「わかります。合わせてもらってる、じゃなくて一緒に新しいものを作ってる感覚っていうか」
彩が頷きながら言った。
「もし、日菜さんが入ってくれたらなんかすごく面白いバンドになりそうな予感しますね」
イブが目を輝かせながら言うと皆がそれぞれ深く頷いた。
藤城がそんな四人の様子を少し離れた場所から見守りながら資料に静かに何かを書き加えていた。
「お前たちの感想しっかり参考にさせてもらう」
「はい、よろしくお願いします」
千聖が頭を下げると藤城は小さく頷いた。
「結果は、また追って連絡する。少し時間はかかると思うが」
「わかりました」
四人はそれぞれまだ興奮冷めやらぬ様子で荷物をまとめ始めた。
*
その夜、自宅に帰った日菜は自室のベッドにごろりと寝転がった。
「はー、疲れたー」
大きく伸びをすると天井を見上げながら今日一日をぼんやりと振り返る。
たくさんの人と初めて音を合わせた——その感覚がまだ体の中に心地よく残っていた。
「あのメンバーの人たちなんかみんな良い感じだったな」
千聖の落ち着いた雰囲気、彩の明るい歌声、イブの元気なキーボード、麻弥のしっかりしたリズム——それぞれの音が頭の中でまだ鮮明に鳴っていた。
「一緒に弾いてて楽しかったんだよね」
日菜はそう呟くとふと口元を緩めた。合格するかどうかそれ自体はあまり深く考えていなかった。ただ今日のセッションの感覚だけは、はっきりと心に残っていた。
「また、弾きたいな」
日菜はそう呟くとスマートフォンを手に取った。なんとなく姉にメッセージを送ろうとして少し指を止める。
——お姉ちゃん、なんて言うかな。
姉のことを思うと日菜は少しだけ複雑な気持ちになった。それでも今日の高揚感を誰かに伝えたくて日菜は簡単な一文だけ、メッセージに打ち込んだ。
『今日、るんっ♪てきた!』
送信ボタンを押すと日菜は満足げにスマートフォンを枕元に置いた。窓の外には静かな夜空が広がっていた。
*
数日後、事務所から四人へ一斉に連絡が入った。
『ギターオーディション結果決定のお知らせ』
「来た……」
千聖が通話越しに緊張した声で呟いた。すぐに、彩、イブ、麻弥からも次々とメッセージが届く。
『わたしも今見ました!』
『ドキドキするっス……』
『心臓、飛び出そうですっ』
四人はそれぞれの場所で画面を見つめていた。詳細は事務所に来て直接伝えられるとのことだった。
*
その日の午後四人は緊張した面持ちで集まった。
「待たせたな」
藤城は資料を手に四人の顔を順に見渡した。
「今回のオーディション本当に粒揃いだった。正直、最後まで悩んだ」
「はい……」
千聖が思わず唾を飲み込んだ。
「だが」
藤城は少し間を置いてから続けた。
「新しいギタリストは、氷川日菜に決定した」
「……!」
千聖たちは思わず顔を見合わせた。彩の目にじわりと涙が滲む。
「やっぱり……!」
「セッションの時のあの音、忘れられなかったです」
麻弥が感慨深そうに呟いた。
「お前たちの感想も大きな決め手になった。演奏技術はもちろんだが一緒にやっていく相手として一番、化学反応を感じさせたのが、彼女だった」
藤城はそう言うと少し口元を緩めた。
「本人にはすでに連絡してある。近いうちに改めて五人揃っての顔合わせする」
「五人……」
イブが感極まったようにその言葉を繰り返した。
「本当に五人になるんですね」
千聖もじんわりと胸に込み上げてくるものを感じていた。長かった道のりの先にようやく辿り着いた実感——それは確かな喜びだった。
「これでいよいよ、本格的に動き出すぞ」
藤城の言葉に四人はそれぞれ力強く頷いた。
*
同じ頃、自室で日菜も合格の連絡を受け取っていた。
「……お、るんっ♪」
日菜は画面を見つめながらいつものようにあっさりと呟いた。それでもその口元には隠しきれない確かな笑みが浮かんでいた。
「入れたんだ、あのバンド」
日菜はベッドに寝転んだまま、しばらく天井を見つめていた。あの日のセッションの感覚がまだ体の奥に鮮明に残っている。
「るんっ♪ 楽しみ」
日菜はそう呟くとスマートフォンを操作して姉にメッセージを送った。
『お姉ちゃん、あたし、バンド決まった!』
しばらくして返信が届いた。簡潔で短い一文だった。
『おめでとう。頑張りなさい』
日菜はその文面を見つめなが小さく笑った。
「相変わらず堅いなあお姉ちゃんは」
そう呟きながらも日菜の顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
窓の外には、澄んだ夜空が、静かに広がっていた。