「耀哉。わたしは最終選別に思うところはありますけど、産屋敷家そのものには好意も敵意も持ってはおりません。全てを置いて逃げたあなたの父上のことだけは、未来永劫赦すことはないでしょうけどね」
これは今回の柱合会議に先立ち、耀哉から頼まれていたことだ。
もし、花枝が少しでも産屋敷のことを赦してくれるならば、どうかその浄化の力を貸してほしい、と。
西洋の言葉を使うならば、『パフォーマンス』というものだ。
目の前で花枝が耀哉の呪いを祓ったならば、柱たちも『あやかし』を協力者と認めざるを得ない。それを意図して、柱たちの前でこうして演じているのだ。
「ですが、莢子お姉様を救ってくれたこと。そしてその孫の禰豆子を守ってくれたことには感謝しています。だからこれはあくまで、お姉様からの感謝だと思ってください」
「私こそ、このような要望を受けて下さり感謝しております。花枝様」
花枝がその淀んだ瞳で耀哉の背を見つめ、小さな手から浄化の力を注ぎ込んでいく。
前々から聞いていた通り、産屋敷家当主に降りかかっている呪いはひどいものだった。
彼自身の悲しみや後悔の念もあるだろう。鬼殺隊が主導した戦いで亡くなった者たちからの恨みもあるだろう。鬼に殺されたものたちの逆恨みだってあるかもしれない。その全てが、当主である彼に集まっている。
けれど花枝の目には、明らかにそれだけでは説明できぬほどの黒い闇が、当主たる耀哉の肉体を蝕んでいるのが見えた。
鬼舞辻無惨と繋がる呪いが、花枝の目の前で燻っていた。
「先ほども説明しましたが、あなたの呪いはもうあまりに大きく、手遅れです。わたしが多少の浄化をしたところで、焼け石に水といったところですからね?」
「構いません。一分でも、一秒でも。私が鬼舞辻無惨と戦うための時間を与えて頂けるならば、それより幸せなことはない」
花枝は意識的に、耀哉の表層――第三者から見てわかる症状として浮き出ている呪いへと向け、浄化の力を振り絞っていく。
時間にして数分、あるいは十数分。全力で力を使い続け、花枝の額に汗が浮かぶ。
そして――。
「本当にお館様の顔のただれが薄まりやがった。ド派手に驚きだぜ」
「……」
その浄化の力は確かに、耀哉の外見の変化として現れた。
彼らは目撃した。目元のただれが薄まり、耀哉の瞳がはっきりと光を取り戻す奇跡を。
音柱が素直に喜び、岩柱は感動に泣きながら祈り続ける。霞柱までもが花枝の様子をぼんやりと眺めていた。
そして、風柱は。
不思議と、どこか遠くを見つめるような寂しげな瞳で。最後まで口を開くことはなかった。
◇ ◇ ◇
途中から炭治郎ではなく花枝が中心になりはしたが、炭治郎を裁くための『柱合裁判』はこうして終了した。
彼が鬼舞辻無惨と遭遇したという事実もあり、炭治郎はこの後も隊士として邁進することとなり、禰豆子と行動を共にすることも認められた。
「叔母上は相変わらず変わりなくて安心した! またいつか、手鬼たちとも再び手合わせをしたいものだな!」
「花枝。お前が護衛にしているあの冨岡義勇というのは大丈夫なのか? 何を考えているのか理解できない隊士だ。何か不審なことがあれば俺に言え」
「禰豆子はやっぱり巫女鬼様の血縁だったんですね。名前もそうですが、寝姿がとても似ていたんです」
「巫女鬼、どうせこの後あの人の所に行くんだろ。思い切りひっぱたいてやってくれ」
会議自体はまだ続くが、その場は浄化を受けた耀哉の体調を確認するために一時休憩となったため、花枝はその間に立派な柱となった杏寿郎や小芭内、そして真菰や錆兎と挨拶を交わしていく。
「胡蝶しのぶです。姉の命を救っていただき、ありがとうございました」
また、カナエから妹である胡蝶しのぶを紹介されたりもした。
ニコニコ笑顔のカナエとは反対に、しのぶの表情はどこか硬く、花枝への接し方が非常にぎこちなかった。きっとまだ、本質的には鬼と大差ない花枝に対して様々な葛藤が燻っているのだろうと、花枝は考える。
実際には、姉がやれ巫女鬼様だ、やれ百合鬼さんだと延々と話し続けていた存在を前にして、いったいどういう顔をすればいいのかわからなかっただけである。
そして、最後。
花枝の目の前では、炭治郎と禰豆子がその瞳を爛々と輝かせていた。
「大叔母様。俺、今まで莢子婆ちゃんのことを全然知らなくて……でも、俺、大叔母様と同じ血を引いていることが、とても嬉しいです!」
「私も、大叔母様に会えて、嬉しい……です!」
「あの、二人とも。気持ちは嬉しいんですけど、その呼び方はどうにかなりませんか?」
「いえ、大叔母様は大叔母様です!」
「うん、うん!」
杏寿郎の「伯母上」呼びはさすがに慣れた花枝であるが、次はまさかの「大叔母様」である。血縁上は確かに炭治郎の祖母の妹なので大叔母で間違いはないのだが、花枝としては正直、違和感しかない。
そんな花枝の心情など知らず、炭治郎は真っ直ぐな瞳を花枝に向ける。先ほどまでは花子と間違えて花枝にしがみ付いていた禰豆子も、今は兄とそっくりの真っ直ぐな瞳を向けてくる。
「巫女鬼様は大叔母様です! そして俺の妹は、みたまや
「私はこれから、みたまや、まめこです!」
「わあ、改名してる」
莢子の血を受け継いだ二人はとても可愛らしいが、それはそれとして改名までされるのは花枝としてもさすがに申し訳ないし、正直言って困る。
『
なお、この後の真菰や錆兎という兄弟子たちの説得もあり、改名は免れた。義勇は見ていただけである。
「あと、珠世さ……」
「え?」
炭治郎が何かを言いかけて、止める。
花枝がきょとんとした顔で見上げると、炭治郎は自分で自分の口を押さえていた。非常に挙動不審だが、どうやら周囲の柱には聞かせられない話のようだ。
「あ、あの。実は大叔母様に、伝えたいことがあるのですが」
「なら、後日鎹鴉を
「わかりました!」
――そうして、鬼殺隊本部という意外すぎる場所での。
花枝が出会ってきた子供たちとの邂逅は、無事に終わりを告げた。
「では耀哉。わたしはせっかくですから、もう一人会いたい人物がいるので、護衛に義勇をお借りしますね」
「ええ、花枝様。どうぞ『彼』にもよろしくお願いします」
耀哉が場に戻ってきた時点で、花枝はこの場から離れることとなる。ここから先の柱合会議にまで口を挟むつもりはない。
最後にもう一度、自分たちと縁のある柱たち、そして己の肉親である炭治郎と禰豆子の二人と視線を合わせると。
花枝は特製の籠に詰められて、鬼殺隊本部をあとにするのだった。
◆ ◆ ◆
隠に運ばれてその街に到着した頃には、すでに日は暮れていた。
花枝は箱から出て、運んでくれた隠に礼を伝えると、さっそく目の前に佇む武家屋敷の門の前に立つ。横に立つ義勇もこの場所に訪れるのは初めてだろうが、花枝とともに無言でその門を見上げていた。
煉獄家。
この門は。十年前、花枝が煉獄瑠火と最期の別れを交わした場所だった。
◇ ◇ ◇
「ち、父上……そ、その、た……大変なんです!」
屋敷の一室で、齢十三となる少年――煉獄千寿郎が、父親の居室へと駆け込んだ。
刀の手入れをしていた父――槇寿郎は、千寿郎に背を向けたまま言葉を返す。
「どうした、そんなに慌てて。腹をすかせた蜜璃が飯でも食いに来たか?」
「いえ、蜜璃さんは今日は来ていませんので、本日の食料は無事です。ではなくて父上、先ほど鬼殺隊の方が」
「追い返せ」
鬼殺隊の名前が出た途端、槇寿郎は条件反射のように言葉を返す。
長男である杏寿郎だけでなく、小芭内、錆兎、そして蜜璃といった若き隊士たちに常日頃から修行をつけておいて、今更何を言うのかと周囲には思われていることは槇寿郎本人も知っている。
だが、鬼殺隊との縁を絶つことは、もはや槇寿郎の意地なのだ。
瑠火の死から十年も時がたてば、槇寿郎とて冷静になる。自分の感情がただの逆恨みだということは重々承知している。
それでも、ここでその意志まで曲げてしまえば、自分にはもう何も残らないのではないか、いつの日か、瑠火や花枝の前に立つ資格すら失ってしまうのではないか。
そのような己の中の弱い心が、今さら道を戻ることなど許してくれない。
だから槇寿郎は今日もまた、鬼殺隊に壁を作り、己の道のみを突き進んでいた。
――が。
「それが、父上。すでにもう、お客様はこちらに……」
「なんだと?」
千寿郎の言葉に、槇寿郎はキッと視線を鋭くし、背後を振り返る。
そこにいたのは、中央で全く柄の違う布を縫い合わせた奇妙な羽織を羽織る、黒髪の鬼殺隊士だった。ここまで気配を感じさせなかったその技量と、何を考えているのか察することすら許さないその能面のような表情から、それがかなりの使い手であることを槇寿郎は即座に察する。
が。
その男の脚に寄り添うようにして。
身の丈一メートルを少し超えた程度だろう。柔らかい髪を切りそろえた、巫女服姿の少女が立っていた。その額には、小さな角が生えている。
少女の姿が、槇寿郎の視界に飛び込んできた。
槇寿郎の時間は、その瞬間、真っ白に停止した。いつかの、ずっと昔に聞いた声が脳裏に響く。
――え、あの、あやかしってなんですか?
最初、彼女は『あやかし』という名すら知らなかった。
――どうしてあなたが逃げた、産屋敷っ!!
先代の産屋敷家当主へ向けた、燃え上がる炎のような感情の発露を目にしたこともあった。
――わあ。槇寿郎、これが明治の人里なのですね。
明治の街を見て喜ぶ様子は、見た目相応の幼い子供のようだった。
――瑠火さん、大好きですよ。
瑠火に、娘として接してくれた。瑠火を母として慕ってくれていた。
槇寿郎の脳裏に、様々な記憶がよみがえる。
「槇寿郎。歯を食いしばりなさい」
「っ!?」
だが、少女がその声とともにその小さな手を振りかぶり、槇寿郎の左頬をべちんと叩いた衝撃で。力も足りておらず、腰も入っていない。そんな、ちいさな平手打ちの、ちいさな衝撃で。
止まっていた槇寿郎の時間が、ゆっくりと動き出す。
「か、花枝……なのか?」
目の前にいるのは、ふるふると怒りに身をふるわせ、その瞳にうっすらと涙を浮かべた巫女鬼――花枝の姿だった。
「今の平手打ちは、わたしの分です。これまで、これまで! わたしたちがどれだけ! あなたを、心配したと思っているんですか!」
「どう、して……ここに」
再び、その小さな手が振るわれた。
花枝の瞳からは、ため込んでいた涙が筋となって流れ落ちている。
「わたしが話してる途中です! あなたは、こんなに、呪いを背負って、一人で後悔ばかりして! 抱え込んで! なんで……なんで、わたしを頼ってくれなかったんですか!」
「花枝、俺は――」
槇寿郎がものを言おうとすると、再び花枝の小さな手が振るわれる。
決してそれは、痛くはない。防ぐことも、躱すことも容易だろう。
けれど、槇寿郎は何度も、何度も。花枝の平手を受け入れる。
「今はわたしが話しているんです! 馬鹿! 槇寿郎の馬鹿! もっと痛がってくださいよ! 手鬼にぼこぼこにされてしまえばいいんです! ……うぅ……心配、したんですからね……」
「ああ、痛いぞ。とても、とても痛かった。瑠火に叱られたときと、同じくらい痛かったぞ」
「ふふ……じゃあ、世界で一番痛いんじゃないですか……」
花枝はとうとう堪えられなくなり、槇寿郎に抱きつくようにして、嗚咽の声をあげはじめた。
槇寿郎もまた、花枝の背に手を回し、優しく、抱きしめていた。
気づけば、千寿郎と義勇の二人はいなくなっており。
十年ぶりとなる、花枝と槇寿郎――姉と弟だけの時間を過ごしていた。
「槇寿郎。わたしは藤襲山に帰らなければいけないんです。ここまでは義勇が付き添ってくれましたが、帰りはあなたが連れて行ってください」
「……ああ。わかったよ、巫女鬼」
◇ ◇ ◇
一方その頃、別室にて。
「……錆兎が世話になった」
「あ、はい。こちらこそ、錆兎さんには父がご迷惑をおかけしています」
「……」
「ええと、その、お茶でもお出ししましょうか?」
「頼む」
千寿郎は、父に遠慮して、花枝に付き添っていた隊士と二人で部屋をあとにしたはいいものの。
本当に何を考えているのか分からない隊士と二人きりになってしまい、とにかく気まずい空気の中にいた。
(誰なんだろう、この人……)
花枝たちがやってくるまで、千寿郎は名も知らぬ隊士と二人きりの気まずい時間を過ごしていたのだが。それはまた、別の話である。