先生はロリコンでした   作:風神ぷー

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第十話 感情は判断を曇らせるのか

 

 

リンは議事進行表へ静かに目を落とした。

 

「質問者は、黒見セリカさん。」

 

「回答者は、聖園ミカさん。」

 

「前へ。」

 

「……はい。」

 

二人は静かに立ち上がる。

 

演壇へ向かう足音だけが、静まり返った議場に響いた。

 

先ほどまでの質疑。

 

ノアとホシノは、「先生に救われた事実」を巡って議論を重ねた。

 

その結果、一つの共通認識が生まれている。

 

先生の功績は、決して無視できない。

 

しかし。

 

それだけで結論を出すこともできない。

 

その空気を引き継いだまま、二人は向かい合った。

 

リンは静かに告げる。

 

「それでは、質疑を開始してください。」

 

短い沈黙。

 

先に口を開いたのは、セリカだった。

 

「……ミカさん。」

 

「はい。」

 

ミカは穏やかに微笑む。

 

セリカはその表情を見て、小さく息を吸った。

 

「午前中のお話。」

 

「全部、聞いていました。」

 

「ありがとうございます。」

 

「私も、セリカさんのお話を聞いていました。」

 

二人の声は穏やかだった。

 

討論というよりも、互いを尊重する会話に近い。

 

その静かな空気に、議場全体が耳を傾けていた。

 

セリカは続ける。

 

「ミカさんは。」

 

「先生を信じたいって言いましたよね。」

 

「……はい。」

 

返事は迷いなく返ってきた。

 

「今も、その気持ちは変わりません。」

 

セリカは静かに頷く。

 

「その言葉を聞いた時。」

 

「私。」

 

「少しだけ安心したんです。」

 

ミカは目を瞬かせた。

 

「安心……ですか?」

 

「はい。」

 

セリカは苦笑する。

 

「先生を信じたいって思ってるのは。」

 

「私だけじゃなかったんだって。」

 

議場が静まり返る。

 

反対寄りの立場を示したセリカから出た言葉に、多くの代表者が静かに顔を上げた。

 

セリカは少しだけ視線を落とす。

 

「私は。」

 

「報道を知った時、怖いと思いました。」

 

「その気持ちは、今でも消えていません。」

 

「でも。」

 

「だからって。」

 

「先生に助けてもらったことまで忘れたわけじゃありません。」

 

ミカは何も言わず、静かに頷いている。

 

セリカはゆっくりと言葉を続けた。

 

「だから。」

 

「ミカさんが先生を信じたいって言った時。」

 

「その気持ちは、すごくよく分かりました。」

 

「嬉しかったくらいです。」

 

議場の空気が少しだけ和らぐ。

 

敵対しているわけではない。

 

そのことが、ようやく全員へ伝わり始めていた。

 

セリカは顔を上げる。

 

「だから今日は。」

 

「ミカさんを否定したくて質問するんじゃありません。」

 

「私とは違う答えにたどり着いた人が。」

 

「何を大切にして、その言葉を選んだのか。」

 

「それを知りたいんです。」

 

ミカは小さく微笑んだ。

 

「……ありがとうございます。」

 

「そう言ってもらえると。」

 

「少し安心しました。」

 

セリカも少しだけ笑う。

 

議場の緊張が、ほんの少しだけ解ける。

 

リンは何も口を挟まない。

 

この空気を壊したくなかった。

 

セリカは資料を閉じる。

 

用意してきた質問を見ることはしない。

 

「一つ。」

 

「聞かせてください。」

 

「はい。」

 

「ミカさんが。」

 

「先生を信じたいと思った一番の理由は、何ですか。」

 

議場は静まり返る。

 

制度でもない。

 

法律でもない。

 

まず問われたのは、一人の少女の心だった。

 

ミカは少しだけ目を伏せる。

 

答えはすぐに出ると思っていた。

 

けれど。

 

改めて「一番の理由」と聞かれると、自分でも驚くほど言葉が出てこなかった。

 

「……難しいですね。」

 

困ったように笑う。

 

「理由は、一つじゃないんです。」

 

「先生は。」

 

「いつも私たちのことを考えてくださいました。」

 

「苦しい時も。」

 

「悲しい時も。」

 

「先生は、いつも『大丈夫』って言ってくださいました。」

 

その言葉を思い出したのか。

 

ミカの表情が少しだけ柔らかくなる。

 

「だから。」

 

「先生が苦しんでいる姿を見ると。」

 

「今度は私が支えたいって思うんです。」

 

議場は静かだった。

 

その言葉は。

 

理屈ではなく、感情だった。

 

そして、その感情が。

 

この討論に、新しい問いを投げかけようとしていた。

 

 

 

 

 

 

セリカは、その答えを静かに受け止めていた。

 

「今度は私が支えたい。」

 

その一言は、演壇の上で飾られることなく、まっすぐ議場へ届いていた。

 

少しの沈黙。

 

セリカは小さく頷く。

 

「……ありがとうございます。」

 

「今のお話を聞いて。」

 

「少し分かった気がします。」

 

ミカは首を傾げた。

 

「何が、ですか?」

 

「ミカさんは。」

 

「先生がしてくれたことを返したいんですね。」

 

ミカはゆっくりと頷く。

 

「はい。」

 

「返せるものなら、返したいです。」

 

「先生には、本当にたくさん助けてもらったので……。」

 

その言葉に嘘はない。

 

議場の誰もが、それを感じ取っていた。

 

セリカは少しだけ視線を落とす。

 

「……実は。」

 

「そこなんです。」

 

ミカは静かに耳を傾ける。

 

「私が、一番聞きたかったことは。」

 

セリカはゆっくりと顔を上げた。

 

「恩を返したいっていう気持ちと。」

 

「教育者として残ってほしいっていう気持ちは。」

 

「同じなんでしょうか。」

 

議場の空気が少しだけ張り詰める。

 

ミカはすぐには答えられない。

 

セリカは責めるような口調ではなかった。

 

むしろ、自分自身へ問い掛けるようだった。

 

「私も。」

 

「先生には恩があります。」

 

「だから。」

 

「先生には幸せでいてほしいって思います。」

 

「できることなら。」

 

「また先生と、一緒に笑いたいです。」

 

一度、言葉を切る。

 

「でも。」

 

「その気持ちと。」

 

「先生を教育者として残したいっていう気持ちは。」

 

「同じなのかなって。」

 

「最近、ずっと考えてるんです。」

 

議場は静まり返る。

 

これはセリカ自身の問いでもあった。

 

恩を返したい。

 

幸せになってほしい。

 

その感情は本物だ。

 

だからこそ。

 

その感情が、自分の判断を曇らせていないか。

 

それが怖かった。

 

ミカはゆっくりと息を吸う。

 

「……私。」

 

「今まで。」

 

「そこまで考えたことはありませんでした。」

 

小さく笑う。

 

その笑顔は、どこか寂しかった。

 

「先生に笑っていてほしい。」

 

「先生に苦しんでほしくない。」

 

「そんなことばかり考えていました。」

 

「だから。」

 

「『先生に残ってほしい』って思う気持ちも。」

 

「全部、同じものだと思っていたんです。」

 

セリカは静かに頷く。

 

「私も、そうでした。」

 

「でも。」

 

「ノアさんのお話を聞いて。」

 

「ホシノ先輩のお話を聞いて。」

 

「少しだけ分からなくなりました。」

 

ミカも小さく頷いた。

 

「……私もです。」

 

二人の間に、静かな沈黙が流れる。

 

その沈黙は苦しいものではない。

 

互いが、自分の心の中を探している時間だった。

 

やがてセリカは、小さく息を吸う。

 

「もう一つだけ。」

 

「少しだけ踏み込んだ質問をしてもいいですか。」

 

ミカは優しく微笑む。

 

「はい。」

 

「答えられることなら。」

 

セリカは数秒間、言葉を選んだ。

 

そして。

 

覚悟を決めるように、ゆっくりと口を開いた。

 

「……失礼だったら、ごめんなさい。」

 

議場が静まり返る。

 

「ミカさん。」

 

「先生のこと……。」

 

そこで一度、言葉が止まる。

 

ミカは静かにセリカを見つめていた。

 

セリカは真っ直ぐその視線を受け止める。

 

そして。

 

「先生のことが、好きですよね。」

 

その一言が。

 

静まり返った議場へ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生のことが、好きですよね。」

 

その一言が議場へ落ちた瞬間、空気が変わった。

 

誰も口を開かない。

 

ヒフミは思わず息を呑み、ユウカは僅かに視線を伏せる。

 

ヒナは表情を崩さないまま二人を見つめ、リンも制止することなく静かに成り行きを見守っていた。

 

この問いは討論と無関係ではない。

 

答えるかどうかは、回答者自身に委ねられている。

 

ミカは驚いたように目を瞬かせた。

 

その質問は、まったく予想していなかった。

 

しばらく言葉が出ない。

 

無意識に視線が先生へ向く。

 

先生は何も語らず、静かにミカを見つめ返していた。

 

その姿を見て、ミカは小さく息を吸い込み、ゆっくりとセリカへ向き直る。

 

「……はい。」

 

その返事は小さかった。

 

しかし、隠そうとする迷いはなかった。

 

「私は先生のことが好きです。」

 

「一人の教師としてだけではありません。」

 

「一人の人として尊敬していますし、大切な存在だと思っています。」

 

議場に再び静寂が訪れる。

 

恋愛を告白する場ではない。

 

それでも、その感情が今日の判断と無関係だと言い切れる者は、この場には一人もいなかった。

 

セリカは静かに頷く。

 

「ありがとうございます。」

 

「答えにくい質問だったと思います。」

 

「……はい。」

 

ミカは少しだけ照れたように笑った。

 

「でも、聞いていただけて良かったとも思っています。」

 

その表情を見届けたセリカは、一度だけ視線を落とす。

 

次の問いは、この質疑の核心だった。

 

「それでは、もう一つだけ聞かせてください。」

 

「その気持ちは、今日の判断に影響していませんか。」

 

その瞬間、ミカの表情から笑みが消えた。

 

返事をしようとして唇が動く。

 

しかし、言葉にならない。

 

議場には重い沈黙だけが流れた。

 

セリカは急かさない。

 

責めるつもりもない。

 

ただ、自分と同じように迷っているのか、それだけを知りたかった。

 

長い沈黙の末、ミカは自嘲するように小さく笑った。

 

「……分からないんです。」

 

その一言は、誰かを説得するための答えではなかった。

 

自分自身へ向けた告白だった。

 

「この審議会が始まってから、何度も自分に問い掛けました。」

 

「先生を信じたいと思う気持ちは、本当に先生という人を見て出した結論なのか。それとも、先生を好きになってしまった私自身の感情が、そう思わせているだけなのか。」

 

ミカは胸の前でそっと両手を重ねる。

 

その指先は、僅かに震えていた。

 

「考えれば考えるほど、自分の気持ちが分からなくなってしまったんです。」

 

「もし私が先生を好きじゃなかったら、今日ここで違う意見を言っていたかもしれない。そんな想像をしたことも、一度や二度ではありません。」

 

声は震えていない。

 

けれど、その言葉の一つひとつから、どれほど長い時間自分を責め続けてきたのかが伝わってくる。

 

「だから私は、自分が一番怖いんです。」

 

「先生を守りたいという気持ちが、先生を正しく見ることを邪魔しているんじゃないかって。」

 

その告白を聞いたセリカは、静かに目を閉じた。

 

責めるために問い掛けたわけではない。

 

その苦しさを、自分も痛いほど知っていたからだった。

 

 

 

 

 

 

セリカは静かに目を開いた。

 

しばらく何も言わない。

 

議場にも、誰一人として言葉を挟む者はいなかった。

 

ミカの答えは、反論でも主張でもない。

 

自分自身の弱さを認める告白だった。

 

やがてセリカは、小さく息を吐いた。

 

「……良かった。」

 

その言葉に、ミカは驚いたように顔を上げる。

 

「えっ……?」

 

「私。」

 

「ミカさんは、『影響していません』って言うんだと思ってました。」

 

ミカは静かに首を横へ振る。

 

「そんなこと……言えません。」

 

「言ったら、嘘になります。」

 

その返事に、セリカは小さく笑った。

 

「そうですよね。」

 

「私も、言えません。」

 

ミカは目を丸くした。

 

セリカはゆっくりと言葉を続ける。

 

「私は先生に助けてもらいました。」

 

「だから先生には恩があります。」

 

「先生が苦しんでいる姿なんて、見たくありません。」

 

「できることなら、笑っていてほしい。」

 

「またアビドスへ来て、一緒にくだらない話をしてほしい。」

 

その声は穏やかだった。

 

だが、その一つひとつが胸の内から絞り出される本音だった。

 

「でも。」

 

セリカは自嘲するように笑う。

 

「その気持ちがあるから、自分の判断が正しいのか分からなくなるんです。」

 

議場は静まり返る。

 

「私は午前中、『怖かった』って話をしました。」

 

「でも。」

 

「本当に怖かったのは、報道じゃありません。」

 

ミカが静かに顔を上げる。

 

セリカは、自分の胸へそっと手を当てた。

 

「先生を信じたい自分と。」

 

「怖いと思ってしまった自分が、同じ心の中にいることが怖かったんです。」

 

その一言に、ヒフミは膝の上で強く手を握り締めた。

 

セリカは続ける。

 

「だから。」

 

「私はミカさんを責められません。」

 

「先生が好きだから判断が揺らぐ。」

 

「それなら。」

 

「先生に恩がある私だって、同じだから。」

 

ミカの瞳が揺れる。

 

セリカは少しだけ笑った。

 

「違うのは、感情の種類だけです。」

 

「でも。」

 

「先生を大切に思っていることには、変わりありません。」

 

議場には重い沈黙が流れる。

 

その沈黙を破ったのは、ミカだった。

 

「……セリカさん。」

 

「はい。」

 

「私。」

 

「ずっと勘違いしていました。」

 

セリカは静かに耳を傾ける。

 

「反対意見の人は。」

 

「先生を信じていないんだって。」

 

「どこかで、そう思っていたんです。」

 

ミカはゆっくりと首を振る。

 

「でも違いました。」

 

「セリカさんも。」

 

「ヒナさんも。」

 

「ユウカさんも。」

 

「先生を憎んでいるわけじゃなかった。」

 

「みんな。」

 

「それぞれ苦しみながら考えていたんですね……。」

 

その声は、少し震えていた。

 

セリカは優しく頷く。

 

「だから。」

 

「この審議って、苦しいんです。」

 

「先生が嫌いなら、こんなに悩みません。」

 

「恩がなければ。」

 

「思い出がなければ。」

 

「もっと簡単に結論を出せたと思います。」

 

静かな声だった。

 

しかし、その言葉は議場全体の心情を代弁していた。

 

先生を否定したい者など、ほとんどいない。

 

それでも。

 

教育者として残すべきかという問いだけは、感情だけで答えてはいけない。

 

その苦しさを、全員が少しずつ共有し始めていた。

 

ミカは静かに涙を拭う。

 

「……ありがとうございます。」

 

「こんな話。」

 

「誰にもできないと思っていました。」

 

セリカは穏やかに首を横へ振る。

 

「私もです。」

 

「だから。」

 

「聞けてよかった。」

 

二人は互いに小さく頭を下げた。

 

討論は続いている。

 

それでも今この瞬間だけは、勝者も敗者も存在しなかった。

 

互いの感情を理解しようとした二人の間には、先ほどまでにはなかった静かな信頼が生まれていた。

 

 

 

 

 

 

二人が静かに頭を下げ合う。

 

討論の場でありながら、そこには勝敗はなかった。

 

互いの言葉を否定するのではなく、自分自身の迷いと向き合う。

 

そんな質疑を、議場の全員が静かに見守っていた。

 

やがてセリカが顔を上げる。

 

「……ミカさん。」

 

「はい。」

 

「もう一つだけ。」

 

「聞いてもいいですか。」

 

ミカは涙を拭き、小さく微笑んだ。

 

「はい。」

 

「私に答えられることなら。」

 

セリカは少しだけ視線を落とす。

 

「さっき。」

 

「先生を好きだから、自分の判断が正しいのか分からないって言いましたよね。」

 

「……はい。」

 

「じゃあ。」

 

「もし。」

 

「先生のことを好きじゃなかったとしても。」

 

「先生を教育者として残ってほしいって思えますか。」

 

議場が静まり返る。

 

ミカは返事をしない。

 

視線を落としたまま、自分の膝を見つめていた。

 

そんなこと。

 

考えたことがなかった。

 

先生を好きじゃない自分なんて、想像したこともない。

 

長い沈黙が流れる。

 

誰も急かさない。

 

先生も、静かにミカを見つめていた。

 

やがてミカは、小さく息を吐く。

 

「……分かりません。」

 

少し困ったように笑う。

 

「本当に、分からないんです。」

 

「先生のことを好きじゃない私なんて。」

 

「想像したことがないから。」

 

議場は静まり返る。

 

ミカはゆっくりと言葉を探し始めた。

 

「でも……。」

 

「一つだけ。」

 

「言えることがあります。」

 

セリカは黙って頷く。

 

「私は。」

 

「先生を好きになろうって思って、好きになったわけじゃありません。」

 

「先生が。」

 

「私たちのために笑って。」

 

「私たちのために怒って。」

 

「私たちのために、一緒に泣いてくれて。」

 

「そんな先生を見ていたら。」

 

「気付いた時には。」

 

「好きになっていました。」

 

少し照れたように笑う。

 

「だから。」

 

「私の中では。」

 

「先生を信じたいっていう気持ちと。」

 

「先生が好きっていう気持ちを。」

 

「上手く分けることができないんです。」

 

その声は、とても静かだった。

 

「もしかしたら。」

 

「セリカさんの言うとおり。」

 

「私の判断は。」

 

「この気持ちに影響されているのかもしれません。」

 

「でも。」

 

「先生が生徒のみんなと向き合ってきた姿まで。」

 

「全部。」

 

「恋をしている私の勘違いだったとは思えないんです。」

 

その一言だけは、少しだけ力が入っていた。

 

議場は静まり返る。

 

誰も反論しない。

 

ミカは誰かを説得しているのではない。

 

自分の心を、一つひとつ確かめながら話しているだけだった。

 

セリカはしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑む。

 

「……安心しました。」

 

ミカは不思議そうに首を傾げる。

 

「安心、ですか?」

 

「はい。」

 

「ミカさん。」

 

「自分の気持ちから逃げてないんですね。」

 

「恋をしていることも。」

 

「その恋が判断に影響しているかもしれないことも。」

 

「ちゃんと認めてる。」

 

セリカは静かに目を伏せる。

 

「私は。」

 

「そういう人の言葉なら。」

 

「ちゃんと聞いて考えたいって思えます。」

 

議場は再び静寂に包まれた。

 

感情を捨てることはできない。

 

だからこそ。

 

その感情から目を逸らさず、自覚した上で判断しようとすること。

 

それこそが、この審議会で最も誠実な姿勢なのかもしれないと、誰もが少しずつ感じ始めていた。

 

 

 

 

セリカの言葉が静かに議場へ残る。

 

> 「私は、そういう人の言葉なら、ちゃんと聞いて考えたいって思えます。」

 

誰もすぐには口を開かなかった。

 

討論は続いている。

 

それでも、この場には先ほどまでとは違う空気が流れていた。

 

相手を否定するためではなく。

 

理解するための言葉が、確かに交わされていた。

 

ミカはゆっくりと顔を上げる。

 

「……セリカさん。」

 

「はい。」

 

「私、一つだけ分かったことがあります。」

 

セリカは静かに頷く。

 

「今日まで。」

 

「私は、自分の気持ちが邪魔なんじゃないかって思っていました。」

 

「先生を好きだから。」

 

「先生を信じたいって思ってしまう。」

 

「だから、自分の意見には価値がないんじゃないかって……。」

 

少しだけ寂しそうに笑う。

 

「でも。」

 

「違ったんですね。」

 

「違う?」

 

「はい。」

 

ミカは議場をゆっくり見渡した。

 

ヒナ。

 

ユウカ。

 

ホシノ。

 

ノア。

 

ヒフミ。

 

一人ひとりの顔を見つめながら続ける。

 

「今日ここでお話を聞いていて思いました。」

 

「誰一人として。」

 

「何も感じないまま、この席に座っている人はいません。」

 

「ヒナさんは、生徒を守りたいって思ってる。」

 

「ユウカさんは、学校という制度を守ろうとしてる。」

 

「ホシノさんは、先生に救われた時間を大切にしてる。」

 

「セリカさんは、先生への恩と、不安の間で苦しんでる。」

 

「私も……先生が好きです。」

 

その声は穏やかだった。

 

「みんな。」

 

「違う気持ちを抱えながら。」

 

「それでも、一生懸命考えている。」

 

「だから。」

 

「感情があること自体は、悪いことじゃないんですね。」

 

議場は静まり返る。

 

ミカは少しだけ笑う。

 

「大事なのは。」

 

「自分は感情なんてありませんって思い込むことじゃなくて。」

 

「私はこういう気持ちだから、もしかしたら見えなくなっているものがあるかもしれないって。」

 

「ちゃんと自分で分かっていることなんだって。」

 

その言葉に、ノアが静かに目を閉じる。

 

口は挟まない。

 

だが、その考え方は、これまで自分が語ってきた「事実をどう評価するか」という姿勢とも重なっていた。

 

セリカは穏やかに微笑む。

 

「私も。」

 

「同じことを思いました。」

 

「先生に恩がある私も。」

 

「先生を好きなミカさんも。」

 

「きっと。」

 

「完全に公平にはなれません。」

 

「でも。」

 

「だからって。」

 

「話し合う意味がなくなるわけじゃない。」

 

ミカは静かに頷く。

 

「はい。」

 

セリカは議場全体へ視線を向けた。

 

「むしろ。」

 

「一人じゃ決められないから。」

 

「こうして、いろんな人の話を聞くんですよね。」

 

リンはその言葉を静かに聞いていた。

 

やがて、小さく頷く。

 

「そのとおりです。」

 

議場の視線がリンへ集まる。

 

「審議会とは。」

 

「自分の正しさを証明する場ではありません。」

 

「自分一人では気付けない視点を持ち寄り、一つの結論を導くための場です。」

 

リンはゆっくりと二人を見る。

 

「本質的な質疑でした。」

 

「ありがとうございます。」

 

セリカとミカは互いに一礼し、それぞれの席へ戻る。

 

席へ腰を下ろしたミカは、小さく息を吐いた。

 

先ほどまで胸を締め付けていた苦しさは消えていない。

 

それでも。

 

自分の感情から目を背けずに話せたことで、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。

 

一方、セリカも静かに前を向く。

 

「恩がある。」

 

「だから苦しい。」

 

その思いは変わらない。

 

だが今日、同じように感情と向き合い、苦しんでいる人がいることを知った。

 

それだけで、この質疑には意味があった。

 

議場は再び静寂に包まれる。

 

討論は、いよいよ終盤へ差しかかろうとしていた。

 

次に交わされる言葉は、この審議会全体の結論を大きく左右することになる。

 

 

 

 

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