港の酒場はこの街で一番安く座っていられる場所だ。
俺は久しぶりにメルクハーフェンに帰った。
王国金庫はヨナスとザイツとヴィントとイレーネに任せてきた。
四つの鍵が揃っている。
俺がいなくても回る。
むしろ俺がいないほうがいい。
鍵を作った男は鍵を持たない。
ボリスが先に来ていた。
既に二杯目を空けていた。
「よう」
「よう」
「戦、終わったんだってな」
「終わった」
「あんたが終わらせたのか」
「違う」
俺は麦酒を頼んだ。
「数えただけだ」
「あんたいつもそれだな」
ボリスは笑った。
「数えただけ、勘定しただけ、値をつけただけ」
彼は麦酒を飲んだ。
「それで戦が終わって、国が生き返って、あんたは王女と一緒になる」
俺は麦酒を飲んだ。
三杯目が来て、四杯目が来た。
ボリスがジョッキの縁越しに俺を見た。
「なあ」
「なんだ」
「あんた、博打の王様だな」
俺は鼻で笑った。
四年前この酒場でこいつは同じことを言った。
あのとき俺はこう返した。
――王冠は髑髏だ。かぶった瞬間から、飯の毒を疑って、寝床の影を数えて、自分の死ぬ日を予定に組み込んで生きることになる。割に合わん。俺は儲けたいだけだ。
今日は少し違うことを言った。
「王様じゃない」
俺は言った。
「胴元だ」
「なんだその違いは」
「王様は賭ける」
俺は言った。
「勝つか負けるか。飯に毒が入ってるか、入ってないか。毎日賭けて生きる」
俺は麦酒を傾けた。
「胴元は賭けない」
「胴元は賭けを開く場所だ」
「客が賭ける。勝つ奴もいる。負ける奴もいる。だが胴元は取り分を必ず取る」
俺はジョッキを置いた。
「胴元は勝ち負けの外にいる」
「じゃあ、あんたは賭けなくなったのか」
ボリスが聞いた。
俺は少し考えた。
「一つだけ賭けた」
俺は言った。
「なんだ」
「割に合わないものを、一つ、持った」
ボリスはしばらく俺の顔を見ていた。
それから笑った。
「王女様か」
「王女様だ」
「割に合うのか」
「合わん」
俺は言った。
「王の娘と荷役上がりが結ばれる。割に合わん」
俺は麦酒を飲んだ。
「だがあの女も割に合わないと数えた。二人とも割に合わない」
「割に合わないもの同士は」
「――割れない」
ボリスは麦酒を飲んだ。
「よく分からんが」
「分からんな」
「あんたが幸せそうなのは分かる」
俺は答えなかった。
こいつはいつもそうだ。
俺の言うことの半分も分からないがいちばん大事なところだけは間違えない。
四年前こいつは聞いた。
――何なら欲しいんだあんたは。
俺はこう答えた。
――金庫の鍵かな。
あのとき俺はそれが何か分かっていなかった。
今は分かる。
王冠は髑髏だ。
かぶれば殺される。
金庫は鍵だ。
鍵を作れば殺されない。
俺は王冠を蹴って金庫の鍵を作った。
鍵は四つ。
俺は一つも持っていない。
持っていない男は数えられる。
持っていない男は殺しても意味がない。
殺しても鍵が四つ残る。
――鍵を作った男は殺されない。
俺は五杯目を頼んだ。
窓の外は港だ。
荷役の松明が動いている。
夜通し働く。働かないと食えないからだ。
俺も四年前まであそこにいた。
あの松明の一つがペーターだ。
荷役の親方になった男。
子どもが三人いる。上がもう十三になった。
あの松明の連中は以前より少し飯を食えている。
戦が終わって麦の値が下がった。
港が開いて荷が増えた。
手形に値がついて日銭が現金で払われるようになった。
俺が数えたからだ。
いや。
俺が数えて値をつけて儲けたからだ。
俺は善いことをした覚えはない。
全部儲かったからやった。
だが俺が儲かると、街が少し生きやすくなる。
そういうふうに書き直したからだ。
善いことをやると儲かる。
俺がそう書き直した。
ボリスが酔って卓に突っ伏した。
俺は一人で麦酒を飲んだ。
俺は前に一度生きた覚えがある。
何を見たかはもう思い出せない。
誰だったのかもどこだったのかも何ひとつ残っていない。
ただ一つだけ知っていた。
――世界は数で書ける。
それだけを持って生まれた。
証明は全部この手でやり直した。
賽の出方を数えた。
危険の値を数えた。
四つ目の罠を数えた。
国の死を数えた。
戦の値段を数えた。
全部数で書けた。
一つだけ数で書けないものがあった。
あの女だ。
俺はあの女に一万五千の値をつけた。
間違えた。
あの女は数で書けない。
世界は数で書ける。
だがあの女は世界の外にいる。
――それも証明の一つだった。
俺は麦酒を飲み干した。
店を出ると外はまだ夜だった。
街灯が焚いてある。
油が戦に取られなくなったからだ。
メルクハーフェンの夜に灯りが戻っていた。
俺は上着の襟を立てた。
港の夜は冷える。
俺は王都へ帰ることにした。
あの女が待っている。
いや。
あの女は待たない。
もう待つのをやめた女だ。
自分から扉を開ける女だ。
俺が帰らなければあの女のほうから来る。
だから俺が帰る。
――こういうときに帰らないと俺は俺でなくなる。
俺は歩き出した。
王冠は髑髏だ。
俺は金庫の鍵をもらった。
――割に合った。