低ランクの冒険者でも最上級のダンジョンに挑むのは自由です。 作:駄文亭
クラウゼは、差し出された紙をすぐには読まなかった。
先に、ロックの手を見た。
指の付け根に、小さな擦り傷がある。爪の間はきれいにしていたが、手袋で擦れたらしい赤みまでは消えていない。
「また、調べ物ですか?」
「はい。前に教えていただいた文の続きを、少し」
ロックは紙を机へ置いた。
今回も、施設全体の図は持ってきていない。
供給側の扉にあった文と、回収した筒の記録から読めなかった箇所。それぞれを別の紙へ写してある。
クラウゼは最初の一枚を手に取った。
視線が文字の上をゆっくりと動き、途中で止まる。
「この写しは、あなたが?」
「はい」
「字形も、できるだけ元のとおりに?」
「間違っているかもしれないところは、そのまま写しました。勝手に直すと、別の意味になりそうだったので」
「それは、よい判断です」
クラウゼは手元へ紙を引き寄せ、別の一冊を開いた。
ロックは椅子へ座り、膝の上で手を重ねた。
◇
返事があるまで、いつもより時間がかかった。
頁を繰る音がする。
一冊を閉じ、もう一冊が開かれる。
クラウゼは写しの中の一文字を、細い棒の先で示した。
「ここは、一般的な供給という意味で読むと、少しおかしくなります。この後に、受け取る側の状態を確かめるよう書いてあるでしょう」
「液体を送る先ですか?」
「そうでしょうね。ただ、設備の前後が分からないので、何を確かめるのかまでは決められません」
ロックは手帳へ書き加えた。
扉を開くための文ではなかった。
向こう側へ何かを送る時の注意らしい。
「では、閉まっているのは、向こうの状態が悪いからということも?」
「あり得ます。ですが、単に許可のない者を入れないためかもしれません。そこは、現物を見ずには分かりません」
「なるほど」
ロックは、使えなかった札を思い出した。
ほかの札を探せば済むと考えていたが、それで扉を開けてもよいとは限らないらしい。
クラウゼは本を閉じた。
「前に持ってきた流路の記述と、同じ設備のものですか?」
ロックのペンが止まった。
「……繋がっていると思います」
「思う?」
「まだ、全部を見ていませんから」
クラウゼは、その答えを聞いてから、二枚目の紙へ手を伸ばした。
◇
こちらは、筒の中にあった板から写したものだった。
ロックには読み方の分からない語が、幾つも並んでいる。
クラウゼは一度目を通し、最初の紙と横へ並べた。
「この二枚は、同じ物に書かれていたのですか?」
「いいえ。別です」
「壁と、記録のような物?」
「そうです」
答えてから、ロックは少しだけ唇を結んだ。
隠すことばかり考えて、読んでもらうのに必要なことまで伏せていた。
それでは、相手も困る。
「こちらは、容器に入っていた薄い板です。図もありました」
「材質は?」
「金属だと思います。紙ではありません」
「容器も、一緒に見つかったのですね」
「はい」
クラウゼは頷き、紙へ目を戻した。
それ以上、容器の形は尋ねなかった。
◇
「こちらは、研究の途中に書かれた文章でしょう。少なくとも、これだけで完成した設備の説明書とは言えません」
「実際の物と、違うかもしれないということですか?」
「ええ。試す前の案なのか、試した後の記録なのかも確かめる必要があります。ほら、ここに訂正を加えた形が残っています」
ロックは紙を覗いた。
意味が分からず、線までそのまま写した箇所だった。
「こっちが間違いで、消しているんですか」
「消したというより、別の条件を付け加えています。現物を見れば、文字の大きさや刻み方から、後で加えた部分を見分けられるかもしれません」
ロックは手帳へ、現物の追記を確認、と書いた。
筒の中の図があるから、施設全体を理解できる。
そう期待していたところがあった。
だが、図を描いた者も、まだ答えを持っていなかった可能性がある。
ロックは、回収区画で見つけた赤い石を入れた容器へ手を掛けた。
今日は、これも見てもらうつもりだった。
取り出しかけたところで、クラウゼの声がした。
「ロックさん。その設備は、今も動いているのですね?」
◇
ロックは顔を上げた。
クラウゼは紙を見ていた。
まるで、文章を読み解く途中で生じた疑問を尋ねるような口調だった。
流れを確かめる。
閉じた扉の先を考える。
使える薬品を探す。
自分が相談してきたことを並べれば、そう考えるのは不自然ではない。
「動いているところは、あります」
「動かないところも?」
「はい。傷んでいるところもあります」
クラウゼは紙から目を離した。
「だから、薬品の使い方を覚えたいと言ったのですか」
ロックは一度、手元を見た。
薄い板の写しと、薬品で傷んだ革。
別々に相談しているつもりだった。
しかし、話を聞く側には、同じところへ繋がっていた。
「……そうです」
「そうでしたか」
クラウゼは短く答えた。
驚いた様子はなかった。
ロックには、それが少し気になった。
◇
結局、赤い石も見てもらった。
クラウゼは容器から直接手へ移さず、皿へ出させた。欠けた面と、表面に残った細かな傷を確かめる。
「魔力の反応は、自分でも確かめました」
「どこに置かれていました?」
「ほかの回収物と分けて、皿に載っていました。再検、と書いた札がありました」
クラウゼの手が止まった。
それから、もう一度石へ目を落とす。
「元の持ち主も、調べ直す必要があると考えたのでしょうね。これを、魔晶石の代わりに使ってみるようなことは?」
「していません」
「では、そのままにしてください。詳しく調べるなら、ほかの者にも見てもらう必要があります。今日は返しておきましょう」
ロックは石を容器へ戻した。
その時、クラウゼは机の上の紙を指で揃えた。
「今日の写しは、こちらへ残しても構いませんか?」
ロックは、二枚を見た。
施設の場所は書いていない。
全体の図もない。
それでも、一度渡せば、自分の見ていないところで誰かが読むかもしれない。
「今日は、持ち帰ってもいいですか。まだ、自分の写しに間違いがあるかもしれませんし」
「もちろん。預かるために呼んだのではありませんから」
クラウゼは紙を返した。
ロックは折り目をつけず、手帳の間へ挟んだ。
◇
帰り際、扉の前で呼び止められた。
「ロックさん」
「はい」
「次も、この設備を調べるつもりなのですね?」
ロックは、曖昧に笑って済ませようとした。
だが、クラウゼの前にある本を見て、やめた。
読めない文字を教えてもらい、薬品を扱う場まで紹介してもらった。
何も分かっていない顔で嘘をつくのは、難しかった。
「はい。そのつもりです」
「では、分からなかった箇所だけでなく、その前後も正確に写してください。閉じるなと書いてある文の途中だけ抜き出して、閉じる、と読んでしまっては困ります」
「……気をつけます」
「それと、記録にある通路が、今も通れるとは限りません。設備の図は、人が歩ける道を描いた地図とは違いますから」
ロックは頭を下げた。
「ありがとうございました」
扉を閉め、廊下へ出る。
少し歩いてから、ようやく息を吐いた。
床を踏み抜いた話は、していない。
それでも、最後の言葉は妙に身に沁みた。
◇
ロックが去った後、クラウゼは机の上に残った本を開き直した。
写しは返した。
だが、何を見せられたのかまで忘れたわけではない。
古代語の文章。
稼働する流路。
腐食を防ぐ塗剤。
封じた容器に保管された研究記録。
さらに、回収品を調べ直すために残された魔力を帯びた石。
レックス遺跡の調査で、ロックが関わった箇所は把握している。
少なくとも、そこから持ち帰った品として届けられた物の中に、今日の容器や石はなかった。
ほかの既知の遺跡で得た可能性はある。
誰かから買った物かもしれない。
ただ、買った記録を読んでいるだけなら、流路が今も動くかどうかを答える時、あれほど言葉を選ぶだろうか。
クラウゼは、書庫の目録へ手を伸ばした。
◇
薬品を少量だけ買い、実際の液体へ試す。
その結果を持ち帰り、次に必要な物を考える。
また入り、新しい文字を写してくる。
ロックの相談には、順序があった。
机の上で古い記録を読み進めている順序ではない。
自分で歩ける範囲を、少しずつ広げている者の順序だった。
誰かの調査へ同行しているのなら、その責任者へ相談する方法もある。
ところが、ロックはいつも自分で判断するために尋ねていた。
言ってよいことと、まだ言いたくないことを、考えながら。
クラウゼは目録の頁を繰った。
まだ、どこにあるとも、誰も知らない場所だとも言い切れない。
しかし、一つの考えが浮かび上がっていた。
あの少年は、記録にない入口を見つけたのではないか。
◇
机へ戻り、古代王国期の設備に関する本を並べた。
流路を扱う技術の章を読む。
続いて、材質と保存法の記述へ進む。
ロックの持ってきた断片は、それぞれ単独なら珍しすぎる物ではなかった。
だが、それらが同じ場所に残り、今も動いているとなれば、話は違う。
どれほどの範囲が埋もれているのか。
誰が、その維持を続けているのか。
あるいは、誰もいないまま、長い歳月を動き続けてきたのか。
クラウゼは頁を押さえたまま、閉じた扉へ目を向けた。
ロックは、今日も場所を尋ねられると思っていたのだろう。
容器を出す時より、稼働しているかと聞いた時の方が、強く身構えていた。
場所を明かせば、自分の手から離れてしまう。
そう警戒しているのかもしれない。
ならば、先に確かめるべきことがある。
次にあの少年が持ち帰ってくる物は何か。
そして、帰ってくるために、何が足りていないのか。
クラウゼは、開いていた本へ栞を挟んだ。
書庫の棚には、まだ調べるべき記録が幾つもあった。
その外にも、記録されるのを待っている場所があるのかもしれなかった。