「ふむ、
蝶屋敷で炭治郎たちを見舞った次の日。
煉獄家では、槇寿郎、千寿郎、そして
鎹鴉が届けてくれた紙には、いったい誰がまとめたというのか、その隊士――獪岳についての詳細な情報が記されている。
彼こそは、蝶屋敷にて炭治郎の友人である善逸が「どうか助けてあげて欲しい」と語った、善逸の兄弟子だ。
剣士になる前の来歴。過去に彼がしでかしたこと。そして現在の情報。
隊士としては元鳴柱である桑島慈悟郎の弟子として雷の呼吸を学んでいるが、性格は協調性に欠けており、相手次第ではかなり悪辣な言動をとることもあるらしい。
そして、剣士としては非常に真面目に修行を継続しているのだが、それでもなお雷の呼吸の壱ノ型を修得できない。そのような情報が紙にずらりと並んでいる。
だが、花枝や槇寿郎から見ればその程度の短所は可愛らしいものである。
「性格なんて難があって当然ですよ。鬼殺隊士なんて、そもそもが性格に難がある子ばかりじゃないですか。鬼殺隊は異常者の集まりみたいなところがありますし」
「ははは、まさしくその通りだな!」
鬼殺隊士が聞いたら顔をしかめそうな話をしながら大笑いをする二人の姿に、次男の千寿郎は困ったような苦笑を浮かべる。
千寿郎はそもそもの呼吸の才能がなく、体質的にも剣術に向いた身体ではなかった。
そのため、彼は剣士となるのを諦め、この煉獄家を――槇寿郎と杏寿郎を支える立場として、日々この家を守ってくれているのだ。
そしてそんな千寿郎が改めて獪岳の資料に目を通してから、心配げに父と花枝の二人に質問を投げかける。
「でも、父上。本当にその……失礼ですが、こういった問題がある隊士に伯母上を任せてしまっても大丈夫なのでしょうか」
「まあ、大丈夫だろう。産屋敷家からの指令となれば真面目にこなすだろうさ。万が一があっても、花枝にはそこの百合の花があるしな」
花枝の胸元に挿してある百合の切り花が、頷くようにゆらりと揺れる。
「わたしの心配をしてくれるだなんて、千寿郎は優しいですね。さすが瑠火さんの息子です」
「俺の息子でもあるがな」
「父親に似なくて良かったですね、千寿郎」
「顔は俺にそっくりだがな」
「もう、槇寿郎は少し黙っててください」
千寿郎は、父と花枝の楽しげなやりとりに、やはり困ったような苦笑を浮かべていた。
千寿郎の心配。それは言葉通り、この獪岳に花枝の身柄を任せられるのだろうか、という疑問だ。
というのも、いまここで話し合っていたのは、花枝と共に
「しかし、藤襲山で隊士を育成する、ときたか。手鬼の奴が喜びそうだな」
「わたしはすでに、手鬼が滅茶苦茶をしやしないか心配ですよ」
そう。
この話し合いは、ただ花枝の帰りの同行者を選んでいるだけではない。
これからしばらくの期間、その同行者を藤襲山の隠れ里に住まわせ、『あやかし』たちの手で鍛えていくことになるのである。
「せめて選ばれたのが、話に聞く炭治郎さんのように誠実な方なら安心できたのですが……」
「そう、そうなんですよ、千寿郎。わたしも肉親である炭治郎を呼びたかったのですが、炭治郎は仲間とともに蝶屋敷で経験を重ねていった方がいいだろうだなんて、産屋敷が候補から除外したんですよ。ひどいですよね、産屋敷」
「まったくだな! だが安心しろ、炭治郎のことは俺が死ぬほど鍛えてやる。お前の血族があの日の呼吸の伝承者だというのならば、俺が育てあげるしかないだろう! 今から腕がなるな!」
「わあ、可哀想な炭治郎」
そうして、千寿郎が苦笑を浮かべるしかない話題に花を咲かせながら。
たった三人による会議は、長々と続いていくのだった。
◇ ◇ ◇
杏寿郎の戦いを知った隠れ里の面々は、とうとう、自分たちも鬼と戦うことを決めた。
とはいえ、だ。実際問題として『あやかし』たちは外の世界を自由に動けない。
花枝のような人間に近い姿ならばいくらか誤魔化しようはあるが、手鬼や包丁鬼が街を歩いては民衆が恐慌状態に陥ることは間違いない。そんなことになったら、もう鬼退治どころの騒ぎではないだろう。
そこで考えたのが逆の発想で、『隠れ里に隊士を迎え、育てる』という計画だった。
これは槇寿郎をはじめとした隠れ里での修行を経験したものたちが、全員その実力を大きく上昇させていることから得た着想である。
産屋敷家と幾度かの手紙を交わし「まずは一人育ててみて欲しい」という段階まで話が進み、どの隊士を迎え入れようかと候補を何人か選んでいたところで。
ちょうど。善逸からの、例の頼みを受けたのだ。
雷の呼吸の剣士、獪岳。
花枝は、この『性格に難がある隊士』を、自身の同行者として選択した。
◇ ◇ ◇
「お館様からの指令を受けてまいりました。あなたが元炎柱・煉獄槇寿郎さんですね」
その日の夕刻、煉獄家の門を叩いたのは鬼殺隊士、獪岳だった。
黒い隊服に身を包み、つんつんした癖のある黒髪と、首元に翠青の勾玉をつけているのが特徴的だった。
「お前が獪岳か。どのような隊士がやってくるかと思ったが、敬語は使えるようだな。良いことだ」
「恐縮ながら、俺は立場の区別もつかない愚鈍な隊士とは違います」
「くく、言うじゃないか」
訪れた獪岳を出迎えたのは当然、槇寿郎だ。槇寿郎はいつもの一見自堕落にも見える風貌で、獪岳をじろりと、どこか楽しげに見定めている。
一方、獪岳の背筋には緊張の汗が流れていた。一つ間違えればただの堕落者でしかない風貌の男だと言うのに、面と向かって言葉を交わすだけで、まるで巨大な猛獣の如き圧が獪岳へと発せられている。
自分はいま試されているのだと、この短い問答の中でも獪岳はすぐに理解できた。
「で、獪岳。話はどれだけ聞いている?」
「……俺に下った指令は『あやかしの長である角姫を藤襲山へと運び、その地で修行せよ』といったものです。しかし正直言えば、俺はこの指令の意図をはかりかねています」
「そうだな、確かに説明が足りなさすぎてひどい指令だ。具体的な意味はいざ藤襲山に行けばわかるだろうが、流石にある程度はここで説明せねばならんな」
槇寿郎の問いに、獪岳は少しだけ眉を顰めて、正直に答えを述べた。
善逸の兄弟子なら彼同様に『あやかし』や『角姫』の名は知っていたかもしれないが、さすがに藤襲山に広大な隠れ里があることなど知りようもない。
その説明もなしに『藤襲山で修行をしろ』などという指令内容では、獪岳が困惑するのは当然だろう。
槇寿郎は、獪岳の語った指令内容と、それを語る彼の不満げな顔に少しだけ笑ってから、背後の屋敷内へと向けて声をかけた。
「なんにせよ、顔合わせくらいは済ませておくか。花枝、いるか!」
「槇寿郎、そんな大きな声を出さずとも、わたしはここにいますよ」
日の差さぬ、薄暗い廊下の奥には一人の少女がいた。
少女は薄暗い廊下に立ったまま、槇寿郎の横から見える獪岳と視線を合わせた。
「あなたが獪岳ですね。わたしが産屋敷の言うところの『角姫』です。これからしばらく、わたしの護送と護衛をよろしくお願いしますね」
「……っ?!」
衣装は紅白の巫女装束を着た、まだ幼い子供である。巫女服の胸元に挿された白い百合の花が目を引いた。切り花だというのに、それは妙にしっかりと花開いて見える。
その瞳は不自然なほどに暗く淀み、そして――その額にはちょこんと、『鬼』である証、角が生えていた。
獪岳の手が瞬時に腰の日輪刀へと伸びる。迷いなく、素早い動きだ。それだけで獪岳が実力のある剣士だということがわかる。
もっとも、槇寿郎が無言で制してくれたため、獪岳はすぐに日輪刀から手を離して、改めて花枝に視線を向ける。
「まさか……本物の角姫……」
獪岳は眉を顰めたまま、言葉を失っている。
なにかと眉を顰めているのは、彼のなかではもう癖なのだろう。あまり良くない癖だと思うが、花枝は気にせずにもう一度、挨拶を述べる。
「詳しい話は今から奥で説明しますが、わたしは悪い鬼ではありませんよ。なので、よろしくお願いしますね、獪岳」
「と、いうことだ。俺もこれの安全性は保証するから、まあ気にするな」
「あ、ああ、よろしく……頼みます」
にっこりと笑いかける、幼い角姫に。
獪岳は眉を顰めつつ、ただそれだけの挨拶を、どうにか返すのだった。
◇ ◇ ◇
槇寿郎と千寿郎と別れの挨拶を交わし。
そして一番奥の部屋で眠り続ける杏寿郎の額を少しだけ撫でてから、花枝は背負い箱へと入り込んだ。
獪岳に箱を背負われて、世話になった煉獄家を後にする。
これから藤襲山への道のり。花枝はずっと、獪岳に背負われることとなる。
「では獪岳。道のりも長いですし、お話をしましょう。質問はありませんか?」
「……」
大正の風景は、花枝の覚えている江戸時代の道のりとは全く違うものだった。あるいは明治時代とも大きく変わっている。
全ての道が舗装されているわけではないものの、それでも大きな道は『道路』として作り替えられている。
獪岳はその道をすたすたと駆けていくが、その背中からは小さな少女がひっきりなしに話しかけてくる。
「ほら、何かお話をしてください。わたしが独り言を言っているみたいじゃないですか」
「……どうして、俺が選ばれたんですか」
「あ、もっと気安く話してください。あなたもいきなりのことで理解が追いついていないでしょうし、気軽にしてくれたほうがわたしも楽ですから」
「なら、少しは力を抜いて話させてもらおう。どうして俺がこの任務に選ばれたんだ」
獪岳は、くだけた口調で、しかしそれでも丁寧に言葉を選びながら背中に背負う花枝へと質問を投げかける。
箱の中からは獪岳の顔は見えないが、恐らくはきっといまも、眉にしわが寄っているのだろう。善逸の言葉ではないが、彼はどうやら本当に不満とともに生きているようだ。
この箱は獪岳の『背』に接している。つまりは、花枝はこの旅路の間ずっと、箱越しに獪岳の背に触れる形で、彼を蝕む呪いを浄化し続けられるということだ。
彼の負った呪いはかなりのもので、彼は人からの恨みも多く買っているし、彼自身もまた、己自身の人生を恨み続けている。
これを浄化するのはなかなか骨が折れるなと、花枝は自分がやるべき大仕事を前にして、箱の中で気合いを入れ直した。
そして、質問の答えだ。
「わたしが産屋敷耀哉と話し合った上で決めました。あなたの師である桑島慈悟郎さんにも話は通っているはずですが、嫌でしたか?」
「いや、俺を名指しでお館様が指令を下さったんだ。喜びこそすれ、嫌なんてことはない。だが……」
「何か、ひっかかる部分がある、と?」
「まあな」
花枝は考える。
きっと、獪岳の言葉に嘘はない。
彼は向上心の強い隊士だ。自分が産屋敷家に名を知られていること、そして直接の指令が下ったことを、喜びはしても不満に思いはしないだろう。
不満があるとすればきっと、そこに至る過程に違いない。
「お前は例の、鬼をつれた隊士の身内なんだろう? ならば、そいつと行動をともにしている隊士――我妻善逸のことも知っているはずだ」
「ああ、そういえばあなたは善逸の兄弟子でしたっけ。ここで嘘をついても仕方ないので正直に言いますと、きっかけとしては、善逸があなたを紹介してくれたんです」
「……あの愚図が、この俺を紹介、だと?」
途端に、獪岳の口が荒くなり、言葉に隠しきれない苛立ちが浮き出てくる。
どうやら善逸という存在は、彼の中では怒りに直結しているようだ。
今も恐らく「善逸のおかげで指令がきた」という経緯そのものが気に入らないのか、その背から立ち上る黒い呪いが勢いを増している。難儀なものだ。
「はい。でも、善逸はあなたのことを、ひたむきな努力家で、心から尊敬している兄貴だって言ってましたよ?」
「ピーピー泣くだけのカス野郎が、心にもないこと適当にべらべらと言いやがって……!」
「わあ」
何を言っても不満にしか繋がらない。
なるほど、これは骨が折れるなと。花枝は箱のなかで獪岳の浄化を続けながら、苦笑を浮かべる。
「でも、彼はただのきっかけですよ。候補となる隊士は他にも大勢いた中で、わたしと耀哉があなたを選んだんですよ。新たな柱候補として」
「……」
反応はない。
きっと、彼の中では不満と喜びがせめぎ合っているのだろうな、と花枝は察する。
しばらく進んでも獪岳が黙ったままだったので、再び花枝から話題を振ってみた。
「ところで、あの善逸という子は蝶屋敷でもずっと泣き喚いてたんですが、いつもあんな風なんですか?」
「……ああ。あいつは元・鳴柱である桑島先生に拾って頂いたのに、そのありがたさを全然わかっちゃいないんだ」
善逸について語りだしたその瞬間に。獪岳の中にある不満の防波堤が決壊したのを、箱の中の花枝は感じ取った。
「『嫌だ』『無理だ』『女に会いたい』と四六時中泣き喚くだけの愚図が、どうして先生の貴重な時間を享受できる! どうして『隊士になりたくない』と泣きわめくカスと、必死に修行を重ねてきた俺が、同じ扱いを受けている……!」
「わあ、ごもっとも。あなたも大変だったのですね。よしよし、えらいです、よく我慢してきましたね。藤襲山に到着したら頭を撫でてあげますね」
「やめろ、江戸時代から生きてきた存在だかなんだか知らんが、俺をガキ扱いするな。俺はもう、一人では生きられないようなガキじゃあない」
「わあ、やりづらい」
先ほどまでの沈黙はなんだったのか、善逸についての不満となると、獪岳はものすごい勢いで語り始めた。彼の中には相当に鬱憤がたまっていたようである。
とはいえ、花枝がずっと呪いの浄化をしている影響もあるのだろう。獪岳は、思いのほか花枝には素直な心境を語ってくれた。
その言葉は不満だらけだが、花枝も大声で泣きわめく善逸の酷い有様を直に見ているので、そんな善逸と四六時中ともに過ごしていた獪岳が怒りを覚える気持ちもわからないでもない。
本来はきっと、善逸にもいいところはあるはずだし、善逸は獪岳を本当に尊敬していたはずなのだが、獪岳の心にはそれを受け止められる器がないのだろう。まさに、穴のあいた箱である。
なんにせよ。まだ藤襲山への道のりは長いのだ。
花枝は藤襲山への道のりで、獪岳がため込んだ愚痴を全部聞いてあげようと、箱の中で意気込んだ。
「藤襲山には、わたしのとても大切な隠れ里があるのですよ」
「隠れ里とは、どういうことだ?」
「そうですね――。人間の世界から切り離された、とても、とても優しい世界です。永遠に時間の止まった、わたしたちだけの、幸せな箱庭です」
そのように語る花枝の胸元では。
白い百合の花が、花枝の語る言葉を肯定するかのように。ゆらゆらと揺れていた。
「ところで、角姫。お前に怪我を負わせた隊士が、お前の祟りで海老や蟹を食えなくなったという話は本当なのか?」
「わあ。その事実無根なお話、もしかして広まっちゃってるんですか?」