【テンペスト・ワープゲート】の開通により、新世界の「国境」という概念は完全に過去のものとなった。
各国の主要都市から銅貨三枚で魔国連邦(テンペスト)へと直通できるようになり、トブの大森林の中央都市は、連日新世界中の観光客で溢れ返る狂騒状態にあった。
「……フールーダよ。私は今、白昼夢でも見ているのだろうか」
バハルス帝国の若き皇帝、ジルクニフは、テンペストのメインストリートを歩きながら完全に虚無の目をしていた。
彼の周囲では、かつて帝国と血みどろの戦争を繰り広げていたリ・エスティーゼ王国の貴族たちが、仲良くクレープを齧りながら服屋のショーウィンドウを眺めている。
さらにその向こうでは、人類の絶対の守護者を自称していたスレイン法国の元・神官たち(武闘派の暗部組織はすでにテンペストによって完全消滅させられているため、生き残った穏健派の文官たち)が、『I ❤️ テンペスト』と書かれたお揃いのTシャツを着て、観光客向けのガイドフラッグを振っていた。
「さぁさぁ皆様! こちらがテンペスト名物、クロベエ様の武具店でございます! 神の御業(みわざ)をその目に焼き付けてくださいませ! あ、写真撮影は魔晶石二枚になります!」
「……見ろフールーダ。かつての神の代行者たちが、今やすっかり優秀なツアコン(ツアーコンダクター)だぞ。逞しいことこの上ないな」
「へ、陛下……。現実逃避もその辺になさってください。我々は今日、リムル様からの『特別な御指名』でここに来たのですよ」
フールーダに促され、ジルクニフが向かった先は、テンペストの王都の端にそびえ立つ巨大な門。
魔国連邦が誇る最高峰の施設にして、絶望の魔窟――『地下迷宮(ダンジョン)』の入り口である。
「おっ! 来たねジルクニフ君! いつも交通インフラの整備でお世話になってるよ!」
入り口の前には、カジュアルな冒険者風の服を着たリムルと、空中をヒュンヒュンと飛び回る妖精女王ラミリスが待っていた。
「リムル殿……。本日は『迷宮の新ルートのテストプレイ』へのご招待、感謝申し上げる。……して、新ルートとは?」
ジルクニフは、極力引きつらないように愛想笑いを浮かべた。
テンペストの地下迷宮が、莫大な資源を産出する恐ろしい魔窟としてすでに稼働していることは彼も知っている。
「うん! 実は、ゲートの開通で一般の観光客がめちゃくちゃ増えたからさ。これまでの迷宮だと、新世界の人たちには難易度が高すぎて一階層すら歩けなかったんだよね。だから今回、ラミリスにお願いして『新世界人向けの観光用・超低難易度ルート』を新設したんだ! そのβテスターをお願いしたくて」
「えっへん! 今回は新世界の一般人でも遊べるように、ちゃーんと『チュートリアル難易度』に調整してあげたわよ! 序盤の推奨レベルは、そっちの基準で言うと『カッパー(銅)級』! 武器を持ったことのない村人でも、ちゃんと頭を使えばクリアできる親切設計よ!」
ラミリスがふんぞり返って自慢する。
「カッパー級……武器を持ったことのない村人向け、ですか」
ジルクニフの顔が、少しだけピクッと引きつった。
(いくらなんでも、我々を愚弄しすぎではないか。我らは世界最強を誇る帝国の精鋭だぞ。そのような子供の遊び場のような階層など、目をつぶっていても踏破できるわ)
内心のプライドを隠しつつ、ジルクニフは頷いた。
「おっ、頼もしいね! じゃあ、入る前にこれを腕につけてね」
リムルが、ジルクニフたちに銀色のシンプルな腕輪を手渡した。
「これは?」
「『復活の腕輪』だよ。迷宮の中で死んでも、ちょっと痛いだけで、すぐにこの入り口のセーブポイントで五体満足で生き返る魔法のアイテムさ」
「「「…………はい?」」」
ジルクニフ、フールーダ、そして護衛の帝国騎士たちの思考が、ピタリと停止した。
「し、死んでも……生き返る……? しかも、そのような国宝級……いや、神の奇跡そのものである蘇生魔法が、腕輪一つで、しかもノーリスクで発動すると!?」
フールーダが泡を吹いて腕輪を凝視する。
「うん。迷宮(アトラクション)の中で死ぬたびにロストしてたら、誰も遊んでくれないでしょ? 死ぬのはタダだから、ガンガン攻めて楽しんでね!」
リムルがポンッとジルクニフの背中を押した瞬間。
足元の転移魔法陣が発動し、ジルクニフたちは一瞬にして地下迷宮の新ルート『第一階層』へと転送された。
――薄暗い、石造りの通路。
「……転移させられたか。陛下、お下がりください。何が出るか――」
騎士団長が剣を抜いた。
通路の奥から現れたのは、犬ほどの大きさの『大ネズミ(ジャイアント・ラット)』が三匹であった。新世界の冒険者ギルドでも、一番最初に出される駆除依頼の定番モンスターである。
「フッ、妖精殿の言葉通り、本当にただのネズミか。待て騎士団長、剣を振るうまでもない! 私が消し炭にしてくれよう!」
フールーダが一歩前に出た。
「【第四位階魔法:焦熱の炎雷(バーン・ライトニング)】!!」
ドッゴォォォォォォンッ!!!
大ネズミは、フールーダの過剰すぎる高位魔法によって、悲鳴を上げる間もなく消し飛んだ。チャリン、と彼らの足元に『銅貨』と『小さな魔石』がドロップする。
「おお……! やりましたぞ陛下! 魔物の死体がそのまま金品に変わるとは!」
「ははは! 素晴らしい! これならば我々にとっては少し退屈なくらいだな。さぁ、どんどん下へ進むぞ!」
ジルクニフは歓喜した。
圧倒的な理不尽に怯えるのではなく、自分たちの力が完全に通用する。
彼らはその後も、第二階層のゴブリン、第三階層のスライム、第五階層のジャイアント・バットなどを、魔法と武技で次々と蹴散らし、怒涛の勢いで階層を下っていった。
「フハハハッ! 脆い! 脆すぎるぞテンペストの迷宮とやら!!」
「陛下! すでに第九階層を踏破しました! この調子なら、最下層まで今日中に辿り着けるやもしれませぬ!」
しかし、第九階層から第十階層への階段を前にして、フールーダが立ち止まった。
「お待ちください、陛下。私の魔力(マナ)の残量が、残り一割を切っております。これ以上の進軍は危険です。一度地上へ戻り、休息を取るべきかと」
二百年以上の時を生きる帝国首席魔法使いであるフールーダは、己の魔力残量を一滴単位で正確に把握していた。ここまでの九階層、一切の休息なしの連続戦闘。いくら低級の魔物とはいえ、湧き出し続ける群れを相手にしていれば、当然の消耗であった。
「ふむ……魔力が残り一割か。しかし、案内板によれば第十階層は『ボス部屋』であり、そこを抜ければ『セーフエリア(安全地帯)』があるらしいぞ」
ジルクニフは、強気な笑みを浮かべた。
「ボスと言っても、しょせんは初心者向けの魔物だろう? その残り一割の魔力で放つ最大魔法で、ボスの首を一撃で跳ね飛ばせるか?」
「……ええ。第六位階魔法を一度だけ。それで私の魔力は完全に空になりますが、確実な必殺をお約束しましょう」
「よし! ならば一気に攻め落とし、第十階層のセーフエリアで優雅に休息をとろうではないか!」
そうして、彼らは『第十階層』の最奥――ボス部屋へと足を踏み入れた。
待ち受けていたのは、巨大な戦斧を持つ【オーク・ロード(迷宮初心者用調整版)】であった。
「いかにも強そうな魔物だが、我らの敵ではない! フールーダ! 最大火力で吹き飛ばせ!」
「お任せを! 全魔力を注ぎ込みます……ッ! 【第六位階魔法:連鎖龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)】!!」
フールーダの杖から放たれた極大の雷撃が、オーク・ロードの巨体に直撃する。
凄まじい轟音と共に、オーク・ロードは黒焦げになり、その場にズシンと倒れ伏した。
「ははは! 見事だフールーダ! これで第十階層も踏破――」
ジルクニフが勝利を確信した、その瞬間だった。
空間に『ピロリンッ♪』という軽快な電子音が鳴り響いた。
『――【オーク・ロード】のHPが0になりました。第二形態(フェーズ2:激怒モード)、起動します』
「「「…………は?」」」
倒れ伏していた黒焦げのオーク・ロードが、突如として全身を真っ赤に発光させながら、ムクリと立ち上がった。
そして、先ほどよりも遥かに強大なプレッシャー(攻撃力・敏捷性バフ)を放ちながら、雄叫びを上げた。
「ブモォォォォォォォッ!!!」
「な、なんだと!? ボスが蘇っただと!?」
ジルクニフが驚愕の声を上げる。
「ば、馬鹿な! 死霊術(ネクロマンシー)の気配など一切ない! 一度死んだ生物が、より強くなって蘇るなど……ッ!!」
フールーダは、完全に枯渇した魔力を持て余しながら、信じられない現象に目を見開いた。
常識だが、敵は「殺せば死ぬ」のだ。
『ボスの第二形態(フェーズ2)』などという、ゲーマー特有の悪辣なギミックなど、彼らが知る由もなかった。
「フールーダ! もう一発だ!」
「だ、ダメです陛下! 先ほど申し上げた通り、魔力はすでに一滴も残っておりませぬ!!」
「ならば騎士団長! 貴様らが盾となれ!!」
「はっ!! お任せを――ッ!!」
騎士団長が前に出て、オーク・ロードの怒りの大斧を巨大な鋼の盾で受け止める。
……ガンッ! バキィィィィッ!!
「ぐわぁぁぁッ!?」
盾で受けた騎士団長が、盾ごと無惨に叩き割られ、後方へ吹き飛んだ。
「なっ!? 帝国が誇る魔鋼の盾が、あのような粗末な斧で割られるだと!?」
「へ、陛下! このままでは!!」
魔力(MP)の完全枯渇。
そして、武具の崩壊。
典型的な「道中でリソースを使いすぎた結果、ボスの第二形態で詰む」という、ゲーマーあるあるの『ワイプ(全滅)案件』であった。
回復手段を持たない彼らは、そこから数分間、激怒モードのオーク・ロードによって一方的になぶり殺される羽目になった。
最後の最後まで逃げ回ったジルクニフだったが、ついにオーク・ロードの蹴りを食らい、HPがゼロになった。
視界が、真っ赤に染まり、そしてブラックアウトした。
「――ハッ!?」
ジルクニフが目を覚ますと、そこは青空の下。
先ほどまでいた、テンペストの地下迷宮の入り口であった。
自分の体をペタペタと触る。腕もある。足もある。どこにも怪我一つないし、疲労すら完全に回復している。
「あ、あれ……? 私は、死んだはずでは……」
隣を見ると、同じように自分の体を触って泣き叫んでいる騎士団長と、呆然と空を見上げているフールーダの姿があった。
「お帰りー! いやー、見事なリソース管理ミスでの第二形態ワイプだったよ!」
リムルが、屋台で買ったタコ焼きを頬張りながら手を振っている。
「リムル殿……! ボ、ボスが……一度死んだボスが生き返ったのだが!?」
「あー、あれは『ボスのフェーズ移行』だね。道中の雑魚は第一位階の節約魔法で倒してMPを温存しておかないと、ボスの第二形態を削りきれなくて息切れしちゃうんだ。いくらステータスが高くても、ゲームの『ギミック』と『リソース管理』を理解しないと勝てない親切設計だからね。ドンマイ!」
(ただの、戦術配分ミス……!?)
ジルクニフの心に、深い絶望……は、全く湧き上がってこなかった。
代わりに湧き上がったのは、強烈なまでの「後悔」と、燃え盛るような「闘争心」であった。
『完全に勝てる計算だったのに、未知のギミック(第二形態)に足元を掬われた』という事実が、彼のゲーマーとしてのプライド(と皇帝としての尊厳)に完全に火をつけたのだ。
「……フールーダよ。私は確かに、先ほど『死んだ』のだな?」
「は、はい……。間違いなく、オークの斧で両断されました。しかし、信じられないことに、体力も魔力も完全に元通りで生き返っております……」
ジルクニフは、手首の『復活の腕輪』を見つめた。
新世界では、死は絶対の終わり。
しかし、この国(テーマパーク)においては。
『死』という絶対の概念すら、ただの「ゲームオーバーの演出(学習装置)」に過ぎないのだ。
ジルクニフの脳内で、何かが『プツン』と弾けた。
「……フールーダ」
「は、はい」
「道中、お前はもう高位魔法を使うな。第一位階の最弱魔法だけで立ち回り、魔力は十階層のボスの『第二形態』まで完全に温存しろ! それに騎士団長! 貴様、無駄な防御で盾の耐久度を減らしすぎだ! 雑魚の攻撃はステップで避けろ!!」
「も、申し訳ありません陛下! 次は絶対にジャスト回避(パリィ)を狙います!」
「わ、私も万が一に備え、マナのポーションを忘れずに腰のポーチに入れておきますぞ!」
「行くぞ!! リムル殿、もう一度だ!! 一国を統べる皇帝として、たかが十階層のオークごときに負けたまま引き下がれるかァァッ!!」
ジルクニフは、かつてないほど生き生きとした――完全に『ゲーマー』として覚醒した顔で、自ら転移魔法陣へとダイブした。
「おおー、気合入ってるね! 頑張れー!」
リムルがパチパチと拍手をして見送る。
その日を境に。
テンペストの地下迷宮(新世界人向け初心者ルート)は、新世界の権力者から一般の町民に至るまで、全ての人々にとっての『究極のやり込みコンテンツ』と化した。
「雑魚は剣で処理しろ! フールーダ、魔力はボスのフェーズ2まで温存だ!!」
「承知いたしました陛下! マナポーションの残量よし!!」
「よし! 十階層ボス撃破だ! ドロップアイテムを回収して、セーブポイントへ向かえ!!」
かつての鮮血帝は、今や政務を丸投げし(国政のほとんどはテンペストのAIや官僚が自動で回しているため問題ない)、毎日迷宮に潜ってはギミックで死に、死んでは戦略を練り直して蘇るという「死にゲー」の虜になっていた。
迷宮の入り口には、ジルクニフと同じように「死ぬことの快感」と「攻略の達成感」に取り憑かれた新世界の者たちが溢れ返っている。
「クソッ! 第十五階層の毒の沼地でまた死んだ! 誰か、解毒魔法が使える僧侶(ヒーラー)、パーティーに入らないか!?」
「俺は農家の息子だけど、薬草の調合スキルならあるぞ! 入れてもらえるか!?」
「おお! 回復役のサポーター! 頼もしいな、帝国騎士団と組もう!」
かつて新世界の覇権を争っていた精鋭たちや、ただの平民までもが、身分も国境も忘れ、ただ『次の階層へ進む』という純粋なゲーマー魂の元にパーティーを組み、肩を組んで迷宮へと突撃していく。
そして、迷宮の奥深く。
彼らが血と汗と『幾度もの死』を乗り越えてようやく辿り着いた、第二十階層のセーフエリア(安全地帯)では。
「いらっしゃーい。初心者用の薬草とポーション、それにテンペスト特製の回復アイテムはいかがかな?」
「武器の耐久度が落ちているなら、私が始源の魔法(ワイルド・マジック)で修理してやろう。銅貨十枚だ」
これまで地下迷宮の別ルートでモップがけやトイレ掃除などの重労働をさせられていた常闇の竜王と白金の竜王が、迷宮内の『アイテム屋』と『鍛冶屋』のNPCとして配置転換され、観光客相手に小銭(ノルマ)を稼ぎながら完璧な接客スマイルを浮かべていた。
執務室のモニターで、その様子を眺めていたリムルは、満足げに頷いた。
「いやー、大盛況だな! 初心者向けルートのギミック調整もうまくいったみたいだし、新世界の人たち、みんな楽しそうで何よりだよ!」
「クアハハハ! 全く、あの調子では我の階層まで辿り着くには何百年かかるか分からんが、良い暇つぶしにはなりそうだな!」
ヴェルドラが、モニターを見ながらポップコーンを放り投げる。
新世界の絶対的な恐怖であった『死』すらも遊びに変え、身分や国境の壁すらも「パーティー編成」という名目で取り払ってしまった魔国連邦のテーマパーク化計画。
この世界はもう、悲惨な戦争や権力闘争など起こり得ない。なぜなら、そんなことをするよりも『テンペストの迷宮を攻略する方が、何万倍も楽しくて有意義だから』である。