「霊夢、勝負しに行こう!」
幻想郷の夏、昼下がり、小傘が社務所の外で傘と紙切れを持って跳ねながら、そんなことを言い出した。
気だるく霊夢は小傘の提案に肩を落とした。
「行かない」
「わちき、まだ何と勝負するか言ってないよ」
「わかってるの。外の世界のお化け屋敷でしょう」
小傘は、両手で広げていた案内を下ろした。
霊夢が前回の買い物から持ち帰った手提げ袋の底に、商業施設の催事案内が入っていたのである。
中央には、白い廊下の写真が大きく印刷されている。
『真夏の恐怖病棟――午前零時の白い病院』
開催場所は、商業施設七階の特設会場。
所要時間は約十五分。料金は一人千四百円。
「どうして分かったの?」
「朝からその紙を持って、私の周りを三周してるからよ」
「でも、まだお願いしてないよ」
「これからするんでしょう」
「外の世界へ連れていって!」
「ほらきた。嫌よ」
霊夢は社務所の机へ向き直った。
今日は外の世界を見回る日だ。
博麗の巫女の仕事には、幻想郷の内側だけではなく、外側から結界の状態を確かめることも含まれている。
月ごとに決まった日があるわけではない。
人の流れが増える時期や、外の世界で大きな工事や催事が行われる時期に合わせ、必要だと思ったときに見て回る。
夏休みへ入り、商業施設と駅の利用者が増えた今は、確認しておいた方がよい時期だった。
確率の影響を受けない境界でも、単純に人が多いだけで不安要素が増える。
そして、なぜか霊夢の外出予定は、そのたびに幻想郷の住人へ知られていた。
霊夢から知らせた覚えはない。
「仕事が終わるまで、ちゃんと待ってるから」
「あんたの言う、ちゃんとが信用できないのよねぇ」
「人を驚かせたりしないよ」
「今、お化け屋敷へ対抗しに行こうって言ってたわよね?」
小傘は催事案内を机へ置いた。
「でも、外の世界のお化け屋敷が、どのくらい人を驚かせてるのか確認しないと」
「それを確認してどうするの?」
「勝てそうなら勝つ」
「もしも勝てなかったら?」
「研究する」
「あら。急にまともね。感心」
「わちきだって、驚かせることには真剣だよ」
多々良小傘にとって、人間を驚かせることは単なる遊びではない。
本人の存在意義と、妖怪としての自尊心へ関わる問題である。
妖怪や異変に相対する霊夢だが、小傘の真剣さまで否定するつもりはなかった。
ただし、真剣な小傘ほど何を始めるか分からない。
「しょうがないわね。研究として、一回だけよ」
「やった!」
「仕事が終わるまで勝手に歩かない。飛ばない。傘を振り回さない。人を驚かせない」
「最後の二つを禁止されたら、わちきは何をすればいいの?」
「……研究するんでしょ?」
+ + + + + + + + +
霊夢が外の世界へ出て最初に向かった先は、商業施設ではなかった。
駅の北口から歩いて六分ほどの場所に、小さな神社がある。
そこは辻守神社という。
境内は、集合住宅と立体駐車場の間へ挟まれていた。
正面の道路から石段を七段上がると鳥居があり、その奥に拝殿がある。大きな神社ではないが、境内には古い欅が残り、社殿もよく手入れされていた。
案内板によると、かつてこの周辺を通っていた街道の分岐を守り、旅人の帰路と道中安全を祈る神社だったらしい。
鉄道の敷設と貨物線の拡張に伴い、境内は二度移されている。
現在地へ移ったのは、昭和の中頃だった。
「霊夢の神社よりきれいだね」
小傘は悪意はないのだろうが、ちくりと霊夢の胸に刺さることを言った。
正直、驚いた。
「外で余計なことを言わないで」
「おやおや、手水も新しい」
「見れば分かるわ」
「賽銭箱も大きい」
「くっ……。うちと比べるのをやめなさい」
霊夢は手水を使い、拝殿へ進んだ。
巫女装束の女性が神社を歩いていても、それほど不自然には見えない。
小傘が後ろからついていることで、近隣の神社へ用事がある巫女と、その親戚の子供くらいには見えるだろう。
実際、小傘が欅の根元をのぞき込んでいると、参拝に来た年配の女性が微笑ましそうに見ていた。
小傘は妖怪である。
霊夢にとって、妹とか親戚の子供とかではない。
ただし、霊夢が面倒を見ているという点だけなら、大きく間違ってはいなかった。
「そこから動かないで」
「はーい」
霊夢は拝殿の左右を回り、鳥居の内側と外側で、それぞれ一枚ずつ札を取り出した。
指の間へ挟み、紙の張りと、流れる気配を確かめる。
異常はない。
欅の周囲も、移された古い石も、土地へ落ち着いている。
近くに境界の薄い場所があると、神社や祠は影響を受けることがある。
長く同じ場所へ祀られ、人間の意識を集めているものは、周囲の変化を確認する基準として使いやすいのだ。
「霊夢。いつ終わるの?」
「今、一つ目が終わったところ。あと三か所」
「そんなに神社があるの?」
「神社はここだけよ。あとは祠みたいなものね」
「ふわ〜〜〜〜〜〜ん!」
大きな不満の声を出す小傘の顔から、分かりやすく元気がなくなったが、職務中の霊夢は無視した。
境内を出ようとすると、鳥居の近くにいた六人ほどの若者と目が合った。
見覚えがある。
以前、商業施設でアリスと迷子を保護した際、吹き抜けの向こうから見ていた学生たちだった。
今日は古い地図の複写と携帯端末を持っている。
霊夢を見ると、一斉に地図へ視線を落とした。
地図は、六人で同時に確認するほど大きくない。
市販されているような折りたたみの地図ではなく、青焼きと呼ばれるかつて設計図などで使われていた感光式のコピー図だ。
「霊夢の知り合い?」
小傘が聞いた。
「知らない。学生の調査か何かでしょう」
「じゃあ、わちきが驚かせてこようか?」
「なにがじゃあ。なのよ。最初の約束をもう忘れたの?」
+ + + + + + + + +
二つ目は、駅の連絡通路にあった。
改札と商業施設を結ぶ通路の端に、赤い小さな社が投げ込まれたまま忘れ去られたように置かれている。
コインロッカーと非常階段の間にあり、透明な板で囲われていた。案内には、貨物線で働いていた職員が安全を願って祀った鉄道稲荷とある。
通路を歩く人間の多くは、そこに社があることへ気づかない。
気づいても、足を止める者は少なかった。
こちらにも異常はない。
三つ目は、商業施設の屋外デッキに置かれた石祠だった。
再開発前の貨物線跡から移されたものらしい。
霊夢は移設の経緯など細かく知らない。
記録には残っているが、霊夢の記憶には残っていない。
小さな屋根と囲いが設けられ、その横には移設の経緯を記した金属板がある。
「一か所にまとめればいいのに」
「本当にね。私の手間も減るわ。でもそれは神様に言いなさい」
小傘の忌憚のない意見に、巫女らしからぬ同意をする霊夢。
最後に、霊夢は祠の外周を、特別な歩法で一周した。
札を一枚取り出し、袖の陰で指を滑らせる。
わずかな張りはあるが、普段の範囲だった。異常とは到底いえない。
「終わった?」
「終わったわ」
「じゃあ病院へ行こう!」
「病院へ行きたがる子供って珍しいわよね……。まあお化け屋敷だけど」
+ + + + + + + + +
お化け屋敷の入口には、三十人ほどの列ができていた。
会場の壁は白い板で覆われ、上部には赤い文字で『恐怖病棟』と書かれている。
入口横の画面では、白い廊下を車椅子が無人で進む映像が繰り返し流れていた。
小傘は画面を見上げた。
「これ、病院の中? きれいだね」
「病院だからきれいなんじゃない?」
「お化け屋敷なのに?」
「病院を汚く作ったら、本当の病院らしくないでしょう」
「でも、きれいなところって怖くないよ」
「わからなくもない」
二人分の入場料は二千八百円だった。
小傘は外の世界の金銭を持っていないので霊夢が払った。
「あとで返してよ」
「幻想郷のお金でいい?」
「いいわよ……。そういえば千四百円分、あっちのいくらなのかしら?」
受付の女性が、注意事項を書いた紙を霊夢へ渡した。
「代表者の方はこちらをご確認ください。途中で続行が難しくなった場合は、各所にある壁にある赤いボタンを押してください」
「霊夢、霊夢、はやく、はやく、はいろ」
「はいはい」
受付の女性は小傘へ笑いかけた。
「傘は中で開かないでくださいね」
「わちきの大事な仕事道具なのに」
「展示物やほかのお客様へ当たる危険がありますので」
小傘は不満そうに傘を閉じた。
驚かすのは本意だが、ぶつかって怪我をさせたり、壊すのは不本意のようだ。
霊夢は注意事項を確認した。
走らない。
展示物へ触れない。
出演者へ触れない。
撮影禁止。
体調が悪くなった場合は、近くの係員へ知らせる。
最初の部屋では、病院についての説明映像を見せられた。
映像によると、この病院は四年前に建てられた。と、いう設定だ。
屋内の多目的ホールなので当然である。
最新の設備を備え、多くの患者を受け入れていたが、ある夜、入院患者と職員が全員いなくなった。
病院は閉鎖されたが、夜になると照明や医療機器が自動的に動き出す。
来場者は、その原因を調べるために送り込まれた調査員という設定だった。
「最初に全部教えてくれるんだね」
「何も分からなかったら、ただ病院を歩くだけになるからでしょう」
「病院を歩くのは怖くないの?」
「普通はね」
「じゃあ、最初に怖い話を聞かないと怖くならないんだ」
「そうみたいね」
映像が終わり、正面の扉が開いた。
その先には、白い廊下が延びていた。
床は薄い灰色で、壁には病室の番号が並んでいる。
天井の照明はすべて点いていた。
明るい。きれい。歩きやすい。
壁へ血文字が書かれていることもなかった。
廊下には消毒薬に似た匂いまで漂っている。
「立派な建物だね」
小傘が周囲を見まわし言った。
「雨漏りもしそうにない」
「新しい病院という設定だから」
「床も抜けない」
「病院の床が抜けたら、行政の出番ね」
二人は廊下を進んだ。
右手に看護師の詰め所がある。
机には書類が置かれ、壁の時計も動いている。
ただし、人はいなかった。
突然、電話が鳴った。
小傘が受話器へ手を伸ばす。
「触らないの」
「鳴ってるよ」
「ただの演出よ」
「出ない方が怖いの?」
「出たら何か聞こえるんじゃない?」
「じゃあ、出た方がいいじゃん」
「展示物へ触るなって書いてあったでしょう」
電話は七回鳴り、止まった。
代わりに、天井の放送設備から声が流れた。
『受付番号、百二十七番の患者様。第三診察室へお入りください』
霊夢は手元の入場券を見た。
番号は百二十七。
そういう演出だったようだ。
「あれ? わちきたち、調査員じゃなかった? 患者にされた?」
「そういう演出みたい」
「どうして?」
「急に立場が変わったから怖いんじゃない?」
「調査員より患者の方が怖いの?」
「病院では、患者の方が弱い立場だからじゃないかしら」
言いながら、霊夢も考えた。
病院は、病人や怪我人を助ける場所である。
元気な者が用もなく訪れる場所ではない。
白く、明るく、清潔なのは、弱った人間が安心して自分を預けるためだ。
その場所が正常に動いているように見えるのに、助ける側の人間だけがいない。
代わりに、誰か分からないものから患者として呼ばれる。
「つまり、病院が怖いんじゃなくて、弱ってる自分が怖いの?」
小傘が聞いた。
「たしかに、そういうところもあるかもしれないわね」
「元気なら怖くない? わしき、元気だよ」
「私も元気よ」
「じゃあ、やっぱり怖くないね」
「そうなるわね」
空の車椅子が、廊下の角から現れた。
電動で進み、二人の前を横切る。
小傘は車椅子の下をのぞき込んだ。
「ちゃんと機械で動いてる」
「同業のよしみで、仕組みを暴くのやめなさい」
「わちきは驚かせ方を研究してるの」
第三診察室の扉が、ひとりでに開いた。
中には診察台と机がある。
机の上の画面には、『百二十七番・診察中』と表示されていた。
壁際の白いカーテンが揺れる。
「風?」
小傘が尋ねる。
「誰かいるんじゃない?」
「さっき全員いなくなったって言ってたよ」
「人間以外の何かがいる、という話でしょう」
「最初にそれを説明すればいいのに」
「全部説明したら、もっと怖くなくなるんじゃない?」
と、カーテンの向こうから、白い服を着た女性が現れた。
顔は長い髪で隠れている。
女性は無言で首を傾けた。
同時に、背後で金属製の盆が大きな音を立てて落ちた。
「わっ!」
小傘が飛び上がった。
振り返って反射的に傘を開こうとする。
霊夢は傘の柄をつかんだ。
「開かない約束でしょう」
「今のは向こうが先に驚かせた!」
「相手は仕事中なの」
白い服の女性は、髪の隙間から霊夢たちを見た。
わずかに困っているように見える。
霊夢は小傘の傘を押さえたまま、頭を下げた。
「続けてください」
女性は一度うなずき、診察台の陰へ消えた。
「今のは怖がったんじゃないよ」
「はいはい」
「驚いただけ」
「それをするのがあんたの仕事でしょう」
「違うよ。わちきは――」
小傘が黙った。俯き、霊夢から一歩離れる。
「違わないかも」
「自分で気づいたの?」
「でも、わちきは先に説明映像を見せたりしないもん」
「そこが違うんでしょうね」
次の廊下には、誰もいない病室が並んでいた。
白い寝台には皺一つなく、器具も正しい位置へ置かれている。
ただ、一番奥の寝台だけが、誰かが横たわっているように沈んでいた。
小傘は足を止めた。
「これは?」
「見えない患者がいるんじゃない?」
「説明された?」
「されてないわね」
「じゃあ、少し分かる」
「何が?」
「何かいるのに、何がいるのか分からないから、ちょっと気になる」
「怖い?」
「気になるだけ」
「私もそんな感じね」
二人は沈んだ寝台の横を通った。
天井の照明が、一つずつ消えていく。
白かった廊下が、後ろから順に暗くなる。
「いまさら暗くするんだ。最初から暗くすればよかったのに」
「白くて明るい病院を見せてから暗くするから、変わったことが分かるんでしょう」
「先に普通を見せる必要があるんだね」
「たぶんね」
「人間を驚かせるのって、準備が多いなあ」
+ + + + + + + + +
出口まで、二人は二十分かかった。
標準の所要時間より五分長い。
廊下の途中で立ち止まり、何が怖いのか話し合っていたためである。
出口の係員は、二人が怯えて進めなかったと思ったらしい。
「大丈夫でしたか?」
「大丈夫!」
小傘が元気よく答えた。
「白くて明るい病院が怖い理由は、だいたい分かったよ」
「それはよかったです」
「でも、驚かせる前に説明するのは、わちきのやり方とは違うと思う」
「そ、そうですか」
「次は説明なしで入ってみたい」
「この催しは、最初の映像をご覧いただく形式になっています」
「じゃあ、もう一回見たら怖くなるか試す」
小傘が受付へ戻ろうとした。
霊夢は襟の後ろをつかんだ。
「一回だけって約束したでしょう」
「今度は背景を理解したから、もっと正しく怖がれるかもしれないよ」
「正しく怖がるために、もう二千八百円払うつもりはないわ」
「わちきの研究なのに」
「研究費を自分で用意しなさい」
霊夢は小傘を引きずるように会場を離れる。
途中、家族連れとすれ違い、男の子が小傘の傘を指さす。
「目がある」
閉じた傘の隙間から、大きな目が男の子を見た。
男の子の肩が跳ねる。
次の瞬間には、母親の後ろへ隠れながら笑っていた。
「今、驚いた!」
小傘が振り返った。
引きずる霊夢は、家族から距離を取るため足を早めた。
「驚かせない約束でしょう」
「わちき、何もしてないよ」
男の子は離れていきながら、何度も傘を振り返った。
怖がって逃げたわけではない。
驚き、笑い、もう一度見ようとしている。
小傘は少しだけ得意そうな顔をした。
「説明しなくても驚いたよ」
「あ……」
霊夢は少し違った意味で驚いた。
「そうね。それがあんたの強さなんでしょう」
+ + + + + + + + +
空中回廊へ戻る途中、屋外デッキから人の声が聞こえた。
霊夢はアイスを食べる小傘を近くのベンチに座らせ、商業施設の客らしからぬ集団を観察する。
石祠の前へ、カメラを載せた三脚が置かれている。
若い男性が小型のマイクを持ち、その隣では別の女性が配信画面を確認していた。
周囲には十人ほどが集まっている。
午前中に辻守神社で見かけた六人の学生も、少し離れた場所にいた。
「現在、駅前で相次いでいる怪現象について、私たちは独自に調査を行いました」
男性がカメラへ話している。
配信者? といものだろうかと、霊夢は自分もアイスを買えばよかったと思い眺める。
「古書展で本が勝手に移動したという証言。箒を持った金髪女性の転落騒ぎ。そして、複数の人形が自律的に動いたという目撃情報です」
配信者は、タブレットに表示した古い地図の複写をカメラへ向けた。
「この土地には、かつて街道の分岐を守る辻守神社がありました。貨物線の敷設と駅前再開発によって神社は移転し、旧境内にあった祠の一部が、駅構内と商業施設へ移されたと記録されています」
タブレットの映像が切り替わる。
画面には、午前中の辻守神社が映っている。
境内の端には、霊夢の後ろ姿も小さく写っていた。
「さらに本日、赤と白の巫女装束を着た女性が、辻守神社、駅構内の鉄道稲荷、商業施設の石祠を順番に巡っている姿が確認されました。私たちは、最近の怪現象が神社の移転によって弱まった封印と関係し、この女性がその修復、あるいは確認を行っている可能性があると考えています」
配信画面には、次々と文字が流れている。
『やっぱり神社だった』
『駅の祠、ずっと気になってた』
『巫女さん実在するの?』
『貨物線跡が怪しい』
『夜に行ってみる』
配信画面を尋常ならざる視力で見て、コメントを読んだ霊夢は鼻で笑った。
「あいつら、見事に引っかかってるわね」
「え? 霊夢は罠を仕掛けたの?」
「誰も罠なんて仕掛けてないわよ」
「でも、神社も貨物線も、迷子の話も本当なんでしょ?」
「順番が逆なのよ」
霊夢は、カメラへ映らない位置から石祠を見た。
「何かあったから、人間が神社や祠を作ったのよ。神社が移されたから、何かが始まったわけじゃない」
「つまり、あの人たちは逆だけど惜しいところまで行ってるの?」
「かなり近くまでは来てるわね。そこから、ちょうど違う方へ曲がったけど」
霊夢は空中回廊へ目を向けた。
配信者も、集まった人々も、神社と石祠ばかり見ている。
何の由緒も書かれていない通路は、誰も気にしていなかった。
「神社が怪しいと思ってる間は、通路をただの通路として見るでしょう」
「そっちを調べてる方が安全ってこと?」
「そういうこと」
小傘は、配信者が掲げている古地図を見た。
次に石祠を見て、最後にお化け屋敷の案内へ視線を落とす。
「先に昔の話を聞いて、それから怖がってる……。わかった! 病院のお化け屋敷と同じだ!」
「そう。人間は、
「自分で話を見つけて、話を頭の中で膨らませて、自分で怖がることもできるんだ」
「便利でしょう」
霊夢の説明を聞き、小傘は小首をかしげた。
「わちき、いらなくならない?」
「さっき、説明なしで子供を驚かせたじゃない」
「そうだけど……」
「小傘。あんたは説明も背景もそんなのなんてなくても、出た瞬間だけで驚かせられるんだから、それでいいんじゃない?」
小傘は閉じた傘を見た。
傘の大きな目が、小傘を見返している。
「うん。わちきは、先に怖がらせなくても驚かせられる」
「じゃあ帰るわよ。予定より遅くなったから」
「じゃあもう一回だけ病院に――」
「帰るの」
霊夢が歩き出し、小傘も、その後を慌てて追う。
配信者がまだいろいろな考察を並べて、コメントを沸き立たせていた。
霊夢は訂正するつもりはなかった。
空中回廊の入口へ差しかかったところで、背後から声がした。
「ずいぶん遅いお帰りですこと」
「うわっ!」
小傘が今日一番の声を出した。
薄紫色の日傘を閉じた女性が、いつの間にか二人の後ろへ立っている。
「紫! いつからいたの?」
「迎えに来たときからですわ」
「答えになってないよ!」
霊夢は壁の時計を見た。
予定していた時刻を、四十分ほど過ぎている。
「私、迎えなんて頼んでないわよ」
「頼まれてはいませんけれど、外側のお勤めが終わっても戻らないものですから」
「とっくに終わってるわ。こいつがお化け屋敷へ二回入ろうとしたのよ」
紫は小傘が持っている案内を見た。
「病院はいかがでした?」
「白くて、明るくて、立派だった」
「それは何より」
「でも、それなのに怖いらしいよ」
「人間は、安心するために作ったものから不安を見つけるのが得意ですから」
紫は霊夢へ向き直った。
「霊夢。お勤めの方は?」
「異常なし。神社も祠も、いつもどおりよ」
「それは結構」
少し離れた場所で、六人の学生が紫を見ていた。
霊夢の名前はすでに知られている。
今度は、紫の名前も聞かれただろう。
ただ、紫は気にした様子もなく、空中回廊の奥へ歩き出した。
「帰りましょうか」
「わちき、まだ紫に驚かされたままだよ」
「それは申し訳ありません」
「絶対、思ってないでしょ」
小傘は閉じた傘を抱え、紫の後ろを歩いた。
「でも、今のは怖がったんじゃないからね」
「分かってるわよ」
「驚いただけ!」
霊夢は、小傘の背中を軽く押した。
「だから、それでいいんでしょう」