朝日が眩しく照らす迷宮の入り口。崩落の土煙がようやく収まり、一行は泥だらけの身体を横たえて、ようやく生還の喜びを噛みしめていた。
「……はぁ、散々な目にあっちゃったわねぇ。命があっただけ儲けものだけど、結局、一個も財宝を持ち帰れなかったじゃないのよぅ……」
テューレが力なく笑いながら、空っぽになった懐を叩いてぼやいた。命を懸けた大冒険の果て、手元に残ったのは傷ついた鎧と、ボロボロになった魔法のブーツだけだった。
「本当ねぇ。あれだけの迷宮なら、金貨の山の一つや二つあっても良さそうなものだったけど」
ミーアが皮肉っぽく笑うと、レオンは、ふと思い出したように腰の袋を弄った。
「……いや。一つだけ、深淵から持ち帰ったものがあるぞ」
レオンが袋から取り出したのは、玉座の裏から強引に剥ぎ取った妖しくも美しい円環――『シェールの混沌輪』だった。テューレは、その黒ずんだ金属の輪をまじまじと見つめ、首を傾げた。
「レオンちゃん、そんな輪っか、売るとしたらいくらぐらいになるのかしら? ……あたしの直感だと、せいぜい銀貨数枚ってところじゃない?」
その言葉に、傍らで静かに成り行きを見守っていたライバルパーティのリーダーの男が、鼻でせせら笑った。
「……相変わらず、愚鈍な男だ。それが本当に胡蝶の部族に伝わる唯一無二の祭器だとすると、古物商に持ち込めば控えめに言っても……『10万ゴールド』は下らんだろうな」
「「「えっ!? じゅ、10万ゴールドぉぉぉおおおッッ!!?」」」
テューレの絶叫が南クリスタニアの空に響き渡った。隣で聞いていたフィランヌも、その額を聞いた瞬間、思わず目を見開いて硬直した。
10万ゴールド。それは、テューレがフィランヌに背負わされた、あの忌まわしくも尊い「蘇生費用」と一銭の狂いもない同額であった。
一瞬の静寂。
テューレの脳裏に、あの奈落の底で、そして今も四六時中響き続けているフィランヌの言葉が蘇った。
テューレは震える手でレオンから『混沌輪』を受け取ると、ゆっくりと立ち上がり、朝日を背負うフィランヌの前へと歩み寄った。その顔からはいつものヘタレな表情が消え、神獣ディレーオンに承認された戦士の面貌へと塗り替えられていた。
彼は、フィランヌが授けた『
「……『いつか本当に借金を返せるほど強くなったら、その時は胸を張って私の名前を呼びなさい』」
フィランヌが息を呑む中、テューレは真っ直ぐに彼女の瞳を射抜き、厳かにその名を呼んだ。
「――フィランヌ!!」
名前を呼ばれた瞬間、フィランヌの身体に電気が走った。テューレは膝を突き、まるで高潔な騎士が主君に忠誠を誓うような優雅な所作で、『混沌輪』を彼女へと捧げ持った。
「フィランヌ、これを受け取ってください。貴女からお借りしていた命の代償、今ここにお返しいたします。……私は、ずっと貴女に対して負い目を感じ、自分はこのまま臆病な男として生きていくしかないと考えていました。ですが、この不自由な旅路の中でようやく気づいたのです。私は今、私を信じてついてきてくれた仲間たちの『リーダー』なのだと。……私は、ようやく自分の足で一人立ちできた、そんな思いです」
これまでの「~よぅ」「あたし」といった間の抜けたオネエ言葉は微塵も感じられない、「私(わたし)」という一人称と丁寧な敬語を用いた、凛々しくも誠実な騎士の言葉。
「あ……」
フィランヌの頬が、不覚にも朱に染まった。 目の前にいるのは、今まで散々「バカ」だと罵り、頼りないと切り捨ててきたはずの男だった。それなのに、今のテューレから放たれる、かつての臆病さを思慮深さに変えたような、揺るぎない落ち着きに、フィランヌの鼓動は激しく跳ね上がっていた。
(な、なによ……。あのバカテューレのくせに……何その、かっこいい言葉遣い……っ!)
フィランヌは震える手で『混沌輪』を受け取ると、顔を伏せ、いつものドSな仮面が崩れそうになるのを必死に堪えた。だが、その胸の奥はこれまでに感じたことのない切ない高鳴りで支配されていた。
「……分かったわ。この10万ゴールドの価値がある祭器、確かにあたしが預かるわ。これで、アンタの借金は完済。……アンタは、自由よ」
「感謝いたします、フィランヌ。貴女に救われたこの命、これからは自分の力で、仲間たちのために使い切る所存です」
テューレは騎士の如き誠実な礼を返すが、フィランヌはその彼の儀式的な答礼を台無しにするかのような、意地悪く、しかし真っ当な問いを投げかけた。
「……と、言いたいところだけど、ねえ、テューレ。これで終わりだと思っているなら、やっぱりアンタは『大バカ』だわ。こんな荒野のど真ん中で、これ一品を渡されて『はい完済です』なんて、そんなのあたしが認めるわけないでしょう?」
「え……?」
「アンタも知っての通り、クリスタニアは貨幣経済なんて未発達な世界よ。こんな10万ゴールドなんて莫大な価値がある祭器、どこで誰が現金に換えてくれるっていうのよ? そもそも、アンタがあたしに返すべきなのは、その『そんな輪っか』じゃなくて、10万枚の本物の金貨よ」
狼狽えるテューレを見守っていた仲間たちの中から、レオンが静かに一歩前へ出た。
「……いや。シャイロン商会というものがある。彼らなら、これほどの祭器でも即座に資産価値を認め、換金に応じるはずだ」
「おやおや。 確か、我々がレオン殿と最初に出会ったあの国境沿いの街にも、支部があったはずですな。」
ドルドムントが補足すると、フィランヌはふっと表情を和らげた。
「決まりね。あそこまで戻って、きっちり10万ゴールドを受け取るまでは、アンタとの不自由な鎖の契約は解いてあげないわ。……さあ、行きなさいよ、リーダー。みんな、アンタの号令を待ってるんだから」
フィランヌの言葉に、テューレが肩をすくめながらも笑顔を見せた、その時だった。
「――迎えに来たぞ」
頭上の空から鋭い羽ばたき音が響き、一羽の巨大なハヤブサが舞い降りた。地面に着地すると同時に人間の姿へと戻ったのは、クライシをラグナスと共に近くの村へ連れて行ったビーストマスター、 ファルクであった。
深淵から戻ったばかりのリーダーの男は、ファルクに向かって短く問いかけた。
「……ファルク。お前たちに託したクライシはどうなった?」
ファルクは不敵な笑みを浮かべ、顎で後方を指し示した。
「ああ。重傷だがやはり命に別条はなかった。今はラグナスが付き添って様子を見ている」
「そうか。ならばいい」
リーダーの男の淡々とした、しかし仲間の生存を確認して安堵した様子に、ファルクはフンと鼻を鳴らした。
「……さあ、行くぞ。ここに長居する理由はない」
二人の男がテューレ達に背を向けて歩み出そうとした、その時だった。
「……待ってください」
呼び止めたのは、ダークエルフの精霊使いメルヴィーであった。彼女は短い間ではあったが、ドルドムントたちと共に死線を潜り抜けてきた。そしてその冒険を経た今、その銀色の瞳には、かつての冷酷な絶望ではなく、ある「気付き」による強い葛藤が宿っていた。
メルヴィーは、隣に立つドルドムントを見上げた。
「……ドルドムント。私は、迷っていた。……貴方たちのような、不器用で、泥臭くて、けれど誰かを真っ直ぐに信じられる者たちの隣にいたいと、そう思い始めていたのは事実よ」
ドルドムントはシルクハットを胸に当て、優しく複眼を細めた。
「メルヴィー殿。私の隣は、いつでも『アリ』のままで空いておりますぞ。我々と共にあの街へ戻るのも、悪くない選択です」
メルヴィーは小さく微笑み、それから、遠くで待つリーダーの男とファルクの背中を見つめた。
彼女の脳裏には、かつて自分が信じていた「利のみで結ばれ、使い捨て上等」という彼らの冷酷な理屈が蘇っていた。しかし今、ファルクはぶっきらぼうながらもラグナスと共にクライシを護り抜き、何よりあの冷徹だったはずのリーダーが、深淵から戻るなり真っ先にクライシの安否を確認し、その生存を当然のように喜んでいた。
(……あいつら、少しは変わったのかもね。……『不純物』を切り捨てるだけの機械だったはずなのに)
メルヴィーの唇に、微かな希望が灯った。
「……いいえ。私は、もう一度彼らと共に頑張ってみる。合理性ばかりを追い求める彼らだけど……重傷を負ったクライシを見捨てずに、リーダーもまずファルクにその安否を確かめた。……彼らの中にも、私と同じ何かが芽生え始めている気がするの」
メルヴィーはドルドムントに向き直ると、その白い手袋を嵌めた手をそっと握り、すぐに離した。
「……ドルドムント、ありがとう。私は、私の居場所で、彼らともう一度『絆』を書き直してみる。……さよなら。貴方たちの旅に、精霊の加護があらんことを」
メルヴィーは銀髪をなびかせ、迷いのない足取りでリーダーたちの元へと駆け寄っていった。三人の影が、朝日の向こう側へと溶け込むように消えていく。
静寂が戻った荒野。残されたのは、物語の起点となった最初の六人 ――テューレ、ラトーナ、ミーア、ドルドムント、レオン、そしてフィランヌだけであった。
「……行っちゃったわね。なんだか、少しだけ寂しくなっちゃったじゃないのよぅ」
テューレが力なく笑うと、ミーアがその背中を強引に叩いた。
「何言ってるのよ、リーダー。10万ゴールドの借金を本物の金貨に変えて、あのおっかない取り立て屋を黙らせるまでが遠足でしょ?」
「ちょっと、ミーア! 誰が取り立て屋よッ!」
フィランヌが頬を膨らませて怒鳴る中、ドルドムントが軽快に外骨格を鳴らした。
「おやおや。結局、元の街に戻るのは我々最初の6人だけというわけですな。……ふむ、まさに原点回帰。素晴らしい結末(エピローグ)に向かう道中ではありませんか!」
ドルドムントはキザっぽくシルクハットを掲げ、朝日を背負って皆を見渡した。
「さあ、皆様! 我々の旅の真なる結末(エピローグ)を書き留めに、あの懐かしき街へと戻るといたしましょう!!」
朝日を浴びて、六人の勇者が歩き出す。
不自由な絆を、本当の自由(黄金)へと変えるための、彼らの最終章が今、幕を開けた。
実は今回で最終回の予定でしたが、物語はもう少しだけ続きます。
それはもしかすると、フィランヌがもう少しだけ、彼らと一緒にいたいと願ったからかもしれません。
10万ゴールドの借金は、彼女とテューレを結びつける重く不自由な鎖でした。ですが同時に、借金さえ完済してしまえば、二人の繋がりが完全に絶たれてしまうものでもありました。
借金がなくなれば、彼女はまた一人であの寂しい荒野へと戻らなければなりません。
本当の別れを覚悟するまでに、フィランヌにはもう少しだけの時間が必要だったのかもしれませんね。
物語はいよいよ、あとラスト2回!
次回「セッション38:宴」でお会いしましょう!