ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 十章 七節
『刃の白き痕は、斬りし数の外に残る』
2378- 魔力溜まり外縁作戦準備区域 羽黒承視点
三郷の剣を、整備班へ出した。
刃の根元には白い結界焼けが残っている。
鞘の口には、細い傷。
柄には僕の手へ合わせて巻いた布が二重になっていた。
「巻き直しますか」
整備兵が聞いた。
左の親指だけ爪が短い。砥石を押さえる時に欠けたらしい。
「お願いします。元の革は残せますか」
「下へ巻いたままだと、少し太くなります」
「僕の手には、その方が合います」
「持ち主は、もっと手が大きかったんですね」
整備兵は古い革へ油を薄く塗った。
「はい」
「剣士ですか」
「僕よりは」
「比較対象が少将殿だと困ります」
「では、かなり剣士でした」
整備兵が一度だけ笑った。
刃を布へ置き、結界焼けの範囲を測る。
「ここは削りません。焼けは浅い。研げば見た目は消えますが、刃の厚みまで変わります」
「残してください」
「錆ではありませんよ」
「分かっています」
白い跡は、水車小屋線で敵英雄級の剣を受けた時についた。
三郷がつけた傷ではない。
僕が使って増やした跡だ。
「鞘は直せます」
整備兵が口金を外す。
「ここの傷も消しますか」
「そこは、そのままで」
「記念品扱いなら、戦場へ持ち出さない方がいいです」
「実用品です」
「注文が多い実用品ですね」
整備兵は傷を残す位置へ白墨で印をつけた。
「面倒な持ち主ですみません」
「剣の方が慣れています」
砥石が刃を滑った。乾いた音が短く続く。僕は整備台の端へ置かれた記録札を見た。
使用者。羽黒承。旧所有者。
三郷弦。
「旧所有者は残しますか」
「残してください」
砥石の向きが変わり、傷の手前だけを往復した。
「軍の装備台帳だと、現在の使用者だけで足ります」
「遺品台帳では必要です」
整備兵の手が止まった。
砥石の粉を布で払う。
「失礼しました」
「いえ。今も使っているので、分かりにくいです」
三郷の剣。そう呼んでいるのは僕だけだ。装備番号は別にある。
軍の台帳では、長剣一振り。遺品台帳では、三郷弦の剣。戦果表では、敵英雄級一名の拘束に使用。
同じ物が、紙ごとに違う名前になる。
「夕方までには戻します」
「急がなくて大丈夫です」
「明朝、前線へ出る予定があります」
「では急ぎます」
整備兵は外した口金を小箱へ入れた。
「少将殿は出ない予定では」
「指揮所が前へ動くだけです」
「それを前線へ出ると言います」
「言葉はたまに厳しいですね」
「剣よりは」
僕は整備票へ署名した。
手袋の中で、左手の表示は出なかった。
✶
午後、戦死者記録の移管確認があった。
最終作戦前に、分散していた台帳を後方へ複写する。
原本が砲撃で失われても、名前まで消えないようにするためだ。
書記兵が木箱を三つ持ってきた。一つ目は北部戦線。二つ目は王国軍合同部隊。
三つ目は転移者関連。
「少将殿の確認が必要なのは、三箱目です」
「僕が確認者ですか」
「現存する転移者で、当時の所属と現在の軍記録の両方を照合できる方が少ないので」
書記兵は箱の留め金を外した。
指先に青いインクが染みている。
洗っても落ちなかった色だ。
「全部は今日中に終わりません」
「名前と識別根拠だけ先に見ます。戦果は後で」
「助かります」
「戦果欄から開かないでください」
書記兵が僕を見た。
「並び順が戦果別です」
「作った人に少し説教したいですね」
「三年前の様式です。作成者は後方勤務へ移っています」
「では、様式だけ直しましょう」
僕は椅子を一つ増やした。書記兵と向かい合い、記録を開く。
三郷弦。桐谷幸。佐々木。横河。飯田。小泉。田中。橘。村雨。後藤。深山。名前、所属、識別根拠、生命表示、回収品。一枚ずつ確認する。
桐谷さんの欄には、薬莢と髪と射撃位置。
三郷の欄には、剣と表示位置。
佐々木くんの欄には、結界板の革紐。
橘の欄には、手を合わせる癖の目撃証言だけが残っていた。物は何も見つからなかったらしい。
村雨さんの欄には、狼の毛が一房。
後藤さんの欄と深山の欄には、まだ「捜索継続」とだけ書かれていた。
「戦果記録は別紙へ移してください」
「削除ではなく」
「識別記録から分けます」
「理由欄は」
「死者を、次の作戦評価へ直接つなげないため」
書記兵が理由欄へ書いた。
僕の言葉は、紙の上で短くなった。
死者記録と戦果記録を分離。
「少将殿」
「はい」
「作戦史からは消せません」
「消しません」
ページをめくる。
「誰がどこで戦ったかは残してください。ただ、名前の横へ殺した人数を置かないでください」
書記兵は青い指で紙を押さえた。
「分かりました」
三郷たちの死を理由に、誰かを同じ場所へ送りたくない。
前に言った言葉は、まだ変わっていない。復讐で弔わない。次の殺しへ使わない。
そのために、僕は戦う。止めるために。左手の奥で、`意思` が薄く浮いた。
書記兵には見えていない。
「少将殿?」
「続けましょう」
僕は次の紙を開いた。
✶
夕方、剣が戻った。
柄は少し太くなっていた。
新しい布の下に、古い革が残っている。
鞘の口金は直され、細い傷だけがそのまま見えた。
「抜いて確認してください」
整備兵が言った。剣を抜く。白い結界焼けは残っている。
刃先だけが整えられ、灯りを細く返した。
「どうです」
「前より持ちやすいです」
「旧所有者には合わないでしょうね」
「もう使いませんから」
言ってから、指が柄へ食い込んだ。
整備兵は砥石を片づけていた。
こちらを見なかった。
「使用前に油を拭いてください。今は保管用です」
「分かりました」
「あと、刃で止めないでください」
整備兵は刃こぼれの位置を、油布の上から爪で押さえた。
「善処します」
「少将殿の善処は信用しません」
「評価が正確ですね」
剣を鞘へ戻した。
外では通信兵が明朝の移動表を読み上げている。
車両十二。救護車三。結界具九。
砲弾。燃料。人員。
僕は剣を腰へ下げた。人前では、それで終わった。
✶
夜、複写前の記録を一人で開いた。
戦果欄は別紙へ移されている。
名前の横には、所属と識別根拠だけが残った。
三郷弦、回収品は長剣一振り。桐谷幸、回収品は薬莢一個。
死者を次の殺しへ使わない。
その言葉を、紙の余白へは書かなかった。
左手を机へ置くと、`魂` と `意思`、二つの表示が浮いた。
三郷の記録から伸びた細い線は剣を通り、僕の右手へ入っていた。
水車小屋線では、敵英雄級を剣の腹で押した。崩れた姿勢へ砲撃が入り、味方の撤退線が残った。
その日、生きて戻った人間がいる。
僕も戻った。
桐谷さんの記録からも線が伸びていた。最後の射撃位置は西壁。敵の前進が遅れた時間の先に、戦死者十七と後方の生存者、それから僕の名前がある。
線は、死んだ者から殺した相手へ伸びているだけではなかった。
守った場所と残した時間、そこから戻った人間。その先の戦闘で僕が命令を出し、敵が死ぬと、線はまた僕へ戻った。
紙を一枚ずつ離した。
線は切れなかった。
線は三郷や桐谷さんだけではなかった。名簿の他の名前からも、細く伸びている。数えようとして、指を止めた。
三郷が僕へ渡した剣を、僕は一度返した。三郷が死んだ後、剣はまた僕へ戻り、その刃で人を止め、砲撃へ送り、味方を戻した。
戻った兵が、次の戦場で撃った。
`魂` の線が濃くなる。
僕を生かした人間まで、僕の力に入っている。
椅子を引くと脚が床を擦った。剣を腰から外したが、机にも床にも置けなかった。
鞘を両手で持ったまま、立っていた。復讐には使わない。次の殺しの理由にしない。
言葉は変わっていない。明朝、僕はこの剣を持って前へ出る。止めるために。
その先で誰かが死ぬ。左手の `意思` が濃くなった。
剣を布で一度包み、それでも足りずに、もう一度巻いた。
刃は見えなくなった。
線だけが、布を通って僕の手へ残った。
剣だけではなかった。
内ポケットには、小さな布包みがある。桐谷さんの薬莢。佐々木くんの結界板の革紐。横河くんの欠けた金貨。飯田くんのゴーグルの欠片。小泉くんの羊皮紙の切れ端。村雨さんの狼の毛。
台帳には回収品として書いた。でも、全部を後方へは送らなかった。
理由欄には、まだ識別作業中、とだけ書いた。噓ではない。まだ、終わっていない。
――――――――
面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。
https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews