ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 九章 二十八節
『刃を持たぬ日にこそ、次に何を持つべきかを問え。』
2378- 後方拠点街アルニカ 羽黒承視点
辞令から三日、車列はアルニカという町で足を止めた。
北部第三戦域の後方、街道が三本交わるだけの町だ。
橋も砦もない。あるのは、宿と、井戸と、屋根の低い市場だけだった。
車輪と結界導線の予備部品を積み替えるのに、丸一日かかるという。
「少将殿は休んでいてください」
輸送担当の兵にそう言われて、僕は素直に頷いた。
休むという言葉の意味を、たぶん彼はよく分かっていない。分かっていないまま言ってくれるのが、ありがたかった。
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宿に着くと、後方経由でまとめて届いた私信の束が待っていた。前線では届かない量の紙だ。
差出人には、見覚えのある名前が並んでいた。
西詰所のリゼルからは、短い一文だけ。「まだ生きてるならよかった。うちの若いのが一人、お前の階級章を見て腰を抜かした」。若いの、というのはたぶんラドのことだ。別の紙に、彼自身の字で「西の遠征、まだ続けてます。名前を忘れられる前に一言」とだけ書かれていた。
協会の記録員ミラからは、事務的な一枚。「エリカの回収報告書、正式に受理されました。あなたの証言が助かりました」。エリカの名前を見て、渡された小瓶のことを思い出した。あれは今も、桜華さんの中で働いている。
工房のガント親方とカルマン曹長の連名で、簡潔な葉書が一枚。「羅針盤、まだ狂ってないか。狂ってたら送り返せ、直してやる」。あの日もらった羅針盤は、今も荷袋の底にある。
最後に、王城のトズメク教導長の名で、一言だけ。「敵を見るな、線を見ろ。それだけ守れているなら、他は何も言わん」。
一枚ずつ読み終えて、束をまとめ直した。返事を書く時間はない。それでも、届いたことだけは分かった。
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市場は、思っていたより賑わっていた。
干し魚。麦の粉。子供用の靴。修理された鍋。値切る声。値切られる声。
戦線から半日離れただけで、人はちゃんと生活の値段を気にしていた。
「少将殿も見ますか、これ」
希望さんが、屋台の籠から乾燥した木の実をひとつ摘んで見せた。
「食べ物ですか」
「甘いらしいです。豆ではないので警戒しなくていいです」
「豆を警戒したことはありません」
「していますよ。数えてから食べます」
否定できなかった。
僕は木の実をひとつ受け取り、齧った。硬い。噛むと、少し遅れて甘さが来る。
「甘いですね」
「でしょう」
山崎さんが屋台の奥を覗き込んで、店主に何か軽口を言っている。店主が笑った。歯の抜けた笑い方だった。炊事班の彼と同じだ、とふと思った。
戦場では見ない種類の音が、ここにはある。
鍋を叩く音。子供の声。値切りの終わった後の、短い笑い。
僕はそれを、少しの間だけ聞いていた。
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市場の奥、井戸の向こうに、小さな祠があった。
白い布が結ばれた木の柱。灰を入れた鉢。
老いた女がひとり、灰の鉢に新しい灰を足していた。
「コウノハの方ですか」
希望さんが小声で聞いた。
「祠の形からすると、たぶん」
女はこちらに気づき、静かに頭を下げた。
「兵隊さんかい」
「はい」
「魔物を、燃やしてくれてありがとうね。灰にしてくれれば、ちゃんと還れる」
言葉に、悪意はなかった。
むしろ穏やかだった。穏やかなのに、僕は少し息を止めた。
燃やせば還る。燃やさなければ還らない。
その線引きの向こう側に、何がいるのか。老女は知らないのだろう。知らないまま、灰を足している。
「還れないものも、あるんですか」
僕が聞くと、女は少し困った顔をした。
「還らない人は、灰にもならないよ。ただ、消えるだけ」
それだけ言って、女はまた灰を足す作業に戻った。
祠の裏手から、若い男が薪を抱えて出てきた。軍属らしい簡素な作業服。顔に見覚えがあった。
「白海くん」
彼は一瞬だけ驚いた顔をして、それから小さく頭を下げた。
「羽黒、少将殿になったんですね」
「後方支援に回ったと聞きましたが」
「灰の管理も、支援のうちらしいです。誰かがやらないと、燃やした後の場所がなくなるので」
白海くんは薪を鉢の脇へ下ろし、いつものように手を合わせた。あの日、要塞の外で仲間に手を合わせていた時と、同じ角度だった。
「戻る場所、見つけたみたいですね」
僕が言うと、彼は少し困ったように笑った。
「見つけたというより、居着いただけです」
それだけ言葉を交わし、彼はまた薪を運ぶ仕事へ戻った。
僕たちは、それ以上聞かなかった。
祠を出てから、希望さんが小さく言った。
「今の、少し怖かったです」
「怖い、というより」
言葉を探して、うまく見つからなかった。
「整理されすぎている、という感じでした」
「私は怖かったです。先輩は難しく言いますね」
「すみません」
「謝るところではないです」
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宿の主人に聞くと、町にはひとつだけ書庫があるという。
商隊が持ち込んだ古い本を、金を払って読ませる商売らしい。
僕は、戦術教本の続きになりそうな資料を探しに行った。理由を聞かれれば、それで答えるつもりだった。
書庫は、思ったより狭かった。棚は五つ。埃の匂いより、紙の湿った匂いの方が強い。
「軍の資料は少ないよ。ここは商隊の忘れ物だから」
書庫番の男が言った。
「戦術より、古い異世界人の記録の方が多い」
「異世界人の、記録」
「昔、この辺りを通った学者崩れが集めたやつだ。売れないから、ずっとここにある」
棚の隅、他より色の濃い綴りがあった。
表紙に名前はない。中を開くと、癖の強い字で「ラズ・ブラックヘイブン」という署名だけがあった。
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最初の数ページは、魔力の伝達効率についての、乾いた計算式だった。
次のページから、字が変わる。急いで書いたような、乱れた線。
「魂を集めれば、繋がりは強くなる。だが、繋がりは、狙った一点に留まらない」
「多く集めるほど、周囲の魂へ滲む。制御しようとするほど、滲みは広がる」
「これは欠陥だ。修正できない欠陥だ」
そこで、一度筆跡が途切れていた。
次の行は、また別の日に書かれたものだった。
「欠陥ではないのかもしれない。ただ、望んだ形と違っただけだ」
「一点に留めようとするから、壊れる。最初から、広がるものとして扱えば」
その先は、破れていた。
破れた紙の端に、指の跡のような染みが残っている。
僕は、しばらくその頁を見ていた。
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左手の中で、魂と意思が、いつもより重く感じた。
この人は、たぶん一点だけを繋ごうとして失敗した。
僕がやっていることも、似ている。ひとつの結界、ひとつの砲塔、ひとつの命。
一点ずつ。だから、間に合わないことがある。
もし、最初から一点で留めようとしないなら。
そこから先を考えて、すぐに手を止めた。
広げる、という言葉の続きに、良い想像がひとつもなかった。
「見つかりましたか」
希望さんが、書庫の入口から声をかけた。
「探していたものとは、少し違いました」
「戦術教本じゃなかったんですか」
「戦術より、古い失敗の記録でした」
「また持ち帰るんですか」
希望さんは笑わず、僕の手元の綴りを見ていた。
「持って帰りますか」
「借ります。返せる場所に、戻るつもりで」
書庫番は、綴りを貸し出し帳に書き留めながら、片方の眉を上げた。
「その言い方、軍の人はよく使うね」
「借りた言葉です」
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翌朝、車列はアルニカを出た。
車輪は新しく、結界導線も予備が揃った。
荷台の隅、僕の荷袋の中に、破れた綴りがひとつ増えている。
答えは、まだ出ていない。
一点に留めるやり方が、いつか間に合わなくなる日が来るとして。
その時、広げることを選んでいいのか。
選ばずに済む方が、たぶんいい。
そう思いながらも、綴りを荷袋の底ではなく、すぐ取り出せる場所へしまい直した。
道は、魔力溜まり外縁へまだ半日ある。
車輪の音の向こうで、アルニカの鍋の匂いが、少しの間だけ追いかけてきた。
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