俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した   作:朝を数えない人

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数えない明日

暁鐘を壊して半年後、俺は酒を飲んだ。

まずい。

 

一口で水へ逃げる。

 

「だから言ったでしょ」

 

ニナが笑う。

 

「死痕記録の俺が飲めって」

 

「本人の願いを何でも聞くの?」

 

「一度テーブルへ載せる。合わなければ残す」

 

酒杯を義足の男へ渡す。

 

今夜の墓所管理人だ。

 

過去の俺ではない。義足というだけで一瞬重ねた。

 

失礼だ。

 

「すみません」

 

「何がだ」

 

「いや、俺の中の話」

 

「なら俺へ謝るな」

 

もっともだ。

 

自分の手帳へ印をつける。

 

《外見から過去人格を重ねた。本人へ意味不明な謝罪》

 

「それ、何でも書くのね」

 

ニナが覗く。

 

「忘れるから」

 

「忘れていい恥もあるよ」

 

「ユアンが死痕庫へ入れる」

 

三本脚の椅子が軋む。

 

《いらない》

 

座面に文字。

 

「本人拒否」

 

俺は頁を閉じる。

 

今日は白冠崩落から半年の追悼日だ。

 

記念日とは呼ばない。

 

白冠を壊して救われた人も、戻せなくなった人もいる。勝利祭にしないと市議会が決めた。

 

大聖堂跡には、新しい鐘を置かなかった。

 

代わりに、低い石壁がある。

 

回収された名前、生活痕、本人拒否、未決定、接続不能。

 

分類ごとに場所を分けず、一枚ずつ並べている。

 

読めない白紙も壁へ埋めた。

 

白紙を墓へ入れることには反対があった。

 

何も書かれていないなら、ただの紙ではないか。白冠が作った余白まで人として祀れば、確認できない死者を増やすのではないか。

 

反対は正しい。

 

白紙が誰かの記録だった証拠はない。

それでも捨てなかった。

 

人名碑ではなく、《照合できなかった記録》の壁材として残した。後から文字が浮く可能性と、永遠に何も出ない可能性を併記した。

 

墓と倉庫の間みたいな場所だ。

 

きれいではない。

 

来た人は、自分の家族が白紙にいると信じてもいい。いないと考えてもいい。市議会はどちらも認定しない。

 

石壁の入口には、マルクの言葉が刻まれている。

 

《戻らない》

 

最初は冷たすぎると反対された。

 

娘のエマが残した。

 

父の最後の選択だから、と。

 

隣にはヨエルの三本線。アンネが好きだった布の模様。セドリックが書きかけた借金額。リュカの靴底。ハンナの薬匙。

 

英雄らしい言葉は一つもない。

 

アーロンとベルトランの記録は、別々の板。

 

アーロンの死をベルトランの功績の理由にしない。ベルトランの百人治療で、グレゴールの選択を正当化しない。

 

二枚の間は、人一人ぶん空いている。

 

そこへ立つと、両方が読める。

 

中央には、七百一枚の墓銘板。

 

表の死因は見える。

 

裏の生活記録は、本人が公開を選んだものだけ読める。

 

七百のうち、公開百八十二。関係者限定二百一。封印百九十七。未決定百二十。

 

合計を確認しそうになる。

 

する。

 

七百。

 

数えないことを規則にすると、数字を避けるための別の檻になる。

 

必要なら数える。

 

数を答えにしない。

 

未来墓銘板だった一枚は、俺の手元にある。

 

《死因:聖女》

 

裏へ新しい文を書いた。

 

《七分二十秒後、複数人の手で戻った。酒はまずかった》

 

ニナが最後の一文を消せと言った。

 

消さない。

 

俺の生活記録だ。

 

「胸は」

 

ニナが訊く。

 

「痛み二。朝は四。息切れなし。右手痺れ三」

 

半年で、歩けるようになった。

 

走ると胸が痛む。雨の前は肋骨が重い。右手の感覚は完全には戻らない。

 

聖女治癒で傷を消す案は、三回検討した。

 

一回目は俺が拒否。

 

二回目はミレーユが、自分以外の治癒師を提案。

 

三回目は通常治療を続けると俺が選んだ。

 

将来、痛みが悪化すればまた検討する。

 

聖女治癒を永久に拒むことも、正しさへ固定しない。

 

ミレーユは今、東区施療院にいる。

 

個人治癒師として、週三日。

 

単独治療は禁止。説明担当と記録担当が同席し、緊急時以外は本人同意。記憶へ影響する術は停止。治療を断られた日は、理由を聞かず別の治療師へ引き継ぐ。

 

残りの二日は、被害記録委員会。

 

彼女の加害冊子は十二冊に増えた。

 

公開版、被害者限定版、医療封印版。閲覧者が彼女へ感想を返す義務はない。

 

三件、正式な告発が出た。

 

裁判は続いている。

 

俺も一件の申立人だ。

 

申立書を書くのに二か月かかった。

 

何を書けばいいか分からなかったわけではない。

 

多すぎた。

 

最初は七百一回すべてを一件へ入れようとした。弁護人に止められた。今の俺が直接記憶し、証拠を照合できる被害と、死痕人格の被害を分ける必要がある。

 

俺は七百人の代表ではない。

 

現在周回の監禁。無断追跡。情報を隠した状態での滞在誘導。身体へ触れる契約違反。

 

俺自身の件は、そこへ絞った。

 

過去人格はそれぞれ、公開・限定・封印の選択に従って申立窓口を持つ。ユアンの拒否鍵が同意確認をする。

 

十二人が申立てた。

 

七人はミレーユへの処罰を希望。

 

三人は事実認定だけ。

 

一人は謝罪を聞きたい。

 

一人は希望欄を空白にした。

 

他の六百八十八人が許した、という意味ではない。

 

何も申し立てない権利を使っただけだ。

 

俺が恋人関係を試すと決めた時、被害者委員会から確認が来た。

 

申立てを取り下げる圧力はないか。

 

ミレーユから見返りの提示はないか。

 

同居や金銭の依存はないか。

 

俺は全部答えた。

 

好意があることも。

 

彼女が罰されると苦しいことも。

それでも事実認定を望むことも。

 

矛盾している。

 

委員は《矛盾したまま受理》と書いた。

 

便利な言葉だ。

 

監禁と無断追跡。

 

恋人になったから取り下げる、とはしなかった。

 

恋人。

その言葉は、三か月前から使っている。

 

告白した日ではない。

 

最初に俺が好きだと言った時でもない。

 

白冠破壊から二か月後、互いに《恋人という関係を試す》と合意した日から。

 

試用期間、という言い方をしたらニナに笑われた。

 

俺たちには合っている。

 

月に一度、続けるか確認する。

 

確認日以外にも終了できる。

 

接触はその都度。

 

居場所の共有は予定表へ自分で書いた範囲だけ。

 

予定変更を連絡しなかったからといって追跡しない。

 

喧嘩した時は、その場で結論を出さず、第三者へ相談できる。

 

規則が多い。

 

恋愛らしくない、と言われる。

 

恋愛らしさで七百回死んだ俺たちには、これくらいでいい。

 

規則が守られるだけで関係が安全になるわけでもない。

 

ミレーユは先月、俺の診療記録を無断で見ようとした。

 

施療院の受付で止められた。

 

本人から俺へ報告。

 

俺は三日、会わなかった。

 

別れることも考えた。

今は続けている。

 

次があれば終わる、と脅してはいない。次の時の俺が決める。

 

俺も失敗した。

 

彼女が告発審理で帰りが遅れた夜、予定表へ書かれた場所まで迎えに行った。心配だから、と連絡せず。

 

追跡ではないと思った。

 

待ち伏せだった。

 

ミレーユは怖かったと言った。

 

俺は、自分なら怖くないと思っていた。

 

相手の恐怖を自分の基準で測った。

 

謝罪し、夜の迎えは事前確認という項目を増やした。

 

俺が被害者だから、境界を侵さない人間になるわけではない。

 

面倒だ。

 

生きるのは、面倒な更新が多い。

 

王都の方も同じだ。

 

施療院は九つの予定が、現在七つ。

 

外科訓練を終えた者、四十六人。輸血登録、一万二千人。蘇生薬工房、三か所。

 

間に合わなかった人がいる。

 

白冠破壊から二週間後、広域治癒なら助かった可能性のある患者が三人死んだ。

 

名前は医療記録と、この石壁にある。

 

自由の犠牲、とは書かれていない。

 

治療資源不足による死亡。

 

白冠破壊決定との関連は検証中。

 

市議会は遺族へ補償を出した。補償で正しい決断になるわけではない。

 

反対票を入れたラウラ・メイは、毎月会議へ来る。娘の輪郭は戻らない。白冠を壊した二十二人の票を、今も批判している。

 

俺は一度、話を聞いた。

 

謝らなかった。

 

彼女は謝罪を求めていなかった。

 

投票記録を永久保存するよう求めた。

 

賛成二十二だけでなく、反対十一、棄権五の理由も。

 

保存された。

 

白冠のない王都は、前より正しい場所になっていない。

 

間違いを戻せない場所になった。

だから訂正記録が増えた。

 

失敗した人を白く消さず、役職を替え、罰し、治療し、場合によってはまた任せる。

 

遅い。

 

揉める。

 

結果も悪いことがある。

 

俺は気に入っている。

 

墓所の向こうで、グレゴールの審理が公開されている。

 

今日は判決ではない。

 

百十二回の殺害について、死痕記録の公開範囲を決める日だ。

 

グレゴールは全公開を希望した。

 

被害者側が拒否した。

 

彼が罰として自分を晒したくても、殺された俺たちの記録まで公開する権利はない。

 

公開を選んだ三十一件だけ、証拠採用。

 

残りは非公開審理か、封印。

 

刑の判断は来月以降。

 

彼がアーロンの名を呼び、被害を認めたことは減刑事情になる可能性がある。白冠構築、殺害、記録改変は別に裁かれる。

 

善行一つで悪行を消さない。

 

悪行で、今後の選択まで無意味にしない。

 

難しい。

 

裁判官へ任せる。

 

俺は意見書を出した。判決を決めるのは俺ではない。

 

「レイ」

 

呼ばれる。

 

振り向く。

 

ミレーユが石壁の入口にいる。

 

白い服ではない。深緑の外套。治療鞄を持っている。

まず俺の胸を見る。

次に顔。

この順番は変わらない。

 

変えなくていい。見た後に何をするかが変わった。

 

「診療は」

 

「終了しました。治療三件、拒否一件。拒否は別の治療師へ引き継ぎました」

 

「委員会は」

 

「午後です」

 

「昼飯は」

 

「まだです」

 

「豆汁?」

 

「今日は薄味にします」

 

半年前の朝、彼女が自分のために買った豆汁は塩が強かったらしい。

今は二人分を買うか、先に訊いた。

 

「手、いい?」

 

俺が訊く。

 

「はい」

 

握る。

 

彼女は脈を数えない。

 

たぶん。

 

指の位置が手首ではないから、観察事実としては数えていない。

 

「今日、家を見に行くんだよな」

 

「はい」

 

同居の相談を始めて三か月。

 

候補は五軒。

 

白塔は候補から外した。

 

広すぎる。過去の監禁場所。公開記録庫と臨時施療院として使う方がいい。

 

選んだのは、南市場の小さい家。

 

一軒目は白塔に近すぎた。

 

俺は便利だと思った。記録庫へ通いやすい。ミレーユは、塔が視界にあると古い鍵を確認したくなると言った。

 

二軒目は出入口が一つ。

 

火事の危険だけでなく、片方が玄関を塞いだ時に逃げられない。却下。

 

三軒目は部屋の壁が薄い。

 

互いの寝息が聞こえる。俺は安心しそうだった。ミレーユも同じ。

 

安心するから却下ではない。

 

聞きたくない時に遮れないため却下。

 

四軒目は施療院の上。緊急時に便利だが、ミレーユが勤務と生活を分けにくい。

 

五軒目が南市場。

 

普通の家だ。

 

以前は四人家族が住んでいた。北へ引っ越し、空き家になった。白冠被害物件ではない。俺たちのために作られた家でもない。

 

契約名義は二人。

 

家賃は収入比で六対四。俺の記録調査員の収入が今は多い。ミレーユの賠償支払いが増えれば比率を再検討する。

 

片方が出ても、三か月は単独で払える積立。

 

家具は共有と個人所有へ印をつける。

 

恋が冷める前提みたいだ。

 

冷めないと決めた契約より、俺は安心する。

 

出入口二つ。

 

共同の台所。

 

個室二つ。

 

それぞれの部屋に、内側からかける錠。鍵は本人だけ。

 

客室一つ。

 

ニナが泊まると言っている。ユアンの椅子は入らないと言っている。

 

「最終確認」

 

俺は手帳を出す。

 

「一緒に住む?」

 

ミレーユはすぐ答えない。

 

周囲を見る。

 

墓所。人々。開いた門。

 

「住みたいです」

 

「理由」

 

「あなたの近くで生活したい。食事と会話を共有したい。別室へ戻れる状態で、同じ家を選びたい」

 

「不安は」

 

「あなたの部屋へ入りたくなる。帰宅が遅いと追いたくなる。眠っている間に脈を確認したくなる」

 

正直すぎて、少し引く。

 

冗談ではなく。

 

「対策」

 

「個室鍵は持たない。緊急時はニナの非常鍵と自動通知。追跡権限はない。脈確認は本人要請または医療担当の指示」

 

「それでも破るかも」

 

「はい」

 

「破ったら」

 

「記録し、あなたは退出できます。私は止めません」

 

「俺も違反するかも」

 

「はい」

 

「その時、お前も出られる」

 

「はい」

 

互いに、永遠に破らないとは約束しない。

 

破った時に相手が逃げられる形を作る。

 

「俺は住みたい」

 

ミレーユの目が潤む。

 

泣いてはいない。

 

決めつけない。

 

「今日から?」

 

「契約確認して、明日から」

 

彼女が少し笑う。

 

「明日」

 

その言葉を口の中で確かめる。

 

「嫌になった?」

 

「いいえ。明日が予定として使われることに、まだ慣れません」

 

俺もだ。

 

明日は約束ではない。

 

来ない可能性がある。

 

予定が変わる可能性も。

それでも使う。

 

南市場の家へ行く。

 

玄関に、新しい鍵が二本ある。

 

同じ形。

 

一本は俺。

 

一本はミレーユ。

 

玄関だけを開ける。

 

互いの個室は開かない。

 

鍵には追跡も聖刻もない。

 

ただの鉄。

 

半年前の複製鍵は、証拠保管庫にある。

 

俺は溶かさなかった。

 

ミレーユが隠した事実を、鍵の形で残す。裁判が終わった後の処分は未定。

 

彼女は一度、返してほしいと希望を出した。

 

緊急鍵としてではない。

 

自分で壊したい、と。

 

俺は今は渡さないと答えた。

 

彼女は受け入れた。

 

新しい二本は、その複製鍵を溶かして作ったものではない。

 

過去を材料にして美しい象徴へ変えない。

 

町の鍵屋が、新しい鉄で作った。

 

代金も払った。

 

「どちらを選びますか」

 

ミレーユが訊く。

 

左右に違いはない。

 

罠を探す。

 

刻印なし。重さ同じ。歯形も同じ。

 

「こっち」

 

右を取る。

 

彼女は左。

 

「交換する?」

 

俺が訊く。

 

「なぜですか」

 

「選んだ後に替えられるか確認」

 

ミレーユは考える。

 

「交換したいですか」

 

「今はしたくない」

 

「私もです」

 

交換しない。

 

選び直せると分かった上で、今の鍵を持つ。

 

玄関を開ける。

 

俺が先に入らない。

 

彼女を先にも入れない。

 

二人並ぶ。

 

「一歩?」

 

ミレーユが訊く。

 

「今は並ぶ」

 

同時に入る。

 

中は空っぽだ。

 

家具も、食器も、予定表もない。

 

これから選ぶ。

 

窓を開ける。

 

午後の風が入る。

 

朝ではない。

 

明日でもない。

 

今だ。

 

「レイ」

 

「何」

 

「明日の朝食を、一緒に食べたいです」

 

胸が少し痛む。

 

死の予兆ではない。

 

古傷だ。

 

「起きられたら」

 

「はい」

 

「豆汁は薄味」

 

「はい」

 

「酒はなし」

 

「はい」

 

予定を三つ決める。

 

絶対の約束にはしない。

 

明日の俺たちが変えていい。

 

俺は新しい鍵を机へ置く。

 

ミレーユも、自分の鍵を別の場所へ置く。

 

二本は同じ形で、重ならない。

 

七百二回目の続きが、何日目か。

 

数えれば分かる。

 

今日は数えない。

 

明日が来たら、明日の俺が扉を開ける。

 

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