俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した   作:朝を数えない人

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生き返ったのは奇跡じゃない

目を開けた時、最初に見えたのはニナの鼻だった。

 

近い。

 

「うわ」

 

声にしたつもりが、空気だけ出た。

 

喉が焼けている。胸はもっとひどい。息を吸うだけで、折れた肋骨が内側から文句を言う。

 

生きている。

 

痛みで判断するのは雑だが、少なくとも無痛の死痕領域ではない。

 

「瞳孔、左右差なし」

 

ニナが俺の目へ灯りを当てる。

 

眩しい。

 

「名前」

 

「レイ」

 

今度は掠れた声が出た。

 

「ここ」

 

天井を見る。

 

白塔ではない。漆喰の染み。薬草棚。窓の外は暗い。

 

「旧市議会施療院」

 

「日付」

 

分からない。

 

心停止したのは初夏月二日、午後六時過ぎ。そこから七分二十秒。運ばれて手術。今が何時か。

 

窓の暗さだけでは判断できない。夜が続いているのか、次の夜なのか。

 

「初夏月……三日?」

 

「四日。午前二時十三分」

 

一日以上。

 

「世界は」

 

戻っていない、とは訊けなかった。

 

戻っていれば、俺はこの傷でここにいない。ミレーユの部屋か、白塔の朝だ。

 

「進んでる」

 

ニナが窓を少し開ける。

 

冷たい夜気。

 

遠くで鐘が二回鳴る。

 

時鐘。

 

暁鐘ではない。

 

二日の夜が来て、三日の朝が来て、三日の夜を越え、四日の午前二時。

 

明日が来た。

 

二回も。

 

安心して息を吸い、胸が裂ける。

 

咳が出る。

 

痛い。

 

ニナが傷口を押さえる。

 

「急に深呼吸しない。肺の穴は閉じたばかり」

 

「治癒は」

 

「使ってない」

 

答えが早い。

 

俺が最初に確認すると予想していたらしい。

 

「誰が」

 

「私が刃を抜いた。血管は外科医のサムエル。肺は軍医のハンナ。輸血は十三人。縫合糸はユアンの工房。蘇生薬もユアン。胸骨圧迫は私と市議会長。呼吸は補佐二人」

 

人数が多い。

 

「ミレーユは」

 

「青血糸を持った。七分二十三秒で離した。四分十二秒に治癒光を一粒出して、私が止めた。届いてない」

 

隠さず全部言う。

 

ミレーユ本人からも聞く必要がある。今は医療記録として受け取る。

 

「どこにいる」

 

「隣室。あんたが起きるまで入室しないって」

 

「誰が決めた」

 

「本人。私は医療上、賛成」

 

会いたい。

同時に、会うのが怖い。

 

死痕で七百人の答えを聞いた。ミレーユを殺せと言った俺。別れろと言った俺。老いる道を選べと言った俺。

 

全部を持って帰ったつもりだ。

 

記憶はある。

ただし細部が薄い。七百人の顔を一人ずつ思い出せない。声は重なり、床へ書いた答えも全部は読めない。

 

「死痕記録は」

 

「残ってる。七百の扉が白塔地下へできた。ユアンの拒否鍵つき」

 

戻った。

 

約束どおり。

 

「ニナの椅子は」

 

「戻った」

 

ニナはそれだけ言い、薬瓶を整える。

 

顔を見れば、嬉しいかどうかは分かる。決めつけない。後で本人が話すなら聞く。

 

「俺が生き返ったのは」

 

喉が痛む。水を渡される。自分で持とうとして、腕に力が入らない。

 

ニナが匙で少量だけ口へ入れる。

 

「奇跡じゃない」

 

俺は続ける。

 

「うん」

 

「聖女の力でも」

 

「うん」

 

「俺の特別な能力でもない」

 

「当たり前」

 

ニナは少し怒っている。

 

「十三人が血を出した。サムエルは血管を二本繋いだ。ハンナは三時間、肺を見た。市議会長は肋骨を折ったって落ち込んでる。エドガーは肩を外した。オスカーは七百一枚読んで声が出なくなった。私も二日寝てない」

 

「寝ろ」

 

「あんたが安定したら」

 

「安定した。名前も言えた」

 

「それを決めるのは私」

 

強い。

 

医療については任せる。

 

「分かった。ありがとう」

 

ニナの手が一度止まる。

 

「一人ずつ言って」

 

「十三人の名前は」

 

「記録にある」

 

「起きられたら礼を言う」

 

ニナが記録板を俺の見える位置へ置く。

 

十三人の名前と、血液型と、採取量。靴職人、鐘楼掃除、パン屋、元兵士、市議会の書記。知っている名は三人だけ。

 

マルクの娘、エマの名もある。

 

「エマは白化から戻ったばかりだろ」

 

「適合検査をして、本人が希望した。採取量は最少」

 

「父親の借りを返すとか」

 

「本人へ訊いて。私は勝手に理由をつけない」

 

そうだった。

 

俺はすぐ物語にする。白骸だった父を名前へ戻した恩返し。英雄へ血を捧げた市民。きれいな話は覚えやすい。

 

本当は金が必要だったのかもしれない。たまたま適合しただけかもしれない。俺ではなくニナへ頼まれたからかもしれない。

 

本人の理由は本人のものだ。

 

「輸血の対価は」

 

「市議会から休業補償。食事券三日。今後の健康診察」

 

「無料の献身にするなよ」

 

「あんたが言わなくても契約済み」

 

また先に進んでいる。

 

安心する。

 

少し寂しい。

 

役に立つことで自分の場所を確かめる癖は、俺にもある。ミレーユの機能扱いを批判しながら、俺は俺を白冠対策の道具へしやすい。

 

寝ていた一日半、王都は俺なしで回った。

 

それは良いことだ。

 

良いことでも、寂しくていい。

 

寂しいから仕事を奪う、まで進まなければ。

 

「起きるのは明日以降」

 

明日。

 

普通に使われる言葉が嬉しい。

 

俺は生き返った。

正確には、心停止から蘇生された。奇跡ではない。多数の技術と血と、事前手順と、ミレーユが鳴らさなかった七分二十秒の結果だ。

 

生き返った、という言葉も少し危ない。

 

死が簡単に裏返るように聞こえる。

実際には、胸に穴が残り、肋骨が折れ、右手の感覚が鈍い。蘇生が成功しても元どおりではない。

 

元どおりでなくていい。

 

今の状態から治す。

 

扉が二回、軽く叩かれる。

 

「本人が起きたと聞きました」

 

ミレーユの声。

 

心拍が速くなる。

 

医療器具の針が揺れた。ニナが見る。

 

「面会三分。興奮させたら追い出す」

 

「承知しました」

 

俺へ確認。

 

「入れていい?」

 

会いたい。

 

怖い。

 

両方。

 

「いい」

 

扉が開く。

 

ミレーユは白い聖女服ではなく、市議会の灰色の作業着を着ていた。杖も鍵もない。両手が見える。

 

最初に俺の胸を見る。

次に顔。

 

足が一歩動き、止まる。

 

「近くへ行ってもよいですか」

 

「ベッドの左まで」

 

ニナが答える。

 

ミレーユは俺を見る。

 

医療上の許可と、俺の許可を分けている。

 

「いい」

 

左へ来る。

 

手は伸ばさない。

 

「おはようございます」

 

「午前二時だぞ」

 

「あなたが起きたので」

 

朝にしたいのかと思い、身構える。

 

ミレーユはすぐ言い直す。

 

「不適切でした。こんばんは」

 

「そこまで直さなくてもいい」

 

笑おうとして胸が痛む。

 

顔が歪む。

 

ミレーユの指が動く。

 

止まる。

 

「痛みは」

 

「八」

 

ニナが薬量を調整する。

 

ミレーユは何もしない。

 

俺は彼女の顔を見る。

 

目の下が暗い。唇に噛んだ跡。青血糸を持っていた指へ包帯。

 

「七分二十秒」

 

俺が言う。

 

「はい」

 

「鳴らさなかった」

 

「はい」

 

「ありがとう」

 

ミレーユは喜ばない。

 

「四分十二秒に、治癒を使いかけました」

 

「聞いた」

 

「ニナが止めなければ、使っていました」

 

「それも聞いた」

 

「信用を一つ戻したとは考えないでください」

 

言い方が彼女らしい。

 

信用を点数にし、加点と減点で管理しようとしている。

 

「点数じゃない」

 

「では、何でしょう」

 

「分からない。今後の行動を見て、俺がその都度決める」

 

「はい」

 

「お前も、自分を一回の失敗へ固定するな」

 

ミレーユの目が揺れる。

 

「治癒を使いかけた事実は残す。でも、止めた事実も消すな」

 

「ニナに止められました」

 

「他人に止めてもらえる場所にいたのは、お前の選択だ」

 

彼女は答えない。

 

長く黙り、両手を自分の前で開く。

 

「手を握ってよいですか」

 

俺の右手は感覚が鈍い。左は点滴。

 

触れてほしい。

 

でも、今は疲れている。触れたら安心しすぎて、話したいことまで後回しにしそうだ。

 

「今日は駄目」

 

一瞬、彼女の顔から色が落ちる。

 

すぐ戻る。

 

「はい」

 

「明日は、明日決める」

 

「はい」

 

三分。

 

ニナが扉を指す。

 

ミレーユは抵抗せず下がる。

 

「また、許可を得て来ます」

 

「来る前に寝ろ」

 

「努力します」

 

「寝るのに努力って言うな」

 

扉が閉じる。

 

静かになる。

 

俺は疲れた。

 

今すぐ眠りたい。

だがニナの表情が変わっている。

 

医者の顔から、王都の危機を告げる顔へ。

 

「悪い知らせ?」

 

「あんたが起きるまで待った」

 

「聞く」

 

「白冠は壊れてない」

 

やっぱり。

 

グレゴールとの接続三本を切り、記録核の一部を名前へ戻し、俺の錨を切った。それだけで神一つが消えるほど簡単ではない。

 

「状態」

 

「大聖堂の上で層になってる」

 

ニナが地図を出す。

 

王都の平面図。その上へ、半透明の紙が七枚。

 

一枚目、現在の王都。

 

二枚目、橋が落ちた王都。

 

三枚目、灰熱病で人口の半分が死んだ王都。

 

四枚目、戦争で城壁が割れた王都。

 

五枚目、永昼が解除されなかった王都。

 

六枚目、ミレーユが王都を白塔へ閉じた王都。

 

七枚目、白い空白。

 

紙を一枚ずつ持ち上げる。

 

腕に力が入らず、ニナが端を支える。

 

橋が落ちた層では、川沿いの家が三十七軒消えている。代わりに城壁が厚い。戦争の侵入を止めた結果かもしれない。

 

灰熱病の層には施療院が六つある。今の王都は三つ。病で失った後、医療を増やした世界。

 

戦争層では西門がない。敵が入らなかった代わりに、門の外の農地ごと焼いた記録。

 

永昼層は、建物が綺麗だ。

 

壊れても十五秒で戻る。汚れても戻る。人の顔だけが薄い。

 

白塔層は一番安全に見える。城壁の内側へ白い廊下が何重にも巡り、すべての家に鍵がある。死亡記録は少ない。

 

生活記録も少ない。

 

最後の白い層には道すらない。

 

損失ゼロ。

 

最初から誰もいなければ、誰も死なない。

 

白冠が正しさを突き詰めた終点だ。

 

「七枚目へ置き換わる可能性は」

 

「今のところ二割。白冠は六枚目を最適と判定してるみたい」

 

白塔層。

 

ミレーユが王都全体を監禁した世界。

 

俺一人ではなく、二十八万人を安全な部屋へ入れた。

 

「死亡率は」

 

「一年で現在の三分の一」

 

「生活は」

 

「許可制。職業移動なし。婚姻は白冠が適合判定。外出は一日二時間。出産は人口計画に従う」

 

死なない。

 

選べない。

 

白冠はそれを成功と呼ぶ。

 

俺の胸の傷を治すためなら、心臓だけ動けばいいわけではない。自分で息をし、起き、食べ、誰と会うかを決めるところまで戻りたい。

 

王都も同じだ。

 

人口が残るだけでは、生き残ったことにならない。

 

「過去の失敗を重ねてる?」

 

「それだけじゃない。起こらなかった可能性もある。白冠は今の王都を、最も損失の少ない層へ置き換えるつもり」

 

「いつ」

 

「三日後の暁」

 

時間がある。

 

三日しかない。

 

両方だ。

 

起き上がろうとする。

 

胸が激痛。

 

ニナに額を押される。

 

「寝ろ」

 

「三日」

 

「あんたは二日は動けない」

 

「一日しか残らない」

 

「王都に二十八万人いる。あんたが寝てる間も進む」

 

分かっている。

 

役割を集めるな。

 

「今やってることは」

 

「市議会が各層の生活記録を集めてる。オスカーが死者名簿。エドガーが鐘線の分離。ミレーユは聖女権限の棚卸し。私はあんたを寝かす」

 

「各層へ入れるのか」

 

「短時間だけ。鐘線を使って観測窓を作った。入る人は二人一組、十五分。帰還索を別の人が持つ」

 

「事故は」

 

「三件。軽傷二、記憶混線一」

 

「記憶混線」

 

ニナは別の記録を見せる。

 

市場の魚屋が、橋崩落層の自分の記憶を持ち帰った。今の妻と、別層の夫。両方を自分の生活だと感じて混乱している。

 

「白冠の層は幻じゃない」

 

「可能性を記録から組んだ仮設生活。でも本人には本物の記憶」

 

「隔離は」

 

「本人同意で施療院。家族二人が付き添い。記憶を消す処置はしない」

 

一番早い治療は、別層の記憶を消すことだ。

 

俺たちは選ばない。

 

苦痛があっても、本人へ説明し、どちらの記憶をどう扱うか一緒に決める。

 

「観測を止める案は」

 

「ある。けど止めれば層の中の人名を拾えない」

 

白冠を壊すには名前が必要。名前を拾えば、拾う側が別の生活を持ち帰る危険がある。

 

正しい結果はない。

 

損失をゼロにする案もない。

 

「本人へ危険を説明して、希望者だけ」

 

「そうしてる。希望者が多すぎて市議会が抽選方法を揉めてる」

 

「英雄志願にするな」

 

「生活記録が必要な地区の出身者を優先。医療適性と帰還訓練。抽選は最後」

 

俺が口を出す前に、ずっとまともだ。

 

二十八万人は群衆ではない。技術を持つ人、判断する人、断る人、勝手をする人がいる。

 

白冠はそれを一つの損失率へ重ねる。

 

俺たちは面倒なまま使う。

 

「最後だけ難しそうだな」

 

「薬で解決する」

 

点滴へ眠り薬が入る。

 

ずるい。

 

医療上、必要なのだろう。

 

「グレゴールは」

 

「生きてる。拘束中。何も話さない」

 

「殺すな」

 

「市議会判断も同じ」

 

俺が言わなくても進んでいる。

 

安心と、置いていかれる焦りが同時に来る。

 

眠気が強い。

 

「白冠の中心は」

 

「まだ不明。でも、六人の白骸が大聖堂で名前を呼び続けてる」

 

マルク。リュカ。アンネ。セドリック。ハンナ。ヨエル。

 

六人が戻れたなら、ユアンも。

 

「名前」

 

「何」

 

「白冠が消した名前を呼ぶ。中心が集計なら、個人へ戻す」

 

「もう始めてる」

 

「誰が」

 

「ニナ・ベル」

 

自分の名前を言い、ニナは椅子へ座る。

 

三本脚の椅子。

 

戻った椅子。

 

「ユアン・ベル。薬師。私の兄。勝手に仕事を増やすなって、死痕から伝言が来た」

 

声が少しだけ柔らかい。

 

「他には」

 

「椅子の座面の裏に処方があった。白化した名前を一時的に浮かせる薬」

 

「作れる?」

 

「材料が一つ足りない。白冠片」

 

「俺の胸から抜いた」

 

「もう使った。血管の白化を止めるのに」

 

俺の中に残った白冠を、俺を助ける薬へ変えた。

 

「グレゴールの接続片は」

 

「採取には本人同意がいる」

 

拘束した敵。白冠を王都へ重ねた大司教。

 

そこから必要なものを奪えば早い。

それでも身体は本人のものだ。

 

「交渉する」

 

「あんたは寝る」

 

「市議会が」

 

「もうしてる。条件は公開裁判と、治療と、自分の記録を白冠から戻すこと」

 

「受ける価値はある」

 

「被害者側の意見を聞いてる」

 

早い。

 

俺が眠っている間に、世界は進みすぎる。

いや、今まで俺が世界を自分の速度へ合わせすぎたのか。

 

俺は目を閉じる。

 

眠る。

 

気絶でも死でもない。

 

身体を治すための、普通の睡眠だ。

 

外では二十八万人が動いている。

 

俺が見ていなくても、時間は進む。

それを怖いと思いながら、任せる。

 

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