【チラ裏】ムルタ・アズラエルは刻の涙を見る   作:d_chan

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第54話 家族ではない三人

 自治政府との交渉は、人身売買業者との交渉より難しかった。

 企業は利益と損失を示せば動くことがあるが、行政組織は責任を認めること自体を避けようとする。

 

「旧居住区に問題があることは認識しております。しかし、行政全体が人身売買へ関与していたかのような表現は、ルウムの信用を著しく損ないます」

 

 自治政府の責任者は、会議の冒頭から防御的だった。

 

「行政全体が関与したとは言っていません。福祉局から委託費が支払われ、警察が児童の連れ戻しへ協力し、監査で問題が見過ごされていたと言っています」

 

「現場の一部職員による判断です」

 

「複数年にわたり、複数の部署が関わっています。一部という言葉で片づけるには、範囲が広すぎます」

 

「アズラエル様は、ルウムへ投資するために来られたのではありませんか。自治政府を批判し、社会問題を報道へ広げれば、投資環境まで悪化します」

 

「問題が存在することより、問題を隠すことの方が投資環境を悪化させます。違法な児童労働が後から明らかになれば、関連企業まで信用を失います」

 

「公表すれば、旧居住区への偏見が強まる可能性もあります」

 

「だから、改善策と同時に公表します」

 

 今度こそ彼らは狼狽えた。何せ行政の失敗を認めるようなものだ。

 

「行政だけではありません。僕が買収した会社の責任、企業側の責任、利用した家庭の事情も含めて説明します」

 

「あなたは、簡単に責任を認めると言いますが、政治には影響があります」

 

「責任を認めなければ、事実が消えるのですか」

 

 相手は黙った。

 あともう一手必要か。

 

「共同で再建計画を作りましょう。自治政府は身分登録と福祉制度を見直し、僕は住宅、職業紹介、医療、教育へ投資する。住民代表も意思決定へ参加させます」

 

「行政の意思決定に、無登録住民を入れるのですか」

 

「登録できないから無登録なのです。制度の問題を最も知っている人間を、制度の外へ置いたままでは改善できません」

 

「治安上の懸念があります」

 

「旧居住区の住民全員を、犯罪者のように扱うことの方が治安を悪化させます」

 

 長い交渉の末、自治政府は共同調査と試験事業へ同意した。

 全面的な改革ではない。

 まずは旧居住区の一部で、住宅、身分登録、医療、就労支援を一体化した窓口を作り、半年間の成果を確認する。

 

 行政は、それなら失敗しても限定的な実験だったと言える。

 僕は、それでも構わなかった。

 最初から街全体を変えようとすれば、抵抗が大きすぎる。

 

 小さく始め、結果を数字へ示し、拡大する方がよい。

 

「坊ちゃま」

 

 会議を終えた後、ハワードが言った。

 

「また予定が増えました」

 

 必要なことである。

 

「サイド3への出発予定は、どうなさいますか」

 

 忘れてはいない。

 アーサーとメアリーが新しい生活を始めた場所。

 地球連邦政府への不満と独立運動が強まりつつある地域。

 今回の旅で、最も政治的に重要な目的地である。

 

「予定どおり向かいます。事業の実務は、現地へ責任者を置きます」

 

「ムウ様たちは?」

 

「サイド3まで同行させます」

 

 ハワードは、一瞬だけ目を細めた。

 

「お引き取りになるのですか」

 

「一時的な保護です」

 

「その説明は、カーディアス様の時にも聞いた気がいたします」

 

「カーディアスは引き取っていません。勝手についてきただけです」

 

「今回は、三名でございます」

 

「分かっています」

 

「船室、教育担当者、医療設備、保護契約、渡航許可が必要になります」

 

「手配してください」

 

「すでに始めております」

 

 やはり仕事が早い。

 

 

 

 ラウの退院が決まった日、僕は三人へ今後の予定を説明した。

 病院の小さな談話室には、ムウ、ラウ、レイが並んで座り、僕の隣にはハワードと児童保護担当者がいる。

 

「サイド5の保護施設へ入る方法もありますが、現在の制度を完全には信用できません。そこで、僕たちと一緒にサイド3へ向かってもらうことを提案します」

 

「サイド3?」

 

 ムウが身を乗り出した。

 

「ここから、また別のコロニーへ行くのか」

 

「ええ。その後は地球へ戻る予定ですが、君たちが地球へ行きたくないなら、サイド3か、ほかの場所に住む選択肢も考えます」

 

「俺たちを、どこかへ売るんじゃないだろうな」

 

「まだ疑っているのですか」

 

「疑うのは大事だって、お前も言ってただろ」

 

 自分の言葉を使われると反論しにくい。

 

「売りません。契約書にも書きます。君たちは僕の所有物ではなく、保護対象です」

 

「保護って、何をするんだ」

 

「住居、食事、医療、教育を用意します。船内でも勉強してもらいます」

 

「やっぱり売られるよりひどいじゃねえか」

 

「義務教育です」

 

「俺は、旧居住区で生きる方法なら知ってる。学校で役に立つことなんて教えない」

 

「盗みの技術だけでは、将来の選択肢が狭すぎます」

 

「俺、盗みだけじゃないぞ。道も知ってるし、物の値段も分かるし、危ない奴も見分けられる」

 

「それらも立派な能力です。しかし、文字、計算、法律、機械を学べば、さらに使える範囲が広がります」

 

「嫌だって言ったら?」

 

「話し合います」

 

「行かないって言ったら?」

 

「サイド5で安全な保護先を探します。ただし、三人一緒であることは保証できません」

 

 ムウは、ラウとレイを見た。

 

「一緒に行けるんだな」

 

「僕は、そのつもりです」

 

「ラウの病気は?」

 

「船には医師が乗ります。薬も用意します」

 

「レイも?」

 

「もちろんです」

 

 レイが僕を見た。

 

「命令?」

 

「提案です。レイが嫌なら、別の方法を考えます」

 

「ムウとラウは行く?」

 

「俺は、まだ決めてない」

 

 ムウが答え、ラウは少し考えた後で口を開いた。

 

「僕は行きたい」

 

 ムウが驚いて振り返った。

 

「ラウ?」

 

「ここにいたら、また父さんや借金取りのような悪い連中に見つかるかもしれない。ムルタが本当に約束を守るかは、まだ分からない。でも、少なくとも病院へ連れてきて、俺たちを別々にしなかった」

 

「地球まで行くかもしれないんだぞ」

 

「宇宙船に乗ったこと、ないから」

 

 ラウは、ほんの少し笑った。

 

「それに、学校も行ってみたい。前は病気で休んでばかりだったから」

 

 ムウは言葉に詰まった。

 

「レイは?」

 

 レイはしばらく考えた。

 

「ムウとラウと一緒なら、行く」

 

「自分で決めたのですか」

 

「うん。一緒がいい」

 

 以前なら、ムウの命令に従っただけだったかもしれない。

 今は、同じ選択でも、自分の言葉で言っている。

 小さな変化だった。

 

「ムウは、どうしますか」

 

「二人が行くなら、俺も行く」

 

「君自身は?」

 

「二人を守るためだ」

 

「それだけですか」

 

「宇宙船も、ちょっと見たい」

 

 素直ではない。

 

「分かりました。では、三人一緒にサイド3へ向かいます」

 

「その代わり、俺たちへ勝手なことをするな」

 

「契約へ書きましょう」

 

「また契約かよ」

 

「君は、口約束を信用しないのでしょう」

 

「もう少しは信用してる」

 

 ムウは、小さな声で言った。

 

「少しだけな」

 

「十分です。信用は、最初から全額投資するものではありません」

 

「友情まで投資にするなよ」

 

「友人価格は審査が厳しくなります」

 

「誰に教わったんだ、それ」

 

「僕です」

 

「最悪だな」

 

 ラウが小さく笑い、レイも二人を見ながら口元をわずかに緩めた。

 船へ乗る前、新しい身分証が三人へ渡された。

 ムウ・ラ・フラガ。

 ラウ・ル・クルーゼ。

 レイ。

 

 僕の趣味で名前を決めたことに、多少の罪悪感がないわけではない。

 だが、本人たちも最終的には同意した。

 それに、似合っている。

 

「本当に、この名前で登録したんだな」

 

 ムウは身分証を裏返しながら言った。

 

「気に入らなければ、今からでも変更手続きを始められます」

 

「また面倒な書類を書くんだろ」

 

「当然です」

 

「じゃあ、これでいい」

 

「これがよい、ではなく?」

 

「もう、それはいい!」

 

 ラウは、自分の身分証を静かに眺めていた。

 

「ラウ・ル・クルーゼ」

 

「気に入りましたか」

 

「前の名前も嫌いじゃない。でも、この名前なら、前とは違うところへ行ける気がする」

 

 よい言葉だった。

 レイには、姓がない。

 法務担当者は仮の姓を用意しようとしたが、本人がまだ決めたくないと言ったので、その意思を尊重した。

 

「姓がないと、困る?」

 

 レイが尋ねた。

 

「手続き上、不便な場合はありますが、今すぐ決めなくても構いません」

 

「ムルタと同じは?」

 

「アズラエルですか」

 

「うん」

 

 ムウとラウが、同時にこちらを見た。

 僕も少し驚いた。

 

「僕と家族になりたいという意味ですか」

 

「分からない」

 

「では、分かってから決めましょう。名前は、誰かへ気に入られるために選ぶものではありません」

 

「ムウとラウは、違う名前でも家族?」

「俺たちは最初から家族だ」

 ムウが即答した。

「なら、レイも違う名前でいい」

 レイは、そう言って身分証を握った。

 

「レイがいい」

 

 それは、誰かから与えられた仮の名前ではなく、少しずつ本人の名前へ変わり始めていた。

 

 その後、彼の正式な姓名が決まった——レイ・ザ・バレル。

 結局、レイの名前も半ばごり押しでレイ・ザ・バレルにしてしまった。

 ムウとラウからはあきれられたが、レイはまんざらでもなさそうだったのが救いか。

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