転生名 クリス:赤野栗栖 ピアーズ:赤野ピアーズ(旧姓:二場) クレア:赤野クレア
pixivより転載
深海に眠る彼を想う。
二場ピアーズは、10歳の時に赤野ピアーズになった。早い話が、実の親が彼を育てるのが難しい環境になったからだ。虐待などはなかったことはピアーズは誓って言える。どちらかというと経済的な問題だ。父方がアメリカ人で、帰化したあとも日本で職にありつくのが難しかったのもある。
養子に入った赤野家は親戚で、こちらは経済的に安定している。養子に入る前からピアーズは頻繁に赤野家に出入りしていた。特に長男の栗栖によく懐いており、栗栖に体を鍛えられたため、体育では女子の注目の的となったのだった。閑話休題。
ただ、ピアーズはもっと幼い頃から、栗栖に気になる点があった。
──ピアーズの右の顔から腕にかけて走る、生まれついての痣。
それに触れる度、辛そうな顔をすること。
生まれついたそれは引き攣れるということもなく、ただそこにあるだけでピアーズは全くの健康優良児だ。しかし、かと言って栗栖は誰かの容姿の特徴であげつらう人間でもないことは、ピアーズはよくわかっていた。
そして、ピアーズがおぼろげに憶えていることがある。
それは幼稚園に入るかどうか。どういった状況かは憶えていないが、栗栖の膝に座ったピアーズが、例の如く痣に触れられたとき。幼いピアーズは尋ねたのだ。
「くりす、おれのこのあざについてなにかしってるのか?」
栗栖は、一瞬黙り込んだ。身体が跳ねたこともピアーズは憶えている。
しかし、栗栖はピアーズを向き合わせた。栗栖の膝に乗るピアーズに、彼は真剣な顔で言った。
「お前のそれはな、魂に刻まれた覚悟の証だ」
当時は、言っている意味がよくわからなかった。それでも、褒められているのだろうということはわかったので、「そっか」とだけ答えた。
もう少し深く聞いておけばよかった。中学生になったピアーズはそう後悔する。
赤野家に帰って来たピアーズ。部活に入り、帰宅が遅くなることも増えた。この日も休日だったが、部活の練習で遅くなり、日が落ちるのが早くなる季節なのもあってすっかり日が暮れていた。
「ただいま」
帰って来ると、家の中は静かだ。栗栖もクレアも帰っていないのだろうか……そう思いながら、リビングの電灯を点ける。
「うわっ」
思わず小さく唸った。そこでは、栗栖がテーブルに伏せていた。
「……栗栖?」
ピアーズは恐る恐ると近寄る。……どうやら転寝しているらしい。健やかな寝息が聞こえてきてピアーズは安堵する。ソファに鞄を置くと、手を洗いに洗面所に行く。そして戻ってきた彼は、ソファにかかっていたブランケットを手に取ると、そっと栗栖の肩にかけてやった。
──ノートパソコンはスリープモードになっている。それをそっと閉じた。テーブルに書類が何枚か広がっており、それは恐らく個人情報だろうということで見なかったことにした。
栗栖は日体大を出たあと、私立高の体育教師となった。生真面目な彼は、顧問を務めるバレーボール部での部員の指導の他、生徒へのケアを十二分に考える……つまりほぼ社畜だった。
『仕事をしてないとな、落ち着かないんだ』
まだ若いのに、そう言ってスケジュールを詰める栗栖の横顔が、痛々しく感じられた。
クレアも何かと休ませようとするが、鬼気迫る勢いで仕事を詰めるのだから恐れ入る。そもそもが学校で残業をしてくることの多い栗栖が自宅に仕事を持ち込んでくること自体稀なことだった。仕事は詰めるが家庭には持ち込まない。栗栖はそういう男だった。それがこれだから、愈々過労死の陰も過る。彼はこんなにも大きいのに。
「……う……」
「栗栖?」
不意に、低い唸り声が漏れる。魘されているのだろうか。
起こそうかと手を伸ばす。──しかし、寝言が聞こえた。それに思わず耳を欹てると、栗栖は呟いていた。
「……駄目だ……駄目だ、行っては駄目だ……俺を置いていくな……」
──その言葉に、ピアーズの頭に鈍い痛みが走る。
「っ……?」
頭を抑えたピアーズが、それでも拾った言葉は。
「行くな……海から還って来い、ピアーズ」
──その瞬間、ピアーズは理解した。
この人は、何らかのトラウマに囚われている。それが自分とどう関係しているかはわからない。ただ、不思議なことは色々言われていたから、「前世なんてあるのかもな」などと思ってしまう。
仮にそうだとしたら。自分は栗栖にとってどういう立場だったのだろう。推測すると、栗栖を助けて海の底に沈んだ。それが、栗栖には深刻なトラウマを刻んだ。生まれ変わっても忘れられないほどに。
ならば、こうして前世の記憶を持たぬ自分はなんなのか。栗栖から注がれる愛情を疑わず惜しみなく注がれた。何も覚えていない自分を、彼はどう思っただろう。
そして、俄かに嫉妬する。
──海の底に沈んだ「ピアーズ」など知らない。今、彼の傍にいるのは赤野ピアーズ。この日本で愛されて育った健全な中学生だ。
「やらねぇ」
低く囁く。
栗栖の上に覆い被さり、ピアーズは変声したての声で呟いた。
「今のアンタは、今の俺のもんだ」
──前世の記憶など持ち合わせないピアーズ。それでも、その感情は持っていた。
即ち、栗栖への恋心。あるいは、執着。
……クレアはまだ帰って来ない。ピアーズは栗栖から離れると、夕食の支度にかかった。
一方、ピアーズに囁かれた時点で起きていた栗栖は、いつ「今までずっと寝てました」という顔で起きようかタイミングを計りかねていた。
End.