「良かった、阿散井くん!」
痛みに神経を揺り動かされ、阿散井恋次は目を覚ました。
霊力切れの影響か、霞む視界に、こちらを見下ろす吉良イヅルの姿がぼんやりと映る。
「き、吉良、か……乱菊さ――いや、あの……女は?」
焼けるような痛みと、口の動かしづらさに四苦八苦しながら、回道をかけ続けている吉良に訊ねる。
その問いに吉良が無言で首を横に振る。
それと同時に、恋次の視界にもう一つ、今度は白髪の頭が顔を覗かせた。
「阿散井、怪我してるとこ悪いが聞かせてくれ」
「日番谷隊長……?」
「――雛森はどこだ?」
「え……!?」
思わず目を見開き、恋次が無理やり上半身を起こす。
「雛森……いなかったのか?!」
「僕が目を覚ました時にはもう……」
「最後まで戦ってたのはお前だったんだろう?何か知らないか?」
肩を掴み、顔をぐいと寄せてきた日番谷に対し、恋次は「いえ」と力なく漏らす事しか出来なかった。
「無事だと良いんだけど……」
「くそっ……松本のヤツ……なんで雛森を……!」
「それなんですけど、日番谷隊長」
治療の終わった顎を擦りながら、恋次は眼差しを険しくして二人を見た。
「あの乱菊さんは……偽物かもしれません」
今度は二人が、驚愕に目を丸くした。
「……いつからだ?」
「そこまでは……でも、藍染隊長を殺ったのは間違いなく偽物の方です」
「そんな……じゃあ、本物の松本隊長は一体どこに……?」
新たな問題の浮上に一同が言葉を失う。
「ともかく……俺は雛森を探す。お前の言う偽物が連れ去ったって言うんなら、どうなるか分からねえ……!」
「ぼ、僕もご一緒します!」
「俺は、ルキアの処刑を止めます。藍染隊長の手紙の通りなら、アイツの目的は双殛だ。みすみす処刑に使ったら奪われちまう」
「そうか……なら急げ。朽木の処刑の日程がまた早まった。新しい日時は――」
――明日の正午だ。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
「惣右介、寝かせてきたわよ」
「ご苦労だったね、乱菊」
清浄塔居林の一室にて。
書物の山に埋もれていた藍染惣右介に向けて、松本乱菊が声を掛ける。
「それにしても、わざわざ自分の手で殺すために連れてくるなんて……貴方も趣味が悪いわね」
「いや……これは慈悲だよ。彼女は私無しでは生きられない。そう仕込んだからね」
文字に目を落としたまま告げる藍染。
その背に向かって、眉根を寄せた乱菊が舌を出す。
「アンタ……女舐めすぎよ」
「最も……物理的に私無しでは存在すらできない者もいるが……」
痛い所を突かれたように、乱菊がしかめっ面のまま短く呻いた。
「私、貴方のそういうとこ嫌いよ……大体、惣右介だけのお陰でもないでしょうに」
「……奇遇だね。私も君のそういうところが嫌いだよ」
話は終わったとばかりに、藍染は再び文字を目で追う事に没頭し始める。
乱菊もそれ以上は何も言わず、清浄塔居林を覆った闇の中へと消えていった。
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆
護送の隊士に連れられ、ルキアは双殛の丘への道を上っていく。
抜けるような青空へと伸びるその上り坂は、そのまま天へと繋がっているかのような錯覚を、ルキアに抱かせていた。
やがて、その青一色の景色の中に、処刑台である磔架、その頂が見えてくる。
そして、道の真ん中で、隊列を待っていた人影も。
「兄様!?」
人影は、六番隊の隊長羽織に袖を通した、彼女の義兄――朽木白哉だった。
およそ二か月ぶりだろうか。
その顔は、今朝、鏡で見た自分の顔色の方がまだ良かったと思えるほど、ひどく青白く、やつれて見えた。
一瞬身構えた護送の隊士たちを、白哉が手のひらで制する。
そして、ゆっくりとルキアへ歩み寄ってきた。
これが最期になるかもしれない。
そう思ったルキアが、何を伝えようかと逡巡したのも束の間――
「ルキア……すまぬ」
憔悴の色が濃い声で、白哉が先に言葉を発した。
「いえ……私などの為に骨を折っていただいた事、それ自体を大変嬉しく――」
「そうではない……」
耳元に寄せられた口が、ルキアの諦観を帯びた声を遮る。
「最早、手段を選ばぬと決めた、私の愚昧さを許せ……」
彼女にだけ聞こえるほどの小声で、それだけを伝えると、白哉は踵を返し、双殛へ向けて歩き去った。
今日の陽が昇るまでに覚悟を決めたはずだった。
それでも、胸中には恋次の言葉が蘇ってくる。
『……いいか、絶対諦めるんじゃねえぞ。俺たちが絶対に極刑になんてさせねえ』
繰り返される極刑の日取りの短縮。
その中で、希望はとうに捨てたはずだった。
しかし――
(兄様はまだ諦めていない……ならば……)
先程までとは、違った決意の色を瞳に宿し、ルキアは再び双殛の丘を登り出した。
「始まったか……!」
莫大な霊圧の高まりを感じ取り、日番谷と吉良は足を止め、彼方を見上げた。
結局、瀞霊廷中を探し回ったが、未だ雛森の痕跡すら見つけられていない。
「一晩中探しても見つからないなんて……」
吉良が絶望とも言える表情を浮かべる。
「いや、まだだ。まだ探してない場所がある」
日番谷の強い語気に、吉良は垂れ下がっていた頭を反射的に上げた。
「この瀞霊廷において、護廷の捜索の手はおろか、隊長クラスでもおいそれと入室を許可されない場所……」
「えっ……まさか――」
処刑台から視線を逸らし、日番谷は再び駆け出した。
「急ぐぞ、吉良!」
吉良も返事を返し、その背に遅れまいと急いで後を追った。
「随分と集まりが悪いですね」
山本総隊長の号令で双殛が解放された。まさにそのタイミングで、ひょっこりと隊列に
加わった松本乱菊が声を上げた。
「遅れてきた人間の言う事じゃないよ、松本隊長」
「うっ……京楽隊長、痛いとこを突きますね……」
そう言いつつ、きょろきょろと辺りを見回す乱菊。
その目に映ったのは、京楽を始め、彼の副官である伊勢七緒、朽木白哉、浮竹十四郎、そして総隊長と、その副官である雀部長次郎の姿だった。
「俺は逆に、お前がこの場に顔を出せた事に驚いたよ。てっきりこの騒ぎで忙しくしているんだろうと思ったからな」
ルキアが持ち上げられた磔架を見上げたまま、浮竹がどこか棘のある口調で言う。
「浮竹隊長まで……そりゃどんなに忙しくても来ますよ……これで最期なんですから……」
隣の浮竹に向けて、乱菊は抑えた声で返した。
しかし、それは一番離れた位置にいた白哉にも聞こえたようだ。
その眉が、僅かに動く。
頭上では双殛の矛がその真の姿を現し、巨大な火の鳥として顕現していた。
「最期か……なるほど……浮竹に聞いても半信半疑だったけど……」
――誰かが、その嘴を押し返した。
「ああ……彼女なら、こういう時――」
それと同時に、火の鳥――燬鷇王の首筋に瑠璃色に染め抜かれた縄が幾重にも巻き付いていく。
いつの間にか地に落ちたその縄の端を、白哉が握り締め、押さえつけていた。
「すみません、遅くなりました」
浮竹と京楽の間に、大盾のようなものが重々しい音を立てて地面に突き立てられた。
近くにいた者には、その盾に走る二本のスリットのような溝が見えただろう。
二人はそれぞれ斬魄刀を抜き放つと、その溝へ勢いよく差し込んだ。
「まさか……双殛を破壊するつもり!?」
乱菊が悲鳴にも似た声を上げる。
再び頭上では、現れた人影が処刑台に向けて長大な刀を振り下ろしていた。
――瞬間。
斬魄刀百万本分とも讃えられる――
双殛の矛と、その磔架が、轟音と共に一気に崩れ去った。
総隊長までもが、驚きのあまり目を見開く。
その中で、天賜兵装を運んできた――その女が、上空へ向けて声を張り上げた。
「……一護……!」
燬鷇王の一撃と、磔にされたルキアの間に割って入ったのは、一護だった。
「無理だ、帰れ」と、己の身を案じるルキアの声を軽く流し、斬月で火の鳥を押し返す。
そのまま磔架の梁へと着地すると、出刃包丁のような巨大な刀身を振り上げた。
またしても無茶だと叫ぶルキアに対し――
「黙って見てろ」
一言だけ告げると、莫大な霊圧と共に、それを振り下ろしたのだった。
空中で弾け飛ぶ火の鳥。
地鳴りと共に叩きつけられる処刑台。
救い出され、少年の小脇に抱えられたルキアに、頭上と地上から、またしても同時に声が掛けられる。
「助けに来たぜ、ルキア」
「助けに来たわよ、ルキア」
一護の声に重なるように聞こえた、もう一つの声。
その主を探そうと目を凝らしたルキアの視界に、赤い髪が飛び込んできた。
「恋次――」
しかし、ルキアが恋次に声を飛ばすよりも早く、その身体が弾丸のように彼へ向かって飛び出した。
一護に怒声を浴びせながら、悲鳴を上げてぐんぐん迫ってくるルキアを、恋次は必死の形相で受け止める。
しかし、無駄に全力で投げたせいか、その衝撃を殺し切れない。
二人はそのまま一緒に転がり――
――るところを、さらに後ろから伸びてきた柔らかな腕に抱き止められた。
「ごめんごめん。私が寄越せって合図送っちゃったから」
二人が揃って顔を上げる。
そこには、苦笑を浮かべた黒髪の女死神の姿があった。
「都殿……」
驚きに目を丸くするルキアと、細めた目で睨みつける恋次。
志波都は、そんな二人を立ち上がらせると、自身は彼女たちを背に庇うように立った。
「連れて行きなさい、恋次」
「あん? どういう――」
恋次が振り返った時には、すでに始解を終えた一番隊副隊長――雀部長次郎が、都と相対していた。
「今回は譲ってあげる……死んでも守り抜きなさい!」
都も斬魄刀を抜き、構える。
それと同時に、恋次はルキアの華奢な身体を抱え上げ、走り出した。
「ま、待て、恋次!相手は雀部副隊長だぞ!?幾ら都殿でも……!」
黒髪を靡かせる背中が、どんどん遠ざかっていく。
ルキアは無駄と知りつつも、その背中に手を伸ばさずにはいられなかった。
「大丈夫だ……」
「何を根拠に!」
「多分……」
「おい貴様!?」
「多分……あの人は……」
飛ぶように丘を下っていく赤い軌跡。
その後方――
それ以上の速度で金の閃光が追い縋る。
しかし――
「見えてるぜ……今度はちゃんとな!」
ルキアと恋次に迫っていた凶刃を、巨大な刀身が止めた。
「へぇ……門から追い出した時から、随分強くなったみたいね、一護」
刃と霊圧が激しくぶつかり合い、大気すら震撼する中で、松本乱菊は涼しい顔で感嘆の声を漏らす。
「ねえ、何でそこまでしてルキアを助けようとするの?彼女とはたった二か月かそこらの付き合いなんでしょ?それなのに文字通り死ぬような目にあって……理解に苦しむわね」
冷たい目で一護を見下ろしながら、乱菊は手にした刀へさらに莫大な霊圧を乗せ、一護を圧し潰そうとする。
だが一護は、その問いを一笑に付した。
そして――相手の斬魄刀ごと、力任せに弾き飛ばした。
「同じ顔、同じ声で、同じような事聞かれたってのに……その言葉の目的は、まるで違うもんだな!」
「なんですって……?」
「意味あんのかよ、その質問。俺が答えて――」
挑発的な一護の物言いに、乱菊の眉が僅かに動く。
「その答えをアンタが知ったところで、理解できんのかよ……乱菊さんの偽モンのあんたに……!」
眼を見開いた乱菊の顔が、急速に色を失っていく。
それと同時に、彼女を取り巻く霊圧が暗く、重く、泥沼のように淀んでいく。
「……一護……」
能面のような顔で乱菊が呟く。
「貴方を……斬るわ……そしてルキアと恋次も、みんな……
「……させねえさ」
一護が外套――天踏絢を脱ぎ捨てた。
「その為に来た」
空と大地が交わる双殛の地にて、金と橙――二色の閃光が激突する。
旧友の霊圧と、それに拮抗するほど巨大な霊圧のぶつかり合いに、虎徹勇音は思わず足を止め、双殛の丘を振り返った。
「こうして直に霊圧を感じてみると、本人そのものとしか思えませんね」
同じく足を止めていた卯ノ花烈も、処刑場を仰ぎ見る。
「すみません、隊長。私のせいで隊長まで無断欠席を……」
「いいえ。寧ろ貴女の言葉で確信が持てました。ですからこうして、この絵を描いた謀反人の元へ赴こうとしているのです」
大きな上背を縮こまらせ、萎縮する勇音を促すと、卯ノ花は再び駆け出す。
(如何なる理由があろうとも、立ち入ることを許されない完全禁踏区域は瀞霊廷内にはただ一箇所のみ……)
「さあ、向かいますよ。清浄塔居林へ。」