低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
ロックは、三枚目の板を机へ置いた。
最初の一枚には、巨人を模した施設全体が描かれている。
二枚目は、消化器系に当たる部分の拡大図。
三枚目には、幾つもの容器と、それを繋ぐ線が刻まれていた。
文字は読める。
だが、読めることと、意味が分かることは違った。
単語を拾い、前後へ戻り、手帳の写しと照らし合わせる。そうして半日かけても、読み切れたのは一部だけだった。
机の端には、冷めた食事が載っている。
ロックはパンをちぎり、図へ目を戻した。
口から取り込んだ物を、奥へ送る。
途中で溶かし、残った物を分ける。
そこまでは、実際に見てきた。
では、溶かした方は、どこへ行くのか。
◇
図の中では、消化槽から出た線が二つに分かれていた。
一方は排液と、残った物の回収へ。
もう一方は、幾つもの小さな区画を経て、その先へ続いている。
回収区画で見た斜めの板や、穴の大きさが違う籠とは別の流れだ。
ロックは、その線を指で辿った。
送出。
調整。
供給。
読めた文字を、順に書き出す。
何かを溶かして捨てるだけなら、供給という言葉は要らない。
この胃袋は、取り込んだ物から、次へ渡す何かを作ろうとしていたのだろうか。
ロックは椅子へ座り直した。
人工始原の巨人。
生き物の形をした建物を、ただ造ったわけではないらしい。
食べた物を、身体の中で使おうとしていた。
何に使うのかまでは、まだ読めなかった。
◇
全てを自分で読もうとしていれば、何日かかるか分からない。
ロックは、分からなかった文字を紙へ写した。
施設全体の図は写さない。
文章も、前後を選ぶ。
何のために尋ねるのか伝わらなければ、答える方も困る。だからといって、見つけた物を全て広げるつもりもなかった。
魔術師ギルドへ持っていったのは、三つの短い文だった。
◇
クラウゼは、紙を読み終えると、もう一度最初から目を通した。
「これは、何を扱う設備の記述ですか?」
「物を溶かして、その後で分けるものです」
「金属の精錬でしょうか。それとも、薬品の調合?」
「そこが、僕にも分からないんです」
クラウゼは紙を机へ置いた。
「では、意味を一つに決めない方がいいでしょうね。この供給は、単に液体を送るという意味にも取れます。送られた先で何をするかは、この文だけでは分かりません」
「養分、と読んだところはどうです?」
「元になるものを養うための成分、という意味でしょう。ただし、植物へ与える物か、生き物へ与える物か、ほかの何かか。そこまでは書かれていません」
ロックは手帳へ書き留めた。
自分の読んだ言葉が、全部間違っていたわけではない。
しかし、思ったより先まで断定していたらしかった。
「こちらは、流れを切り替える箇所です。作業中は供給側を閉じ、洗浄で出た物を回収側へ送るように、とあります」
ロックのペンが止まった。
「洗う時は、送る先を変えるんですか?」
「そう読めます。そうしなければ、汚れまで供給先へ入ってしまいますから」
ロックは、消化槽から分かれていた二本の線を思い浮かべた。
同じ液体でも、いつも同じ場所へ流れているとは限らない。
下で音が変わった理由も、それと関わっているのかもしれなかった。
◇
ギルドを出る前に、ロックは借りた作業場へ寄った。
預けていた二つ目の塗剤には、最初の物と大きな違いは出ていなかった。
ただし、容器の底に固い塊があり、全部を同じように使えるわけではないという。
使える部分を受け取り、残りの扱いを聞く。
手帳には、遺跡の図よりも小さな注意書きが増えた。
これで、買い足す抗酸剤を少し減らせる。
薬品庫の棚から、瓶を一本消す必要はなくなりそうだった。
ロックは、そのことを誰にも言わず、容器を鞄へ収めた。
◇
翌朝、ロックは消化槽の窓の前に立っていた。
流れは、落ち着いている。
排出弁の動きにも異常はなかった。
床の窪みには液体が残っていたが、石の高い部分は広く現れている。
ロックは、手帳と金属板の写しを見比べた。
昨日まで分からなかった図の向きが、ようやく合った。
床に見えた四角い縁は、箱ではない。
図では、その下から細い線が横へ延びている。
切替箇所の一つだった。
ロックは窓から身を引いた。
床へ降りて開ける物なら、作業する道もあるはずだ。
保守通路側の図を、もう一度確かめる。
四角い印のすぐ脇へ、短い枝道があった。
◇
枝道の入口は、壁へ嵌め込まれた小さな扉だった。
今まで通った時には、点検用の棚かと思っていた。
開いてみると、奥に狭い階段がある。
段は乾いている。
壁の窪みを握り、一段ずつ下りた。
下には、身を屈めれば立てるほどの空間があった。
正面に金属の輪。
その上へ、小さな蓋がついている。
ロックは蓋の周囲を確かめ、脇から少しだけ持ち上げた。
外の明るさが、細い隙間へ入った。
床にあった四角い縁だ。
こちら側から開く。
ロックは蓋を戻し、留め具を確かめた。
溶ける液体のある床を歩いて、わざわざ上から手を伸ばす必要はなかったのだ。
◇
輪の傍には、短い文字が二つあった。
供給。
回収。
現在の位置を示す印は、回収側へ寄っている。
ロックは輪へ手を掛けなかった。
保守記録で見たことと、ギルドで教わった読み方を合わせると、ここでは今、溶かした物を先へ送っていない。
洗浄中のままなのか。
何かの不具合で、その位置に止まったのか。
いつからそうなっているのかまでは、分からなかった。
ただ、消化槽へ液体が入り、溶け残りが回収区画へ流れていたこととは合う。
ロックは輪の位置を描き、下の空間から戻った。
仕組みが分かるほど、触ればよいというものでもなかった。
◇
保守通路の先には、まだ扉があった。
消化槽を囲む道から離れ、施設の奥へ向かうところだ。
扉の脇には、札を収める窪み。
その上へ、見覚えのない印が刻まれている。
ロックは回収区画で使った札を取り出し、窪みの前へ並べてみた。
大きさは合う。
だが、札の印は違った。
試しに収める。
何も鳴らなかった。
取っ手を引いても、扉は動かない。
ロックは札を抜き、背面も確かめた。
回収区画は開いた。
こちらは開かない。
同じ形の札でも、入れる場所が違うのだろう。
扉の隙間へ道具を入れる前に、ロックは周囲の文字を読んだ。
供給側の点検口。
それから、許可なく開放しないことを示す一文。
扉の向こうにも、こちらと同じ通路があるとは限らない。
ロックは道具袋から手を離した。
◇
扉の手前に、小さな観察窓があった。
表面には、白い曇りがついている。
外側を布で拭いたが、全部は取れなかった。内側にも汚れがあるらしい。
ロックは灯りを横から当てた。
窓の向こうには、細い管が幾本も並んでいる。
その間を、淡い光が通った。
一定の間を置いて、また光る。
消化槽の底で見た液体とは違う。
何が流れているのか、そもそも液体なのかも分からなかった。
ロックは顔を離した。
ここから先は、胃袋の片づけの続きでは済まないかもしれない。
手帳へ窓と扉の位置を書き、印を正確に写した。
◇
出口へ戻る途中、器材庫へ立ち寄った。
持ち出した道具の置き場所を確かめ、使わなかったものを戻す。
損ねた鉤は持ち帰る。直せるなら直したい。
保守記録のある部屋では、開いたままにしていた板を元の順へ揃えた。
流入を示す印。
排出弁の状態。
液面。
いずれも、今日入った時から大きな変化はなかった。
ロックは最後の窓から、消化槽を見下ろした。
あの床へ降り、目についた物を拾う方法もある。
しかし、今は小さな生き物が残り、窪みには液体がある。
回収された物なら、先の部屋へ運ばれてくる。
それが分かっただけでも、これからの調べ方は変わる。
◇
外へ出ると、ロックは石の壁へ背を預けた。
手帳を開き、最初に描いた図を見る。
巨大な口。
下り坂。
その先は、暗い空白だった。
今は、その空白へ道が通っている。
点検口。
器材庫。
排液路。
回収区画。
帰る道も、ほかに一つ見つかった。
全部を見たわけではない。それでも、初めて入った時のように、次の一歩をどこへ置くかも分からない場所ではなくなっていた。
ロックは、奥の扉へ描き加えた印を見た。
あれを開ける札は、どこにあるのか。
金属板の記録をもっと読めば、分かることがあるかもしれない。
ただ、今日はもう帰る。
回収した石も、まだ調べていなかった。
使った金と道具も、帳面へ戻さなければならない。
ロックは手帳を閉じた。
次の扉へ手を掛ける前に、ここまでで得たものを、自分の物にしておきたかった。