本日二度目の投稿。
テレビから流れるニュースを、全員が黙って見つめていた。
『我々は、現在東京で発生している一連の事件について、その責任を負う』
声明を読み上げるアナウンサーの声だけが、職員室に響いている。
『今回の行動は、我々の要求を無視し続けた日本政府に対する――』
そこで映像が乱れた。
砂嵐が一瞬だけ画面を覆う。
すぐに映像は戻ったものの、今度は別のニュース映像になっていた。
『……繰り返します。現在、東京で大規模な混乱が発生しています。政府は不要不急の外出を控えるように――』
「ねえ、孝」
宮本が小さな声で呼びかける。
「何だ?」
「どこかに……安全な場所ってあるよね?」
小室は答えに詰まった。
「……分からない」
安全な場所。
そんなものが今どこにあるのか、彼にも分からない。
「でも、警察とか自衛隊がいる場所なら――」
「そんなもの、あるわけないし」
高城が即座に否定した。
「そんな言い方は無いだろ」
小室が振り向いて高城に抗議する。
高城はテレビ画面を見つめていた。
「東京のあちこちで同時に被害が出ているのよ」
指を一本立てる。
「しかも、普通の暴動じゃない」
さらに画面へ視線を向ける。
「人間が人間を襲っている。それも、噛みついて」
高城の声は冷静だった。
「さっき私たちが見た奴らもそうだった」
小室たちは黙って高城を見る。
「そして、さっきの現場中継」
高城が続ける。
「襲われた人間が倒れて、それからどうなった?」
宮本が答える。
「……襲った人が、別の人を襲ってた」
「そう」
高城が頷く。
「感染してるのよ」
その言葉に、職員室の空気が変わった。
「感染……?」
平野が呟く。
「ええ」
高城は断言する。
「私は、この騒動がただのテロ事件だとは思ってない」
高城はテレビに映る被害状況を指差す。
「これは、バイオテロよ」
「バイオテロ……」
宮本が呟く。
「根拠は?」
小室が尋ねる。
「あるわ」
高城は即答した。
「ラクーンシティ事件」
その名前に、次郎の表情が僅かに変わった。
ラクーンシティ。
その名前を聞き、次郎は黙ったまま高城を見る。
「ラクーンシティ?あのアメリカの?」
小室が聞き返す。
「そう。八年前、アメリカで起きた事件よ」
高城は説明を続ける。
「当時は原因不明の暴動として報道されていたけど、後になって特殊なウイルスによる事件。バイオハザードだったことが明らかになってる」
平野が息を呑む。
「つまり……今回も?」
「そう」
高城が頷く。
「今回の騒動は、伝え聞くあの事件とあまりにも似ている」
高城は指を折りながら挙げていく。
「原因不明の暴動」
一つ。
「人間が突然、他人を襲い始める」
二つ。
「噛みつかれた人間が、さらに他人を襲う」
三つ。
「そして、被害範囲が異常に広い」
四つ。
高城はテレビを見る。
「八年前のラクーンシティで起きたことと、ほとんど同じ流れ」
「でも、ラクーンシティの事件は……」
宮本が言い淀む。
「終わったんじゃないの?」
「だからこそよ」
高城は答える。
「終わったと思われていた事件と同じことが、今度は日本で起きている」
小室が黙り込む。
宮本も言葉を失う。
平野はテレビを見つめたまま動かない。
毒島だけは静かに高城の話を聞いている。
高城は腕を組んだ。
「安全な場所なんて、最初から期待しない方がいいわ」
その言葉に、職員室が静まり返った。
次郎は黙って高城の言葉を聞いていた。
――彼女の考えは正しい。
少なくとも、次郎はそう判断していた。
だが、それを口にすることはなかった。
今ここで自分がラクーンシティの経験を語れば、余計な疑問を生む。
だから黙っている。
高城はそんな次郎の事情など知る由もない。
「だから、ここから先は自分たちで判断するしかない」
高城はそう言って、テレビ画面へ視線を戻した。
「誰かが助けに来てくれるなんて、期待しない方がいいわ」
その言葉だけが、静かな職員室に残った。
見終わったテレビの画面を次郎がリモコンで消す。
職員室に再び静寂が戻った。
誰もすぐには口を開かなかった。
東京の複数個所で同時に発生している異常事態。
そして、それが八年前のラクーンシティで起きた事件と酷似しているという高城の分析。
重苦しい空気が漂う。
そんな中、毒島が静かに口を開いた。
「一つ、決めておきたいことがある」
全員の視線が集まる。
「小室くんは、ご家族の安否を確認した後、安全な場所を探すと言ったが」
「ああ」
「では、その先は?」
小室が黙る。
「家族の無事を確認することは大切だ。しかし、その後にどこへ逃げ込むのかを決めておかなければ、結局はその場その場で好き勝手に動くことになる」
毒島は木刀を手にしたまま、淡々と続ける。
「それでは生き残るのは難しい」
「……」
「私たちは、チームを組むべきだ」
宮本が毒島を見る。
「チーム?」
「ああ」
毒島が頷く。
「一人で行動するよりも、互いに補い合った方が生存率は高くなる」
小室も考え込む。
次郎は黙って話を聞いていた。
「それに、目的地だけではない」
毒島が続ける。
「誰かが負傷した場合、誰が対応するのか。移動中に襲われた場合、誰が前を歩き、誰が後ろを警戒するのか。そういうことも決めておいた方がいい」
理にかなった話だった。
高城も腕を組みながら頷く。
「私も賛成」
「少なくとも、今みたいに全員が好き勝手に動くよりはマシよ」
高城は小室を見る。
「それに、学校の外がどうなっているか分からない以上、一人で動くのは危険すぎるわ」
小室は頷いた。
「分かった。みんなで行こう」
「じゃあ――」
宮本が周囲を見回す。
「まず、どこから外へ出るの?」
「正面玄関から出よう」
小室が答えた。
「正面玄関?」
「ああ。校舎の中をあちこち移動するより、正面玄関から出て、そのまま駐車場へ向かった方がいい」
毒島も頷く。
「異論はない」
次郎は職員室の扉を見る。
「方針が決まった事だし、まずはここを出よう」
次郎がロッカーへ近づく。
「動かすぞ」
小室が立ち上がる。
「手伝います」
ロッカーを押す。
ガタッ。
扉を塞いでいたロッカーが少しずつ動く。
毒島と宮本も加わり、通路を確保する。
扉が開く。
次郎が先に廊下を覗いた。
次郎は素早く周囲を確認した。
廊下にゾンビの姿はない。
「……今はいないな」
だが、音を立てればいつ現れるか分からないので、小さな声で伝える。
扉が静かに開かれる。
毒島が木刀を構え、先頭へ出る。
その隣に小室が並ぶ。
「俺たちが前を行く」
小室が言う。
次郎は後ろを見る。
「では、俺が最後尾を」
「
毒島が言った。
「ああ」
次郎は頷いた。
「後ろから来る奴は、俺が仕留めよう」
隊列は決まった。
先頭――毒島、小室。
その後ろに宮本、平野、高城、鞠川。
そして最後尾に次郎。
毒島が全員へ視線を向ける。
「一つ忠告しておくが」
声は小さい。
「戦えるからといって、無理に倒す必要はない」
木刀を軽く握り直す。
「極力、避けられる時は避けていく」
宮本が頷く。
「でも、近づいてきたら?」
「転ばせるだけでも構わない」
毒島は冷静に答える。
「動きを止めて、その場から離れる。それで十分だ」
平野も頷く。
「倒すことにこだわる必要はない、と」
「そのとおりだ」
毒島は高城を見る。
「そして、絶対に掴まれないように」
高城が頷く。
「そうよ」
「奴らは普通の扉を壊せるくらい力が強い。一度でも掴まれれば危険よ」
高城は周囲を見回した。
「距離を取って、近づかれたら逃げる。そういうこと」
次郎も最後尾から口を挟む。
「それと、後ろを忘れるな」
全員が振り返る。
「前だけ見てると、後ろから来た奴らに気づけない」
「なるべく俺が対処するが、頼り切らず自分でも警戒してくれ」
小室が頷いた。
「分かった」
毒島が先頭に立つ。
木刀を構えたまま、ゆっくりと歩き始め、小室もその隣を進む。
宮本たちが続き、最後尾で次郎が後方を確認する。
「……行こう」
廊下を進む一行は、誰一人として無駄な音を立てなかった。
先頭を歩く毒島と小室。
その後ろに宮本、平野、高城、鞠川。
そして最後尾を次郎が務める。
足音さえも極力抑える。
廊下の角に差しかかるたび、毒島が先に顔を出して周囲を確認する。
ゾンビがいれば迂回する。
いなければ、そのまま進む。
戦う必要はない。
むしろ、戦わない方がいい。
音を立てれば、周囲にいるゾンビを呼び寄せてしまう。
それは、すでに全員が理解していた。
やがて、一階へ続く階段が見えてきた。
毒島が足を止める。
階段の下を覗き込む。
ゾンビはいない。
小室に合図を送る。
全員が一人ずつ、ゆっくりと階段を下りていく。
誰も喋らない。
手すりにも触れない。
靴底が床を擦る音さえ、できるだけ小さくする。
そして――。
一階へ降りた。
正面玄関までは、あと少し。
毒島が角から先を確認する。
次の瞬間。
その動きが止まった。
小室も毒島の視線の先を見る。
「……」
言葉が出ない。
正面玄関。
そこには、大量のゾンビがいた。
廊下。
下駄箱。
昇降口。
あちこちにゾンビがうごめいている。
そして、正面のガラス扉の向こうにも――。
校門側から押し寄せたゾンビが溢れていた。
ガラス越しに何体もの姿が見える。
「……多すぎる」
宮本が小さく呟く。
「正面から突破するのは無理ね」
平野が周囲を見る。
「別の出口を探した方が――」
「待って」
高城が遮った。
彼女は自分の手元を見る。
そこには一本のペンがあった。
「ちょっと試してみたいことがある」
「何をするんだ?」
小室が尋ねる。
「奴らの習性を確認するのよ」
高城は正面玄関の奥を見る。
「音に反応することは、もう分かってる」
そして、少し考える。
「でも……本当に音だけなのかしら」
高城はペンを構えた。
「高城さん?」
宮本が不安そうに呼ぶ。
「大丈夫」
高城は小声で答えた。
そして――。
ペンを、玄関の反対側へ投げた。
カツンッ。
硬い床にペンが落ちた。
その瞬間だった。
近くにいたゾンビたちが、一斉に振り向いた。
「……!」
全員が息を呑む。
ゾンビたちは、ペンの落ちた方向へ向かって歩き始めた。
一体。
二体。
さらにその周囲にいたゾンビまで、次々と同じ方向へ移動していく。
その方向に人間はいない。
それでもそちらへ向かい、こちらへは向かってこない。
音のした場所へ引き寄せられている。
高城が小さく呟く。
「やっぱり……」
小室が目を見開く。
「目が見えてない?」
「その可能性が高いわ」
高城はゾンビを観察する。
「視覚が完全に死んでいるのかは分からない。でも――」
ペンの落ちた場所へ集まっていくゾンビを見る。
「少なくとも、音にだけ強く反応している」
毒島が静かに言う。
「つまり、音を立てなければ、すぐ近くを通り抜けられる可能性がある」
「ええ」
高城が頷く。
「でも、絶対に音を立てないこと」
全員の表情が引き締まる。
「一度でも大きな音を出したら、奴らが一斉に寄ってくる」
宮本が正面玄関を見る。
ペンによって一部のゾンビは移動したが、それでも玄関にはまだ大量のゾンビが残っている。
そして、その向こうにはさらに多くのゾンビがいる。
「……あの隙間を抜けるの?」
宮本が呟く。
「そうするしかない」
毒島が答える。
正面玄関のガラス扉。
誰かが扉まで行き、そこを開けなければ外へ出られない。
だが、扉の直ぐ側にもゾンビはいる。
開閉音を立てれば、全てのゾンビが向かってくる。
「誰がやるの?」
宮本が尋ねる。
沈黙。
小室が前を見る。
「俺が――」
「いや、俺がやる」
小室の言葉を遮り、次郎が言った。
全員が振り返る。
次郎はトマホークを腰の後ろに収める。
「俺が行く」
「でも……」
小室が声を抑えて言う。
「ガラス扉を開けるだけなら、俺が――」
「いや」
次郎は首を横に振る。
「お前たちはここにいろ」
次郎は玄関を見た。
「音を出さずに歩くのは得意だ」
高城が次郎を見る。
「……」
次郎は続ける。
「それに、扉を開けた後も外側を確認する必要がある」
毒島が次郎の言葉を聞き、静かに頷いた。
「分かりました」
小室は少し迷ったが、次郎の判断が合理的なのも分かる。
「……頼みます」
「任せろ」
次郎は玄関を見た。
ゾンビたちは、ペンの落ちた場所へ引き寄せられている。
今なら問題なく動ける。
だが、ただ歩いていけばいいわけではない。
次郎は目を細めた。
暗殺者だった頃に身につけた感覚が、自然と研ぎ澄まされていく。
視線を動かす。
ゾンビの位置。
身体の向き。
歩く速度。
それぞれの間隔。
そして、次にどこへ動く可能性があるのかを頭の中で組み合わせていく。
最短距離を選ぶ必要はない。
重要なのは、誰とも接触せず、誰にも気づかれずに通り抜けること。
次郎は一体のゾンビが目の前を通った瞬間、その背後を通り抜ける。
さらに棒立ちしているゾンビの横を通り過ぎる。
足音は立てず、呼吸も極力小さくして乱さない。
時折、手を伸ばせば触れられるほどの距離までゾンビに接近しながら、それでも次郎は焦らない。
さらに一体。
その背後へ。
そして、また一体。
まるでそこに道が存在しているかのように、次郎はゾンビの間を進んでいく。
背後では仲間たちが息を殺して見守っているが、次郎は振り返らない。
最後の一体を抜ける。
正面玄関まで、あと数歩。
次郎は足を止めて、周囲のゾンビの動きを再度確認する。
問題ない。
静かに手を伸ばす。
指先がガラス扉の取っ手に触れた。
勘違いさせてしまったかも知れないので説明します。
奴らに短距離限定で走る個体がいるというのはオリジナルではなく、原作漫画で走っている生存者に奴らが追いついているシーンがあったのでこういう設定にしています。