アレクラスト転生記〜TRPGフリーク、フォーセリアに転生す 作:駄文亭
目を覚ましたとき、最初に見えたのは古びた石像だった。
その足元から湧き出す水が、静かな音を立てて泉へ流れ込んでいる。
ルクスンは毛布の上で身体を起こした。
眠っていたのがどれほどの時間なのかは分からない。陽光の届かない地下遺跡では、昼夜を判断する方法がなかった。
それでも、休息を取ったおかげで身体は少し軽くなっている。
頬の傷はまだ痛む。
落下したときに打った背中や肩も、動かすたびに鈍く痛んだ。
しかし、歩けないほどではない。
「生命点は回復してないけど、疲労は多少取れた感じか」
ゲームなら、一晩休めば生命点や精神点の回復を期待できる。
だが、現実の身体はそう簡単ではない。水を飲み、食べ、傷を清潔にして、少しずつ回復を待つ必要がある。
完全版の知識があっても、自分の生命点を数字として確認できるわけではなかった。
ルクスンは逃亡奴隷から譲り受けた革鎧を身につけた。
身体に合っていない部分を紐で締め直し、腰へ剣と短剣を下げる。水袋、保存食、毛布、ロープを背負い袋へ収めた。
最後に、小さな金属製のロケットを確かめる。
泉のそばで力尽きた男が、最後まで握りしめていた品。
地上へ出られたら、盗賊ギルドで調べてもらう。
そのためにも、まずは出口を見つけなければならない。
ルクスンは逃亡奴隷の手描き地図を広げた。
「さて。平目捜索の時間だ」
◇
最初に調べたのは、泉のある石室だった。
水が湧いている以上、どこかに地下水脈がある。
水路をたどれば外へ出られるかもしれない。
そう考えたが、床に刻まれた排水溝は人間が入れるほど大きくなかった。泉の底も調べたが、水中に通路や開閉装置はない。
『泉の捜索を行います。シーフ技能がないため平目で判定してください』
「技能がなくても、時間をかけて目で見れば分かることはあるだろ」
『出目はいくつですか?』
「今のはファンブルじゃない。泉の底に何もないと確認したんだ」
存在しないゲームマスターへ言い返し、次の場所へ移る。
逃亡奴隷の地図には、調べた場所を示す印が残されていた。
しかし、男がどの程度詳しく調べたのかは分からない。体力が尽きかけた状態なら、見落としがあっても不思議ではなかった。
ルクスンは、地図に記された通路を最初から歩き直した。
壁を叩く。
床との継ぎ目を調べる。
石材の一つひとつを押す。
柱の裏側をのぞく。
天井を見上げる。
譲り受けた火口箱で松明へ火をつけ、インフラビジョンだけでは分からない細かな傷や文字も確認する。
幸い、モンスターはいなかった。
生物の熱も、アンデッドを示す黄色い負の精霊力も感じない。
遺跡全体が、死んだように静まり返っている。
だからこそ、時間をかけて調べることができた。
「一ビット単位で調べてやる……」
『ビットは情報量の単位です』
「細かいことはいいんだよ!」
右側の壁を調べ終える。
異常なし。
左側の壁。
異常なし。
小部屋。
異常なし。
崩れた貯蔵室。
異常なし。
何度調べても、出口は見つからなかった。
壁の向こうから風の精霊力が感じられる場所もない。地上へ続く階段も、昇降口もない。
遺跡の構造そのものがおかしい。
人間が造った施設なら、必ず出入りする手段があるはずだ。
古代王国の魔術師が、完成した後に全員生き埋めになることを前提として建設したとは考えにくい。
「魔法で出入りしていたのか?」
古代王国なら、あり得る。
物理的な扉や階段ではなく、転移魔法や魔法装置によって出入りしていた可能性がある。
そうなると、シーフ技能による捜索だけでは見つけられない。
ルクスンは壁へ触れ、《センス・マジック》へ意識を集中した。
遺跡全体から、古い魔力の残滓を感じる。
石材へ染み込んだ弱い反応。
朽ちた照明器具。
機能を失った魔法装置。
その中に、一か所だけ異質な魔力があった。
「……ここだ」
手描き地図では、ただの行き止まりとして記されている場所だった。
通路の最奥。
見た目は、周囲と変わらない石壁で塞がれている。
しかし、壁の一部から明らかな魔力を感じた。
単なる残滓ではない。
今も何らかの機能を維持している。
『魔力を感知しました』
「それは最初から教えてくれ」
『詳しく調べると宣言されなかったので』
「こういうときだけ本物のGMみたいに言うな!」
魔力があることは分かった。
しかし、それが何の魔法なのかまでは分からない。
扉なのか。
罠なのか。
転移装置なのか。
あるいは、危険な何かを封じるための壁なのか。
ルクスンは松明を近づけ、壁を調べ始めた。
石材の表面は、長年にわたって積もった埃と汚れに覆われている。
泉から水を運び、布へ含ませて壁を拭いた。
何度も往復する。
少しずつ汚れが落ち、石材本来の色が現れる。
やがて、水が不自然な筋を描いて流れた。
「何か彫ってある?」
顔を近づける。
浅い線だった。
長い年月と汚れによって、完全に埋もれていたのだ。
ルクスンは慎重に表面を拭き続けた。
文字が現れる。
古代王国時代の文字。
完全版に登場するものであれば、ルクスンには読める。
最初の一行を読み、動きが止まった。
『吸血姫、ここに眠る』
「……見なかったことにしよう」
布を置き、即座に立ち上がった。
振り返る。
何も見なかった。
ここは行き止まり。
魔力を感じる壁など存在しない。
『魔法で封じられた扉を発見しました』
「発見してない」
『古代文字には、吸血姫が眠っていると記されています』
「読んでない」
『追加の調査を行いますか?』
「行わない!」
ルクスンは泉へ戻った。
◇
保存食を少し食べた。
水を飲んだ。
地図を広げた。
ほかの場所に出口がないか、もう一度考えた。
考えた末に、再び遺跡中の壁を調べた。
一ビット単位で。
結果は変わらなかった。
出口はない。
風の精霊力も感じない。
魔力を保っている場所は、あの行き止まりだけ。
『時間が経過しました。保存食を一食分減らしてください』
「分かってるよ……」
食料には限りがある。
水は泉から得られるが、それだけでは生きられない。
逃亡奴隷も、同じように出口を探したはずだ。そして、開かずの間を突破できないまま力尽きた。
ルクスンは手描き地図を見つめる。
魔力を帯びた壁の向こうには、地図に記されていない空間がある。
そこに出口がある保証はない。
しかし、ほかに進める場所もなかった。
「行くしかないのか……」
ルクスンは重い足取りで、再び行き止まりへ向かった。
◇
壁の汚れを完全に落とす。
『吸血姫、ここに眠る』
その下にも、古代文字が続いていた。
封印された玄室へ入るための注意書き。
そして、扉を開くための解錠文。
「読める。読めるけど、読みたくなかったな」
壁――正確には、魔法によって周囲の石材と同化している扉へ意識を向ける。
扉そのものからは、現在も強い魔力を感じる。
その向こうからは、別の反応もあった。
黄色い負の精霊力。
アンデッドのオーラ。
しかも、一体分とは思えないほど濃い。
妖気も感じる。
ただし、動いている気配はなかった。
眠っている。
あるいは、封印によって活動を停止している。
「吸血姫……ヴァンパイアか」
完全版におけるヴァンパイアのモンスターレベルは10。
レベル15のノーライフキングほどではないが、転生直後のルクスンが戦える相手ではない。
右拳はアンデッドに対して打撃力50を持つ。
しかし、当たらなければ意味がない。
一撃で倒せる保証もない。
攻撃を受ければ、こちらが先に死ぬ。
「扉を開けて、ヴァンパイアがいたら閉める。起きていなければ、出口だけ探す。宝物にも棺にも触らない」
『開かずの間を解錠しますか?』
「待て。まだ心の準備ができてない」
ルクスンは装備を確認した。
革鎧の紐を締め直す。
背負い袋が逃走の邪魔にならないよう固定する。
右拳を空けるため、剣は鞘へ収めたままにする。
解錠文をもう一度読む。
読み間違いはない。
「あー、旧版のエラッタ前なら《ホーリー・ウェポン》は必中だったのになぁ……」
泣き言をこぼしても、旧版の処理には戻らない。
ルクスンは右拳を握った。
「開ける。もう、ここしかない」
古代文字で、壁に記された解錠文を読み上げる。
文字へ青白い魔力が流れ込んだ。
壁の中央に、細い亀裂が走る。
長く閉ざされていた石扉が、低い音を立てて左右へ開き始めた。
冷たい空気が流れ出す。
妖気。
濃密な黄色い負の精霊力。
ルクスンは右拳を構え、開いていく隙間を見つめた。
暗闇の中に、人影が立っている。
一つ。
二つ。
三つ。
まだいる。
四つ。
五つ。
六つ。
全員が何も身につけていない。
裸の人間に似た姿。
爛々と輝く赤い瞳。
唇の間から伸びる、長い牙。
完全版の知識が、一目で正体を導き出した。
「やった! レベル10のヴァンパイアじゃない! レベル3のレッサー・ヴァンパイアだ!」
ルクスンの顔に、一瞬だけ喜びが浮かんだ。
六対の赤い瞳を数える。
「――って、それでも数が多いわ!」
石扉が、完全に開いた。