再び彼女のライブを見る機会は割とすぐに訪れる。あれから4日後。
部活帰りの時間帯で今度は学校のピロティーで彼女はライブをおっ始めていた。
この辺りは結構人通りが多く、それなりの人が立ち止まって彼女のライブを見ていた。
「あら、幹。あなたも日野下さんのライブを見に来ていたのね」
わたしもまたライブを見ていると、あんまり聞きたくない声が後ろから聞こえてくる。
そりゃあそうか、思えば花帆ちゃんは姉と同じユニットのメンバーだ。様子を見に来るぐらいのことはするだろう。
それを考慮に入れないのはいささか迂闊だったか。
「……お姉ちゃん。人がライブ見てるでしょ? 用件なら後にしてよ」
姉に顔を向けず、事もなげに答える。
正直なところ、今は相手したくない。早くどっか行って欲しい。
「わかったわ。じゃあ、寮のラウンジで落ち合いましょうか」
「えー、勝手に決めないでよ」
しかし、その願いは叶わず、姉はわたしの隣に居座る。わたしが文句を言ってもお構いなし。
姉のこういう強情なところは、嫌いだ。
*
寮に帰り、ギターを片付けた後。
わたしは重い足取りでラウンジに向かっていた。
行きたくはないけれど、姉のことだから消灯時間になるまでわたしのことを待ち続けるだろう。
そこまでさせると、色々わたしの身辺が騒がしくなるだろうから得策ではない。
いっそのこと、速やかに行って終わらせた方がいい。そんな心算があった。
一応は目立たないように配慮してくれたのか、ラウンジの片隅で姉は待っていた。
「……来てくれたのね、幹」
「どうせずっと待ち続けるんでしょ? それで夕霧先輩あたりに探されるぐらいなら、出向いた方がマシかなって」
姉に促されるまでもなく、対面に座る。
半ば強引に呼び出したようなものなのに、しおらしい態度なのも若干癪に障る。いい加減、この姉は自分がわりと影響力がある存在であることを自覚して欲しい。
姉がこうならそれに劣るわたしはどんな風に振る舞えばいいのか。
……いや、もうやめておこう。今はそこを擦るべき場面ではない。
静かに肩で息を入れて情緒を整える。思えば、こうした形で姉と1対1で向き合うのはいつぶりだろうか、2年前まではよくこうして食事を共にしたりしていた。
しかし、姉が蓮ノ空に行ってからはとんとなくなった。横に夕霧先輩たちがいることは多かったけど。
「聞いたげるから、手短にお願いね」
「わかったわ。……その、日野下さんのことなのだけれど、幹はどう思ったのかしら?」
「……それは、観客としての評価ってことでいい?」
「ええ、綴理の評価だけではいささか客観性に欠くでしょう? だから、貴女の口から聞きたいの」
急に呼び出されて何事かと思ったら、そんなことだった。いや、花帆ちゃんに聞かせたくないからわざわざ呼んだのか。
なら、こちらとしても忖度はいらない。
「ぶっちゃけて言えば、そんなに上手くはないよね」
「やっぱりそうよね……」
そこはわかっていたのか、姉は苦笑いを浮かべる。
「けれど、それ即ち花帆ちゃんに魅力がない……とはならない」
むしろ、わたしはあの躍動ぶりに素直に魅せられた側だ。
「技術とかは後でついてくるよ。けど、根幹のところ、どうして自分は舞台に立つのか。その動機というか、願いと言えばいいのかな。ともかく、花帆ちゃんはそこがはっきりとしてる。これは技術とか見た目よりも大事なところだと思う」
ライブを見て、これでもかと感じた。これから何かを始めたい。そんな強烈な熱を花帆ちゃんから感じた。
夕霧先輩からも、慈先輩からも感じられる何か。姉からは時折、何も感じられなくなるけれど。
それがある限りは、花帆ちゃんがスクールアイドルとして枯れることはないと思う。
「さすがは幹。よく見てるわ。思うところは私も貴女と概ね同じよ」
「それはどうも。わたしはスクールアイドルにはならなかったけど、どこかの誰かのせいで眼だけは肥えたからねー」
「ただ……少しだけ心配で」
「なにが?」
「日野下さん、このまま1週間連続でライブをするでしょう? 楽しそうだからといってそのまま突き進ませていいものかしら」
「あー、それね」
姉なら花帆ちゃんに対してそう思うことはなんとなくわかってはいた。この人は膨大な努力を積み重ねてその物量で勝負する人だ。だから、花帆ちゃんのやり口は感覚的には合わない。
ただ、今が花帆ちゃんにとって一番楽しい時期かもしれない。そこで姉が無理に止めるのはそれはそれでよくない気はする。
「楽しそうだったらいいんじゃない? 見た感じ花帆ちゃんはお姉ちゃんとはタイプが違いそうだから、お姉ちゃんと同じように堅実に基礎を積んでくやり方だと花帆ちゃんには同じ場所で停滞してると思われるかも。だったら行くだけ行かせて、後ろから長手綱でそれとなく方向を修正して危うければ止める。それぐらいが適切なんじゃない?」
臨機応変に様子を見る。まあ、身も蓋もなく言えば、現状維持なんだけどね。
「……それがもどかしくて、仕方ないのよ」
「わかってるなら我慢してよ、もう……」
結局のところ、姉の中では半ば答えが出ていた話ではあったのだ。……なんたる時間の無駄か。まぁ、姉が花帆ちゃんのことを大事にしてあげてるのはわかったけど。
「なんだかんだで花帆ちゃんは光るものがあるから、放っておいてもそれなりのところには行く気はするけどさー、お姉ちゃんはどこまで行きたいの?」
「もちろん、ラブライブ! の優勝よ」
「……まだ、諦めてなかったんだね」
「私の夢だもの。そう易々と諦めることは出来ないわ」
それはそうか。あの日以来、お姉ちゃんはラブライブ! のために行動してきた。
高校入学までにあらかたの体力作りや楽曲と衣装の制作技術を押さえて、反対していたお父さんとお母さんを説き伏せた。
本当に10年近い歳月をスクールアイドルのために逆算して積み重ねてきたのだ。それを今更、お釈迦にするなんてできるはずもない。
「……それに、日野下さんとならもしかしたらって思う気持ちがないわけではないわ」
「へえ、お姉ちゃんにしては珍しく具体性に欠くことを言うじゃん」
揶揄ってみると、姉は少しだけ困ったように微笑った。
「……初めて、なのよ。初めて彼女を見かけた時、不思議と予感がしたの。彼女とスクールアイドルをやれたらきっと楽しいだろうって。綴理や慈、沙知先輩にもそんなこと思わなかったのに」
だから、と姉は続けた。
「その予感を信じてみようと思えたのよ」
そう微笑む姉の姿は妹ながらに魅力的に見えた。
夢を諦めない理由が、今までやってきて後に引けないからなんて後ろ向きな理由でなくてよかった。……なんて、わたしがそう安心していい権利などないのだけれども。
わたしが密かに自己嫌悪していると、姉は胸の前で軽く拳を握り、まっすぐにわたしを見つめてくる。どうやら、まだ何か言いたいらしい。
「……ねえ、幹。一つお願いがあるの」
「なに? クラブには入らないよ?」
「そこはぶれないのね……。ではなくて、私と日野下さんのライブを見に来て欲しい。確かに沙知先輩や慈もいない。とうに貴女の知る102期からはかけ離れてしまったけれども、103期もそう悪いものじゃないと貴女に伝えたい。……来てくれるかしら?」
「わかった。いつやるの?」
「5日後よ」
「だいぶ間隔が近いね」
「ええ、撫子祭のことを考えるとどうしても。……幹、本当に来てくれるのね」
あまりにあっさりわたしがライブに行くことを決めたからか、姉は目を瞬かせていた。
まぁ今までのわたしは姉を頑なに拒んでいたから驚くべきことなのかもしれないけれども。
「お姉ちゃんのためじゃないよ。どちらかというと花帆ちゃんのため。あれだけ嘴を挟んだからにはちゃんと見てあげないとね」
だから、釘を刺しておく。
罷り間違っても、あなたのためではないと。
わたしはまだ姉を許してはいない。
夢だったはずのラブライブのステージであの人は変節した。
仮に次のライブで似たようなことをした暁には、わたしはもう耐えられないかもしれない。
*
姉に捕まってから3日が過ぎた夜。
体力維持のために寮の庭で軽くランニングをして負荷をかけていたところ、中庭に隅で踊る影があった。
「さやかちゃんならもっとこう、シャキシャキと腕を動かして……。うわ、なんかカクカクな気がする」
「背中向ける時の振り付けが全然チグハグだー! 梢先輩みたいに上手く出来ないよ〜!」
すっかり聞き慣れた声に思わず足が止まる。
日野下花帆。最近すっかりお昼のお馴染みとなった彼女が、頭を抱えて喚いていた。
もうそろそろ消灯時間に近い。クラブが終わってからこんな時間になるまで彼女は練習に明け暮れていたと見ていいだろう。
姉にライブの日取りを聞いたから尚更分かる。
少しでもクオリティを上げたい焦りと、ただ単にスクールアイドルをやることの楽しさが今の彼女を突き動かしている。
やればやるほど新しい世界がどんどん拓けていってのめり込む。そして、それは自ら止めることはできない。
……ああ、かつてのわたしが通った道だ。それこそ、姉の練習に付き合っていた頃の。
(……いや、わたしながら未練がましいな。あの横に並ばないことを決めたのはわたしだろうに)
気を取り直して走り去ろうとした時、花帆ちゃんの方からあわてたような声が聞こえる。
振り返ってみると、なぜか花帆ちゃんはこっちを見て震えていた。
「すいません! 夜練とかダメでした!?」
「……いや、ダメではないけどね。でも、消灯時間が近いから部屋に戻りなよ。それこそ、寮母さんにガチで叱られるよ」
「そうだよね。……ってあれ? もしかしてだけど、ライブ何回か見てくれてた人かな?」
どうやら、花帆ちゃんは一応わたしを認知していたらしい。正直に言うとわたしの容姿はかなり目立つ部類だから致し方ないところもある。
姉と同じ鶯色の瞳と、薄いピンク色の髪なんて髪色が豊かな蓮ノ空においても中々お目に掛かれるものじゃない。
「うん。花帆ちゃんのライブは確かに何回か見てたよ。どれもいいライブだったよ」
「やっぱり見ててくれたんだね。うれしいなぁ。あたし、明日のライブ、全力で出し尽くすから応援してね!」
「うん、応援してる」
「それでそれで! あなたの名前は?」
「わたし? ……そうだねぃ。別に自己紹介してもいいけども、その前にちょっと振り付けの練習しようか。その様子だと相当苦労してるんだろうし」
「すごい。なんでわかったの!?」
「一応、その曲は蓮ノ空の伝統曲だからね。わたしも曲は知ってる。わりと難易度高そうな曲だったからなおさらかな」
花帆ちゃんには悪いけれど、名前に関しては聞かれたくはなかった。
なにせ一発で姉の……乙宗梢の妹だってわかる。それで態度を変えられても嫌だし、わたしとしても姉を出汁にして花帆ちゃんとつながろうとしている気がして嫌だった。
「やっぱり、難しいんだよね。これ。振り付けでなんかクルクルってするところがうまくいかないんだよね」
「うーん。ちょっと、見せてもらえる?」
「おねがいしますっ!」
花帆ちゃんが改めて踊り出す。確かに少し手が遅れているし、滑らかではない。
……それにしても、よく細かいところまで覚えてたな、わたし。
いや、あれだけ姉の練習に付き合ったから当然か。おかげで今でもこの曲の振り付けは覚えているし、なんなら直近4年ぐらいまでの曲ならあらかた頭に入ってる。
スクールアイドルクラブに入らなかったから死蔵するものかと思っていたけど、せっかくの機会だから使ってみよう。
「いい感じだよ。でも、ここから手が遅れてるかな。ほら、ここ。身体の軸を動かさずに右手と左手を交互にあげるように」
「うわ、本当だ。なんか肘の周りとか肩の辺りとか硬いんだよね」
「うん、見てて思ったよ。ダンス自体は追えてるんだけど、多分花帆ちゃん自身は思った以上に身体の可動域が狭く感じてるでしょ? 少しストレッチが足りないかもしれない」
そう言って花帆ちゃんに身体のストレッチを施していく。その度に変な悲鳴が出てくるが、気にせず続ける。
正直、花帆ちゃんの身体の硬さは群を抜いている。運動神経の良し悪し以前の話だ。基礎体力というかそのあたりが出来上がってない感じがする。
「……もしかしてだけど、花帆ちゃん。中学の時は文化系とかあまり身体を動かさない部活だったりする?」
「ううん、部活自体入ってないよ。子供の頃のあたしって身体が弱くてよく入院を繰り返してたんだ。中学に上がる頃には丈夫にはなったんだけど、お母さんたちが心配して部活には入れさせてくれなくて」
何気なく話を振ってみれば、思った以上に重い過去が出てきて面食らう。
確かにその環境なら身体作りが出来てなくても致し方ないところがある。
「だからね、蓮ノ空では花咲こうって思ったんだ」
半ば独白に近い花帆ちゃんの言葉にわたしはどこか腑に落ちるものを感じていた。
初めて見たライブで感じた暴風のような生命力の根幹はこれなんだと理解させられた気がする。
鬱屈した何かを晴らすかのように鮮やかに力強く咲き誇る。
多分その姿に、わたしは焦がれたのだ。
「ふう、ストレッチお疲れ。多分、これで少しは改善するはず。少し踊って見て」
促したのち、花帆ちゃんは舞う。
わたしの見立て通り、ぎこちなく見えていたところは抑えられていた。
「うん、これなら大丈夫だね」
「ちょっと気持ち悪い動きになってたのがなくなってたよ! ありがとう、あたしだけじゃ気づかなかったよ」
「いいってことよ。ま、わたしが言えるのはここまでかな。あとは自分で手応えを感じて微調整するところなんだけど……」
「大丈夫だよ。なんとかする! ほら、ライブが終わったあとにまた練習するよ、あたし」
「……あー、うん。頑張るのもいいけど、身体は大事にしてね。それこそまだスクールアイドル始めたてで身体が慣れてないだろうし。さて、本当に消灯時間ギリギリだから撤収、撤収」
「はーい」
花帆ちゃんと別れて歩き出す。
わたしは知ってる。翼が生えたように高く舞い踊り、そして墜落した天使を。
過ぎた高揚感と全能感はかえって毒になる。
花帆ちゃんにはそんな結末は辿ってほしくない。
*
コソ練に手を貸してしまった以上、わたしはしっかり花帆ちゃんの1週間ライブを最後まで見届けた。
非の打ち所はたくさんあるけど、それはそれ。
スクールアイドルは必ずしも完璧でなくてもいい。むしろ、不完全であることを望まれている節があるかも。
いや、それは偏見か。
ライブなんて、ただ伝えたいことが届けばそれでいいのだ。
怒涛の1週間ライブの後はスリーズブーケとしてのライブが3日後に控えている。
かなりのスピード感だが、思えば102期の時分からこんなものだった気がするから気にしないことにした。
そして3日後。
金沢市内で催されたスクールアイドルのイベントにわたしはヤン子と来ていた。
「やー、すっかり沼ってるじゃん。あの時の尖っていたみきてぃーは何処にって感じ?」
「沼ってないもん。約束だから見に来ただけだもん」
ヤン子にダルがらみされつつ、しれっと用意されていた関係者ゾーンに入る。こういうところで姉は抜かりない。
次々に石川県のスクールアイドル達がパフォーマンスをしていく。
そうして、そろそろスリーズブーケの出番が近づいた時、場内にアナウンスが流れた。
『えー、次にパフォーマンスを予定していたスリーズブーケでしたが、体調不良で出場を辞退するという形になりました。お楽しみにされていた皆様には申し訳ございませんでした』
一瞬、頭の中が真っ白になった。
知らず両手を強く握りしめてしまう。
「みきてぃー、ねえみきてぃーってば」
「なに、ヤン子」
「みきてぃーのスマホ、めっちゃ鳴ってるって」
ヤン子に身体を揺すられてようやく気づく。
スマホのスクリーンには『夕霧綴理』の名が映し出されていた。
『どうかしたんですか、夕霧先輩』
『はぁ、はぁ。ようやく出てくれたね』
電話口の夕霧先輩はどうしようもなく動揺していて、嫌な予感が胸中を満たす。
『みき、早く病院に来て欲しい。……こずが、足を怪我した』
よりにもよって、こんな時に。
あの姉はいったい何をしてるのか。
約束していたはずなのに。
肝心な時に、あの人はいつも間違える。